歌住サクラコは思う。変わらねばならない、と。エデン条約に纏わる騒乱を経て、切に思う。
浦和ハナコを思う。彼女は以前から目をかけていた後輩だった。優れた知識と、なによりもそれを活かす素晴らしい知恵を備えていた。シスターフッドに招き、いずれは自身の後を継ぎ、良い形で組織を率いていって欲しい。そんな風に考えていた。
しかしサクラコはそんなハナコの能力しか見ていなかった。輝かしい頭脳に目を奪われ、その年頃の少女らしい心を何一つ知ろうとしなかった。
それは当時彼女の傍に居た誰もが同じで、サクラコだけが目を曇らせていたわけではない。しかし、どうだ。才覚を持て余し、孤独に苛まれ、静かに苦しみもがいていた彼女に、シスターとしてできることはなかったのか?
ハナコは変わった。素晴らしい知己を得て、孤独から解き放たれ、自ら封じていたその知恵を生き生きと振るうようになった。事あるごとに性的な発言を繰り返し人をからかうのは悪癖と言うべきだが、それはまあ……いいだろう。
ともかくもハナコは友人たちとの関わりの中で自ら殻を破り前へと進んだのだ。
ティーパーティーの桐藤ナギサはどうか。近頃は職務上関わることが特に増えた彼女だが、かつての人を寄せ付けない風韻はすっかり消えたように思う。人の上に立つものにふさわしい威厳が削がれ、隙が増えたと、悪くはそのようにも言える。
だが、適切に人を頼り、信頼し、任せ、己は長として為すべきことを為す。言葉にすれば当たり前のことだが、猜疑心の塊のようであった一時を思えばまさに奇跡のよう。彼女の率いるフィリウス分派の雰囲気もずいぶん柔らかくなったように感じる。
権勢衰えたりと言えども、優れた政治的調整能力は健在。人間的成長に伴う硬軟織り交ぜた手練手管は以前よりも遥かに鋭くなったとすら言えるだろう。同じ学園の同胞として頼もしく、また別派閥の長として恐るべき人。そのようにナギサも変わった。
百合園セイアは。生来の健康不安と、その悪化から表舞台に出ることこそまだまだ少ないが、最近は顔色が良くなっているように見える。本人もやる気があるようだから、いずれはまたティーパーティーのメンバーとして活動するはずだ。
未来視の異能のせいか何事にも厭世的、積極的に動くことを恐れてすらいるようだった彼女は、未来視を捨てたことで逆によりよい未来を、希望を思い描くことができるようになったのだろうか。
そして、聖園ミカ。彼女もまた変わった。気まま我儘気分屋のお姫様。誰よりも優れた力を持ち、知性にも優れ、トリニティで最高峰の権力をも備えて、それを自在に振るうことになんの躊躇いもなかった。心根の優しさはあったが、それがすっかり霞んでしまうほどに衝動的だった。
だからこそ間違え、その中で正しい道を見つけた。心のままに振る舞い自他を傷つけ続けることを止め、他者に手を差し伸べることをこそ選んだ。
経典の語る教えを、上辺でなく心底で体得した彼女ならばシスターフッドに招くにふさわしいとすら思う。きっと堅苦しいのはヤダ、なんて断られるだろうけど。
犯した罪は消えず、今の彼女は苦しんでいる。自責と他責、罪の重さに押しつぶされようとしている。でもそれをそっと支える信頼できる大人がいる。きっと二人で乗り越えていくのだろう。
誰もが変わった。翻って私は、歌住サクラコはどうか。……何も変わっていないのではないか?
目指すべき先達と考えていたユスティナ聖徒会の亡霊を、聖女バルバラの姿を見た。かつてアリウスを迫害した聖徒会が、そのアリウスの逃亡を助けていたことを知った。
そこまでするつもりじゃなかったんだ。こんなに酷いことになるなんて思わなかった。そんな愚かさを嘆く声が聞こえてくるようだ。
不信と猜疑、誤解と対立、対話の足りないこと。過ちは、争いは、悲劇は、みなディスコミュニケーションから生まれているのではないか。
シスターフッドは変わった。変わらざるを得なくなった。トリニティを代表する組織の一つとして、政治の表舞台に立ち、多くの相手と対話を進めていかなければならない。そういう存在になった。
その代表として、怖そう、話しかけづらい、変わった人、そんな風に思われる人間であり続けることが許されるのだろうか。
シャーレの先生は変わらない良さもあると、変わらないことで安心できることもあると、そう言ってくれた。同輩のヒナタや後輩のマリーも無理に変わらなくても良いと言ってくれる。
しかしその優しさに甘え続けることは、正しいのか。
救護騎士団団長ミネのように、揺るがぬ信念を抱き、わが道をひたすら進み続ける者もいる。
それも一つの正しいあり方。
だが、考えれば答えはすぐに出る。
「こんにちは。アリスはアリスです!」
「ごきげんよう。歌住サクラコと申します。本日はよろしくお願い致しますね」
ミレニアムサイエンススクール、ゲーム開発部部室。小物や雑貨、衣服にゲーム、雑多なものがゴロゴロ転がる散らかった部屋。アリスが適当に開けたスペースにクッションを敷き、さあどうぞと促す。何もかもが未知の空間で、内心目をシロクロさせながらもサクラコは落ち着いた様子でクッションに座り込んだ。
「先生からご要件は聞いてます。サクラコさんは親しみやすいトーク技術を磨きたいと」
「はい、先生にどなたか紹介していただけないかと伺った所、そういうことならアリスさんが一番ということで」
「はい。アリスも最近トーク技術を学んだばかりですから、お力になれると思います。教わってばかりで、誰かに教えるというのは初めてですから楽しみです」
ニコニコ笑うアリスにサクラコは心中唸る。なるほど、これが親しみやすさ。ころころと素直に表情が変わり、直球で懐に飛び込んでいく、初対面の相手とでもすぐに仲良くなり可愛がられるような所がアリスにはあった。
先生もそれを考慮しての人選だろう。先生はゲーム開発部の気安いやり取りを見るのがいいんじゃないかなとも思っていたが残念ながらここにいるのはアリスだけだ。
ミドリとモモイはトリニティの偉い人が来ると聞いてダッシュで逃げた。一応、ユウカが責任取るから*1嫌なことされたら光の剣でぶっ飛ばしてやんなとは言い置いて。逃げ遅れたユズはいつものようにロッカーで息をひそめている。
アリスは全然気にせず、さあさあお菓子どうぞとコーラや駄菓子を次々サクラコに渡していく。サクラコは生まれて初めてのコーラに思わず吐き出しそうになったが、全力で耐え抜き青い顔で笑顔を保った。青筋を浮かべてキレているようにも見えるそれをロッカーの隙間から覗いていたユズも顔を青くした。
「トーク技術を学ぶにあたって、まずは……サクラコさんはゲームをしますか?」
「ゲーム、ですか。あまりしませんね」
ゲームと聞いてサクラコはチェスやトランプを思い浮かべる。シスターフッドの生徒たちがたまにやっているのを見かけたことはあるのだ。やってみたい気持ちもあったが、下手に混ざろうとすれば気を使わせてしまうのは間違いない。そのため自分でプレイすることはなかった。日々の業務も忙しく、サクラコは無趣味だった。
「そうですか……教材としてはやはりゲームが一番なのですが。初心者の方ですと1タイトル3~40時間くらいはかかってしまいます。サクラコさん、3日くらい泊まっていくことは可能ですか?」
「申し訳ないですがお仕事がありますので、あまり長居することは……」
そんなに時間がかかるものなのか。サクラコは親しみやすいトークを学ぶのは過酷なのだな、と驚いた。ユズはアリスの唐突なお泊り提案で知らない人と数日同じ空間で過ごす可能性に震え、カタリと音を立ててしまったが幸い誰も気づかなかった。
「ふーむ。では短期間で効果的なものがいいですね。それなら、語録を学んでみるのがいいかもしれません」
「語録?」
経典にある聖人の言葉をまとめたようなものだろうか。たしかに解説書や手引書などと並んで初心者向けではある。悩み苦しむ時に心に染み入るような言葉というのはあるものだ。信仰の始まりとして、比較的ポピュラーなルートだろう。ただ、相談や懺悔を聞くのではなく親しみやすい会話にはふさわしいものだろうか。サクラコは首を傾げた。
「はい。ミーム、インターネットミームの類でみんな知ってて使いやすいやつを覚えれば間違いなく親しみやすくなります!」
「……なるほど」
自分が思っているのと全然違うようで、サクラコは既に何もわからなかった。しかしアリスが言うのならば間違いないだろう。親しみやすさを体現し、恐らくゲームで厳しい修行を積んだのであろう少女をサクラコは早くも信頼し始めていた。ユズは嫌な予感がしてモモイにモモトークを送った。
「ではまず日常で使いやすい淫夢語録その1! ありがとナス! 感謝の気持を伝えたい時に使います」
淫夢。男性同士のあれやこれやのビデオから派生した一群のインターネットミームを指す。ミレニアムサイエンスハイスクールの生徒は総じてオタク傾向があり、こうしたミームに詳しいものも多かった。外から輸入された動画を楽しんだり、自らMAD動画*2製作者になる生徒すらいた。
また、クソゲーと淫夢は実況・RTA動画という形で密接に関わっており、そんな環境でインターネットに触れたアリスが
サクラコはインムさんという人の言行録なんだろうなとふわっと理解した。聞いたことはないけれど恐らくミレニアムの有名人なのだろう、と。
「ナス……。なぜナスなんでしょう」
「わかりません! 山海経の生徒さんは謝謝茄子! と言うそうですからそれが由来かもしれないですね」
「なるほど、そんな文化が……」
サクラコはしっかりとメモを取った。しかし、これでは以前の今風の言葉遣いを覚えた時、わっぴ~! で先生に引かれたのと同じことになってしまうのではないだろうか。そんな懸念を伝えればアリスは頷く。
「確かに、あまりに自分らしくないことをするというのは良くないかもしれません……ですが安心してください! 淫夢語録には日常性とともに高いカスタマイズ性があるのです」
お前のことが好きだったんだよ!
そう言ってアリスがホワイトボードに書き出したのは大胆な告白の文章だ。サクラコは少し赤面した。
「これをこうして、こうです!」
アリスは先生お前のことが好きだったんだよ!ですよ!
「〇〇のことが好きだった、という骨格の部分を残せば語録だということが伝わり親しみやすさを、改変部分で自分らしさを演出できます。この語録は特に日頃の感謝や好意を伝えることができる素敵な語録ですから、オススメですよ」
実際に先生に言ったら喜んでアリスの頭を撫でてくれました、ニコニコしながらそう言うアリスにサクラコは唸る。なるほど……。好きだということ、それを直截的に伝えるのを気恥ずかしく思うようになったのはいつからだろう。自分は周囲の人に十分それを伝えられていただろうか?
感謝と好意。それは人間関係を円滑たらしめる一番の潤滑剤ではないだろうか。それに先生に頭を撫でられるなんてちょっと羨ま……コホン。咳払いをはさみつつサクラコは手帳にメモを綺麗な字でサラサラと書いていく。板書、アリスの発言、自身の所見。ページはあっという間に黒く染まっていった。
「その他の使いやすい語録としてはこの辺りでしょうか」
1.大人しくしろ、バラ撒くぞこの野郎!
2.動くと当たらないだろ! 動くと当たらないだろ!
3.カスが効かねぇんだよ(無敵)
4.おいゴルァ! 降りろ! 免許もってんのか!
「い、いきなり物騒ですね……」
「主に銃撃戦の際に使用します。1は弾丸をバラ撒いたり敵を威圧する時に、2は敵が回避した時、3は敵の攻撃があたった時に。4は車両から敵を引きずり出す時に使います」
アリスがホワイトボードに書き並べた語録にサクラコは流石に手を止める。ゲヘナ生であれば普通にもっと汚い言葉も使うがサクラコはトリニティのお嬢様だった。
「確かによくあるシチュエーション*3ですが、あまり乱暴な言葉づかいは……」
「大丈夫です! これもカスタマイズですよ!」
大人しくしてください、バラ撒きますよこの野郎!
アリスはサラサラと書き直す。まだ微妙な気はしたがだいぶマシにはなっているだろうか。
「戦闘時の語録は重要です。仲間を鼓舞しながら敵の士気を下げ、頼り甲斐を示すことが出来ます」
「頼り甲斐……たしかにそれは重要ですね」
バカでかいレールガン、光の剣をぽんぽんしながらドヤッと食べる牧場ミルク顔をするアリス。強さは時に人を遠ざける原因にすらなるが、親しみやすさと合わさればアリスの言うように頼り甲斐、親しみをより高めるものになるだろう。
前線での戦闘ももちろんこなせるが、どちらかといえば後方で指揮を取ることが多かったサクラコなので、そういったやり方で人を引き付ける発想はなかった。保留していた内容を一気にメモする。
「あとは使いやすいものとして数字のミームですね」
114514! 1919 810 364364 36、普通だな!
「ふむ、意味のない数字の羅列に見えますが……」
「はい、意味はあんまりないみたいです。ただ語呂合わせで覚えやすく、組み合わせて大きな数にできるのが重要なポイントです」
1145141919
アリスは数字語録をつなげて書き直す。サクラコは11億4千5百万……と普通に読んだ。確かに大きい数字だが、これがなんだというのだろう。
「例えば、そうですねえ。サクラコさんはシスターさんですからお祈りをしますよね」
「ええ、基本的には決まった時間に」
「ではこんなのはどうでしょう」
30分くらいお祈りをしようと思ったら1145141919分も祈ってしまいました。
「???」
「およそ2178.7年ですね。当然そんなにお祈りをするのは不可能ですから、誰でもすぐにジョークだと分かるわけです」
「……なるほど、たしかに」
わからなかったサクラコは自分を恥じた。ジョーク、自身にとって鬼門であり、親しみやすさのためにぜひとも身につけたいと考えていた技術である。しかしこんな調子では……。
「微妙な数字ではすぐにジョークだとわからない、笑いにとっては致命的なすべりが発生してしまいます。しかしあからさまでわかりやすいものならばそんなことにはなりません。わかりやすいジョークのための巨大で印象的な数字、それが数字語録です。これを用いて、たとえばお釣りを渡す時にはい1919810円! なんて言えばドッカンドッカン笑いが取れるというわけです」
これをオーサカ・オバチャン・メソッドと言います。モモイが言ってました。そう言って数字語録の下に強調線を引くアリス。サクラコはうんうん頷いて爆速でメモを取った。素晴らしきかなオーサカ・オバチャン・メソッド。これならば私にも軽妙なジョークがとばせることだろう。サクラコは感動した。
感謝と好意、頼り甲斐、ジョーク。どれも親しみやすさに向かう適切な観点だった。もはや眼の前の幼さを残す少女に敬意すら抱いていた。道に惑う己の手を引く、師と仰ぐにふさわしい人物と感じた。
アリスは適当に思うまま喋っていただけだが、サクラコがとても真面目な様子で聞いてくれるので気分を良くしていた。その後も適当な語録について語り、そろそろネタ切れとなったところでとっておきのものを披露することにした。
お前さっき俺らが着替えてる時、チラチラ見てただろ
「これは一体……?」
「着替えてる時チラチラ見られた時に使う語録です!」
お前先生さっき俺らアリスが着替えてる時、チラチラ見てただろましたよね?
これをこうしてこう! とアリスは修正を加えると、なんだか普通にヤバい文章が出来上がった。そんなまさかと思いつつもサクラコは尋ねる。
「アリスさん、ええと……これは?」
「はい、この前メイド服に着替えた時に(ほとんど着替え終わってたけど)先生にチラチラ見られたので。その時は思いつかなかったんですが、次の機会があれば言おうと思ってます。この語録を使うと着替えてた人と見てた人がとっても仲良くなれるそうなので、楽しみです!」
笑うアリスに表情をなくすサクラコ。ユズはモモミドに救援要請モモトークを連打していた。モモイはダッシュで部室に戻っていたが、遠くに遊びに出ていたのでギリギリ間に合わなかった。
「急用ができてしまったので、名残惜しいですが失礼しますねアリスさん。またお会いしましょう」
「はい! アリスも楽しかったです!」
にこやかに手を振るアリスに暗い笑顔で手を振り返し、サクラコは部室を出た。移動しながらモモトークを立ち上げ先生に送る。
本日はアリスさんをご紹介いただきありがとナス!
親しみやすい人、に向けて一歩前進できたように思います。
まだまだそんなんじゃ甘いよと言われてしまいそうですが、ま、多少はね?
ところで先生さっきアリスさんが着替えてた時チラチラ見ていたと伺ったのですが、どういうことでしょうか?
先生のことが好きだったんだよと無邪気にあなたを慕うアリスさんに一体何をなさっているのですか?
今からそちらに参ります。
†悔い改めて†
「大人しくなさい、バラ撒きますよ先生!」
「動くと当たらないでしょう! 動くと当たらないでしょう!」
「ちょっとよろしい!? 降りなさい! 教員免許お持ちになっているのですか!?」
シャーレの事務室に銃声が響く。一応配慮したのかゴム弾だが、サクラコのアサルトライフル・浄化の織り手はその名の通りに性犯罪者(冤罪)を浄化しようとしていた。
その頃ようやく部室にたどり着き、息を切らしながらモモイがアリスに叫ぶ。
同時、逃げ惑う先生も叫ぶ。
『サクラコ!「アリス! キヴォトスでは淫夢ごっこは恥ずかしいんだよ!!!」』
ミドリに救出され、なんとか誤解を解いた先生に謝罪し、イロイロな事実を把握したサクラコは大いに赤面した。
シロクロinsaneヒフミさん単騎チョコミント戦法で撃破したのでチョコミントとヒフミさんの話を書こうかと思いましたがスイーツ部のことよく知らねえなあと思ってたとこにイベントが来たので温めておきます。