Oct. 25th, 1943, United States Courthouse, Foley Square, NYC
私はレーク・ピックとレンチを使って、製冊室のドアの錠をこじ開けた。
「連邦施設なんだから、もうちょっといい錠を使ってると思ってたんだけど。ちょっと拍子抜けね」
さすがに金庫は、こう一筋縄ではいかないだろうけれど。
部屋の中に入ると、後ろ手にドアを閉めて錠を下ろす。電灯を点けたり、懐中電灯を使ったりはしない。ドアの隙間や窓から、明かりがこぼれてしまうからだ。次の巡回は小一時間後だけれど、何かの拍子に誰が通るかわからない以上、余計な危険を冒す気はなかった。幸いにも製冊室は裏門の近くにあって、門の保安灯と街灯の明かりが外から射し込んでいた。
部屋の奥の方に薄い壁と鉄格子で仕切られた一角があり、どうやら金庫はそこにあるらしい。目につく範囲には見当たらないし。いくつものデスクや作業台の間を縫ってそこにたどり着き、格子戸の錠前と対峙した。
「ふむ、入り口の錠よりはマシね」
レーク・ピックでは無理、と判断した私は、腕にかけていたコートのポケットから革製のケースを取り出した。探偵の必需品、ロックピック・セットだ。今やってることはコソ泥に近いけれど。
フック・ピックとハーフ・ピックを使い分けながらシアーを揃えていくと、四十秒ほどでカチャリと音がしてタンブラーが回った。悪くない錠だけれど、私の敵ではない。
果たして仕切り部屋の中には、立派な床置き金庫が一台、どんと置かれていた。
「あったあった、この金庫ね。メーカーは......ブローニングか。しかも面白そうなものが付いてるわね」
扉の周りをさっと触ると、明らかに後から取り付けられたらしい、一対の樹脂製の小さな箱が指に触れた。扉の端と金庫の枠に一つずつ、隣り合わせに貼り付けられている。枠側の箱からは電線が出て、壁を伝って天井へと消えていた。
私は方位磁針を取り出すと、その箱に近づけて示度を見た。
「やっぱり、磁石を使った開閉検知器ね。この線は守衛室かどこかに繋がってるのかな」
電線を切ってしまうわけにはいかない。金庫の扉を開けたら――つまり一対の箱がお互いに離れたら――回路が遮断されて、親機がそれを検出することで開閉を検知する機構になっているはずだ。だから電線を切っても、扉を開けた時と同じ反応が出てしまう。
「そんな子はこーやって......おやすみなさーい」
私は電線がある側の箱に、持参した磁石をセロファン・テープで貼り付けた。これで上手くいくはず、たぶん。
「今日は番号がわかってるから、ちょっとおたのしみが半減ね」
協力者は、ダイヤル錠の組み合わせ番号も教えてくれていた。暗記したその通りにダイヤルを回す。指先に感じるディスクの引っ掛かりからして、間違いなくしっかり覚えていたようだ。
最後の相手はタンブラー錠だ。
「レバータンブラー錠か......」
ピンタンブラー錠に比べて旧式な錠前だけれど、精緻なレバータンブラー錠のピッキングはピンタンブラー錠のそれよりも困難だ。そのためこの通り、金庫錠などにまだまだ需要がある。かのチャブ式検知錠もレバータンブラー錠だ。
ロックピック・セットからカーテン・ピックを取り出して、鍵穴に挿し込んで回し、邪魔なタンブラーを開く。カーテン部分から二本のワイヤーを差し込み、一本でストンプをレバーに引っ掛け、もう一本でレバーのポケットを探る。
金庫錠だけあって、その錠前の造りはかなり緻密かつ悪辣だった。とはいえ私だって、これまで少なくない数の金庫を破ってきている。ワイヤーをせっせと動かし続けて、二十分ほどで屈服させた。
ピックとワイヤーを一周させて鍵穴から抜き取り、ハンドルを回すと、がこっと重々しい音がしてデッドボルトが外れた。分厚く重い扉を引き開ける。
「あったあった......"
金庫の中には
金庫の横には、大型の
「......流石に全部は入らないか」
鞄はあっという間にぱんぱんになってしまった。金庫の中にはまだ、二割ほど残っている。
「いくらかはポケットに入るわね......よし」
ポケットというポケットにも詰め込んで、金庫の扉を閉める。明日この金庫を開けた職員は、一目で盗難に気付くだろう。ハンドルを回してボルトを下ろし、ダイヤル錠をリセットする。タンブラー錠は面倒臭いので放置だ。磁石もテープごと剥ぎ取って、ポケットにおさめる。
続いてポケットから懐中時計を取り出し、近くの作業台の下へ滑り込ませる。これはクロニーのところの正規構成員だけが持っている金時計らしい。純金で、サイズの割りにずっしり重く、蓋には8の字をえがく東洋の竜が彫られている。"ロスト・ヘブン"に置き忘れられたものを、アイリスがこの日のために保管していたのだとか。
「仕込みは完了っと。後は無事に帰るだけ......」
格子戸を開けて仕切り部屋出ようとしたときだった。かちゃかちゃという金属音が、遠く離れた廊下とのドアから聞こえてきた。誰かが鍵を開けようとしている。私は慌てて格子戸を閉め直し、仕切り壁の陰に隠れた。ドアはすぐに開いて、男の声が二人分聞こえてきた。
「ほら、早く取りに行け」
「悪いね、ホントに」
一人がどすどすと歩いてこっちに向かってくる。もう一人は戸口に残っているようだ。私は必死に息を殺して、スカートをめくって25口径コルト・ベストポケットの
男の足音は、仕切り部屋から五メートルほど離れたところで止まった。デスクの抽斗を開け、なにやらがさごそやる音が聞こえる。
「......あーくそ、ねえなあ」
「車の中はちゃんと探したのか?」
「そりゃ探したさ。くそったれ、こんな天気で野宿はごめんだぞ」
抽斗を開け、引っ掻き回しては閉める音が何度かしてから、探し物をしているらしい男が言った。
「なあ、そっちの仕切り部屋も見たいんだけど、開けてくれねえか?」
どきりと心臓が跳ねた。くそ、二人一緒に来られるのはかなりマズい。
「ダメだ」
「なんでだよ、ちょっとくらいいじゃねえか」
「そこの鍵は持ってないんだ。ターナー統括の許可がいるし、統括はここの所長に電話して、許可をもらわなきゃいけない。お前が代わりに、一家団欒中の所長に電話してくれるならいいが」
「わかったわかった、いいよ。くそ、今日はどっかの
ぶつぶつ言いながら、男は戸口に向かった。
「カミさんがまだいてくれりゃ、こんなことにはならなかったんだが......」
「ほら、閉めるぞ。さっさと出ろ」
ドアがばたんと閉まり、がちゃりと鍵がかかる音がした。すり減った靴とゴム底の警官靴の音が、廊下を遠ざかっていく。
「......ふはー」
私は止めていた息を一気に吐き出した。グリップを握っていた手を離し、べたつく手汗をスカートで拭う。
「もうだめかと思った......」
念のために仕切り壁のかげから片目だけを出して、製冊室の様子を窺う。誰もいない。
ほっと一息ついてから書類鞄を両手に提げ、仕切り部屋を出て格子戸を閉める。ピックとレンチで手早く施錠してから、そばにある"搬出入室"と書かれたドアに向かった。
内側からそのドアの錠を外して製冊室から出ると、そこはせまい階段室だった。下の搬出入室に直接つながっているらしい。
ドアには
レーク・ピックを使って、いかにもこじ開けたっぽい傷痕を鍵穴周辺に残してから、私は鞄両手に悠々と裁判所の敷地を後にした。
9:09 PM, Krono Tower, Financial District, NYC
それからしばらくして、私はクロノ・タワーの地下駐車場を歩いていた。広々とした駐車場は、この時間にはすっかり閑散としていて、換気装置の音だけがごうごう響き渡っている。
駐車場の奥の方の一画に、一台の42年式キャデラック75型リムジンが駐められていた。駐車スペースの後ろには、"バンクロニー社有車専用"と書かれた看板が立っている。このキャディはオーロ・クロニーの専用リムジンだ。
私は後部に回り込んでロックピック・セットを取り出すと、ハーフ・ピックとレンチを使ってトランクリッド・ハンドルのボルトロックをこじ開けた。ハンドルを回して、重いリッドを持ち上げる。広々としたスペースに配給スタンプ入りの書類鞄を持ち上げて、どすんとトランクに載せる。それからポケットに詰め込んだ分のスタンプを入れたマニラ紙封筒を、二つのトランクの間に挟み込んだ。リッドを閉じて、ラッチがしっかりかかるように押しつけながらハンドルを回し、ピックでロックをかけ直せばお仕事は完了だ。
駐車場を出て小雨の降る中を二
"はい、もしもし?"
「ワトソン
"少し待て"
ごとりと受話器が置かれて、足音が遠ざかって行った。しばらく待っているとカチリと音がして、相手が切り替え電話に出た。
"もしもし?"
「依頼は済んだわ。仕込みは万全、ブツは彼女のリモのトランクよ」
"オーケイ。支払いは来週するよ。いつでも好きな時にうちに立ち寄って"
「わかった」
がちゃんと受話器を置いて電話ボックスから出ると、見つからないだろう空車のタクシーを探しながら、夜のブロードウェイを北へと向かった。
Oct. 26th, 1943, Amelia's Office, Midtown South, NYC
"ニューヨーク地方物価統制局によりますと、ニューヨーク南部物価統制事務所管内の配給委員会において、戦時配給通帳四号の配送が遅れる可能性があるとのことです。この通帳は来月より有効になる新しい
「や、ワトソン」
ラジオのニュースを聞いていた昼下がり、ノックなしにドアを開けて私の事務所に入ってきたのは、親友の汚職刑事だった。
夏場はクローゼットに仕舞い込んでいたサイズ・オーバーの青いチェスターフィールド・コートは、すでに今月の頭から戦線復帰して彼女の体をすっぽり覆っている。一目見るだけで150ドルは下らないとわかるその高級品のコートは、実のところ200ドル以上する、投擲用ナイフを半ダースも隠し持つために誂えられた代物だ。だから彼女はどこに行っても、そのコートを脱ぐことは滅多にない。
その滅多にないことが起こる数少ない場所の一つが、私のオフィスだ。ぐらはコートを脱いで、二つある客用椅子の一つの背に掛けると、もう片方にどすんと座り込んだ。
「ハイ、ぐら。どうしたの? まだお昼を回ったばかりなのに、ずいぶん疲れてるじゃない」
「まあね。今日は朝からずっと振り回されててさ」
ぐらはちらっとラジオに目をやった。WNYCのニュース・キャスターは、まだ配給通帳遅配のニュースを喋っている。
「その内公表されるだろうからもう言っちゃうけど、昨晩誰かが、
「裁判所に?」
「裁判所庁舎に。もっと言えば、そこに入居してる物価統制事務所に」
「......ひょっとして、ラジオが言ってる遅配の原因ってそれ?」
「そう。押し入りをしたやつが、保管されてた通帳を八割方盗み出して行ったの」
ぐらはぐったりと椅子にもたれて天井を見上げ、私は慎重に自分の椅子に座り直した。
「ラ・ガーディアも"
「でもぐら、あなたって殺人課でしょ? お呼びはかからないんじゃないの?」
「まあね。"皆殺し"からは呼ばれなかったよ。ただ、呼ばれた知り合いからちょっと聞き捨てならないことを聞いてさ、さっきまでクロニーのところにいたんだよ、アタシ」
「クロノ・タワーに?」
ぐらは椅子の上で座り直すと、隣の椅子のコートから喫い差しの葉巻を取り出した。抽斗から葉巻用マッチを出して、灰皿と一緒にデスクの上をぐらの方に押し出してやる。
「ありがと」
「どういたしまして......それで、クロニーがこの件にどう関わるって言うの?」
ぐらは葉巻に火を着け直すと、何回かぷかぷか吹かしてから私の質問に答えた。
「関わるというか、巻き込まれたって言うべきかもね。現場に時計が落ちてたらしいんだ。こういうの」
ぐらはコートの下をごそごそやって、金色の懐中時計を取り出した。私はわざと興味深げな表情をして、時計に顔を近づけた。
「すごい時計ね、これ。この彫られてるのは蛇?」
「竜だよ、東洋の。これはクロニーのところの正規構成員だけが持ってる時計なの。アタシは例外だけど、その例外は今のところ、アタシにしか適用されてない」
「これが落ちてたってことは、犯人はクロニーのところの人間ってこと?」
「アタシもそう思ったから、クロノ・タワーに行ったんだよ。でも、違うみたい」
「なんで?」
ぐらは口を開く前に、ちょっと躊躇した。私に話すべきかどうか、ちょっと悩んだ感じだった。
「......フェッドが出てきたからだよ。クロニーはあそこのボスに首輪をつけてるからね。フーバーの事が気に喰わないアイビー・リーグ卒のお利口さんたちが、非公式に動き回ることはあったけど、今回は公式に捜査に来てる。クロニーがやってるなら、そんなことには絶対ならない」
「なるほどね」
「それと、クロニーはアタシに捜査を命じたの。アタシと、あんたに」
「私にも?」
心臓をぎゅっと掴まれたようだった。間違いなく驚愕が顔に出てしまっている。ただの驚き、とぐらが解釈してくれるといいんだけど。
「そう。クロニーは怒ってる。誰かが彼女を陥れようとしてるから。その泥棒をした誰かさんは、クロニーのリムジンに盗難スタンプが詰まった鞄を置いて行ったんだよ。その証拠品を素直に警察に渡すわけにはいかないでしょ?」
「まあ、そうね......」
話がとんでもないことになってきてしまった。自分がした泥棒を、自分の親友と一緒に調べなくてはいけないなんて。
ぐらは葉巻を灰皿でもみ消して、客用椅子から立ち上がった。
「そんなわけだから、今から一緒にフォーリー・スクエアに行きたいんだけど、都合はいい?」
「私......ええ、空いてる」
「よかった、じゃあ......」
ぐらがコートを取ったところで、ドアがノックされて黙り込んだ。
「......お客さん?」
「みたいね。その予定はないんだけど......どうぞ!」
ドアを開けて入ってきたのは、壮年の男性だった。J・プレスのものと思しき濃いグリーンの、落ち着いた背広を着込んで、黒いツイードのコートを着ている。被っていた黒いダービー帽を脱いで、私とぐらを交互に見てから言った。
「失礼、私立探偵のミス・アメリア・ワトソンは?」
「私です。こんにちは、ミスター......?」
「マカラスです。フランシス・ジュリアス・マカラス」
「"
ぐらが敵愾心剥き出しの声で訊いた。
「その呼び名は不本意ですが、そう呼ばれもしますな」
「申し訳ないんですけど、ミスター・マカラス。私たちは急用があって、出かけないといけないんです」
「おや、おや、そうですか」
すげなく断られた男にしては、あまりにも朗らかな声でマカラスは言った。
「まあ、私としてもミス・ワトソンとは、もっと内々にお話したいところでしたからな。こちらの刑事さんはテコでも動きそうにありませんし」
ぐらは一瞬ぎょっとした。彼女の名前は、この街では有名なほうではあるけれど、フィオレロ・ラ・ガーディアやジョー・ディマジオみたいに顔と名前の両方が知れ渡ってるわけじゃない。子供みたいな背丈のぐらを見て、刑事だと一発でわかるってことは、こいつは私の交友関係を調べて来てるってことだ。相手が"
「よければ今晩、私の家においでください。アッパー・ウェストサイドです。後悔させませんから。では、よい午後を」
そう言って、彼は名刺を一枚取り出して私のデスクの上に置き、そのまま踵を返してオフィスから出て行った。