Bad Apple   作:Marshal. K

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Hoplophobia #5

 Jul. 18th, 1939, Bellevue Hospital, Kips Bay, NYC

 

 ベルビュー病院は17世紀末に開設された、アメリカ最古の公立病院だ。この街の病院地区であるキップス・ベイで、東西をイーストリバー・ドライブと一番街に、南北を27丁目と28丁目に囲まれた一街区(ブロック)を丸々占拠している。

 

「カリ! ちょっと訊きたいことがあるんだけど!」

 

 アタシは、そんな歴史ある病院の管理棟二階にある、部長監察医室のドアを蹴り開けた。デスクに着いていたドクター森は、書類仕事の手を止めずに迷惑そうな声で言った。

 

「なんだ? マーレイ・ヒルの身元不明死体(ジョン・ドゥ)なら、スタンスキの報告書待ちだぞ」

「それも聴きたいところだけど、他の死体(DB)の事」

「他のDB?」

 

 石膏像のように端正な眉根を寄せて、カリオペはアタシの方を見上げた。

 

「昨日言ってたぶよぶよの水死体ってやつ。あれはトム・メルビンのことだったんだね?」

「ああ。誰から聞いた?」

「カッソ刑事。あいつが担当してるってことは、他殺だったんでしょ?」

 

 あのふとっちょは殺人課の刑事だ。ということは、剖検の結果他殺か、その疑いが強いと判断されたってことになる。

 

「ああ、そうだ。相応にぶよぶよで、相応に魚の餌になってたが、肋骨と腹膜に.25ACPが残っていたからな」

「じゃ、射殺?」

「そう見ていいだろう。どうした? お前は殺人課じゃないよな?」

「メルビンが、アタシの事件の参考人(POI)だったの」

「それは残念だったな」

 

 デスクの上の書類の山を漁って、カリオペは数ページ分の用箋を取り出した。

 

「えー......死体の損壊が激しいから、死因(COD)死亡時刻(TOD)について確かなことは言えない。だが第四肋骨の胸側を砕き、第六肋骨の背中側にめり込んでいた.25ACPが、左心室を吹き飛ばしたのがCODと見ていいだろう。TODについては、川の水温と体内の腐敗ガスの溜まり具合から、一週間程前だと思う」

「一週間か......」

 

 アメリアは確か、例の二人組が不動産屋に現れたのがちょうど一週間前だと言っていた。その当日か、一、二日後に犯行に及んだ可能性が高いかな。

 

「ジョン・ドゥの方はどう? いまカリが言える範囲でいいから」

 

 カリは執務椅子に深々ともたれかかって、うう、ともぐう、とも聞こえる唸り声を漏らしてから、口を開いた。

 

「公式な報告書にするのはスタンスキ待ちだが、さしあたりお前が捜査を進める上では、あのDBはマーク・キャラウェイだと考えて差し支えないと思うぞ」

「そっか」

 

 公式な解剖検査報告書が出次第、キャラウェイ夫人に電話をかけたほうが良さそうだ。当直警部補に任せてしまう手もあるけれど、すでにお互い顔を合わせている以上、アタシから連絡した方がいいだろう。

 

「TODは、これも正確には言えない。だが短くても一週間は経っている。八日から十日まで、暑かっただろ?」

「うん」

 

 その三日間は八月並みの暑さだった。今日も華氏八十度はあるけど、あの三日間よりはずっとマシ。

 

「あの部屋はオーブンの中みたいになったはずだ。腐敗の具合から言って、あの三日間か、その前に死んでいるな。十日の昼以降ということはないだろう。白骨化が思ったほど進んでいないから、先月以前ということもない」

「とすると、一日から十日か......」

 

 アメリアと、失踪人課のマヌケとから聞き出した話を総合すると、マークが最後に人前に出てきたのは七月四日の午後になる。なので想定TODは四日の夜から十日の午前中までってところか。

 

「それからCODについてだが。これはいささか面白いぞ」

「面白い?」

 

 

 

 

 

「撲殺?」

 

 三番街鉄道の28丁目駅に向かう道すがら、ぐらは私にマーク・キャラウェイの死因を説明してくれた。私は監察医務院の中に入れなかったから、ベルビュー病院の銑鉄の門の前で、キャメルを灰にしながらぐらを待っていたんだ。

 

「そ。後頭部の頭蓋骨が砕けてたんだって。他に目立った外傷もないから、薬化学検査で何も出なければ、たぶん鈍器で殴られたか、鈍器の上に倒れ掛かったんだろうってことらしい」

「てことは、他殺かしら?」

「たぶんね」

 

 ぐらはチェスターフィールドをパックから一本振り出すと、マッチを探してコートをばたばた叩いた。その声も仕草も、わかりやすく不機嫌だ。

 

「なんでそんなに不機嫌なの? 多少は進展があったわけじゃない」

「そうかもね」

 

 無事に煙草に火を着けて、高架駅の鉄階段を登りながらぐらは続けた。

 

「でも監察医が公式に報告書を出したら、アタシはそれを警部補に報告しなきゃいけないんだよ。そしたらたぶん、この事件は殺人課に移されることになる」

 

 ちょうど二両編成の電車が、ギイギイ言いながらホームに滑り込んできたところだった。

 ぐらは車掌の側を通って乗る間、ちょっと黙った。料金函に5セント玉(ニッケル)を投入して、車両中央のボックス席の一つに陣取ると、再び口を開いた。

 

「殺人事件は殺人課が扱う。そういう決まりだからね。向こうを捜査主任にして、アタシが捜査そのものを続けるように言われる可能性も、無いわけじゃないけど、たぶんカッソが弁護士の方と併せて扱うんじゃないかな」

「じゃ、急がないとね」

 

 動き出した車窓から私に、憂鬱そうな視線を投げてきたぐらに、ちょっと眉を上げて見せて続ける。

 

「報告するまでは、あなたが捜査できるんでしょ? だったら、例の二人組を当たってみてからでも遅くはないんじゃないの?」

「言われるまでもなく、当たるよ」

 

 ふーっと紫煙を吐いてから、ぐらは怪訝な目を私に向けた。

 

「どういう心変わりなわけ? 昨日はあんなに嫌そうだったのに、今日はずいぶん乗り気じゃん」

「まあ、乗り掛かった船ってやつよ」

 

 実際、自分でもちょっと驚いている。たぶんだけど、自分が仕入れた情報の答え合わせがしたいんだろう。つまり、純粋な自己満足のための好奇心だ。

 それと、これを認めるのは癪だけれど、ぐらと一緒にいるのがなんだかんだ楽しくなり始めていた。普通に私立探偵をやっていたら、こんな状況にはならないからだろうか。ある種冒険みたいなもので、それにとっても興奮しているのかも。

 ぐらは私の適当なはぐらかしで納得したのか、それとも追及するのが面倒になったのか、車窓の方に目を戻して小さく呟いた。

 

「一日くらいで警部補を納得させられるような進展があるかなあ......」

 

 

 

 1:05 PM, Corner 53rd St. and 3rd Ave., Turtle Bay, NYC

 

 目的の建物は、53丁目駅の階段を降りてすぐのところにあった。看板の類は出ておらず、鉄格子の向こうの窓には分厚いカーテンがかかっていて、お店をやっているようにはまるで見えない。でも、ここにはバーが入っているんだ。

 "この手"のお店は大抵屋号に鳥の名前を冠していて、ゆえにお店やそこに集まる人々を総称してバード地区(サーキット)なんて言ったりする。ポルカに言わせれば、"ばっちい界隈"だ。このバーもその例にもれず、"青いオウム(ブルー・パロット)"という屋号が付いている。

 

 薄暗い玄関ホールに入ると、アーチ状の入り口の向こうにがらんとしたダンス・ホールが見えた。夕方以降には、他に行き場のない男たちが集まってにぎわうんだろうけれど、今は準備中だから誰もいない。

 そしてクローク・カウンターの横の戸口から、背の高い男が一人、私の方を見つめていた。この夏の暑い日に黒いトレンチ・コートに身を包み、屋内だというのに黒い中折れ帽を目深にかぶっている。

 

「ワトソンよ。ポルカからの紹介で来たんだけど」

 

 そう自己紹介すると、男は小さく頷いて奥へ引っ込んだ。ドアが閉められなかったのを招待と解釈して、男について中に入る。

 そこは窓の無い、玄関ホール以上に暗い待合室か応接室のような部屋で、男は私に、ソファに座るよう促した。油布が破れてぼろぼろのソファに腰を下ろすと、男もこちらのソファの同じくらいぼろぼろの、張りぐるみの肘掛椅子に座った。

 

「そっちの質問に答える前に、二、三確認したいことがある」

「どうぞ」

 

 男はそう言ったものの、なかなか確認に入らなかった。ゆっくりと煙草を取り出し、"コパ・カバーナ"の紙マッチで火を着ける。焦らし戦法だ。

 ふーっと必要以上に長々と一服してから、ようやく本題に入った。

 

「お前の雇い主だが。調査結果の如何を問わず、このことを表沙汰にするつもりは一切ない。それで間違いないな?」

「ええ、間違いないわ」

 

 マーク・キャラウェイは長男だったけれど、一人息子ではなかった。キャラウェイの名を継いで政財界に乗り出す予定だったのは、彼一人ではない。キャラウェイ夫妻は、家の名を汚すことを厭うだろう。私やぐらに口止めにかかったあたりからも、それは窺える。

 中折れ帽の男は私をまじまじと見つめてから、煙草の脂で黄色くなった二本指で、ラッキー・ストライクを口から離して続けた。

 

「ここの持ち主も、お客たちも、物事が公になることを望んでいない。誰がここを経営してるのか、知っているか?」

「具体的な誰、とは知らないわ。でも、それが重要なんでしょ?」

 

 バード・サーキットの店は大多数が、マフィアの経営下にある。同性同士でのダンスは条例違反だし、同性愛そのものは州法に反している。それをお目こぼししてもらうためには、マフィアの伝手で警察を買収するのが一番手っ取り早い。そして連中は、ここのお客たちが他に行き場がないことは先刻承知だから、薄い酒をぼったくり価格で出して儲けるわけだ。

 目の前にいる痩せぎすの黒服男が、この店のお目付け役かなにかを務めているマフィア関係者なのは、疑いようもなかった。普段なら、あまりお近づきになりたくない人だけれど、今日ばかりは仕方ない。せっかくポルカが手を回してくれたんだから。

 

 男は重々しく頷いた。

 

「ああ、重要だ。彼は約束を必ず守る男だ。だから、他の人間にもそれを求める」

「でしょうね」

 

 男は再び、ゆっくりと天井へと立ち昇る紫煙越しに、長々と私を見つめていた。

 

「......お尋ねの二人組だが、確かにうちのお客にそういうやつらはいる。だが、断定はできないぞ」

「どうして?」

「写真を見せられたわけじゃないからな。あの質屋から聞いてると思うが、白人と黒人のカップルなんて、ここじゃ珍しくもなんともない」

「それでも構わないわ。人違いなら、他を当たるだけだから」

 

 一つ頷いて、男はスーツの内ポケットから、一枚のメモ用紙を取り出した。万年筆のものらしい青いインクで、二人分の名前と住所が書かれている。ずいぶん几帳面な、整った筆跡だった。

 

「これがお望みのものだ」

「ありがとう」

「参考までに付け加えておくと、二人はチェルシーの、アイルランド野郎(ミック)の家の方で一緒にいることが多いそうだ」

「ご親切にどうも」

 

 

 

 1:20 PM, W 30th St., Chelsea, NYC

 

 西30丁目には、昔からこの地区に住んでいる移民系労働者向けの、古いアパートメント・ビルが立ち並んでいた。街区(ブロック)の真ん中やや八番街寄りの建物が、オブライアンという件のアイルランド系が部屋を借りているビルだ。

 玄関には管理人室の呼鈴ボタンがあったけれど、ぐらはそれを無視して、コートから革製のケースを取り出した。すぐにそれが何なのか察した私は、屈みこんだぐらを通りの通行人たちから隠すように立って、いかにも管理人が取り次ぎに出てくるのを待っているように装った。

 ぐらはちゃちな本締(デッドボルト)錠に二十秒近くもかけて――つまり、ヘタクソってこと――ようやくこじ開けると、何食わぬ顔でドアを開けてロビーに入った。私もその後に続き、後ろ手にドアを閉めて錠を下ろす。

 

「3Cだっけ?」

「そうよ」

 

 ロビーの郵便ポストを確認しながら、ぐらにそう返した。あの黒スーツ男から渡されたメモに書かれていたアパートメントのポストには、確かに"オブライアン"と書かれた紙切れが貼り付けてある。ひどく角ばった、小学生が書くようなブロック体の文字だ。

 階段室へ続くロビーの内扉は、防犯用というより砂埃対策用らしく、錠の付いていない薄い木製のスイング・ドアだった。それを押し開け、階段を三階に登る。

 3Cは階段の真正面だった。そのドアの前に立つと、ぐらは背伸びをして呼鈴を鳴らそうとしてから、ふと私の方を振り向いて言った。

 

「んじゃ、鳴らすよ」

「どうぞ」

 

 爪先立ちでぷるぷるしながら、ぐらはなんとかボタンを押した。薄いドア越しに、アパートメントの中でベルが鳴るジリジリジリという音が聞こえる。

 少し間を置いて、男らしく歩幅の広い足音がドスドスと近づいてきた。錠を外す音がガチャガチャしてから、ドアが細目に引き開けられる。

 

「ミスター・オブライアン?」

「ああ、そうだ。悪いけど、あんたらが何を売ってるにして、俺は興味ないからな」

 

 応対に出てきたのは、しわしわのシャツ姿の男だった。今慌てて着たらしく、上の方のボタンは開けっ放しだし、下から二番目のボタンは掛け違えている。そのくせ首許には、派手な赤い柄入りのカーチーフを巻いている。黒い髪の毛はぼさぼさで、青い目は眠たげだった。火曜日の昼過ぎだというのに、起き抜けらしい。

 

「自分に必要なものは、もう持ってるんでね」

「押し売りじゃなくて警察だよ、ねぼすけ」

 

 ぐらがバッジを出して、ミスター・オブライアンのしょぼしょぼの目にねじ込まんばかりに突き出した。

 

「がうる・ぐら刑事、NYPD。いくつか話を聞きたいんだけど、入れてくれる?」

「話ってのは、具体的に何の話だ?」

「聞きたい? なら、今ここで教えてあげてもいいよ。隣近所にしっかり聞こえるように、大声でね」

 

 オブライアンは顔をしかめて、大きな音を立てて舌打ちをした。

 

「......今は都合が悪いんだ。後にしてくれねえか」

「アタシたちの都合は悪くないから、後にはしない」

 

 警官特有の横柄さ全開で、ぐらはそう言った。のだけれど、小さな体格と腹の立つニヤニヤ顔をあわせると、クソ生意気なガキにしか見えない。

 

「とはいえアタシも令状を持って来てるわけじゃないし、あんたのプライバシーは尊重しなきゃいけない。だからあんたが、どうしてもアタシたちを部屋に入れたくないって言うんなら、車を呼んで一緒に分署まで来てもらうけど、その方がいい?」

「ああもう、わかったわかった、入ってくれ」

 

 こうして私たちは、トム・オブライアンの家に上がり込んだ。

 隅に汚いギャレー・キッチンのある居間は、ひどく散らかっていた。床や椅子には、脱いだ服や靴下が点在し、テーブルの上は読みかけの――あるいは読み終わった――本や雑誌が置きっぱなしで、灰皿には吸殻のピラミッドが出来上がっている。

 油汚れがひどいキッチンも、片手鍋やフライパンが出しっ放しで、流しには汚れた皿とグラスが山積みだった。部屋の中はオーデ・コロンの匂いでむせ返りそうだったけれど、キッチンからはほのかに下水の臭いも漂ってきている。

 キッチンの反対側に、寝室に通じているらしいドアがあって、それは閉まっていた。

 私たちの――と言うかぐらの――態度に腹を立てているらしいミスター・オブライアンは、私たちには特に飲み物を薦めたりせず、冷蔵庫からクアーズの壜を一本出して流しの角で王冠を外すと、半分ほど一気に飲んでから、テーブルの椅子に着いた私たちに怒りのこもった目を向けた。

 

「で? あんたらのくそったれな話の内容ってのはなんだ?」

「それはあんた自身が一番よくわかってると思うんだけどな?」

 

 ぐらは灰皿の横に置かれていた"ストーク・クラブ"の紙マッチを勝手に使って、チェスターフィールドに火を着けると、挑発するような視線でオブライアンを見返しながらそう言った。オブライアンの頬に赤みが注してきているのは、ビールのせいだけではないはずだ。

 

「さあ、皆目見当もつかねえな」

「ほんとに? 世話の焼けるアイルランド野郎(ミック)だな」

 

 挑発を重ねながら、ぐらは手帳を取り出した。わざと時間をかけてぱらぱらめくって、焦らし作戦も組み合わせている。意図的に爆発を誘う魂胆らしい。

 

「......よおし。じゃあ、これからいこうか。あんたがついさっきまで寝室で喫ってた大麻煙草(リーファー)について」

 

 ごとん、と大きな音を立てて、クアーズの壜が床に落ちた。

 

 

 

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