感情シンタイプ   作:小沼高希

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4月中旬、食堂、納倉と

トレイを持ちながら人がごった返す食堂を進むと、二人席を一人で使っている納倉がいた。

 

「よ」

 

断りもせずに向かいにトレイを置く。まあもし駄目だったら謝ればいいか。

 

「……って、悠か」

 

タブレットから目を上げた納倉から一瞬だけ酷い殺気みたいなものを感じたが気のせいだろう。僕だとわかった瞬間に引いたようだし。

 

「そんな量で足りるのか?」

 

納倉が僕の定食を見て言う。

 

「そっちが多すぎるんじゃないか?」

 

大盛りの丼に追加で小鉢。それに空になったコップ一つに水が半分入った飲みかけのやつ。たっぷりの熱量が取れそうだ。まあそれだけ消費するんだろうけれども。

 

「ま、それはいいや。調子はどう?」

 

「まさか手書きのスケッチという遺物を植物解剖学の分野でやることになるとは思っていなかった」

 

「大変だな、こちらは初手からコード書いてシミュレーションだ」

 

「コードぐらい高校でもやったでしょ」

 

「古い言語なんだよ、まあ高速計算のためには必要だってことはわかるけどさ」

 

そう言って納倉は溜息をつく。

 

「お互い大変なようで」

 

大学生活が始まって二週間。シラバスを手に守森先生のアドバイスを受けて少し背伸びした履修をしているが、それ自体に問題はない。少なくとも僕の方では基礎は抑えてあるし、教科書になっている本を読めば理解できる範囲にある。最初から知らない単語が出てこないのはいいことだけど。

 

「納倉のほうは何の授業受けていたの?」

 

「シミュレーションのための数理って授業。知らないことがかなり多くて表記法もまだ慣れないからけっこうキツい……」

 

そう言って納倉はタブレットを操作して僕に渡す。ズラッと並ぶ数式といくつかのグラフ。

 

「初期値鋭敏性のある系の分析?」

 

「そ。生物でも出るんじゃないかな」

 

「複雑な系ではあるけど全体として安定だから、別にそこまでしっかり分析する必要もない気がするけれども……」

 

こんな事を言っているが、正直良くわかっていない。一年生だか一回生だったかにそんな知識を求めないでください。

 

「それにしても、まったくあの先生は新入生に質問をどしどし当てやがって……」

 

「よかったな納倉、人気者じゃないか」

 

まあそんな会話を交えながら、近況を共有していく。納倉のほうは今度学内でやるシンポジウムに出てみるそうだ。正直タイトルからして何をしたいのかわからなかったので僕はやめておく。

 

「そういえば、社会科学系のやつで納倉の好きそうなやつがあったな」

 

「どういう?」

 

「生命自体の定義についての哲学的な何か」

 

「ふうん」

 

そう言うとスマホに通知。確認すると納倉から送られてきたURLだった。一瞬会場が遠すぎると思ったらオンラインでもやるらしい。ありがたい。

 

「一人暮らしはどう?」

 

僕の質問に、納倉は一瞬箸を動かす手を止める。

 

「……ウチの生活に隣の人が介入してこようとしてな」

 

「警察と、あとは学内に相談できる場所あるっけ」

 

「それは調べてあるからいいんだよ、どうやらウチの部屋が殺風景なのが気に入らないようで」

 

「あー……」

 

実際前に荷物運んだ時に部屋を見たけど、最低限とかシンプルとか言った感じに近かった。僕の部屋ですか?もうすでに作業机に本の山ができ始めています。授業の最初から二千字のレポートってちょっと辛いんですよね。

 

出典の探し方とか文章構成のテクニックとか、そういうのを守森先生による推敲を通して学べるのは本当にありがたい。なにせ教科書になっているような本を作っている側の人だ。

 

「実際、ちゃんと暮らせてるの?」

 

「マットレスはしっかりしたやつを選んだ」

 

「そういうものか……?」

 

確かに睡眠の質というのは大事だけれども。僕については最近大学の中をあっちこっち歩き回る事になっているのもあってよく眠れる。でも夜更かしとか二度寝の誘惑はしっかりあるんだよな。一限の無い日が週六日のうち三日あるから高校の頃よりいいと言えばいいんだけど。

 

「で、まあ鍋とか誘ってくるわけで」

 

「危ないカルトかもしれないよ」

 

「『理論物理学教程』を読ませようとしてくるのは確かにカルトじみてるな……」

 

「なにそれ」

 

「古い物理の教科書。あくまで全体の流れを確認するためのもので必要に応じて個別の専門的な本を読んだほうがいいって言ったらなんかウチを中心に勉強会になって……」

 

「……なんだ、ただのいいやつらか」

 

「いいやつらは国際物理オリンピック日本代表とかしてないんだよな……」

 

酷い偏見だなぁと思う。確かにそういうのに出る高校生ならこの大学来ることもあるだろうけど、物理ができるからといって変人とは……と考えた所で眼の前の人物を確認すると何も言えない。なお僕も同じぐらいには変なやつなのでよくないな。

 

「それでもさ、学べるならいいよ」

 

「悠は学科とかの方で知り合いできたか?」

 

「……あまり」

 

「がんばれ」

 

「がんばる」

 

納倉が大学生らしい生活を送れているというのがちょっと羨ましい。まあ、一応本分としては勉学なのでそっち側をメインにしても別に悪くはないだろう。図書館で借りた本も早く読み終わらないとな。

 

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