Bad Apple   作:Marshal. K

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Hoplophobia #7

 10:30 AM, Krono Tower, Financial District, NYC

 

 時は遡ってその日の午前。私はクロニーの許に呼び出されて、仕事の説明を受けていた。

 

「そういうのってもっとこう、荒っぽい仕事を担当する人間に任せたりしないの?」

 

 依頼の内容は要するに、殺しだった。およそ私立探偵に頼むものではない。

 けれどクロニーは、表情一つ変えずに答えた。

 

「だからあなたに任せるんだ、アメリア。正確には、あなたとぐらに」

 

 タイプ打ちされた書類にサインをして、決裁箱に入れると、次の書類の束を取りながら、クロニーは続けた。

 

「ぐらはこういう荒仕事に適任だが、なにせ銃が使えないからな。ぐらから、あなたは銃の扱いが上手いと聞いている。そんじょそこいらの警官よりも、よほどいい腕をしているとか」

 

 それは事実だ。自慢じゃないけれど、私の射撃の腕はかなりいい。生憎と私立探偵は、発砲するどころか銃を抜く機会すら少ない仕事だから、活かせているとは言い難いけれど。

 

「だから、ぐらと組んでこの仕事にあたってもらう。そうすれば万全だろう」

「わかった、わかったわ。ぐらに電話して、一緒に動いてもらう」

「そうしてくれ。ああ、アメリア」

 

 キャメルを灰皿につっこんで、客用椅子から立ち上がると、クロニーが私を呼び留めた。

 

「もう一つ、あなた単独に依頼したいことがあるんだ」

「なにかしら」

「ぐらを監視してもらいたい」

「......は?」

 

 私は、正気? という意味を視線に込めて、クロニーを見返した。ただし、そのクロニーの表情はいたって真面目そのものだ。

 

「どういうこと?」

「ここ最近、私の"ビジネス"は低調でね。取引がご破算になったり、余計な邪魔が入ったり、ネズミが見つかったり。そのどれもが、ぐらが何らかの形で関わっている案件なんだ」

「つまり、あなたはぐらの裏切りを疑っている、と。そういうこと? クロニー」

「そういうことだ」

 

 私は立ったまま客用椅子の背もたれに手を着くと、デスクの向こうのクロニーを見下ろして言った。

 

「二つ、訊きたいことがあるわ。一つ、なぜ私にそれを頼むの? 私とあなたは、この関係になって半年も経ってないのに、親友のぐらのことについて私があなたを裏切らないと、どうして思えるの? 二つ、そもそも親友をスパイしろなんて依頼、私が受けると思うの?」

「その質問には、両方とも答えられる。そしてその答えはどちらも同じだ。あなたがぐらの親友だからさ」

 

 私が顔をしかめると、クロニーは書類を脇に押しやり、抽斗からメイプル・リーフが描かれた加湿箱(ユミドール)を出して言った。

 

「まあ説明しよう。座りなさい」

 

 しぶしぶながら、私は客用椅子に戻った。カナダ産葉巻は断り、二本目のキャメルに紙マッチで火を着ける。

 クロニーは葉巻用マッチを擦ってホワイト・オウルの火口を炙りながら、ゆっくりと言った。

 

「ぐらはあなたに気を許している。私がまるで見たことがないほど、そうだな、懐いていると言っていいだろう。そして私の見立てが正しければ、あなたも同じくらいぐらに気を許している。ぐらをとても大事に思っている。違うかな?」

「違わないわ。だからこそ、ぐらをスパイしろだなんて依頼、受けたくない」

 

 クロニーは目の端でにやりと笑って、先を続けた。

 

「だからこそ頼むんだ。あなたは、私が裏切り者に対してどのような態度で臨むか、この半年でよくよく見てきたはずだ」

 

 火を着けたキャメルを、私はほとんど喫わずにいた。立ち昇る紫煙越しに、クロニーを睨みつけ続ける。

 

「だからそう、あなたがこの依頼を断ったとしよう。そうしたら、私は別の人間にぐらを監視させる。もし彼なり彼女なりが、ぐらが私を騙している証拠を持ってきたら、私はぐらに、厳正な態度で臨まなければならないだろうな」

 

 一瞬、いやなイメージが私の頭をよぎった。身体中に150発分の弾丸を撃ち込まれ、見るも無残な姿になって、イースト川にぷかぷか浮いているぐらの死体。

 それを振り払うために、キャメルを吸った。強く吸い過ぎて、巻紙がちりちり音を立て、煙はきつくいがらっぽくなった。

 その様子を見てクロニーはまた笑い、先を続けた。

 

「だが、あなたがぐらを監視し、彼女との友情に基づいて、彼女のために裏切りの証拠を見出してくれるのなら、私はその見事な友情に敬意を表して、もっと寛容な態度をとる気になるかもしれない。例えば、この街に二度と戻らないことを条件に、二人とも五体満足で見逃してやる、とかな」

 

 親友のことを告げ口するのが、"見事な友情"と言えるだろうか? 私なら、絶対に言えない。

 

「ところでぐらのことだが。彼女は意外と敵が多いんだよ。ぐらはあくまで外部協力者だが、私は正規構成員と同じように扱っている。なにせ他の構成員の誰よりも、私との付き合いが長いからね。それが気に喰わず、彼女に失脚してほしがっている連中は大勢いる。私があなたの代わりに、ぐらの監視を頼む人物がそうでないと、どうして言い切れるかな?」

 

 くそ。くそくそくそくそ!

 どうやっても、クロニーは私にぐらを監視させる気だ。

 

「そうだとしても、なぜあなたは、私のことを信頼できるの? ぐらに失脚してほしい連中と同じくらい、私はぐらに死んでほしくない。私がぐらの、裏切りの証拠をひた隠しにしないと、どうして言えるの」

「簡単さ、そんなことをするなら、私はあなたも裏切り者として見るからだよ、アメリア」

 

 葉巻の濃い煙を吐いて、鼠をいたぶる猫のような表情を浮かべながら、クロニーは続けた。

 

「あなたの選択肢は三つだ。全てに目をつぶり、耳を塞いで、ぐらが陥れられるままにするか。あるいは彼女の裏切りの証拠を揉み消し、二人仲良く魚の餌になるか。そして、彼女を監視し裏切りの証拠を――あるいは裏切り者でない証拠を――見つけ出し、私に彼女の助命を乞うか。選ぶのはあなただ、アメリア」

 

 

 

 

 

「あああ、もう!」

 

 クロノ・タワーの地下駐車場で、私は自分のフォードのタイヤを蹴りつけた。

 

「一体どうしろって言うの......」

 

 緑色のボディに寄り掛かって、私は頭を抱えた。

 クロニーの"ビジネス"が低調なのは、理由がある。ある人物が妨害工作をしているからで、その上私はそれが誰かを知っている。

 でも、それを口にすることはできない。クロニーに喋れば、彼女の恫喝と同じくらいの確実性で、私にもぐらにも終わりが訪れる。

 

「くそ......どうしてこう、ぐちゃぐちゃになるかなあ」

 

 私の小さなつぶやきは、地下駐車場の換気装置の轟音にかき消されて、誰の耳にも届かなかった。

 

 

 

 Jan. 3rd, 1943, The Lost Heaven, Swing Street, NYC

 

「知らなかったわ、あなたがマフィアの幹部だったなんて」

 

 ぐらから評議会(カウンシル)についてレクチャーを受けた翌日、私は"ロスト・ヘブン"の支配人室で、デスクの向こうに座るこの部屋の主にそう言った。

 

「そうと知ってたら、お近づきになったりしなかったんだけど」

「そんな寂しいこと言わないでよ」

 

 このクラブの支配人にして専属シンガー、そしてカウンシルの相談役を務めるアイリスは、左右で色の違う目を細めて答えた。

 

「だいたい、スウィング・ストリートのクラブなんてほとんどが、禁酒法時代に違法酒場(スピークイージー)だったところなんだよ? そこの支配人がマフィアと無関係なわけないじゃん」

「初めて会った時は、ただのシンガーだと思ってたのよ......」

 

 私の弱々しい弁解を、アイリスは鼻で笑い飛ばした。

 

「もっと気を付けることね、探偵さん......んで、どうするつもりなの?」

「なにが?」

 

 アイリスは銀張りのジッポに火を点け、ダンヒルの黒くて細長い紙巻煙草の先を炙ってから続けた。

 

「あなたの今後だよ、アメ。あなた、このままこの業界に居座って、上の方を目指すつもり?」

「......」

 

 正直言って今のところ、今後のビジョンなんて一つもなかった。人生の方向性が180度転換してから、まだ数日しか経っていない。腰を落ち着けようとするので精いっぱいだ。

 そんな私の様子をじっくりと観察してから、アイリスは唐突に言った。

 

「もし、あなたを堅気(ストレート・アップ)に戻してあげられるって私が言ったら、どうする?」

「できるの?」

 

 一も二もなく、私は飛びついた。もちろん、無条件でそんなことをしてくれるほど甘い話じゃないことは、アイリスの表情を見ればすぐにわかる。それでも私は、その誘惑に逆らえなかった。望んでこの道に踏み入った人間以外で、その誘惑に逆らえない人間がいるだろうか?

 ただ、その先に待っていたものは、私の予想をずっと超えていた。

 

 アイリスはデスクの抽斗から、黒い革の財布みたいなものを取り出して、私に渡した。それを受け取って開くと、銀色の星型バッジが顔を出した。

 

「へえ、よくできてるじゃない」

「でしょ? なんたって本物だからね」

「は?」

 

 まじまじとバッジを見つめる。五芒星の中央に星条旗の意匠が施された盾があり、その周りを文字が囲っている。合衆国特別局(United States Secret Service)

 

「まってよ、ちょっと整理させて......つまり、あなたはここの支配人で、ジャズ・シンガーで、マフィアの親玉たちの相談役で、しかも財務省の特別捜査官。ってこと?」

「そう、その通り」

「オーケイ」

 

 全然オーケイではない。頭の中が感謝祭の記念パレード並みにカオスになってきた。もうわけがわからない。

 

「それで、その連邦捜査官様が、私みたいなしがない私立探偵の何を必要とするの?」

「なんてことないよ。ちょっとだけ、私たちの計画に協力してくれればいいの」

 

 目をそばめて煙草を喫って、その煙をゆっくり吐き出しながら、アイリスは続けた。

 

「具体的になにをしてほしいかは、また後日伝えるけど。今、特別局は連邦麻薬局(FBN)内国歳入局(IRS)と合同で、クロニーを潰そうとしてるの。それにニューヨークの州政府と市役所も一枚噛んでる。デューイ知事もラ・ガーディア市長も、自分の州や街からマフィアを一掃したがってるからね」

「でも、クロニーが実務者を買収してるから上手くいってない。でしょ?」

 

 ぐらのレクチャーの知識を基にそう訊くと、アイリスは残念そうにうなずいた。

 

「残念ながら、その通り。FBNとIRSは浸透度が低いんだけど、州政府と市役所はずぶずぶ。しかも連邦捜査局(FBI)のフーバー局長も、クロニーとずぶずぶっぽいんだよ」

「そんな状態で、あなたたちがどうこうできることがあるの?」

「あるよ。大統領と連邦検事を直接動かせば、フーバー抜きでも事は運べる。FBIだって一枚岩じゃないから、私たちに協力してくれる捜査官たちもいる。彼女の基盤を崩すために、私は信頼できる部下を使って、目下クロニーのお仕事を色々妨害してるの」

 

 煙草を灰皿の上で揺すって灰を落としながら、アイリスは続けた。一連の動作の間も、その目は私の方を見据えている。

 

「もう一つ、私があなたにしてあげられることがあるよ。あなたのお友達の、がうる・ぐら刑事に関して」

「ぐらがどう関係するのよ、あなたたちの作戦に」

「直接は関係しないよ、財務省の作戦にはね。ただ、デューイとラ・ガーディアは別」

 

 ふーっと私の方に煙を吹きかけて、アイリスは続けた。

 

「彼らが汚職に対してめちゃくちゃ潔癖なのは、あなたも知ってるでしょ? ところがぐらときたら、汚職を隠さない派手な暮らしぶりをしてて、それでもなお、警官として優秀だからってニューヨーカーたちからお目こぼしを貰ってる。知事も市長も、それは面白くない」

「でも二人とも、選挙で選ばれる公職者じゃない。市民が目をつぶってることに堂々と切り込む勇気があるのかしら?」

「あるんだな、これが。どのみちニューヨーカーたちも、ぐらがクロニーのお願いを聴いて何をしてきたのか知ったら、きっと掌を返すと思うよ。私たちの作戦が成功してクロニーが失脚したら、間違いなくぐらも刑務所送りだね」

 

 アイリスは、宝石のような鮮やかな色の目を細めて、薄っすらと口の端を吊り上げた。

 

「ダネモラの冬は寒いよ。ギャング関係者は女でも、ベッドフォード・ヒルズじゃなくてあそこに行かされるからね。ファウナはダネモラに五年くらいいたことがあるけど、あそこのことをリトル・シベリアって呼んでたよ。冬は寒くて夏は暑くて、囚人も看守も州内からゴミが吹き寄せられたみたいだったってさ」

 

 ダネモラ刑務所――正確にはクリントン刑務所――は、男性重罪犯用の州立刑務所だ。そこが厳しい所だって話は、善良な市民たちも含めて誰もが知っている。

 

「ファウナはマフィアとしての後ろ盾があったし、伝手もあったから、所長を買収して囚人としては結構な暮らしを送ってたけど、それでなお、そう言うんだよ。クロニーが失脚した後にぐらが放り込まれたら、どうなるかな?」

 

 紫煙の向こうで愉し気に、アイリスは目を細めた。

 

「女囚区には、たとえ所長でも看守長の許可無しじゃ入れないけど、それは規則の話。ぐらは警官なんだから、あの中には恨みがある連中が、いっぱいいるんじゃないかな。しかもあそこは元々犯罪者精神病院だったから、ぐらみたいな身体でしか勃たない連中なんかもぶち込まれてるわけだし」

「やめて」

 

 自分でもそれとわかるほど震える声で、私は口を挟んだ。

 

「わかったから、お願いだからもうやめて......」

「そう?」

 

 そのにんまりとした悦楽の表情を殴りつけたくてしょうがなかったけれど、まさか実行に移すわけにはいかない。

 コートから煙草の箱とマッチを出して、キャメルを口に銜える。紙マッチを擦ろうとするけれど、手が震えて上手くいかない。

 

「はい、火」

 

 アイリスが自分のジッポを点けて差し出してきたけれど、無視した。誰のせいだと思ってるんだ。

 

「あっつ!......」

 

 親指を火傷しそうになりながら、なんとかマッチを擦って、キャメルに火を着ける。トルコ莨の乾いた風味とニコチンも、私の動揺を完全に鎮めてはくれなかった。

 黙々と喫っては吐いてを繰り返していると、アイリスが静かに言った。

 

「とにかく、このままいくと、ぐらのダネモラ送りは確実なんだよ。別にあなたの協力がなくたって、遅かれ早かれ私たちはクロニーを潰すからね」

 

 ぷかっと自分の煙草を一服して、アイリスは続けた。

 

「ただ、当然早く片付くならそれに越したことはない。でしょ? あなたは間違いなく、私たちが一年かけて集める証拠を一週間で持って来れる位置にいる。あなたが協力してくれるなら、私が上に掛け合って、デューイとラ・ガーディアがぐらに手を出せないようにしてあげられる。FBNはぐらに大した興味を持ってないし、IRSは追徴課税ができればそれでいいみたいだから」

 

 キャメルは早くも、指のあたりまで燃えてしまっていた。もう一本取り出し、ちびた方から火を移す。

 新しい一本を一服してから、私は肚をくくった。選択肢など、あってないようなものだ。

 

「わかった、やるわ」

「ほんと? 助かるよ」

 

 アイリスはにっこり笑った。天使のような笑顔だけれど、私にとっては悪魔以外のなにものでもない顔だった。

 

 

 

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