トリニティ総合学園とゲヘナ学園、キヴォトスでも三指に入るこの2つの学園の確執は根深い。一説によれば遥か数百年の昔、学園という形ができる以前から両者は憎しみ合い、隔絶されていたとも言われる。
そんなかつてに比べれば恐らくずいぶん緩やかになったのであろうが、現在でもそのような傾向は残っており、両校の生徒はお互いになんとなく壁がある。付き合うべきではない近所の不良校の下品な人々・お高くとまったいけすかねー近所のお嬢様校のやつら。大体そんな感じである。
つい先日、両校の平和条約であるエデン条約調印に際しては、様々な策謀の末とはいえ一触即発、あわや本格的な全面戦争に突入するかと思われたほどだ。しかし最終的には連邦捜査部シャーレの先生の元、エデン条約の調印はなされ、今後両校は友好関係を築いていく……。一応建前上はそうなっている。
もちろんそれで生徒たちの意識がいきなり変わるなんてことは有りえず、両者の間の溝は広く深いまま。そんな中、両校合同で1つのイベントが企画されたのは非常に珍しいことながら、友好関係構築の第一歩としてトリニティ上層部、主にナギサに歓迎された。
ゲヘナ
そのイベントはトリニティ救護騎士団及びゲヘナ救急医学部による合同研修会。両校の医療関係部活動である救護騎士団と救急医学部の若手が集まり意見交換を行おうという企画である。先生が撃たれて重傷を負った際に面識を得た氷室セナと鷲見セリナの発案によるものだ。
当初は救護騎士団団長・蒼森ミネも張り切って参加の意を表明しており、全員参加での開催となる予定だったが、それを知ったナギサが全力でストップを掛け、セイアとサクラコも同意したため結局1,2年生を中心としたメンバーがゲヘナ救急医学部に向かうこととなった。
ミネは彼女流の「救護」を必要とする患者がゲヘナにも数多くいることを感じており、ゲヘナへの出張を楽しみにしていたため大いに残念がったという。
ともかく、文化的・歴史的経緯によるもの、また一部の生徒には生理的に無理と言わしめるほどの種族的な嫌悪感、それらを乗り越えての交流が医療関係者から始まったのは偶然ではないだろう。
基本的に自由奔放なキヴォトス人の中にあって人助けをしたい、傷ついた誰かのために働きたい、そうした利他の心が特に強いのが彼女たちである。積み重ねられた負の感情を乗り越えるために必要なのはまさにそのような心であった。
「それでは本日の救急医学部及び救護騎士団による合同研修会第一回、死体の基本的取り扱いについてを開始いたします」
「えっ?」
救急医学部の部室棟、研修会の会場となった会議室でホワイトボードを背にしたセナはクールな真顔で言った。じゃあこれから山に埋めに行きましょうか海に沈めに行きましょうかなどと平気で続けそうな風格があった。
唐突にキヴォトスでも結構ショッキングなワードをぶち込まれたセリナは混乱し、周囲を見渡す。ゲヘナ救急医学部の生徒たちは特に気にした様子もなくパチパチと軽く拍手をしている。後輩のハナエもニコニコしながら大きな拍手。それに釣られた救護騎士団の他の生徒達からもぱらぱらとまばらな拍手が起こり、なんとなく全体で特に問題ない感じの空気が形成されていた。
おかしいですよと叫びたかったが、相手は他校の上級生で、なんなら敬愛するシャーレの先生の命の恩人である。もにょもにょと口をへの字にしたセリナはとりあえず小さく拍手をした。
「失礼、死体ではなく負傷者でしたね」
直後にゲヘナの下級生に耳打ちされて修正するセナ。負傷者を死体と呼ぶのは彼女のなかなか直らない悪癖であった。隣のハナエはなーんだ、びっくりしちゃいました、などとニコニコしている。絶対嘘だろ。セリナは納得いかない顔になった。
「ともかく、した……負傷者について、両校の新入部員向けの基本的なマニュアルの読み合わせ、質疑応答、改善案についての検討。これらが本日の内容になります。よろしいでしょうか」
「はい、問題ありません。よろしくお願いします」
団長ミネ不在のためトリニティ側代表としてセリナは答えた。あまり専門的になりすぎず、かつ両校で行う意義のある内容として事前に打ち合わせた通りのものであった。
両校の基礎教本が配られていく。生徒たちの前に並べられるのは2冊。まずは厚手の教科書ほどの救護騎士団のもの。もう1冊はペラっと薄い本並の、本と言うか冊子・ハンドブックの類である救急医学部のものである。応急処置についての映像資料として裏表紙にBDまで付属しているトリニティのものとはずいぶん趣が違った。
「わぁ~、ぜんぜん違うんですねえ」
ハナエはその薄さに驚き、手にとってパラパラとめくる。薄い上に絵が多く、というかほぼ漫画だ。セリナも手にとってみる。内容は応急手当の仕方、の前に戦場での動き方。突入、待機の判断の仕方、負傷者の
逆にゲヘナの救急医学部は分厚いトリニティの教本に明らかに怯んでいた。2年生以上はパラパラめくったり目次を眺めたりしているが、1年生は厚さを比べてゲラゲラ笑ったり、人物写真を探してヒゲを書いたりパラパラ漫画を書き始めたり早くも集中力を失っていた。
そんな具合でしばらく教本を読む時間をとった後、セナが口を開く。
「それでは質疑に入ります。両校教本のコンセプトの違いは明らかですが、その辺りから確認していきましょう。セリナさん、いかがでしょう」
「はい、救急医学部のものはかなり実践的といいますか、軽く読んですぐに現場に出るようなことを想定しているように思いました」
救護騎士団はしっかりと座学で理論を学びつつ、ある程度形になってから現場に出ていく。ゲヘナ生がうんざりする教本も、本当に基本的な最初の一冊でしかなく、現場に出るためには最低限これだけ必要と定められた知識が詰め込まれている。
そして現場に出た後も勉強勉強、専門的な知識にも手を伸ばしていくことになる。セリナ自身も日々いくら学んでも足りないと思っているくらいだ。しかし少なくとも1冊目の教本の内容はしっかりと暗記していた。ハナエはまだかなり怪しかったがやる気はある。
「ええ、その通り。ゲヘナ生は基本的にバカばかりです」
唐突に身内をぶっ刺すセナに、多くの救急医学部生はダメージを受けたり苦笑い。恍惚としているのも一部、いやわりといたが。
「バカでもやる気はあるのが救急医学部に入ります。バカに無理やり座学をやらせてもモノにならないので、とにかく本当に最低限だけ詰めて現場に出して体で覚えさせます。鉄火場で血を見ながら覚えたことは早々忘れないものですから」
「なるほど、なんといいますか……」
「合理的でしょう」
「え、ええ。そうですね」
そうかな、そうかも……。セリナは流石にそれはちょっと乱暴すぎないかなとか、心の準備とか色々必要なんじゃないかなと思ったが、なんとなくドヤった雰囲気の無表情に異論を挟むのはやめておいた。ハナエはなるほど!とうんうん頷いていた。ちょっとお勉強嫌いの気がある彼女には馴染みやすい考えなのかもしれない。
まあ、とにかく場数を踏むというのもそれはそれで間違っていないのも確か。1の実践が百聞に勝ることもある。もちろん知識を学ぶことも重要であることに変わりはないが。
「それではこちらからも疑問を。トリニティの教本は内容的に充実した素晴らしいものでしたが、化学薬品による負傷や長時間継続的な攻撃を受けた場合の治療、監禁され衰弱した生徒の治療……。あまり一般的でないケースについてもかなり詳細に扱っているのが気になりました。緊急時の対処として優先度が高いのはわかりますが、基礎教本に載せるべき内容でしょうか」
「それは、そのぉ……」
そういえばそうですね、と首を傾げるハナエ他1年生。2年生以上の救護騎士団員や一部救急医学部員は察した顔をして目をそらす。まあそういうことなのである。しかしあちらが身内の恥をバッサリ切った以上こちらもやらねば無作法というもの。セリナは意を決して口を開く。
「トリニティではわりとよくあることなので」
「……。…………なるほど」
やや飲み込みにくかったのか一時停止したセナだが、ややあってそういうこともあるだろうと頷いた。ムカつくやつがいたらとりあえず銃と爆弾持って襲撃かけるゲヘナ生と、開けたら大発火するヤバ薬品漬けレターを送りつけるトリニティ生のどちらがマシかは議論の余地があるところだろう。どちらにせよここにいる面々がやるべきことは被害者の治療だが。
「あとはそうですね、歩容などから負傷を見分ける方法が非常に充実していたのも気になりました。私自身としても新たな知見でしたね。救急医学部としては判別がつかなければとりあえず死体に1発撃ち込んで、喚く元気があるなら大丈夫という判断ですが」
とんでもなく雑だよね、などと実際やられたのであろう医学部1年生達からも地味にツッコミのボヤキが出るが、2年生以上はヘルメットとかで顔隠してるやつも多いし効率最高なんだよな、とうんうん頷いている。ゲヘナではむしろやられたフリで救急車をタクシー代わりにしようとするアホを排除するほうが重要なのだ。
「恥ずかしいとか、心配をかけたくないとか、プライドの高さ故にとか、とにかくイジメにあって怪我をしたことを隠そうとする生徒さんも多いので……」
ゲヘナの負傷者は大体喧嘩の銃撃戦やテロによるもの。トリニティではその割合は大きく下がり、陰湿ないじめによる負傷者が多い。根本的な治安自体はトリニティの方が遥かに良いのだが。
救護騎士団の中にはこの話題で顔を伏せる者、逆にすっと胸を張る者もいた。被害を受け、助けられ、感謝と憧れから加入する。こう言うのも何だがそれはわりとよくある流れであった。他所からは白い目で見られることも多い団長ミネを慕い騎士団が結束する理由の一つでもあった。
「なるほど。所変わればした……負傷者の様相も変わり、必要な治療の手順も変わる。基本的なことですが改めて実感しました。騎士団側から他になにかあるでしょうか」
「そうですね。では……」
ゲヘナでもトリニティ同様、なんなら明け透けな分より凶悪ないじめがあり、似たような境遇の部員もいる。質疑のやり取りの中で、彼女らの中にはなんとなく通じるものがあったのだろうか。最初よりも打ち解けた雰囲気で会合は続いていく。代表のセナとセリナだけではなく他の生徒たちも段々と意見を発するようになり、ヒートアップしすぎて部長の冷たい目に黙らされたりしつつも研修会は大いに盛り上がりを見せた。
ゲヘナ救急医学部もまた救護騎士団と同じように、セナを慕う生徒の集まりだ。アホアホで無限に尽きることのないゲヘナの負傷者を、愚痴の一つもこぼさずひたすらに治療し続ける姿。それはそんなアホアホのゲヘナ生をしても感じ入るものがあったのだ。
基本雑な扱いとは言えしっかりと治療され、食事を渡され、冷たい声の無表情で一言かけられ放り出される。風紀委員長のヒナと同じような悪魔だよなんて罵る声もあったが、見えにくくわかりにくい無限の慈愛に触れた者がここに集っていた。冷たくされて喜ぶマジでただのマゾヒストも一部いたが。
ともかくも、その後研修会は恙無くスケジュールを消化した。救急医学部と救護騎士団の彼女らは同じく医療者として活動し、その他にも通じるものがあることを互いに理解し、なんとなく一体感を得た上で無事に終了したのである。小規模とは言えゲヘナとトリニティの合同企画をこのような形で終えられたのは快挙と言って良い。某ティーパーティーのナギサ様もお喜びである。
「セナさん、今日は貴重な機会をありがとうございました」
「いえ、こちらこそ。得るものが多く実りのある会だったと思います。今後ともよろしくお願いします、セリナさん」
ぼちぼち解散という空気になって、笑顔で……片方はいつもの冷たい無表情だが、雰囲気は柔らかく、代表者同士挨拶を交わしていた。
「ところでこれは個人的な質問なのですが」
「はい、なんでしょう」
「笑顔というのは、どのようにすればよいのでしょう」
セナに至極真面目に尋ねられ、セリナは悩む。楽しいことを考えれば、笑おうと思えば人は自然と笑顔になるものだ。しかしそういうことを聞いているのではないだろう。普通の人は、なんて悩める人には絶対に言ってはいけない言葉だ。
「そうですね……表情筋のトレーニングとかでしょうか」
「……やってみたことはありますが、あまり効果はないようでした」
一瞬で八方塞がり!セリナは困った。そんな空気を察したのか何も考えていないのか、横で控えていたハナエが口を出す。
「どなたに笑顔をみせてあげたいんですか?」
「え、それは患者さんでしょうハナエちゃん」
「いえ、先生……シャーレの先生です」
研修会の話の流れで普通に治療にかかわることだろうと思っていたセリナは不意を突かれた。先生のことは基本的にいつも見ているし、多くの生徒に慕われているのも知っていたが、ここでもか!
「言葉ではお慕いしていると伝えましたが、やはり常に仏頂面の女よりもいつも笑顔の……そう、ハナエさんのような方が好ましいのではないかと思います。なので私も先生に笑顔を見せられるようにしたいのですが」
「えっ、ええっ!?」
「やっぱり!セナさん、恋する乙女の顔してましたもん!」
ストレートすぎる告白に驚くセリナとグッと拳を握るハナエ。セリナはセナの顔を見直したが、そのクールな表情からは何も読み取れなかった。
「笑顔には、やっぱり愛ですよ!愛さえあればそれが笑顔です!」
「なるほど……愛。ではこのような?」
セナはほんのりと薄く、僅かに口角を上げた。言うなればターゲットを撃ち殺した直後の暗殺者みたいな会心の微笑みであった。セリナは普通に怖かったが、ハナエはそれです!と喝采をあげた。
いや違うだろう、色々言いたいことはあるがそんなんじゃ先生が腰を抜かしてしまう。別にニコニコしていなくても先生はわかってくれるし、生徒の個性を尊重する方だから無理をしなくてもいい。セリナがそう言おうとした瞬間、セナの無線に通信が入った。
「……はい。はい。わかりました。現場に急行します。あなた達は重症者を優先し治療を。……総員傾注」
しばし後、無線を切ったセナが一声かけると弛緩した空気だった救急医学部全員が即座に姿勢を正す。
「歓楽街で大規模テロ、負傷者多数。救援に向かいます。最低限の待機要員を残し全員出動です。行動開始」
言葉を聞き終えた瞬間には医学部生は全員走り出している。毎日のように事件が起こるゲヘナで磨き抜かれた彼女らの緊急時における行動力は瞠目すべきものがあった。
「セリナさん」
「はい」
「ゲヘナ自治区中心部の歓楽街でテロがおきました。高級寿司店の食品偽装に不満を持ったテロリストが店を爆破したようです。本来ならさほど問題になる規模ではありませんでしたが、テナントが入ったビルが建築偽装で強度不足だったようでビルごと崩れ負傷者多数です。その後テロリストと巻き込まれて無事だった不良たちが戦闘、勝利し不良たちを傘下に加えたテロリストがビルのオーナー企業に襲撃をかけ大規模な抗争に発展。そちらでも負傷者多数。研修会に参加せず待機していた部員たちでは手が足りず、さらに我々が救援に向かってもやや厳しく、かなりの重症者以外は見捨てる形になると思われます」
セリナは冷静に淡々と述べられた意味不明な事件の概要報告で既に目眩がしそうだったが、しかし言うことは決まっている。
「申し訳ありませんがお手伝いをいただけますか」
「もちろん」
救護が必要な場に救護を
「それが我々です」
救護騎士団もまた、救急医学部とともに走り出した。急がなくてはいけない。患者が待っているのだから。
ゲヘナ学園に派遣した救護騎士団が大規模テロに巻き込まれたと聞いたナギサは紅茶を吹き出し、ミネは次は止められても絶対行こうと決意した。