目を覚ます。心臓がまだ高鳴っている。
どんな夢を見ていたか、断片的にだけれども思い出す。何もない白紙の解答用紙。会場とかは多分模試の記憶からツギハギで作っているのだろう。
あの何もできていなかった時の恐怖。今までやってきたことが無意味になった時の足元が抜けたような感覚。僕の中のゾクリとするような思い出を乱雑に並べたような夢。
夢というのは、記憶の整理だったはず。連想する物事を並べていって、情報量を圧縮して長期記憶にする。
「……なんて悪夢だ」
枕元で充電されているスマホに手が伸びる。朝の三時。だいたい丑三つ時。こういう目の覚まし方は珍しい。少しづつ落ち着いてきたとはいえ、また眠るには時間がかかりそうだ。
いったん布団に横たわって、深呼吸。まだ心拍数が高い。六回音が鳴るあいだ息を吸って、六回音が鳴るあいだ息を吐く。呼吸のことだけに集中する。それ以外のことを考えないように。
手を抜いていた日を思い出す。宿題を明日に回して寝て次の日できていなかったので授業中なんとかやったのを思い出す。わからなかった途中式の変形を誤魔化して丸をしたことを思い出す。やめろ。
落ち着けない。本当は今すぐ叫びだしたり何かに暴力を振るったりしたい。落ち着け。もっとこう、気分が安らぐものを考えよう。何がいいかな。納倉の顔が一瞬思い浮かんだ。なんでだよ。そりゃ友人としては仲がいいけどこういうのは違うだろ。
守森先生……は、なんていうかちょっと、その、いや別に悪いことでもないだろうし本人に言わなければ個人の自由な行動の範囲内だろうしそもそも言った所で先生はちょっと苦笑交じりに話を聞くだろうけど、そうじゃなくて。
あの少しカサついている唇とか、首を傾げたときに後ろから見えるうなじとか、よれたシャツの襟からのぞく鎖骨とか、たまにぽきぽきと鳴らされてる指とか、細めの手首とか。案外変なところを観察しているんだな。
実際に先生にその、手を出したらというか、肌を重ねるというか、そういう比喩的表現で表すような行為をすることを考えないわけじゃない。そういうことを想像しながら色々することだってある。けど、毎回変な罪悪感みたいなものに襲われるのだ。
感覚として、それは気持ちいいのはまず間違いない。先生がどういう反応をするにせよ、僕はそれを楽しむことができるだろう。けど、そこにどういうふうに合意ができて、どういうふうに先生が僕に刺激を与えて、どういうコミュニケーションが起こるかは全然想像できない。未経験だから仕方ないけどさ。
心が落ち着いてしまったので、議題を変えよう。おまけで寝返りもする。もうかなり寒い時期のはずなのに、微妙な熱が布団の中にある。湿度なのかな。自分の汗?よくわからない。
もし今が夕方なら、ためらいなく先生に電話をかけていた。そのぐらいの関係にもうなってしまっていた。けれども、こんな時間に先生にかけるほど僕は非常識じゃないつもりだ。たとえ先生がまだ起きているほど非常識だったとしても、だ。
次に先生と会うのは、共通テストが終わった後。往復にかかる時間があれば問題が一教科分解ける。それでもし本番で落とす問題を一つ見つけられれば、二次試験で一つミスをしてもカバーできる。
「……怖い」
小さく、声帯を震わせずに、唇だけを小さく動かして、布団をかぶって呟く。そりゃそういう夢も見るよ。たふん意識の下で、僕は今年が始まってから、まあ実際は一週間ほどなんだけど、ずっと頭の中でこういうことを考えてしまっている。
理性的に考えれば悩んだ所で点数が上がらなければ無意味だってことぐらいはわかる。けれども僕には自分を支えられる自信がない。
毎日勉強した?誰だってそれぐらいしている。
生物が得意?そもそも学校では生物を選択している人が少ないんだ。それで一位を取った所でそう自慢できるものじゃないだろう。
毎日勉強した?その程度、僕と同じような水準を狙う受験生は誰でもとまでは言わないが多くはやっているだろう。その上、僕が相手にしなくちゃいけないのは勉強しているという自覚もないままに知識と技術を蓄えてきた人たちだ。
守森先生がいる?なんで僕と全く関係ない第三者の存在が、あくまで僕の問題である自信に関わってくるのさ。それに僕は受験じゃなくて先生の方にもリソースを割いているわけだし。
わかってる。こんなのはどうせ深夜だけの気の迷いみたいなもので、明日になれば特に意味のない自信が少し回復して納倉と馬鹿話ができるようになって、もう少し冷静に現状を把握できるはずだ。でもそれは今じゃない。
寝返りをまたする。少しだけ掛け布団を持ち上げて外の冷めた空気を取り込む。なにかお腹の中に入れたほうがいいかな、とか考えるがそういうことをする気力は起きない。
幸いにも、考える気力も徐々になくなってきた。またもう一度眠れそうだ。次はもう少し、いい夢を見たい。普通の学園生活が続いているとか、そういうのでいい。たまに守森先生の家に行って、受験とか考えずにのんびり授業を受けたい。まあそういう日常は実際にはなかったし、これからもないんだけど。