感情シンタイプ   作:小沼高希

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6月上旬、ウチの部屋、一人で

ウチは、それなりにいい大学に行けた大学生だ。最近は同じアパートのやつらに絡まれて色々やっている。

 

で、まあ色々と盛り上がるわけだ。高校時代の話とか。恋の話とか。

 

だから、いつかはウチの話をしようと思う。ウチの、多分初恋の話を。

 

中学生の頃は転校とか色々あって、あまり友人ができなかった。当時のウチが正直他のやつらを見下していなかったか、といえば嘘だ。

 

ウチ以外の人間が碌に計算もできない馬鹿ばかりに見えた。特に得意だった理科については自信があった。

 

だから、理科の強い学校を目指した。

 

そして、あっけないほど無様に落ちた。

 

今思うと、その頃のウチは本当に馬鹿だった。自己中心的で、自分以外にまともな考えをしている人間がいるとは思えなかった。ウチが落ちたのは間違いなく実力不足なのに、そこから目をそらし続けた。

 

入りたかった場所に入れなくて、同級生たちを自分より下に見て、教員すら馬鹿だと思っていた。

 

その中でも、あのおどおどした先生を最初は舐めていた。新任だし、猫背で、どこか暗そうで、変な気味悪い笑みを浮かべていて。どうせ教科書は読んであるし、とこの先生の授業を聞き流すつもりでいた。

 

先生は黒板の前に立って、咳払いして、背中を伸ばして、ウチらをゆっくり見た。

 

そうして始まった授業は、これから学ぶ物理がどれぐらい役に立たなくて、どれぐらい役に立つかという話だった。

 

単純な振り子を二つ繋げたものですら、どんどん膨らんでいく誤差のせいで計算ができない。空気抵抗をきちんと計算する事ができるかすら、実際にははっきりとしていない。

 

それでもなお、とても基本的な計算で建築物の強度をかなり正確に出すことができる。ありえないほどに雑な近似に近似を重ねたモデルが、不思議なほど正確に現象の特徴を示す。

 

今思えば、あれは最近まで中学生だった生徒に向けてやるレベルではなかった。けれども、ウチみたいな高校生向きだった。今やっていることにどれだけ意味があって、最先端はどんなところで、どれぐらい手を伸ばせばそこに届きうるかの実感があった。

 

生物基礎と物理基礎と化学基礎の中で、先生は教科書をもとに色々な話をした。

 

ただまあ、ウチみたいな生徒以外からの評価は低かった。友だちというほど話す人はまだいなかったが、それでも無駄話ばっかりで教科書をやっていないなんて声は聞こえた。

 

そんな中、ウチと同じレベルで、場合によってはウチよりも鋭い発想をできる男子がいた。鹿染悠。

 

悠はウチよりも行動力があった。率先して声をかけて、わからないところをとことん聞いた。

 

詩明せんせもそれに応えていた。ある時なんかは授業一つ潰して、悠の質問に関連した実験の説明をしてくれた。あの時にプロジェクターで映していたやつ、普通に英語論文だったよな。

 

それで、ウチは二重の嫉妬をした。

 

ウチと違って、声をかけられる悠に。

 

ウチと違って、ちゃんと知識を使える詩明せんせに。

 

それでもゴールデンウィークが明ける頃には、ウチと悠は一緒に定位置となった最前列で授業を受けるようになっていた。

 

不合格の傷とかも気にしなくなるぐらい、あの授業は楽しかった。実験の準備の間に教えてくれた奇妙な分野の話とか、そういうのも好きだった。

 

それが恋慕混じりだって自覚したのは、夏休みの頃だった。

 

あの時間が楽しかった。教わって、調べたことを話して、興味を持ってもらって、場合によってはそれ以上の知識や発想で返されて。ウチは悠も詩明せんせも好きで、それは思春期の子供らしい恋になっていた。

 

性別とか、人数とか、年齢とか、関係とか、そういうのは気にならなかった。どっちかとか、どっちもとか、色々と考えて、苦しんで、でも全部結局独りよがりだった。

 

秋になって、また授業が始まって、先生の話を真面目に聞く人も少なくなって、穴埋めのプリントを雑談をしながら埋めるような形になった時もあって、先生と一緒にアイデアを出し合って、そんな日々を過ごしていた。

 

楽しかった。押し込めた恋心としか呼べないものを隠して、できるだけ明るく振る舞った。

 

多分そのせいで、ウチは詩明せんせの細かい変化に気が付かなかったんだと思う。

 

今思い出せば、冬の頃の先生は明らかに消耗していた。泣き出しかけているのを見た。でもその意味がわかったのは、春になって、先生がいなくなってからだった。

 

ウチはただ、陳腐に恋に恋していただけだった。自分の患ったものが特別で、秘密にしなくちゃいけないものだっていう事自体に酔っていた。

 

相手から話を聞けるほどの信頼を築けるような関係を築こうとか、考えることもできなかった。

 

詩明せんせがどうなったか、それ以降しばらくわからなかった。

 

だからウチは、そういうのを全部捨てて、嫌な自分の感情と失敗と後悔とに向き合った。

 

悠にとって、いい友人であろうとした。

 

もし悠がどういう選択をしても、受け入れるつもりでいた。それだけの準備はした、と思っていた。

 

けれどもそれは結局、悠に選択を押し付けているだけで、押し付けられた悠が何も選ばないことを選んでも何も言えないということだった。

 

また季節が巡って、春が来て、悠は詩明せんせと再会した。

 

ウチが一年生の後半の時に鏡をちゃんと見ていたら、たぶんあの時に楽しそうに博物館での話をしていた悠のことに気がつけただろう。だから、気がつくのが少し遅れた。

 

その頃もまだ、詩明せんせへの未練が残っていた。だから連絡先を知りたいと思った。

 

以降、ウチは悠と詩明せんせの板挟みになった。恋をして、それを伝えきれなかった罰かなにかなんじゃないかと思うこともあった。

 

でも、その関係は崩してしまうには暖かくて、楽しすぎた。

 

そういうわけでまた年が巡って、二人に支えられて、時にはウチの方が支えて、大学受験に挑んだ。

 

正直、自分が落ちて悠と別れたいとも思った。悠と話しているだけで、あの辛い胸の痛みを思い出しそうになった。

 

だから、あれは一種の占いみたいな賭けだった。全力は出す。それで、失敗したら縁を切るとは言わないけど距離を取ろう。もし成功したら、今までの関係を続けよう。

 

結局合格して、自慢しようとした電話は切られて、そうして新生活が始まった。

 

そこまで頭の中で考えて、首を振る。これはちょっと、重すぎる。新しい人間関係も、そこで生まれそうな最終的に直視しなくちゃいけないような執着も、自分がどうあがいても手が届かないと思い知らされるような才能も、まだウチは慣れていない。

 

悠は前にウチのことを大人だと言ってくれた。今思えば、せいぜい数歩だけ悠や詩明せんせの先を行っていた程度に過ぎない。

 

ウチはまだ弱いし、コミュニケーションで失敗するし、本心を押し殺してしまう。それでも頑張っている、ただの大学生だ。

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