Bad Apple   作:Marshal. K

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モブレ・近親相姦に関する描写・言及があります。苦手な方はお避け下さい。


The Stamp-Ralley #3

 Oct. 26th, 1943, Amelia's Apartment, Tuder City, NYC

 

「まずい......どんどんまずい状況になってきてるわ......」

 

 日も暮れ始めた午後3時半ごろ、私はチューダー・シティに新しく借りたアパートメントに戻り、居間のソファに腰を下ろした。

 フォーリー・スクエアでの捜査は散々だった。探偵として見逃すべきでないものを見逃し、現場に戻ってきた犯人として気付いてはならないことに気付き、ぐらはともかくその場に居合わせた他の刑事たち――特にリーガンという、第19分署の盗犯捜査のプロらしい刑事――からとてつもなく濃い疑惑の視線を向けられてしまった。

 結局のところぐらは、私がマカラスの件で気もそぞろなのだと解釈してくれて、私を早々に開放してくれた。おかげで現状について整理して見直す時間が取れたけれど、先の展望はあまりにも悪く、頭痛は増すばかりだった。

 

「まずはクロニー。彼女はぐらが自分を裏切ってるんじゃないかって思ってる。私にぐらを監視するよう言ってきてるけど、きっと私のことも信用してはいないわね」

 

 クロニーは、私がぐらの裏切りの証拠――あるいは裏切り者でない証拠――を見つけ出せば、ぐらを赦すかもしれないと言った。でも疑心暗鬼に陥っているマフィアのボスの言葉なんて、アル中患者の「これが最後の一杯」と同じくらい信用できない。

 幸いにもこれといった期日は指定されていないけれど、いつまでもほったらかしにはできないだろう。何か対策を考えておかなくちゃ。

 

「それからアイリス。評議会(カウンシル)の相談役で、連邦捜査官。クロニーを失脚させようとしている」

 

 アイリスの立ち位置も謎だ。ぐらから聴くところによれば、彼女とハコス・ベールズはとっても親密な間柄らしい。それも偽りの関係で、アイリスはベールズをも失脚させようとしているんだろうか? それとも、クロニーを失脚させたいベールズと政府の利害が一致して、協力体制を組んでいる――あるいはアイリスが一方的に利用している――んだろうか。

 潜入捜査官とマフィアのボスが禁断の恋に陥った、という可能性は、流石にロマンチックすぎるだろう。ミュージカルや映画ならともかく。

 

「どっちもぐらを盾に、私を協力させている。そしてそのどちらも、こっちが約束を守ったからって向こうも約束を守る保証はない......」

 

 パラノイア気味のマフィアと立ち位置不明な連邦捜査官、どっちも取引相手にするには少々ならず危険な相手だ。しかも対等な取引ではない。私の方には、抵当に出来るものがないのだから。

 

「そして今度はマカラス......彼は一体、何を掴んでるんだろう?」

 

 "脅迫屋のマカラス(マカラス・ザ・ブラックメーラー)"はお金持ちの人々を相手に、醜聞――若い日のやらかしとか、不倫、同性愛、サドマゾ、共産主義やナチズムへの傾倒などなどアメリカでは致命的な諸々――をネタに強請りをかけるのが普通だ。私みたいな木っ端探偵はお呼びじゃないはずなんだけど。

 

「気に喰わないわ......腹に一物あるのがわかってるのに、それが全然読めないのがとっても気に喰わない」

 

 今夜、彼の家でそれがわかるだろう。その時が手遅れでなければいいんだけれど。

 

 

 

 10:30 PM, McArras's Resident, Upper West Side, NYC

 

 マカラスの家は、古くからの家々が立ち並ぶ西83丁目にあった。褐色砂岩(ブラウンストーン)の二階建てで、生垣で囲まれた広い庭付きの家だった。

 

「ああ、いらっしゃい。待ってましたよ」

 

 呼鈴に応じてドアを開けたのは使用人ではなく、喫煙服姿のマカラス本人だった。広々とした玄関ホール(ホワイエ)に隣接する応接室に通されると、私は腰を下ろすよりも先に口を開いた。

 

「それで、話というのは?」

「おや、おや。そんなに急くことはないじゃありませんか。まあそこのソファに座って。ブランデーなどいかがです?」

「いいえ結構」

「そうですか? まあ、私は一杯やらせてもらいますがね」

 

 マカラスは自分の飲み物を作ると一旦奥のデスクに立ち寄り、マニラ紙の紙挟み片手に戻ってきて、私と対面するソファに座った。

 

「さてさて。あなたはすっかり焦れてしまっているようだから、さっそく本題に入りましょうか。ウィリアム・ヘンリー・ゴールドバーグという弁護士をご存知かな?」

「......名前だけなら」

 

 名前だけなら、知っていてもおかしくない。ぐらから聞いたとか何とか、言い訳はいくらでもできる。

 

「悪徳弁護士だと聞いたことがあると思うわ。そのゴールドバーグ先生が、何か?」

「悪徳弁護士ね。まあ、そうでしょうな。彼は顧客から......あるモノを預かっていて、それを横取りして強請りを働こうとしたんですな。ところがなんと、そのモノが預け先の貸金庫からまんまと盗まれてしまった。翌日に彼は失踪し、いまも見つかっていません。もう生きちゃおらんでしょう」

 

 マカラスは太くて長い葉巻に火を着け、すぱすぱやった。ぐらが喫っているのと同じ、ダンヒルのキューバ葉巻だ。

 

「この賊は女でしてな。精緻に偽造されたゴールドバーグの自筆委任状を持参して、貸金庫を開けさせたんです。あの銀行には知り合いがいましてね、彼が色々と興味深い話をしてくれたんですよ」

 

 そう言うと、マカラスは紙挟みから一枚の紙を取り出した。感光紙の中央に、ニューヨーク州陸運局発行の運転免許証がコピーされている。

 

「手続きによって、銀行はその女の免許を謄写してました。銀行としては、泥棒が入ったことを公にしたくはないが、それはそれとして何らかの手を打たなければまずい。それでお抱えの探偵を使って、その女を調べたわけですな。ところが、ロチェスター市のその住所に行って調べてみると、リンディ・オーティス・ウィルソンという女は故人だったことがわかりました。二十年以上前、二歳の時に階段から落ちて死んでいたんです」

「それは悼ましいことね」

 

 私は足を組み替え、疑念の表情を浮かべてマカラスに訊く。

 

「けれど、それが私とどんな関係が?」

「まあまあ、話は最後まで聴くものですよ......銀行の方ではそれ以上追えないというので、その知り合いはこの話を、ネタとして私に提供したわけですな。歩く死人とは興味深いでしょう? それでまず、私は免許証の偽造を疑いました。ところが陸運局の知り合いに訊いてみたところ、これは正真正銘本物の免許証でした。発行手続きには社会保障カードが使われていたので、今度は地方社会保障局の知り合いに当たりました。そして彼女が、モンロー郡公文書館から出生証明記録の謄本を取って、それを社会保障局での手続きに使っていたことを突き止めたのです」

 

 テーブルの上に、もう一枚の書類が加わった。ロチェスター総合病院発行の出生証明書のコピーに、モンロー郡公文書館の交付スタンプが押されたものだ。

 

「私の部下の男が公文書館に向かい、この謄本が本物であることを確認しました。あなたも私立探偵ならおわかりでしょうが、故人の出生証明記録の交付申請は、相続やらなんやらの手続きで珍しくありませんからな」

「ええ、そうね」

「で、その男は公文書館から出た時、あることに気付きました。駐車場の向かいのアパートメントから、彼をカメラで撮っていた人物がいたのです」

 

 つうっと、背筋に寒いものが流れた。

 

「そこで彼はそのカメラ男を訪ね、あまり紳士的でない態度と、いくらかの金を掴ませて話を聞き出しました。彼はそうやって、よそからやってくる車を撮影するのが趣味だったわけです。公文書館がいつ謄本を交付したのかはわかっていますから、後は簡単でした」

 

 出生証明書の上に一枚の写真が置かれた。見覚えのある駐車場、旧式のフォード、そこから降りる金髪の女。通りに目を走らせるその顔はばっちり写っていて、それはアメリア・ワトソン以外にあり得ない。

 がっくりとうなだれた私に、マカラスは愉し気な声で追討ちをかけた。

 

「あるいは、中央郵便局の知り合いとの話もしましょうか? 件の免許証と社会保障カードの送付先になっていた私書箱の、契約者の身許を聞き出した話を?」

「いいえ、もう結構」

 

 絶望と安堵がないまぜになった気分で、私は訊いた。

 

「それで、私に何を望むの?」

「おやおや?」

 

 マカラスは、まるで鼠をいたぶる猫のような笑顔を浮かべて、私の安堵を消し飛ばす言葉を続けた。

 

「話は最後まで聴くものだと言ったでしょう? これはまだ、あなたに興味を抱いたきっかけにすぎないんですよ......」

 

 冗談でしょう。やめて。これ以上は本当にやめて。

 けれどそれを口に出すことはかなわず、マカラスは話し続ける。

 

「リンディ・ウィルソンの身許を辿った時と同じように、私はあなたの身許を辿りました。これも偽物だったらたまりませんからね。幸いにもこちらは本物で、ネブラスカ州スワードまで辿れました。あなたは早くにご両親を亡くされたのですね」

「ええ、そうよ......」

 

 喉が渇いてたまらない。頭がくらくらする。爬虫類のような光を放つマカラスの目から、視線を逸らすことができない......。

 

「それであなたには後見人が付いた。お父様の雇い主だった、銀行の頭取で、州上院議員のお人が。私が知りたいのは――」

 

 テーブルの上に一枚の書類が滑る。聖エルジェーベト病院発行の出生証明書。

 

「そのような州政界の重鎮が、どうして妻を差し置いて自らの被後見人に手を出し、当時十四歳のあなたに子供を産ませたのか、ということです」

 

 

 

 

 

「......違う、違うの」

 

 マカラスの最後の質問からかなりの時間を経て、私はようやく絞り出すように言った。

 

「違う、とは?」

「その子は確かに私の子よ。でも父親は......父親はギリアム先生じゃないの」

「では、誰なんですか? 未成年のあなたに子供を作らせた罪深い大人は?」

 

 その言葉は、明らかに答えを知っている人間のものだった。こいつはただ、答え合わせがしたいだけなのだ。

 

「......父よ」

 

 

 

 

 

 病気がちだった母親は、私が六つの時に死んだ。私は母の面影をかなり色濃く受け継いでいて、父はことあるごとにその事に触れ、私を可愛がり、愛情をこめて育ててくれた。

 しかしいつからかその愛情は、子供に対するそれではなくなっていった。初潮が来て、性徴を迎え、体つきが女らしくなってくると、父が向けてくる視線に込められたものが、どんどん変質してきているのが厭でもわかった。本当はその時に拒絶するべきだったのかもしれない。

 

 十四歳の誕生日に、父は私を抱いた。母の名を呼びながら私を抱き、私は抱かれながら父を"パパ"ではなく名前で呼んだ。痛みと不快感しかない行為をなんとか耐えきれたのは、男手一つで私を育ててくれた父への感謝と、健気な親への愛情がなせる業だった、と今では思う。耐えきれなければよかったのに、とも思うけれど。

 私のお腹が膨らみ、その内に生命が宿っていることがわかると、私は産みたいと言い、父は堕ろさせようとした。初めて明確に対立した父娘は言い合いになった。父は娘の腹を殴り、激怒した娘は包丁で父を刺した。

 

 かくしてアメリア・ワトソンは十四歳にして孤児となった。その胎に罪深い命を宿したまま。

 

 

 

 

 

「ギリアム先生は全部なかったことにしようとしたわ。自分のところの従業員が近親相姦してたなんて、政治家としては醜聞もいいところだから。検屍官を抱き込んで、父の死を事故に偽った。でも、赤ちゃんはもう、堕ろすには大きくなり過ぎていたの」

 

 床の絨毯を見つめたまま、私はしゃべり続けた。

 

「ギリアム夫人は、私の事情を知ってとても同情してくれた。赤ちゃんを産むにあたって、父親の欄にギリアム先生の名前を入れることを黙認してくれたわ。素直に父親の名前を書いたら旦那がスキャンダルまみれになるから、そうせざるを得なかったとも言えるけれど」

「なるほど、なるほど。つまりギリアム上院議員は、君にとって大恩ある人物というわけだな」

「ええ」

 

 そしてその先生に迷惑をかけたくなかったからこそ、私は高校を出るなり早々に故郷を捨て、ニューヨークへやって来たのだ。誰も私のことを知らない、興味も持たない大都会へ。

 

「だが、この出生証明書がしかるべきところに送られた場合、どうなるかな?」

「......何が望みなの?」

 

 私は目を上げ、前髪越しにマカラスを睨みつけた。

 

「なに、私のために働いてもらいたい、それだけだよ。君は腕のいい探偵だ。私のように顔と伝手の広い人間でなければ、あの免許証から君にたどり着くことはとてもできないだろう。そんな偽の身分証を作れるだけでも大したものだ。私の仕事は、お抱えの探偵が何人いても困らないからね。むろん、タダ働きはさせん。報酬は払うとも」

 

 爬虫類のような目が、私を見つめている。まだある。まだ何か、ある。

 

「ところで、私の部下は男ばかりでな。こんな仕事だと女を作るのも難しいし、娼婦を買うのはリスクが高すぎる......だが君なら、期待できそうだ」

 

 それは考え得る中で、一番最悪の要求だった。

 

 

 

 Oct. 27th, 1943, Central Park West, Uptown Manhattan, NYC

 

 早朝で人通りのほとんどないセントラルパーク・ウェストを、アメリア・ワトソンはおぼつかない足取りで南に向かっていた。髪の毛はぼさぼさで目は虚ろ、頬には涙が垂れた痕が残り、口の周りにはがびがびに乾いた液体の痕跡がある。シャツには皺が寄り、ボタンはちぐはぐに留められ、赤いタイは歪み、ハイウエスト・スカートは一番上のボタンだけで辛うじて締められている。よろめき歩く彼女の腿には、ねっとりとした液体が一筋垂れていた。

 

 コロンバス広場(サークル)までやってくると、彼女は屈みこみ、歩道に嘔吐した。胃の中にもともとあったものはとうの昔に全部出してしまっていて、出てきたのは胃酸だけだった。それでもなお、彼女の鼻の奥には栗の花のような臭いが残っていて、それが彼女に絶え間ない嘔吐感を与え続けていた。

 しばらくえずいてから、彼女はふと顔を上げた。広場から東に延びるセントラルパーク・サウスの方を見やって、回らない頭でしばらく何事か考え込んでいた。

 

 やがて彼女は、何かに引き寄せられるように朝日の昇ってくる方角へ向きを変え、通りをレノックス・ヒルへと歩いて行った。

 

 

 

 5:30 AM, Gura's Apartment, Upper East Side, NYC

 

 その日、アタシは珍しく早起きだった。普段は夜の"ザ・ステム(ブロードウェイ)"を跋扈する路上犯罪者どもを二時ごろまで相手にしているか、夜遅くまで殺人事件の捜査をしているかで、朝早くに目が覚めることはめったにない。

 昨日アメリアのところに訪れた"脅迫屋(ブラックメーラー)"のことが気になって、あまり眠れなかった、というのが本当のところだ。

 配給スタンプ泥棒の捜査もあるし早めに出るか、と考えて、熱いシャワーを浴びて目を覚まし、トーストと卵とコーヒーで朝食にして、出るためにコートを着たまさにその時、電話が鳴った。

 一瞬、無視して出勤しようかと思ったものの、鳴っていたのは内線のベルだったから、あきらめて受話器を取った。

 

「はい、もしもし」

"おはようございます、ミス・がうる。こちらはフロントです"

 

 ベル・キャプテンのスタンレーだった。

 

「おはよう、スタン。何か用事?」

"はい。ミス・ワトソンがお見えです"

「ワトソンが?」

 

 きゅっと心臓を掴まれた感じがした。彼女が自分から、予告も無しにうちにやって来るなんて、普通なら嬉しいところだけれど、状況を考えると悪い予感しかしない。

 

「通して」

"実のところ、もうお通しいたしました。ミス・ワトソンはその......大変憔悴なさっているようです"

「わかった。ありがとう、スタン」

 

 電話を切って、足早に玄関を出てエレベーター・ホールに向かった。

 

 

 

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