ここからはまあ蛇足です
恋というものは、落ち着いてからだとその選択を後悔することがある。
先生とのドライブだと聞いて、最初は嬉しかったのだ。納倉が家電を運んでくれると言ったのもありがたかった。親は忙しくて、そういうものは僕に任せると金だけ渡すような感じだったので結局大学準備は色々と二人に頼ることもあった。
「大丈夫?」
「……先生、ハンドル持たないほうが良いと思います」
助手席から転がり出るように降りて外の空気を吸う。考えてみればレンタカーって乗るの初めてなのかもしれない。馴染まない匂いがして、あまり落ち着けない。吐き気が我慢出来ないほどではないが、ここまで酔うのは久しぶりだ。
「まあ確かに自動車学校以来……いやその後も何回か乗ったかな……ともかくぶつけもせず傷もつけず、なんとか来れたよ!」
今までほとんど黙って集中していた分が解放されたのか、先生は少し早口だ。会話に気を取られて事故になるよりよっぽどいいと考えよう。
「もう少し加加速度を調節して……」
後部座席から荷物を揺れないように抑えていた納倉が言う。ちなみに家電のいくつかは守森先生から譲ってもらったものだ。先生が言うにはもう古くなってしまったから買い替えるしとのことだったが、たぶん引っ越し祝いの要素があるのだろう。
「結構いいところだね。家賃ってどれぐらいだったって言ったっけ?」
先生の言葉に値段を言うと、難しそうな顔をされた。
「いや相場……相場ぐらいか」
「ウチのとこはもうちょいセキュリティとか監視とかしっかりしてますけど、納倉ならまあいいと思いますよ」
そんな事を言いながらみんなで金属製の階段を上がる。一応エレベーターもあるのだが、たぶんこっちのほうが速い。そこまで重い荷物は……ベッドぐらいか。冷蔵庫もかも。そういうものについてはここまで業者の人が届けに来てくれる手はずになっている。
「ここがその部屋?」
「そうなりますね」
僕は運んでいた段ボール箱を置いて、ポケットからキーホルダーを取り出す。今の家、つまりは今後実家と呼ぶことになるだろう場所の鍵、守森先生の部屋の鍵、そしてこれから新しく僕の住居となる部屋の鍵。最後の鍵を差し込むと、少し古いのか引っかかりながらも開いた。これ油とか刺したほうがいいのかもしれない。
「一応、壁紙は張り替えられているんだ」
納倉が壁の匂いを吸いながら言う。一応換気したけどまだ有機溶媒っぽい匂いが残っているからほどほどにしたほうがいいと思うが、まああまり言うことでもないな。
「築十年ちょっとにしては綺麗だね。日もしっかり入ってくるし、コンロもある。ならいい値段かもしれない」
守森先生もコメントをくれた。まあそういうのは無視して段ボール箱の中から色々なものを出していく。デスクトップパソコンとか、本とか、あとは調味料とか。いくつかは家に余っていたものを持ってきた。
「で、あと二往復ぐらいしてもらっていいですか?僕はちょっとパソコンのセットアップしておきたいので」
「デスクトップとノートの二台体勢?」
「いえ、授業で使うのはタブレットにします。使い勝手が悪くないのは納倉が使っているのを見てわかっているので」
カバーも納倉と同じやつにした。ただし世代は上げてある。
「じゃあ悠、運んどくよ」
「お願い、モニターとかは手荒に扱わないでね」
そんな形で少しづつ僕の空間ができていく。実家の空間とはまた違うし、まだ馴染まないけどそう遠くないうちに自分の空間になるだろう。
「それにしても、結構本を持ち込むんだね」
「さすがに悠も詩明せんせには言われたくないでしょ」
そう言って二人が運んでくるのは本がいっぱいに詰まった段ボール箱。さすがにもう読まないだろうみたいな古い参考書とかは捨てたけど、教科書類は最低限残してある。
「守森先生も納倉も、本当にありがとう」
「ま、金銭的には宅急便のほうがよかった気もするけどね」
「詩明せんせ、せっかく恋人の新しい家にお呼ばれしたのにそれはないでしょ」
そう言った納倉は不機嫌そうになった先生に頭をぺしぺし叩かれてた。
「じゃあ今から納倉の家の方行って、荷物回収して、でいいのかな」
「……はい」
納倉の言葉はあまり元気そうではない。
「……あの、頭叩いたのそんなにまずかった?謝ろうか?」
「それ以上に先生の運転する車が怖いと思いまして」
「一応私は公安委員会から認められた優良運転者なんだよ?」
自慢気に言う先生だが、この場合事故を起こすほど車に乗っていないということでもある。この制度正しいのだろうか?
「まあ乗っているうちに慣れると思います。早く行かないと値段高くなりますし行きましょう」
僕はそう言って周りを確認する。一応ここに放置しっぱなして問題あるものは特に無い、はずだ。ただまあカーテンは早くつけないとな。日光が直接差し込むと色々劣化したりしてしまう。紫外線のエネルギーは強いのだ。
「そだね」
先生がそう言って、納倉と一緒に廊下に出る。一人暮らしというものが始まるんだと少しだけワクワクしながら、僕は扉に鍵をかけた。