空が青かった。雲の欠片すら見当たらない。太陽が遮られることなく輝いている。
青空の明るさに、薄暗いゲートから出た夕子は反射的に目を細めた。素肌に当たった日差しの熱が、じわりと滲むのも感触された。夏日である。己のこの体質で神威の保護がなかったら、日焼けで火傷し、眩しさで視界が滲んだかもわからない。
踏み出しながら足裏で地面の具合を確かめる。含水率がやや低めなので推進力が分散しやすく、高速状態では滑るような格好になりかねない。それを防ぐには深く踏み抜くか、神気で足場を強化する剛歩が必要であろう。
軽く地面に神気を通せば、やけに通りが良い。見渡すとあちこちに木剣の破片や、真新しい血痕が目に入った。前座試合の激闘の痕跡である。そして注視すると、武器の破片であろう金属片や制服の生地の切れ端、折れた歯の欠片なども砂に混じっている。神気の通りが良いのにも頷けた。おそらく物質として残されたそれら以外にも、今までここで戦った姫騎士たちの夥しい流血や、彼女らの命が散って沁み込んだことにより、土砂そのものが神秘の力を帯びているのであろう。
姫騎士の肉体は神秘の塊である。世にある魔術や呪いや奇跡といったオカルト的な物事の大抵にかかわっている。実在する魔剣などはその材料の一部に聖骸断片――力ある姫騎士の遺骸の一部が用いられていて、各地の神社の神域なども巫女武者――かつてこの国でそう呼ばれた姫騎士たちが人柱になることで神性を付与したといわれている。
この闘場の場合は神秘に指向性を持たせぬよう定期的に浄化しているであろうが、積み重なった残留思念はやはり祓いきれないのか、闘争心をかきたてられるような感覚がわずかにある。もし今日この場で敗死すれば、自分もそういった賑やかしの一部になるかもしれない。
身近な死を連想しようと寒気を覚えることはない。残留思念の高揚効果もあるが、しかしそれ以上に、日の当たる場所に立ち、鍛えた技を試せる喜悦に胸が躍っていたのである。
夕子は空を見上げて、
「良い天気ね」
と、お見合いみたいなことを言った。
「ええそうね。明るくて貴女の顔の美しさがよくわかる。紅白なら、もっと映えて見えるわよ」
霧子である。結界で外部からの声が遮断されているおかげで、独り言のような声量で数十メートル離れていようと、姫騎士の聴力ならば聞き取れる。
「お化粧のアドバイスにしては物騒ね」
霧子へと向き直ると、流血を望む言葉と同様に、彼女の装備も物々しかった。
「八刀流?」
腰の左右から柄が合計八本突き出ている。剣を後ろ腰に四振りずつ交差して下げるという格好である。
「オーダーメイドよ」
霧子がふふんと鼻を鳴らした。剣と鞘は夕子のものと同一の90式騎士剣であるから、それらを保持する剣帯が特注品なのであろう。四本のベルトがコルセットベルト状になっている。一見したところ二刀一対でそれぞれ取り外し可能な構造であり、剣帯自体は実用一点張りのデザインであるものの、華やかな制服姿には不思議と調和していた。
霧子が得意げになるのもわかる。男心――姫学基準の乙女心をくすぐる専用装備である。決闘における一張羅といっても良い。とはいえその装備へのこだわりとは裏腹に、霧子自身の顔には全く化粧がされていない。彼女らしいともいえる。夕子はわざとらしくため息をついた。
「すっぴん顔だなんて、装備はよくても女子力不足よ」
「だったら、貴女が紅をさしてくれる?」
「それも良いわね。私たちのような年頃の女子にとってお化粧を教え合うのは、らしい遊びといえるのだもの」
血化粧を施し合うのは姫騎士らしい行為といえる。
「とはいえ」
「ええ」
戦意を切って、お互いに客席を仰ぎ見る。
「やりにくいわね」
「声援は聞こえずとも、あんな人の視線があっては、ね」
夕子は二年席を、霧子は三年席をそれぞれ見上げた。巨大な存在質量ともいえる気配をそこに感じていた。日傘の美女とドレスの女王、一方は気配を偽装していて、もう一方は物理的に巨大である。そうしてそこから感じ取れる神威の強大さは九十九里叡子、姫騎士学園学長にして世界有数の実力者である彼女と同等、あるいは同等以上かもしれなかった。
御前試合に臨んだ田舎侍も似たような気持ちを味わったろう。社会的権力と現実的暴力の違いはあれど、一挙手一投足が気に掛かって仕方ない。ようは、おっかないお姉様方に見つめられて気が逸れるのである。
霧子へと向き直ると、彼女はじっと、三年席を見つめ続けていた。
三年席の玉座で、姫騎士学園総代
「金の小娘は華雅美陽葵の存在に気付けておらん」
巨人であるというのに、いかなる作用によるものか、その声量は常人並みであった。
「やはり感知においても白の小娘が上であるか」
永理耶は真理谷夕子の勝利に賭けていた。姫学の女帝たる彼女にとって金銭的利益などどうでも良い。あくまで己が眼力、相姫眼の証明であって、賭け金もこれまでの決闘賭博で転がして得た金である。
「能力の有無、相性がどうだの概念が云々だの、所詮は弱き者、劣等どもの小理屈よ。姫騎士の戦いは神威の戦いに他ならん。だのに、相も変わらず愚か者が多すぎる」
オッズは真理谷夕子がやや優勢という程度にとどまった。永理耶が1222万円賭けたうえでそれである。能力未覚醒の夕子が不利と、短絡的に判断した者が多かったのであろう。
このオッズの均衡はそのまま、キャメロットガーデン内部の不穏分子の割合を指し示している。最強の神威を誇る皇永理耶の支配下において、彼女らは神威では劣っていても、能力次第では勝ち目があると思い込んでいるのである。愚かとは思うものの悪い気分ではない。最強の地位に倦んで久しい永理耶にとって、跳ねっ返りは望むところであった。
手元に立った制服姿の側近に、先ほどの言葉とは裏腹に楽しげな口調で永理耶は言った。
「劣等が勝利する。そのような奇跡を為しうるのは我が右腕、貴様のような例外だけよ」
金髪のすらりとしたその女は、永理耶にとって己と並び立つ右腕であるとともに、跳ねっ返りの代表でもある。
褒めたというのに返事はない。無口な女であった。無礼であるが無視ではない。ちらりと見返して、それで相槌を打ったつもりなのである。コミュニケーション能力に欠けていた。
独り言で終えるのはつまらないので、はっきりと返答を求めて問う。
「して、貴様の予測は? 貴様ならば、やはり金の小娘か」
「……白いほうが、勝つよ」
そう言ったきり向き直る。八剣霧子には目もくれず、真理谷夕子の姿だけを見るともなく見続けていた。
「薄情であるな」
「……あっちに、見るべきものは、もうない」
「あれは貴様の妹であろう? キリエよ」
「その名は捨てた。今の私はランスロット。円卓最強、裏切りの騎士、だよ」
自称ランスロットはなぜか得意げに、ふふんと鼻を鳴らした。
キャメロットガーデンの支配者層には、アーサー王物語になぞらえて円卓の騎士の名を幹部格が襲名するという風習がある。永理耶にしてみればカビの生えたごっこ遊びに他ならないが、幹部たちの半数近くは大まじめに横文字の名前を自称している。今年で十八歳になるランスロットも、その一人であった。
八剣霧子には八剣
訃報が届いたのは一年前で、その時点で荼毘に付されていた。遺骨はない。遺髪すらない。現役の姫騎士の遺骸は神秘資源としての危険性ゆえに、学外に出ることも墓地に納められることも禁じられている。
霧子のもとに帰ってきたのは、霧子とお揃いの髪留め一つきりであった。お揃いとはいっても元は父が姉の誕生日に買い与えて、霧子が姉と同じ物を欲しがって新しく買ってもらった結果、お揃いとなった髪留めである。
霧子が姉を真似た一つ結びから現在の二つ結びに髪型を変えたのは、髪留めを二つ付けるためでもあった。
霧子にとって最強の姫騎士とは、姉の霧江のことである。平安から生きる妖怪じみた叡子学長や、現代に生まれたメトセラである白鷺莉々愛といった超越者らを目の当たりにした今となっても、その考えは変わらない。幼い頃から剣の試合では一度も勝てず、成長した今の実力で挑んだとしても、足元にも寄り付けないであろう。年齢差は左程の理由にならない。なんとなれば神威において、霧子は霧江を圧倒していたのである。霧江は霧子と比べた場合、姫騎士としての肉体的素質にひどく乏しかった。上中下でいうところの、下の中といった程度である。幼少期は神威を全開にしてようやっと成人男性並みで、手加減してゴリラ以上であった霧子とは比ぶべくもない。しかしいざ立ち合えば、霧子は姉に勝てなかった。一矢報いることすらできなかった。神威の乏しさを帳消しにする以上に、八剣霧江の剣才が、ずば抜けていたのである。
霧子は三年席にいる巨人を一目見て直感した。あれは強い。強すぎる。その身に秘めた力は、白鷺先生を、叡子学長をも上回るに違いない。つまりは姉を殺せる、姉の仇となり得る存在といえた。
「キリコ?」
夕子の声に我に返る。忘我していた。姉の仇候補を前にしたとはいえ、あまりにも失礼かつ油断が過ぎた。
「なんでもないわ」
そうとも、なんともない。第一、姫騎士にとって戦って死ぬのは本望である。その恨みを姉妹とはいえ第三者が引きずるのは、女々しい。むしろあの姉を討ち取ったことを素直に讃えるべきであろう。
姉には姉の闘いがあった。己には己の闘いがある。
霧子の運命の相手はあの巨人ではない。客席で決闘を肴に飲酒する下品な格好の女では決してない。向き直った正面に佇む美しい純白の少女である。姉とその仇のことは、今は忘れるべきであった。
この決闘に開始の合図はない。ゲートから出るなり斬りかかっても問題なく、前口上や舌戦を経たうえで、お互いに「やろう」と感じるのを開始合図としても良い。
霧子は前口上の延長として、ちょっとした悪戯をしかけることにした。夕子が油断を突かないでくれたことへの返礼である。
袖をめくり、一差し指と中指を、クンッと上に突き出した。初めて言葉を交わしたあの日に見せた技である。
夕子の視界に線が走る。因果の糸が霧子の指と夕子の腰の剣を結びつけていた。鯉口が切られ、飛び出ようとする柄頭を夕子の手が押さえた。腕力尽くで抑え込もうとすると、剣が揺れてがたがたと鞘を鳴らす。
「私の能力は剣属性支配。ややこしい名称だけど、それが剣であるのなら、対峙する敵の武器にも支配が及ぶということよ」
暴れる剣に柄頭から神気を通す。確かな抵抗がある。が、押し流せないほどではない。神気強化を終えると剣の揺れが納まった。感覚からして抵抗の正体は霧子の神気であろう。繋がっていた因果の糸も消えている。
「随分と手ぬるい支配ね。この程度の強化で自由になれる」
「それは貴女が強いからよ。格下の剣士は戦いにもならないわ」
たしかに格下殺しである。神威で劣る者は神気集束の技術がなければ剣の支配権を取り戻せない。殊に有効なのは芽亜と卍姫が受けたような初見殺しであろう。わけもわからぬまま、勝手に動くか飛び出すかした己の剣で自害する羽目になる。兵士が剣を振るっていた時代なら戦場を支配していたに違いない能力といえた。考えようによっては現代でも有効かも知れない。ナイフや銃剣も剣である。
予測はしていたが、主武装の剣一振りを除き、短剣や暗器、小柄を含めて刃物を一切持たなかったのは正解である。戦闘中不意に支配された寸鉄に、無防備なところを狙われる。この事態を防ぐには常にそれらを神気で強化し続けなくてはならず、そのためだけに意識を割かれることとなる。
「勝ち筋を自ら潰してくれるなんて、親切なのね」
「戦いの前くらいはフェアでありたいもの」
言い換えれば、戦闘が始まるや否や、兵法らしくどこまでも卑劣な手を使うという宣言であった。
「どうせこの程度の小細工、貴女には通じない。それに――」
うっすらと因果の糸が再び繋がり、すぐに消えた。夕子の手は、柄に触れたままである。
「剣を、手放せなくなったでしょう?」
ぞっとする艶笑であった。
そうである。一時的に剣を手放す投剣や格闘戦が封じられた。いずれも不意打ちには有効な技術であり、殊に無手での取っ組み合いの展開に持ち込めば、腕力で勝る夕子は非常に有利である。
「剣士なら剣士らしく、刃を手にして闘いなさい」
霧子が袖に包まれた両手をゆっくりと持ち上げた。すると彼女の腰の鞘から、一振りずつ独りでに抜剣されて行き、八振り中、二振りを除いた六振りが彼女の周囲に滞空した。
「まずは六刀浮遊剣、小手調べよ」
夕子も剣を抜き放ち、流すようにだらりと下げた。
「剣士らしくと言いながらそちらは剣を握らないのかしら」
舌戦に応じながら霧子を見つめる。三本三振りづつ、左右の手が浮遊剣と因果の糸で繋がっている。おそらく浮遊剣の動作は手の動きと連動しているのであろうが、肝心の手そのものは、垂らした袖に覆われて見えない。そもそもが手元隠しのための改造制服であろうから、それはいい。更に目を凝らす。因果の眼の深度を深める。
「小手調べと言ったわよ。私は姫騎士、能力使いとして戦うけど、貴女は剣士として駆けずり回るといいわ」
「ひどいダブルスタンダードね」
透かして見えた。左右の手から脳髄へと、因果の糸が続いている。それからわかるのは彼女の能力は念動方式、脳で思考しなければ働かないということである。わざわざ手の動作を挟むのは脳の負荷を和らげるのと、反射的な操作のためであろう。つまり手の動き自体は、ブラフではない。脳だけでも浮遊剣操作はできるものの、二振り程度ならともかく、それ以上ともなると手の補助を経由しなければ負担が大きい。六振りの浮遊剣を自在に操りながらの近接戦闘は、相当な無理が出るとみて良さそうである。可能な操作はせいぜい、事前に決めておいた動作パターンくらいであろう。
「常識的に考えなさい。私が強くて私が上。貴女と私で私が偉い。下々が上位者の言動に責任を持たせたければ、最低限の力を示すべきでしょう?」
「挑戦者と見下して挑発のつもり?」
足元に神気を浸透させる。浮遊剣の攻略法は組み立った。
「それもある。けれどこれを切り抜けたなら対等と認めてあげる。さあ、私に剣をとらせなさい! ユウ!」
霧子が舞うように構える。六つの切っ先が夕子を向いた。こうも秋波を送られては、こちらも応えねばなるまい。
「勝つのは私よ! キリコ!」
夕子は地を蹴り、爆発的に加速した。