Bad Apple   作:Marshal. K

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House Keeping #5

 Mar. 10th, 1943, Gura's Aparment, Upper East Side, NYC

 

「んで、なんであんたはアタシのアパートメントでくつろいでるわけ?」

 

 プラザ・ホテルのスイート・ルームに比べれば、慎ましく居心地のいい居間のソファに寝そべってぼーっとしていると、ようやく帰ってきた部屋の主が呆れたような顔と声でそう言った。

 私はソファの上からぼけっとした声で返した。

 

「この街で最高クラスのスイートに押し入ってきたの。このまま自分のアパートメントに帰ったら、温度差でショック死しちゃいそうだったから、中和中」

「まったく、灯りも点けないで......」

 

 ぐらが電灯のスイッチを捻って室内がぱっと明るくなると、私は眩しくて目を瞬いた。ぐらはもぞもぞ蠢く私を見ていつものにやにや笑いを浮かべると、キャビネットの方に歩み寄り、葉巻の入った加湿箱(ユミドール)を取り出しながら訊いてきた。

 

「プラザの、ゴールドバーグのスイートに押し入って来たの?」

「正解」

「収穫は?」

「あった」

 

 ソファの上に起き直って、ぐらから喫い口の切られた葉巻を受け取ると、テーブルの上から葉巻用マッチを取って火を点け、火先を炙る。

 

「あそこに二つもコピーを隠してたわ。ホテル備え付けの金庫と、壁金庫に一つずつ」

 

 ちびたマッチを捨ててもう一本取り、側薬で擦ってぐらの前に差し出す。

 

「ホテルの金庫は合鍵で開いたけど、壁金庫はだいぶ時間を取られたわ。三十分以上かかっちゃった」

「ふーん......」

 

 ぐらは葉巻に十分火が着くと身を引き、ソファにもたれて濃い紫煙をぷかっと吐いた。

 

「あんたがそんだけ手こずったってことは、よっぽどいい金庫だったんだね。で、盗って来たの?」

「いいえ、まだ」

 

 私もふかふかのソファに埋もれて、遥か南のキューバからの贈り物を楽しみながら答えた。

 

マンハッタン銀行(バンク・オブ・マンハッタン)の貸金庫にもある可能性が高いの。そっちの算段がつかないかぎり、ホテルのを今動かすのは危険すぎるわ」

「なるほどね」

 

 やるなら全部一気に盗んでしまわないといけない。途中で気づかれてしまえば、帳簿は手の届かないところに移されたり、最悪ベールズや当局の手に渡ることになるだろう。そして私は死ぬ。

 

「でもまあ、やりようはあるわ。あとは日程の都合をつけるだけ」

「そう」

「それとね、ぐら。あなたに言いたいことがあるんだけど」

「なに?」

「あなた、モニカに私の服のサイズを教えたでしょ」

 

 こてんと首を倒してから、ぐらはにやっと笑って答えた。

 

「教えたよ。制服、ぴったりだったでしょ?」

「おかげでいらない勘ぐりを受けたわ」

「そう?」

 

 にやにや笑いがさらに大きくなっていく。くそ、薮蛇だったかもしれない。

 

「気にすることないでしょ。モニカだって両刀なんだし、事実無根ってわけでもなし」

「事実無根じゃないから恥ずかしいんでしょうが」

「それでそれで?」

 

 すっかり愉しんでいる声音で、ぐらが訊いてきた。

 

「その感じだと、モニカの借問に引っかかって弄ばれたんでしょ? その文句を言いに、わざわざうちに来たの? 中和なんて方便使ってさ」

「それもあるけれど、他にも訊きたいことがあるのよ」

「へ?」

 

 それは想定外って表情が一瞬ぐらの顔に浮かんで、私は内心でほくそ笑んだ。残念だったわね。

 

「ゴールドバーグの出廷日程を教えて欲しいの。今週中かできれば来週で、午後いっぱい裁判所から出て来ない日ってない?」

「......ちょっと、今ここじゃわかんないな」

「じゃ、わかったら教えて。葉巻を御馳走様」

 

 半分ほどになった葉巻を灰皿に置くと、私はソファから立ち上がった。きょとんとした表情のぐらをそこに置いて、私は玄関ホール(ホワイエ)に出ると、軍服地のコートに袖を通した。

 

「それだけ?」

 

 ぐらが後を追ってきて、なんとも寂しそうな声で訊いてきた。年明けに私をここに引き留めた、例の悲し気な表情を浮かべている。くそ、卑怯なやつ。

 

「......今日は無理だけど、明日にでも一緒に晩御飯食べましょ?」

「言ったね? 約束だよ」

 

 今にも泣き出しそうな顔から一転して、してやったりの表情を浮かべてぐらは言い放った。このやろう。

 

「ええ、約束ね」

 

 

 

 PM 7:40, The Lost Heaven, Swing Street, NYC

 

 その日もスウィング・ストリートは盛況だった。観光客こそいないけれど、ニューヨーカーたちは戦時中だろうがジャズ・クラブにも映画館にも足を運ぶ。戦前から変わらない日常の風景だ。

 もちろん人々の装いは、戦前と今とでは大きく違う。男性は九割方が陸軍か海軍の軍服に身を包んでいるし、女性は揃いも揃って軍服地のコートを羽織っていた。このコートは配給点数が一番低いのだ。

 そんな軍服コートの一団の一人だった私は、52丁目に立ち並ぶジャズ・クラブの一つ、"ロスト・ヘブン"へと足を踏み入れた。

 

「こんばんは、ミス・ワトソン。刑事さんは、今日は一緒じゃないのね?」

「こんばんは、シンディ。ええ、違うわ」

 

 クローク係のシンディにコートを渡すと、番号札を受け取ってホールへと向かった。このクラブは以前から行きつけの一つではあったし、ぐらと一緒に来ることも多かったけれど、今日はダメだ。

 

「こんばんは、ミス・ワトソン」

 

 ホールを見渡せる位置にある案内台に向かうと、そこを定位置としている給仕長(メートレ・ディ)が声をかけてきた。仕立てのいいグリーンのタキシードを着込んではいるものの、どことなく盛装したごろつきのような雰囲気が漂っているのは、素性を隠しきれていないからなのか単に隠す気が無いのか、私はいまだに判断しかねていた。

 そんなうさんくさい給仕長の側に歩み寄って、両手でしっかりと握手する。

 

「こんばんは、フランク」

「今日もボックスですか?」

「ええ。この日を選んできたんだもの」

「そうでしょうとも。すぐにご用意しますので、バーでお待ちください」

 

 手を離してバーの方に向かう。右手の掌の中に忍ばせていた六枚の5ドル札は、きれいさっぱりなくなっていた。

 バーの止まり木に空きを見つけて、アイロンの利いた濃紺の水兵服と、野暮ったい薄緑のツイードの背広の間に身体を割り込ませると、カウンターに1ドル札を置いてバーテンダーを待った。

 

「よければ奢りますよ、お嬢さん」

 

 一杯機嫌の声が、軍服の方からかけられた。

 

「ありがたいけれど、待ち人がいるの」

「そうですか、それは残念」

「何にしましょう?」

 

 バーテンダーがそばにやって来たからか、水兵服は名残惜しそうな顔をしつつも紳士的に身を引いた。

 

「スコッチ、オン・ザ・ロックで」

「かしこまりました」

 

 飲み物が運ばれてくると、それを舐めながらホールをざっと見渡した。

 数組の男女が、ステージ上のビッグ・バンドが演奏するイン・ザ・ムードに合わせて踊っていた。フランクは相変わらず案内台にいて、目端の利かないボーイを指を鳴らして呼びつけては、注文取りや給仕や会計に走らせている。その合間を縫って、ウェイトレスやシガレット・ガールがテーブルの間を行き来して、気の大きくなっている帰休兵たちから、少しでも多いチップを毟り取ろうと奮闘していた。

 

「失礼します、ミス・ワトソン」

 

 ぼうっとホールを眺めていると、視界の端にボーイの白い制服が映り、ほどなくその服の主が喋った。

 

「お席の用意ができました。どうぞこちらへ」

 

 カウンターの上の釣銭を20セント残して、ショット・グラスを持ったまま止まり木から下りると、ボーイについて店の奥のボックス席へと向かった。

 観葉植物と植栽に囲まれた、一段高いところにあるその席は、ステージもホールも見渡せない代わりに向こうからも視線が通らない造りになっていた。知らなければ、ここにボックス席があるとは誰も思わないだろう。

 そして待ち人は、すでにボックス席の中におさまっていた。

 

「ハイ、アイリス」

「ハイ、アメ」

 

 ロスト・ヘブンの支配人にして専属シンガー、そして評議会(カウンシル)の相談役を務めるアイリスは、彼女がお忍びで人と会う時に使うそのボックスで、マンハッタンのチェリーを齧っていた。

 

「今日は中間報告?」

「ええ。現物を確認してきたところ」

 

 私はハンドバッグから封筒を取ると、取り急ぎ現像したマイクロフィルムを振り出して、アイリスの前に差し出した。アイリスはそれを受け取り、天井の照明に透かして見た。

 

「......小さくって、よくわからないね」

「でしょうね。引き延ばす時間はなかったから」

 

 しばらくネガフィルムを矯めつ眇めつしていたアイリスは、それを私の方に戻しながら訊いてきた。

 

「どのみち、現物をこっちに持って来てくれるんでしょ?」

「持って来ない選択肢が私には無いの、わかって訊いてる?」

「ええ、わかって訊いてる」

 

 私の逆質問にアイリスは、左右で色の違う目――まるでルビーとサファイアを別々に埋め込んだみたいだ――を邪悪に歪めてそう答えた。私は最初の質問への答えを、ため息交じりに吐き出した。

 

「ええ、持ってくるわ」

「よかった」

 

 アイリスはにっこり笑うと、カクテル・グラスを干して立ちあがった。

 

「あなたならやってくれるって信じてるからね、アメ。アル、彼女をテーブル席にお通しして」

「いや、いいわ。私はもう帰るから」

「あら、そう?」

「まだまだ、やらなくちゃいけないことがあるの」

「お仕事に邁進、か」

「邁進させてるのはどこの誰だと思ってるの?」

「クロニーよ。私じゃない」

 

 でしょ? と念押しして、アイリスはボックスのすぐ横にあるスイング・ドアからバックヤードへと入って行ってしまった。まったく、お仕事を上乗せしてるのはそっちのくせに。

 溶けだした氷で若干薄めになっていたスコッチの残りを片付けると、ボーイのアルフォンソにさよならを言って、私もボックス席を後にした。

 

 

 

 Mar. 11th, 1943, Minetta Tavern, Greenwich Village, NYC

 

 ミネッタ・タヴァーンはワシントン広場(スクエア)の二街区(ブロック)南、マクダグラス通りとミネッタ・レーンの角にあるレストラン・バーだ。

 この店に来る最大の利点はディナー・タイムでもテーブル席に楽々座れるという所で、実際に私とぐらがお店に入った時にも、テーブル席は片手で数えられる程度しか塞がっていなかった。お客はいっぱい入っていたけれど、八割方は男で、そのほぼ全員がバー・カウンターに群がっている。

 

「コートをお預かりしましょうか」

「いや、アタシはいい」

「私はお願いするわ」

 

 私は、ケープがついたお気に入りのベージュのコートを脱ぐと、クローク係に渡した。係はいかにも上等そうな――つまり多額のチップになりそうな――ぐらのチェスターフィールド・コートをちょっと名残惜しそうに見たけれど、あきらめて私のコートだけを持ってクローク・デスクへと戻って行った。

 傍目には、150ドルのコートを着ているのに25セントそこそこのチップを渋るけちんぼに見えないこともないけれど、ぐらのコートには半ダースの投擲用ナイフが仕込まれているのだ。人に預けたがらないのも無理はない。

 奥の方の席に向かう間に、バーの男たち――軍服姿とスーツ姿が入り混じって、本人たちは男にしかわからないと思っている話題で話を弾ませている――はこちらに視線を向けて、女二人連れと見るや十人十色の反応を見せた。品定めするような不躾な視線を向ける者、横目でこちらを窺いつつ関心の無いふりをする者、露骨な流し目やウインクを寄越す者、もっと露骨に口笛を吹いて興味を惹こうとする者、等々。

 そちらには視線の一つも送らずに、二人で席に着くと、男たちは皆諦めて"男の会話"へと戻って行った。ただそれは表面上のことで、少なくとも半数はこちらを横目でちらちら伺っていたけれど。

 

「昨日訊かれた件だけど」

 

 注文したステーク・アンド・フリットが運ばれてくると、ぐらはそれをものすごい勢いでお腹におさめながら、もう雪は降らないだろうという話題を切り上げて本題に入った。

 

「来週の火曜に、ゴールドバーグが朝から夕方まで、裁判所から出られないような訴訟が入ってたよ。担当地方検事補が乗り気で、予備審問手続きにほぼ丸一日かかる見通し」

「来週の火曜ね?」

「そう」

 

 ナイフとフォークを置いて、それをメモに取った。よし、これで計画を最終段階に進められる。

 せっせとお皿を空にしながら、ぐらが訊いてきた。

 

「上手く進みそう?」

「ええ、たぶんね」

「ならよかった」

 

 私のお皿には、まだ料理が三分の二は残っているのに、ぐらは早くも最後のお肉とポテトの束を口に入れて、それをもぐもぐと咀嚼していた。まったく、なんて食べるのが早いんだろう。

 私が残りのステーキとポテトを片付けている間に、ぐらはハーフ・ボトルの赤ワインを頼むと、自分と私のワイン・グラスにそれを注いでから、ダンヒルの葉巻にジッポのライターで火を着けた。オイル・ライターで葉巻に火を着けるのは嫌いだって人も多いらしい――私はキャメル党だからよくわからない――けれど、ぐらはあまり頓着しないほうだった。

 ぐらがのんびりワインと葉巻を楽しむ姿勢に入ったので、私も自分の料理にゆっくり時間をかけることにした。せっかくの美味しい――そして97セントもする――ステーキなんだから、楽しまなきゃ損というものだ。

 

 

 

 

 

「さて、この後はどうする?」

 

 私が料理をお腹におさめて、キャメルとともにグラス一杯の赤ワインを空けたあたりで、ぐらがそう訊いてきた。

 

「そうね......劇場地区(シアター・ディストリクト)まで足を延ばして、映画かミュージカルでも観に行く?」

「賛成に一票」

 

 ぐらはのんびりとテーブルの上の勘定書きを手に取ると、添えられていたペンでチップの額を書き加えてサインした。ポケットから5ドル札を抜き出して、勘定書きと一緒にテーブルに置くと、札入れから自分の分の紙幣を抜こうとしていた私を掌で制止した。

 

「いいよ、アタシがおごるから」

「え、でも......」

「その代わり、ミュージカルはあんたがおごって」

「げっ」

 

 平日の夜の部とはいえ、バルコニー席とかじゃない限り5ドルは軽く超える。私は長々と溜め息を吐いて、情けないお伺いを立てた。

 

「メザニン席でもいい?」

「いいよ。アメの隣なら、どこでも」

 

 こーんなクサいセリフを平気で言えるから、こいつはずるいんだ。

 

 

 

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