感情シンタイプ   作:小沼高希

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2月下旬、電車、納倉と

「なんで手をぢっと見てるのさ」

 

「いや、一昨日ちょっと柔らかいものに触って……」

 

先生に触れた感覚というものを、僕は案外覚えているものだ。変なふうに意識してしまっているからからもしれない。

 

「ま、緊張してガチガチなよりはマシか」

 

隣りに座ってタブレット端末から視線を外し僕の手を見る納倉が言うと、電車が大きく揺れる。線路が切り替わる場所の上を通り過ぎたのだろう。

 

「準備は?」

 

「十分してきた、はず」

 

「自信は?」

 

「まあ悠が落ちてもウチは受かるから」

 

「合格最低点が低いからな」

 

「戦略的志望分野選択ってやつだよ」

 

そう言って僕はニヤリと笑う。

 

「なるほどね」

 

「納倉のほうは?」

 

「……緊張しているんだろうけどさ、悠と話していると多少は気が楽だよ」

 

「確かに。一人で受験勉強していたら心細かっただろうし」

 

僕たちの高校から今日受ける大学のレベルに行く人は毎年片手で数えるほどしかいない。理系となると半分になって、今年度は下ぶれして僕と納倉の二人だけ。

 

「そう考えるとさ、詩明せんせも頑張ってたんだなぁって」

 

「その話あまり聞かないんだけど」

 

「ああ、悠には聞かせたくないんだろ」

 

「……どうして、だと思う?」

 

「あの人の中で、受験の失敗はまだ引きずられているから、とか?」

 

「そうなのかな」

 

電車がブレーキをかけて止まる。まだ目的地までは遠い。

 

「受験も初めてのウチが言うのもあれだけど、詩明せんせが高校の先生になったのもそういうところがある気がする」

 

「……言いすぎじゃない?」

 

「かもな。ウチの勘というか、たぶん邪推とかそういうものになる。とはいえそれは仕方ないとは思うようになったけれども」

 

「昔は納倉、守森先生のことあまり好きじゃなかったよね」

 

「……ま、そうだな」

 

僕のことを心配してくれていたのはあるだろうが、率先して僕より前に出て、変な関係になってないかとか聞いて、面倒な話とかを引き受けてくれていたように思う。僕の好きな人と僕の大切な友人が裏で結託しているみたいなのはあまり気分のいいものじゃないけど。

 

だって二人とも悪巧みが好きだし、僕のために意外なことをするためなら手を組むだろうし。最初の出会いが偶然だと言えるのは僕が事前に納倉に博物館行くことを話していなかったからで、もし話していたら全部二人の仕込みだと思ってもおかしくないぞ。

 

「悠はさ、僕と守森先生が仲良さそうで嫌じゃないの?」

 

「他人の人間関係に嫌だ嫌じゃないを言える立場じゃないよ、ウチは」

 

「思うことはあるでしょ?」

 

僕だってあるんだ。人間関係の経験が色々ありそうな納倉でも押し込めたり納得できたりしているかもしれないとはいえあるだろう。

 

「……受験直前のこういう時に、あまり心を乱したくないからあまり言いたくないんだよ、って言えば察してくれる?」

 

「……ごめん」

 

納倉にとって僕は、学校で数少ないというかおそらく唯一の友人なわけで、それを取られたって思ってしまうのは仕方がない。とはいえだからと言ってあまり納倉を軽んじているつもりはない。できるだけ変わらず接しようとはしている。あまり意識できる機会はないが。

 

「ま、いいよ。悠は昔から人間の心理に鈍感で、他人からの感情に気がつきにくくて、そのくせ誰にでも親切だし」

 

「そこまで誰にでも親切にしているつもりはないよ」

 

人と会ったら挨拶ぐらいはする。グループワークとかではできるだけ丁寧な対応をする。グループを主導することもあれば、聞き手に回るときもある。実験とかで納倉と組めるとたいてい二人だけで進めてしまうし結果もわかっているからあまり面白くはないが。

 

「そういえば、実験は楽しかったな」

 

「そうか?」

 

「守森先生のころのやつ」

 

「ああ、それなら同意する。あの液体を分類するのは良かった」

 

ガラス製の小さな瓶に入った液体がいくつかあって、それをどうやって分類するかという話だった。銀色の液体がガリンスタンだったりしたのには驚いたけど。僕はあれを見た時に水銀だとばかり決めつけてしまっていた。

 

「僕はあの物質を分離するやつが好きだったかな」

 

それぞれの固体が、どういった条件で液体に溶けるかを考えるもの。教科書通りの解答をした僕たちに、先生はその根拠や他にいい方法は考えられないかどうかを細かく聞いてきた。

 

「……空回りしていたところは否めないがな」

 

「僕たち以外についてこれた人、少なそうだったものね」

 

ペースが速い、とかなんとか。僕たちは追いつけたし、楽しめたけど、今思うとあれはクラス全体に教科書の内容を教えるというよりも、その後でやる基礎のついてない科目を選ぶための知識をくれるものだったように思う。

 

「ま、おかげでウチらは進めてしまったわけだけど」

 

「……納倉もさ、守森先生の授業で物理が好きになったの?」

 

「ウチはもともと数学が得意だったんだけどさ、公式を適用したり問題を分解したりみたいな方面で実際に好きだったのは数学じゃなくてそれを使って問題を解いたり、あるいはモデルを立てたりするほうなんじゃないかって気がついた」

 

「なるほどね」

 

そう話している間にも試験場は近づいていて、僕たちが挑まなくちゃいけない時間は迫ってきていた。

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