姫騎士学闘アヴェマリウス   作:トシアキウス

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 授業中、真面目な生徒が「はい先生!」と挙手をするのと、居眠りしかけて指された生徒が「はい先生!」と返事をするのとでは、その反応速度に差がある。速いのは意外なことに後者である。真面目で、熱意があり、集中している生徒が問題に答えようと決意してから声を上げるまでに0.5秒以上かかるのに対し、授業もろくにきかずぼんやりしているだけの生徒がぎくりとしてからひとまず声を出すまでの時間は0.3秒以下で、場合によっては人体の限界反応時間とされる0.1秒に迫るかもしれない。これにはガリ勉の真面目ちゃんはとろくさいとか、授業中に怠けていられるのは天才肌の証であるとかのこじつけは一切関係がない。0.5秒以上と0.3秒以下というこの反応時間の差は、意識的反応と無意識的反応の違いによるものである。

 意識的反応と無意識的反応には速度差がある。意識的反応は遅く、無意識的反応は速い。薄暗がりで恋人の誘いに応えて口付けするのが意識的反応で、すっぴん顔にぎょっとして身を離すのが無意識的反応であるとすると、どちらの反応が機敏であるかはいうまでもない。「ぶっ殺す」と決意して行動に移すより一足先に、「ぶっ殺した」と呟く相手のナイフに刺されている。先に銃を構えた西部劇の悪役が0.5秒以上かけて引き金に力を込める間に、主人公は悪役の手の動きを見てから0.2秒で銃を撃ち終えている。剣術の形稽古においても、打太刀が先に仕掛けてくるのを仕太刀が倒すという形式が大半である。後手有利ともいえるそれは、意識的な攻めの速さを無意識的な受けの速さが上回っていることを前提に成り立っている。仕掛ける側はいつ仕掛けるかを意識して決めねばならないが、仕掛けられる側は無意識のまま刺激にただ反応するだけで良い。

 人間の意識的反応が毎回0.5秒以上かかるなら日常生活はとても送れないのではないか、という当然の疑念は間違ってはいない。人間は日常生活における行動の大半を無意識的に行っている。呼吸も歩行もいちいちその動作を意識はしない。上司や教師の叱責にぺこぺこ頭を下げるのも無意識的行動である。意識的に行動し続けることがいかに神経をすり減らすかは、ペーパードライバーの運転を見ればわかる。ハンドル、ブレーキ、アクセルの加減にギアチェンジと、操作の都度に0.5秒のワンテンポもたついて、心の安まる暇がない。これを新社会人生活に置き換えれば、五月病も単なる甘えとは断じられなくなる。

 話が逸れたがともかく人間の反応時間というものは、無意識的に反応すれば0.1秒、意識的に反応すれば0.5秒が最短であるとされている。そうしてその限界は、姫騎士である夕子と霧子にも適用される。神気強化という現象が物理法則を一部無視して働くように、神経伝達速度なども姫騎士の持つファンタジーな力で超越できそうなものであるが、残念ながらそうはならない。神威が肉体の状態を最適化することにより、反応時間は理想値の0.1、0.5秒へと限りなく近付くものの、それより短くなることはない。なんとなれば、脳機能がボトルネックとなるのである。

 姫騎士の頭脳は通常の人間に比べ、別段優れているわけでは決してない。姫騎士学園の偏差値、矢見野芽亜がFランお嬢様学校と評したそれからも窺える。超人的な身体機能を生かし切るには脳機能も超人的でなければならない。昭和のヒーローの知能指数が600というすさまじい数値であったのは理にかなった設定といえる。一方で現実の夕子と霧子はそうではない。超人の肉体を、凡人の脳でどうにか振り回している。

 

 二人の間で交わされる剣の先端速度はおよそ時速180㎞、卍姫の言ったコンセントレーション・リミットの数値となる。0.1秒間に5メートルの速さで飛び交う白刃は、5メートル以下の間合いでは0.1秒で反応したとしても防御が間に合うものではない。ましてや一足一刀の刀圏内ともなれば、受けようと身体が動作を開始した時点で既に、刀身が肌を切り裂いている。

 このように互いに反応が間に合わない速度の攻撃を常時繰り出しているにもかかわらず、夕子と霧子は両者ともに無傷のまま、映像作品の殺陣のように剣戟を続けていた。

 この均衡は一見不可思議に思われるが、実のところ矛盾してはいない。反応速度自体が短縮できないのなら、相手の攻撃開始時点より先に反応することで、自分の防御行動を間に合わせているのである。

 夕子が剣を振り始める0.09秒前、微かな五体の強張りや目の色の変化から、霧子が夕子の攻撃を察知し反応する。夕子の剣が0.01秒分進んだ時点で、0.1秒間の反応を完了した霧子が防御行動を開始する。夕子の剣は攻撃開始の0.1秒後、霧子の身体に届くことなく凌がれる。

 いわゆる予備動作の感知により、攻撃側と防御側の動作がほぼ同時に開始される。事前反射により見かけ上の反応時間が0に近付く、あるいはマイナスとなって攻防が逆転する。以上のような現象は人間のスポーツでもよくみられる現象であるが、コンセントレーション・リミットの速度域において一度二度ならまだしも、今の夕子と霧子のように延々と繰り返されることは稀である。いっそ不可能といっても良い。それを成り立たせているのは剣士としての技量以上に、姫騎士の超人体質、人間を遥かに凌駕する感知能力のおかげであった。冗談交じりに姫騎士アイは超視力、姫騎士イヤーは地獄耳、姫騎士スキンは玉の肌などといわれているが、神威で強化された感官はいざとなると実際に漫画じみていて、意識的には自覚できずともその精度と範囲は並外れている。俗に言う第六感、サブリミナル効果の逸話で有名な閾下知覚、言葉に言い表せないがなんとなくわかるといった感覚能力が、ずば抜けているのである。

 

 相手の行動の気配に反応して身体が最適解の動作をとる。形稽古で染みついた所作が自動的に選択され、その通り実行される。フェイントがフェイントであることすら高精度で直覚される領域下で虚実の駆け引きはほぼ成り立たない。我と我が身を純粋な暴力装置へと変じさせ、ただひたすらに直前直後で反応し合い迎撃し合う。そこに読み合いや化かし合いといった意識的な立ち回りの介在する余地はない。むしろ、意識的判断自体を行ってはいけない。こう攻めようとこう防ごうと決意する、その意識に伴い生じてしまう0.5秒間の後れは、0.1秒刻みの攻防の最中(さなか)では致命的なものとなる。

 

 

 躱して斬る。弾いて踏み込む。足は止めない。居着かせない。飛び退りつつ構え直し、銀線を宙に描いて絡ませる。八剣霧子が腕をしならせ二刀を振るい、真理谷夕子が全身ごと投げ込むように一閃する。

 絶えず動き回り剣を打ち付け合う二人の姿を、夕子(夕太郎)は俯瞰していた。

 意識から身体の操作権を取り上げるために精神と肉体を分離させる。その感覚は幼い頃に慣れ親しんだものである。投薬の副作用の苦痛から逃れるため、夜毎訪れる二度と目覚められぬかもしれない恐怖を誤魔化すため、己の肉体に宿るのは真の己ではないと、その場その場で思い込んで現実をやり過ごした。

 肉を持って横たわる色取り取りの人形(ひとがた)でも、目を凝らせば見えてしまう病室のあちこちで呪詛を散らしながら揺蕩う黒いもや(・・)の塊でも、悲嘆にくれるかすすり泣くか謝り続けている仄白い影でもない。それらの誰でもないただ透明な存在と化して、自分が真理谷夕太郎という惨めな肉塊であることを忘れている間は、姉を羨むことも両親を呪うこともせずにいられた。心という厭わしい染みのない純潔な自分でいられたのである。

 そうして今、彼はかつてと同じように、透明な虚空に漂う意識となって、戦う二人を見つめている。他人のプレイするテレビゲームの画面を見るように、真理谷夕太郎とは別人である真理谷夕子の斬り結ぶ姿を見下ろしながら戦況を分析していた。

 

 

 霧子は剣を振るいながら、心の中でひたすら九字を唱えていた。

(臨兵闘者皆陣烈在前)

 修験道などを修めているわけではない。

(天地玄妙行神変通力)

 そもそも呪文の意味を学んですらいない。

(臨兵闘者皆陣烈在前天地玄妙行神変通力)

 口に馴染んで繰り返しやすい文字列なら何でも良かった。気分次第では九字の代わりにいろは歌を唱えていた。

 無意識の行動を円滑にするため言葉を並べ立てることにより意識の処理能力を飽和させる、過負荷と呼ばれる手法である。

 八剣霧子には才がない。こうでもしなければ雑念を排除できない。色あせた月長石の瞳に時折映り込む己の顔は強張っている。普段はいかにも元アメリカ人らしい陽気な顔をしているのに、剣を手に対峙するや否やすっと表情の抜け落ちる父親や、常日頃から虫みたいに何を考えているかわからない姉とは違い、無理をしている。大半の人間と同じく、生まれ持った気性が戦い向けではないのである。そうしてその虚ろな表情を見るに、おそらく夕子も父や姉と同じ側の人間だろう。つくづく己という人間の浅さが嫌になる。動物的感覚に身を任せた即断即決の繰り返しならば、心の強さは影響しない。そのような展開になるよう誘い、持ち込むことで、互角の形勢を保っている。

 

 

 心技体から心の要素を排除すれば、単純に力と技の総量で上回った側が勝つ。

 夕子の分析によれば剣才自体はほぼ同等、力においてはこちらが勝る。それで互角ということは、現時点の技量で霧子が上を行っていることの証左といえる。才が同等であるにもかかわらず生じたこの優劣は、鍛錬時間の差であった。

 幼い夕太郎が病床で天井を見つめている間、幼い霧子は剣を振っていたのだろう。

 神威覚醒で体質が改善されるまで、素振りのたびに息を切らした。幼少期の素振りの総数でいうなら夕太郎は霧子の何百、何千分の一になるかもわからない。

 思うさま剣を振れるようになってからは、とにかく多くの実戦的な技を覚えた。学校に通っていないとはいえ時間は有限であり、皺寄せとして基礎鍛錬が甘くなった。三千流の神髄だけは修めたものの、その神髄にしたって表立っては決して使えぬ、使ってはならぬ技である。いってしまえば真っ当な剣術使いとしての真理谷夕太郎は、姫騎士として目覚めてからたった数年の間に突貫ででっち上げたものに過ぎない。夕子自身はそう見なしている。

 そのような即席剣士の己と違い、霧子の剣には()があった。二刀流が実戦的か否かの議論は死刑存廃論争のように依然未決着であるものの、強い剣士が使えば強い、と身も蓋もなく言い切れば、いずれの側もひとまず意見が一致する。霧子は強い剣士であった。彼女の操剣は腕力尽くでは決してない。精妙巧緻な剣の道行きを描いている。右二刀と左二刀の構えを自在に切り替えて、しかも片寄りが見られない。おそらく長刀二刀という際物を使いこなすため、一度左利きに矯正してから右利きを覚え直すことで両利きにしたのであろう。対峙する側にしてみれば右利きと左利きの剣士を交互に相手するようなものである。

 それだけでもやりづらいというのに、霧子は更なる工夫を重ねていた。改造制服のロングベルスリーブである。剣を握る彼女の手を、釣り鐘状に広がった長袖が覆い隠していた。

 

 柄の握り方持ち方は、手の内という言葉の用法から察せられるように、繰り出される技の情報を多分に含むものである。この握りならこう、あの握りならああ来ると、握りさえ見極めれば次の瞬間の太刀遣いは大まかに把握できる。故に握り(・・)は流派の基本にして奥義であるともいわれ、独自の握りから放たれる秘剣というのも珍しくない。

 江戸時代の剣術道場全盛期について書いた文献を紐解けば、他流試合に臨む剣士が着物の裄丈(ゆきたけ)を常より八寸延長して、柄を持つ手を垂らした袖で隠したという逸話がいくつか見つかる。手の内隠しのこの工夫は柄を守るという意味で守柄(もえ)と呼ばれ、現代のファッションである萌え袖などはこの守柄(もえ)袖に源を発するという説もある。

 

 基本の握り、間合いを伸ばす柄尻握り、小指と人差し指を立てた狐握り、一差し指を鍔にかけたゴティク握り、二本指の間に剣身を挟むお洒落なルネサンス式握り、意表や背面を突く逆手持ちと、多彩に、一振りごとに変化する霧子の握りは袖によって隠されて、いかなる剣が繰り出されるか直前までわからない。鮮やかな曲芸めいた手の内の切り替わりは、浮遊剣の能力の応用で柄を手元に吸い付かせることで実現したのであろう霧子独自の技術であった。

 今現在、夕子の神威は霧子と比較してほぼ倍にまで高まっている。更に男性の筋力がそこに上乗せされるとなると、神気操作の未熟さによる損失を踏まえても、二人の間には成人男性と女子中学生くらいの膂力差があるといえる。暴漢を少女が抑え込むといった光景は、少女の身につけた護身術や護身具によっては案外あり得そうに思われる。けれども暴漢側も同じく武術と凶器を手にしたならば、並大抵の技術差では拮抗は成り立たない。

 純粋な剣の技量でいうなら霧子は本物の真理谷夕子、夕子(夕太郎)が立合いで一度も勝てなかった姉よりも上かもしれない。姉の神威は夕子とほぼ同等であったが、霧子は常識的に考えれば敵わないはずの神威の差、肉体性能の差を覆している。

 膨大な神威にまかせた一撃を技によって凌がれる度、賞賛と同時に努力量の不足を恥じ入る気持ちが胸中をかすめる。人格の価値とはいかに努力できるかだと夕子は思い、そう思うにつけ、人間的に劣った己を自覚する。姉にあと一歩及ばなかったとき、嶺鈴に勝利への執念を見せつけられたときもそうだった。あるいはこの負い目は他人と深く関わる都度、必ず感じてしまうもので、世の中の人間は誰しもが抱えているのかもしれない。

 

 

 聞えよがしに努力の量を誇るのは、卑しいことだと霧子は常々思っている。

 強い者ははじめから強い。己のような弱者が勝つには努力を重ねるしかなく、それで勝てるかもしれないが、生まれながらの強者が鍛錬を詰んだとすれば、そのような相手には絶対に勝てないだろう。強者との間に横たわる生来の差は、強者の怠惰なくして縮まらない。

 生還の保障されたスポーツならまだしも、敗北が死に直結する剣の道においては、勝つか負けるかの結果こそが全てである。頑張ったこと自体が糧になるといった慰めの言葉にはなんら価値がない。死体には、糧にして歩むべきその後の人生がないのである。人生そのものを台無しにしておきながら心の糧を与えてやったとのたまうワンマン社長や気違い教師のやり口であって、そうした行いの汚らわしさは、他者にするのと己にするのとで必ずしも反転しない。

 

 夕子の剣の運びには、どことなくちぐはぐなところがあった。一子相伝の流派にはありがちであるが、要諦に繋がる技術は他流試合では容易に見せられぬという理由もあるのだろう。おそらく外物太刀と思われる他流の技の数々を、才気で強引に繋げている。それはいい。そもそも現代剣術は集合知であり、最優の剣術流儀は剣道に他ならない。一対一の試合形式では一族で細々と伝承されてきた古流独自の技よりも、著名な流派の技術を用いたほうが強いという場合も多い。なので手を抜かれているとは思わない。けれども刹那のやり取りからでは気付けないが攻防が長時間続いた結果、剛剣の荒々しさに紛れた雑さが目に付いてしまった。明らかな鍛錬不足である。

 理由は推察できる。絶世ともいえる美しさの代償か、代償にその美しさを得たのか、ともあれそのアルビノの体質は、儚い見た目通りであったに違いない。

 父の弟子として本格的に剣を学び始める少し前、物心ついたばかりの霧子は姉の真似をして木刀を闇雲に振り回していた。今思い返せばいかにも無為な時間であったが、自分が剣を好きになったきっかけでもあったろう。あのときに童心で味わった曇りのない喜びを、もう一度味わわんがために今でも剣を続けていると、そういった気持ちがないでもない。

 そのような機会ですら、夕子には与えられなかった。

 

 勝つために身体を鍛える。勝つために技を磨く。勝つために準備する。準備して準備して準備して、それが本当の強さへと繋がるのだろうか、それで得た勝利が強さの証明といえるのだろうか、霧子にはわからない。相手の強みを封じて己の強みを押し付けることが兵法である。純粋な強さ比べにはなり得ない。

 気高くあれ、美しくあれと教わって、そうありたいと思うのなら、努力したくてもできなかった相手に己の努力をこれみよがしに誇るのは、面の皮が厚いというものだろう。

 何ひとつ不自由のない恵まれた境遇でぬくぬくと身につけた己の剣は肥えている。本当に美しいといえるのは、荒削りであっても、境遇に負けずここまで練り上げた夕子の剣のほうだろう。

 

 

 剣を通して想いが伝わるのは、物語に限らず、現実にもあり得る現象である。筆跡に感情が現れるように、剣跡にも使い手の想いが乗る。目や口ほどに雄弁といってもいい。

 夕子は霧子の、霧子は夕子の想いを知った。互いが互いを賞賛しつつ、的外れな後ろめたさを感じている。

 しかし感傷は感傷として、勝利を求める決意自体は揺らいでいない。

(このままでは)

 と、二人は感じた。

(見切られる)

(押し切られる)

 奇しくも同じ、敗北の予感であった。

 霧子の技の冴えも驚異的であるが、それ以上にこうも長々と打ち合えば、夕子の剣そのものが見切られつつあった。このまま長引き、完全に見切られてしまえば、受けつつ斬るような返し技の格好の餌食となる。二刀流には詰みの状態に持っていく手順がいくつもある。

 霧子にしてみれば、夕子の神気の高まりともに増す剛剣の威力を、技で捌ききれなくなりつつあった。力があって体が固いというのは、それだけでもう強い。拳法の大会が実際に殴り合う試合形式となれば参加者たちが術理の探求の前に筋力トレーニングばかりするように、大半の戦いというものはフィジカルが主で、技巧はあくまで補助に過ぎない。肉体の成長が頭打ちになってから、初めて技術が生きるのである。そして夕子の成長には限界がない。攻撃力のみならず、霧子の剣が刺さらない領域に肉体強度が至るのもそう遠い話ではない。

 

 ならばどうするか、夕子が選んだのは状況の打開であった。自ら動く。動かす。行動なくして勝利はない。賭けではある。失敗したら斬られて死ぬ。薄暗がりで生を諦めていた頃の感覚が顔を出す。死んだらそれまでと思い切れた。彼女が相手なら命を投げ出しても惜しくはない。むしろいい。

 

 霧子が選んだのは待ちの姿勢であった。畢竟、才能のない自分にはこれしかできない。己の努力を信じるという女々しい心構えであるが、そんなのはこれまでのやり取りで、夕子にはとっくに見抜かれているだろうから、誤魔化すことはやめにした。これでも霧子は乙女である。女性というのは、素直に弱みを見せるくらいが可愛いと聞いている。

 

 0.5秒の意識の時間を確保するため間合いを離す。光を点した瞳で霧子を見据える。見つめ合った。初動のタイミングはこちらの目から見抜かれるだろう。かまわない。

 これまでの戦闘の様相から、観客は力の夕子と技の霧子といったふうに評価していると思われる。この辺りで自分も技ができることを、見せつけてやるべきだろう。その方が盛り上がる。何より霧子に、短いながらも修行した己の成果を伝えたい。

 

 

 剛歩で加速し、袈裟懸けに振り下ろす。反応した霧子の金髪が体と共にふわりと浮く。剣身が虚空を斬った。躱し躱されたのではない。踏み込みが浅く、間合いが僅かに足りなかった。そして、渾身の力で振られた夕子の剣は勢い余ったかのごとく深々と地面に切り込まれていた。

(はず)っ、した!?)

 初心者でも滅多にしない失敗を、あの夕子がするはずない。

「神門三千流――砂燕(すなつばめ)

 すかさずに斬り上げる。間合いは遠いままである。しかし轟音とともに、砂塵の壁が隆起した。

 細かい砂礫が霧子の眼球を刺激する。砂の壁による目くらましであった。霧子は瞬きしなかった。そういう修行を積んでいた。砂塵で隠れたのは前方のみ、それ以外の240°の空間はクリアなままである。密度を上げるため砂塵に神気を通して操作したのであろう。完全に姿を隠せた反面、四方八方からの奇襲はできない。ならばやることは変わらない。慌てず、ただ反応して迎撃する。モグラ叩きの要領である。

 砂塵を裂いて影が飛ぶ。霧子の剣が反応する。

(ここで投剣!?)

 狙い違わず断ち切った。軽かった。鞘であった。砂塵の中にまだいるのか夕子本人の姿はない。ぞわりとした。咄嗟に頭を振り向ける。視界の端、霧子のちょうど真後ろに、低い姿勢で剣を振り抜く夕子がいた。

(囮!? 同時!? なぜ!?)

「神門三千流――傀儡影転(くぐつえいてん)

 人間の視野は上側より下側のほうが正確に捉えられるといわれているが、人混みで子供にぶつかりかけることがよくあるように、常に万全に機能しているとは言いがたい。横から四つん這いで回り込んで腰に抱き付くといったコントのような脅かし方も可能である。低い体勢で回り込むには二足歩行は効率が悪い。四足歩行も同様である。最も効率の良い移動方法は全身で転がりつつ動くことで、反動を考慮しなければ五十センチ以下の高さを維持したまま走る速度での移動が人体には可能である。筋肉の連動を切り離し、足裏や手のひらばかりでなく、五体全体を使って地を蹴る。可動デッサン人形の間接を滅茶苦茶にしたような格好で、人体の角を地面に引っかけて転がりながら移動する。

 夕子は鞘を投げつけた勢いのまま地面に体を投げ出すと、壊れた玩具のような挙動で霧子の背後へと回り込んだ。高速ゆえに時間差はほとんどなく、音や衝撃も無音脚の活用で発さない。平べったい昆虫のような地面すれすれの移動である。手にした剣は回り込んだ時点で振りかぶられている。体の転換力を斬撃力にそのまま移した形である。霧子は囮の鞘を切り捨てたところであった。反応は間に合わない。夕子は手繰るように剣を振った。

 金属音が響いた。

「なにっ」

 夕子の奇襲の一撃は、もう一方の剣が伸びて逸らされていた。霧子の目には困惑の色があった。

 暗夜剣である。夜間の乱戦を想定して型に組み込まれ、一対一の立ち合いでは明らかに無意味に見える所作であるが、形稽古で霧子の身体に染みついていた。型どおりに動いた身体が彼女の窮地を救った。

 立ち直りはほぼ同時で、奇襲は失敗したが体勢は夕子のほうがやや有利であった。組み付くように間合いを詰めると、強引に刃と刃をかみ合わせて、がちりと捻る。火花が散り、霧子の眼に触れてじゅっという音を立てた。

「神門三千流――焦眼鉄花(しょうがんてっか)

 砂燕と重ねての目潰しである。人間が瞬きをせずに視界を保っていられる時間は限られている。訓練によって延長できるが、目の表面を潤す涙の蒸発速度はいかんともし難い。激しく動けばじっとしているより早く乾く。涙がにじめば視界もにじむ。瞬きなしに眼球を転がして潤かすことも可能であるが、それは視線をそらすということでもある。

 

 今の霧子の眼は傷つき焼かれている。身体の反射はぎりぎりこらえているものの、一瞬後にでも瞬くか、視線を動かさねばならぬであろう。そこを突く。目の変化に合わせて動く。そう身体に命じておく。そしてまもなく機会が来た。

 霧子がぎゅっと目を瞑った。反応して身を沈める。間をずらす。牽制で左剣が突き出されるが間合いが遠い。夕子の鼻先をかすめるだけで終わるだろう。霧子には何も見えていまいが、夕子の視界には彼女の全身が納まっている。左剣をやり過ごせば残る脅威は右剣だけで、今現在の姿勢なら見たままに反応すれば逸らすなり切り落すなりして、霧子の身体に己の刃を届けられる。夕子のなかで、勝利への道筋が組立った。

 しかし霧子の呼吸もまた、夕子のそれの数瞬前にはかみ合っていた。

 

 剣が消えた。霧子の右剣が、中ほどから切っ先にかけて、何の前触れもなく、文字通りに消失していた。

「鹿島陰刀流奥義――霞太刀」

 0.5秒後、夕子の意識が発生する。己の剣はあらぬ所へと逸れ、霧子は右剣を振り切って、追撃の左剣を切り返していた。視界の端に飛んでいる二つの物体が気になった。

 口紅ほどの大きさで、真っ白くて端が紅い。握った柄がぬめりを帯びる。

 左手の薬指と小指であった。

 

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