Bad Apple   作:Marshal. K

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Hoplophobia #6

 Jun. 18th, 1939, 53rd St. and 3rd Ave., Turtle Bay, NYC

 

 アメがバード地区(サーキット)のお店に入っている間、アタシは53丁目と三番街の角にある公衆電話から、伝言を確認するため分署に電話をかけていた。

 

"......こちらニューヨーク市警察局、マクレリー巡査部長です"

「や、部長(サージ)。アタシだ、ぐら」

"おう、サメか。ちょうどよかった、オライリー警部補がお前を探してたぞ"

課長(スキッパー)が?」

 

 カリの剖検報告が、刑事課長のところに直接上がったんだろうか? いや、検査部長のスタンスキがいつも通りなら、午前中いっぱいはまず上がらないはずだけど。

 いぶかしんでいる間にも、マクレリーが喋り続けていた。

 

"お前さんに急ぎの用事があるんだそうだ。電話を回そうか?"

「お願い」

 

 チチチ、とダイヤルを回す音がしてから、ぶつりと何も聞こえなくなった。交換機が保留状態になったんだ。それからすぐに、回線を切り替える音ががちゃがちゃしてから、マクレリーよりもさらにアイルランド訛りの強い男が出た。

 

"ぐらか?"

「はい、警部補」

 

 電話越しにも関わらず、アタシは反射的に居ずまいを正した。

 上下の帯域がカットされて機械的な声になっているにもかかわらず、その口調から怒りの色を感じ取るのは簡単だった。つまり、相当怒っている。アタシ、なんかまずいことしたっけ?

 

"お前、監察医務院に水死体の話を聞きに行っただろう。ワラバウト湾から引き揚げられた、弁護士のやつだ"

 

 アタシはそっと唇を舐めた。誰か――たぶんカリオペ――がカッソに、アタシが来たことを教えたんだろう。それにしても、上司に告げ口して牽制するのはカッソらしくない気もする。あのふとっちょはどっちかといえば、直接アタシにガツンと言うタイプのはずなんだけど。

 そんな風に思いを巡らしていると、次に受話器から流れてきたのは思いもよらぬ言葉だった。

 

"その水死体だがな、お前が扱え"

「......は?」

 

 全然想定してなかった命令を受けて、アタシの脳はしばし機能停止した。

 アタシは受話器を耳に当てたま口をぱくぱくさせていた。はたから見ればかなりマヌケ面だっただろうけど、ニューヨーカーたちはまるで気にせず、電話ボックスの外を飛ぶように通り過ぎて行く。

 

"なんだ、聞こえなかったのか?"

「いえ、その......警部補、アタシと他の誰かを間違えてません?」

"いいや、間違えてない。ロビンソン警部からの命令なんだ、お前に扱わせろってな"

 

 ロビンソンは、第14分署の分署長だ。分署長はその管轄内で起きるあらゆる事案に対して、神の右腕に等しい権限を持っている。

 ただし、"殺人事件は殺人課に"という神たる規則には反しているから、独断専行か、より上からの命令のどっちかだ。

 

「アタシ、殺人課じゃないんですけど......何か理由とか聞いてますか?」

"聞いてない。警察本部(センター・ストリート)に呼び出されて、帰って来るなり俺を署長室に呼びつけて、担当をお前にしろとご命令だ"

 

 より上からの命令か。なんとなく、命令の出所がわかった気がする。

 ついでに、オライリーがなんでこうも怒ってるのかわかった。雲の上の人々から、自分たちの部署で横紙破りを通されるのが、腹立たしくて仕方ないんだろう。それをアタシにぶつけないでほしいんだけどな。

 とはいえ、アタシには渡りに船だ。

 

「わかりました、やります」

"よろしい。報告書は毎日上げろ。俺じゃなくて、警部にな"

「了解」

 

 フック・スイッチを押し下げて電話を切ると、コートのポケットに手を突っ込んで5セント玉(ニッケル)をもう一枚探したけれど、見つからなかった。舌打ちして10セント玉(ダイム)を取り出し、スロットに投入してTR(トラファルガー)局の番号をダイヤルする。相手は呼出信号一回で出た。

 

"はい、もしもし?"

「オーロ・クロニーに替わってくれる?」

"じゃ、かけ直せ。番号違いだ"

「いいから替わって。アタシはがうる・ぐら」

 

 カチリとボタン電話機が保留モードになった。

 

 

 

 1:25 PM, O'brian's Apartment, Chelsea, NYC

 

「な、なんのことだ?」

 

 すっとぼけるにはあまりにも震えすぎている声で、オブライアンはぐらに訊き返した。クアーズの壜は床の上で横倒しになって、ビールをどくどく垂れ流している。

 ぐらは挑戦的な態度を崩さず、相変わらずのにやにや笑いを浮かべながら言った。

 

「お巡りに嗅ぎ分けられないわけがないでしょ。あんたが十分以内に大麻を吸ったばっかりなのは、玄関で会った時すぐにわかったよ」

 

 私は匂いを嗅ぎ分けられなかったけれど、一つ得心がいった。玄関を開けた時にオブライアンがとろんとした目をしていたのは、寝起きだからじゃなくて麻薬でラリっていたからか。

 ぐらはわざとらしくくんくんと鼻を動かしてから、怯えと怒りがないまぜになっている顔のオブライアンに続けた。

 

「しかもあんたからは、別の匂いもする。さしずめそれを隠すために、オーデ・コロンをばらまいたんだろうけど。あんたはたぶん今朝から、隣の寝室にいる男と盛りがついた獣みたいにヤッてて、それが一段落してハッパをキメてるところにアタシたちが来た。ちがう?」

「たわごとだ!」

 

 オブライアンは喚いた。怒りが爆発して、ビール壜を蹴り飛ばし、ぐらの座っている椅子まで詰め寄る。そのまま襟首を掴みあげそうな勢いだったけど、そこまではせず、いまや明らかに怒りで真っ赤になっている顔を、ぐらの小癪なにやにや顔に思いっきり近づけて怒鳴った。

 

「人を侮辱しやがって! いいか、警察本部のフランクリン警視は、俺の叔父なんだぞ! 俺が一本電話をかければ、お前なんか......」

「あんたが連れ込んでるのが女なら、」

 

 ぐらはオブライアンの恫喝を、全然気にせずに続けた。大きい声ではなかったけれど、強い自信を感じさせるその口調が、オブライアンに脅し文句の続きを呑み込ませた。

 

「この散らかった部屋に、一つくらい女物があってもいいはずでしょ? 服、下着、靴、鞄、化粧入れ(パウダー・ケース)とか口紅......でも、それらしいのは何一つない」

「そりゃ......そりゃ、全部俺のだからだ」

「それはどうかしら」

 

 私は椅子から立つと、寝室のドアの近くに歩み寄った。そこに転がっている靴を取り上げてひっくり返す。裏のサイズ刻印は10だ。

 

「ミスター・オブライアン、あなたの身長は5フィート半かその前後ってところよね。そしてどっちかと言えば痩せ型。それで男物の10の靴は大きすぎるんじゃない?」

「そりゃ......」

「アタシはね、いま殺人事件を二つ抱えてるんだよ。マーレイ・ヒルで見つかった腐った男と、イースト川から引き揚げられた弁護士で、どっちもアイルランド野郎(ミック)黒公(ニッグ)の二人組が関わってる」

 

 ぐらが話を転換した。

 私は靴を放り捨てると、近くにあったパンツを二本指で拾い上げた。サイズは35。オブライアンの体型なら、33でも大きすぎるだろう。35は確実にずり落ちてしまいそうだ。

 

「監察医によると、腐ったヤツの爪に、そいつ自身のとは血液型が違う肉と皮の痕跡があったらしいんだよ。両手の指にね。つまり、誰かを両手で掴んでたことになる。爪が喰いこむくらい、しっかりと」

「それなら、掴まれた人の体にはその痕が残ってるでしょうね」

 

 大きすぎるパンツも放って、私は口を挟んだ。

 

「二週間くらい経ってるけど、まだ痣の痕くらいは残ってるはず。それに爪が喰いこんだなら、その傷痕も消えてないでしょうね」

「んで、アタシはあんたを一目見た時から気になってたんだ。そのカーチーフ」

 

 オブライアンは、はっとしたように首許に手を当てた。派手な柄入りの赤いカーチーフを巻いた首に。

 

「服はそんなに乱れてるのに、首飾りだけはしっかりしてる。まるでなにか、見られたくないものがあるみたいじゃん?」

 

 オブライアンは何も言わない。ぐらを凝視したまま後ずさりして、ケルビネイターの冷蔵庫にお尻をぶつけた。

 

「怖がることないでしょ? その下になあんにもないなら、ちょっとアタシに見せてくれればそれで......」

 

 ぐらが不意に言葉を切った。顔からにやついた笑いが消えて、ぱっと私のほうを振り返って叫んだ。

 

「アメ、そこから――」

 

 ぐらが言い終わるよりも先に、私の背後のドアが勢い良く開いた。私は振り返りながら、反射的にスカート――正確には、その下の拳銃――に手を伸ばそうとする。しかし私がスカートをめくり上げるより先に、大きな拳が勢いよくお腹に突き刺さった。

 

「ぐっ......」

 

 息が詰まり、身体をくの字に折り曲げると、ぶっとい腕が私の首にまきついた。

 

「うぁっ!」

 

 つま先がぎりぎり床に着くくらいの高さまで引っ張り上げられて、私は呻いた。首がギリギリ絞まったし、殴られたお腹が体を起こされたことに異議を申し立てて、とてつもなく痛い。

 その腕に両手をかけたところで、固くて冷たいものが、私の頭に押し付けられた。

 

「動くんじゃねえ!」

 

 腕と同じくらい太い、黒人訛りの叫びが響いて、私は動きを止めた。

 

「銃を置け、サメ女。さもねえとこの金髪女(ブロンド)の、中身の少ない脳みそを吹っ飛ばすぞ!」

 

 大いに反論したいところではあったけれど、「じゃあ確認するぞ」とか言って本当に頭を吹き飛ばされるのはごめんだったから、私は黙って言われた通りに動きを止めた。

 

「そっくりそのまま返すよ、丸ハゲ(キュートボール)

 

 ぐらはすでに、銃を構えおおせていた。ブルーイング処理された45口径のコルト・ガバメントだ。小さな体と小さな手には、不相応どころか滑稽なほど大きい銃だ。

 

「アメを放して銃を置け」

「やなこった。銃を置くのはお前だ!」

 

 二人が言い合いをしている間に、ぐらの注意が完全に逸れていたオブライアンが、冷蔵庫からお尻を離して動き出した。両手を肩の高さに上げて、ぐらに飛び掛かる姿勢を見せている。ぐらの一挙手一投足に注目していた私がその動きに気付いたのは、オブライアンが奇襲の決心を固めたのとほぼ同時だった。

 

「ぐら、後ろ!」

 

 遅かった。ぐらが反応して振り返りきるよりも先に、オブライアンの、痩せているけれどぐらより大きな身体が、水色のレインコートを押しつぶした。

 

「うわっ!」

 

 二人がもつれ合って床に倒れ込む。ぐらの右手が床に叩き付けられて、コルトが轟音とともに暴発した。

 それと同時に、私の右脇腹に大きな衝撃が走った。

 

「ぐふっ......え?」

 

 混乱できたのはその一瞬だけだった。次の瞬間には激痛が、この黒人男に殴られた時とは比べ物にならない痛みが、身体の中の階段をかけあがって私の頭を制圧した。

 

 痛い。

 痛い痛い痛い、

 痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い!

 

 首に巻かれていた腕がほどかれ、私は床の上に転がった。身体を胎児のように折り曲げて、両手で脇腹を押さえる。ぐちゃり、と湿ったシャツが音を立てた。

 

"アメ?......アメ!"

 

 痛い、で埋め尽くされた意識の向こうから、誰かが私に呼びかけた。一方の私は息を呑み、歯を食いしばって痛みに耐えるのに必死で、答えるどころか悲鳴を上げることすら叶わない。

 誰かの足音がばたばたと近付いて来て、私の体を揺すった。鋭い痛みが身体中を駆け抜け、歯の隙間から唸り声が漏れる。

 

"やだ......やだやだやだ! あたしのせいだ、あたしが......"

 

 ぽたり、と頬に何かが垂れた。生暖かい、小さな雫だった。

 私の肩に置かれた手が、ぎゅ、と握られてから離れた。

 

"待ってて、アメ、すぐに戻るから、絶対すぐに戻るからね!"

 

 足音がぱたぱたと離れて行く。

 いや、足音だけじゃない。アパートメントも、痛みも、指の隙間から溢れる生暖かい液体の感触も、なにもかもが遠のいていく。それでも頬の上に落ちてきた、三つの雫の感触は、私が意識を手放す寸前まで残り続けていた。

 

 

 

 Jul. 15th, 1943, Hell's Kitchen, Midtown Manhattan, NYC

 

 私とぐらは通りに立って、ムメイの葬儀屋の到着を待っていた。

 とてつもなく暑い日で、今も殺人的な午後の太陽に照らされ続けているけれど、ぐらは私の横にぴったりとくっついていた。まるでそうしていなければ、過去から弾丸が飛んできて、私の脇腹にもう一度突き刺さると思ってるみたいに。

 

 あの事件が結局、どのような流れで結末まで導かれたのか、私はよく知らない。

 イナニス――彼女とはそれが初めましてだった――の家の、客用寝室という名の病室で目を覚ました時にはすべてが終わっていて、ぐらは殺人課の席を手に入れていた。

 新聞各紙ではマーク・キャラウェイの死が報じられていたけれど、男色のことは伏せられ、オブライアンが押し込み強盗の上で殺人を働いたことになっていた。後に司法取引が行われ、オブライアンは有罪答弁と引き換えに、暴行致死での起訴と、五年の刑の仮釈放付き判決を手に入れた。私がぐらに撃たれたことは、闇医者のところに担ぎ込まれたことからもわかる通り、もみ消された。

 私に銃を突きつけた黒人男の存在は、新聞には何一つ書かれていなかった。ただし、私がお腹に弾丸を喰らったのととても近い時刻に、ボビー・レオンという黒人が、チェルシーの八番街でタクシーに撥ねられて死んでいた。

 新聞には、トム・メルビンの死亡公告も出ていた。監察医務院長(Chief Medical Examiner)名義の公告によると、死因は溺死で、特に事件性はないらしい。

 

 こうして、マーク・キャラウェイの放埓な人生とその終焉は、闇の中に葬られて幕を閉じた。

 

 私のお腹に飛び込んだ弾丸は、暴発弾の上に跳弾だった。勢いがかなり削がれていたため、腸壁を部分的に破った上で骨盤に当たってそこで止まり、ほかは腎臓にも膀胱にも子宮にも、これといったダメージを与えてはいなかった。45口径だったことを考えれば、これ以上ないほど幸運だ。

 ただし私の右脇腹には、弾丸を摘出して腸を吻合し、傷口を縫合した痕が生々しく残ることになったけれど、贅沢は言えない。

 

 ぐらの方は、刑事に昇任してから市警史上最短の日数で、殺人課の仲間入りを果たした。そしてそれと引き換えに、およそ一切の銃器を扱えなくなってしまった。それは、今でも続いている。

 

「......ねえ、ワトソン」

 

 私に寄り添い、私の右腕を両手でぎゅっと握りしめていたぐらが、不意に口を開いた。その声は、まだ微かに震えている。

 

「なあに、ぐら」

 

 穏やかに返すと、ぐらは躊躇うようにすこし言葉に詰まってから、先を続けた。

 

「......こんなこと、二度と言わない。絶対に二度と言わないから。でも......でも、弱気になってる今だけ確認させて」

「なに?」

「あたしは絶対、何があってもあんたの味方だから。だから、だからワトソンも、あたしの味方でいてくれる?」

 

 眉をひそめて見返すと、ぐらは私の腕に縋りつきながら、絞り出すような声で続けた。

 

「あたしの気のせいかもしれないんだけど......誰かに狙われてる気がするんだ。誰かがあたしを陥れようと企んで、狙ってる気がするんだ......」

 

 一瞬、全てを喋ってしまおうかと思った。私が知っていることを洗いざらいぶちまけることが、彼女との友情と信任に報いることではないかと、そう思った。

 けれど、結局私は口を噤み続けた。なんであれ、知らない方が幸せなこともある。

 

「大丈夫よ、ぐら」

 

 足をかがめてぐらの身長に合わせ、その肩を抱き寄せた。

 

「私も絶対に、あなたの味方だから」

 

 そう、私は絶対にぐらの味方。他のすべてを裏切ってでも、この地獄のような街に銃ではなくナイフで立ち向かう、立ち向かわざるを得ない、小さなかわいいサメの味方。

 

 

 

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