Oct. 27th, 1943, Gura's Apartment, Upper East Side, NYC
およそ一時間ほどかけて、私はぐらに全部を話した。最初はマカラスの件と、私がこの街に来た理由を話すだけのつもりだったのに、気付けばクロニーの疑心もアイリスからの申し出も、何もかも全部話してしまっていた。
私が話している間ぐらは向かいのソファに座って、紅茶にほとんど手を付けずに聴いていた。外では柔らかい秋の雨が降り始めていて、大きな上げ込み窓を濡らしていた。
「ごめんなさい......もっと早く、全部話しておくべきだったのに」
「そうかもね」
ぐらは短くそう言って、ソファからぴょんと飛び降りた。そのままコーヒー・テーブルを回り込んで来て、私の左隣に腰を下ろしながら続けた。
「でも、アメは今話す決心をしてくれた。マカラスの件はともかく、クロニーとかアイリスのことは、今話す必要はなかったのに、アタシに話してくれた。手遅れになっちゃう前に」
私の肩に頭をもたせて、ぐらは静かに続けた。
「だからその二つについては、アタシたち二人で話し合ってなんとかしよう? 頭は二つあった方が、いいアイデアは出て来やすいかもしれないし」
「ええ、そうね」
「でも、マカラスのことはアタシに任せて」
私の手に自分の手を絡めながら、ぐらはそう言った。
「もし、あんたにまだマカラスと対峙できる勇気があるなら話は別だけど」
「私......」
マカラスの顔が頭の中に浮かぶ。蛙のようにぶよっとした顔と、蛇のように鋭い視線。服を脱ぐ私を舐め回すように見ていた、あの視線。
ぐらの手をぎゅっと握りしめて、私は絞り出すように言った。
「私......ごめんなさい」
「謝らなくていいんだよ。あんな目に遭ったんだもん、当然だよ」
うなだれた私の頭を撫でながら、ぐらは優しく言った。
「しばらくアタシの家に泊まりなよ。たぶん、当分の間は今日みたいな悪夢を見ると思うから。クロニーとアイリスのことは、もう少し落ち着いたら二人で考えよう」
「ありがとう、ぐら」
ぐらの言った通りそれから一か月近く、悪夢に悩まされる日々が続いた。悪夢は私の睡眠を蝕み、目の下に大きなクマができ、髪の毛はぱさついて白髪がちらほら混じるようになった。
悪夢は決まって初めて見た時と同じ内容だった。始まりは十四歳の誕生日の夜で、そこから突如マカラスの客用寝室に飛ぶ。私が抵抗すると脅迫屋はコカイン溶液入りの皮下注射器を取り出して、それを注射しようとする。そのあたりから現実の私はうなされ、身をよじって悪夢から逃れようとする。
ぐらは毎回優しく抱きしめてくれて、私が目を覚ました時にそれ以上錯乱しないで済むようにしてくれたけど、そんなぐらを私は時折殴ったり引っ掻いたりした。なんでもない、と笑うぐらの顔の痣や引っ掻き傷を見るたびに、私は申し訳ない気分で一杯になったけど、引っ越したばかりの自分のアパートメントに戻る選択肢を取ることはできなかった。たった一人で悪夢に太刀打ちできるほどの耐性は、なかなかつかなかった。
最初の一週間に到っては道行く人の視線すら怖くて、アパートメントの外に出ることすらできなかった。仕事も全部キャンセルせざるを得ず、収入は一時的に途絶えた。
ぐらに養ってもらう、と言うわけにもいかず、ぐらのアパートメントの二階の電話番号と、建物の一階にある共用応接室を使わせてもらって、一週間後にはなんとか仕事を再開した。ただ、仕事の内容は大幅に制限せざるを得なかったけれど。
そんなある日の夜だった。ぐらがなかなか仕事から帰って来ず、八時を回った頃に電話をかけてきたのは。
Nov. 5th, 1943, Mc'Arras's Resident, Upper West Side, NYC
アタシはその日の夜、マカラスの家を訪ねようとしていた。西83丁目の路肩にクライスラーを駐めて、手はずを確認する。
暴力。結局のところ、頭でっかち野郎をどうにかする手段はこれしかない。実際問題、アタシはアメのためなら殺されようが刑務所にぶちこまれようが、全然かまわない。何発か殴り、銃を突きつけ、自分の覚悟とともに脅しをかける。アメの秘密を暴露しようとしたら殺す。アメに近づこうとしたら殺す。アメの秘密を他の誰かに教えたり、他の誰かがそれに近づこうとするのを許したら殺す。そんなところだ。
コートの下から銃を抜いて、まじまじと見つめる。それは四年前のあの日、アメにけがをさせてしまったのと同じコルト・ガバメントだ。
ぶんぶんと頭を振って、嫌な記憶を振り払った。大丈夫、今日はアメは一緒にいないし、本当に撃つわけじゃなし。ナイフじゃ脅しにはちょっと役不足だ。
「......よし、行くか」
門をくぐるとき、ありふれた軍服地のコートを着こんだ女性と行き会った。帽子を目深にかぶっていて顔はわからなかったけど、それなりに齢がいってそうな感じだった。マカラスにネタを売りに来た家政婦か誰かだろうか。
小さく会釈を交わしてすれ違い、
「......?」
ドアの向こうからはこそりとも音が聞こえてこなかった。少し待って、もう一度ベルを鳴らす。
「あれ......?」
コートの下から手帳を引っ張り出し、ページを繰って予定を調べる。
「いや、間違いない。今日で約束を入れてるはず」
印は確かに今日、11月5日についている。手帳を閉じ、ドアをどんどん叩く。
「ミスター・マカラス! 約束をしたがうる・ぐらですけど!」
家は相変わらず静まり返って、誰かが返事する気配一つ無い。嫌な予感がして、真鍮のドアハンドルを捻った。
「あ、開いてる......」
ドアは特に抵抗もなくすっと開いた。広々とした
「ミスター・マカラス、入りますよ!」
そう呼びかけてホワイエに入り、後ろ手にドアを閉める。アタシの声はホワイエにわんわん響き渡り、たぶん家中に聞こえたはずだけど、誰かが返事をしたり、走ってきたり、椅子から転げ落ちたりするような音は一つもしなかった。嫌な予感がひしひしと募っていく。
ホワイエの右手にあるドアが半開きになっていた。アメから聞いた話からすると、その先が例の応接室のはずだ。電灯の明かりが漏れていて、耳を澄ますと暖炉の薪がぱちぱち爆ぜる音がする。
コートの右袖の下に仕込んである飛び出しナイフがいつでも手に取れる状態かどうかチェックしてから、ドアを蹴り開けて中に入り、さっと部屋を見渡した。
「......! ミスター・マカラス!」
"
アタシは家を飛び出すと通りに戻り、左右を見渡した。いない。さっき彼女はどっちに行っただろう。コロンバス街のほうだっけ?
83丁目とコロンバス街の角まで走ったけれど、もはやさっきの女はわからなかった。コートと帽子くらいしか目についた特徴はなく、道行く人たちはみんな似たような格好だ。
「くそ!」
アタシは罵声を上げて、電話ボックスに駆けこんだ。
しばらく考えてから、アタシは
8:15 PM, Central Park West and 81st St., Uptown Manhattan, NYC
「ここでいいわ、停めて」
赤と黄色の39年式チェッカー・タクシーがセントラルパーク・ウェストと81丁目の角にさしかかったところで、私は運転手にそう言って車を停めさせた。料金を払ってタクシーから降り、ドアを閉めると、公園の方から吹き寄せられた落ち葉を踏んで北へと歩を進める。
セントラルパーク・ウェストはあの日の朝、マカラスにめちゃくちゃにされた私がとぼとぼ歩いていた通りだ。まさにこの上り車線側の歩道を、コロンバス
"何も訊かずにマカラスの家に来て"
十分ほど前、電話を取るなりぐらはそう言った。
状況は全然わからない。ひょっとしたら交渉が上手くいかず、ぐらのほうが逆に脅しに屈してしまい、今から3Pでもさせられるのかもしれなかった。いや、ぐらに限ってそれはない。それに電話の声は切羽詰まっていたけれど、悔しさとか絶望感とか、そんなのは一切感じられなかった。
一体何があったんだろう?
公園沿いの通りから83丁目に曲がり、
門の前に立った私は、そのまま足が地面に縫い付けられたかのように立ちすくんでしまった。あの日の出来事が脳裡によみがえる。男の猫撫で声。女の嬌声。目もくらむような快楽。終わりの見えない凌辱。
私は目を瞬き、門柱に手をついて身体を支えた。息が上がり、脂汗が垂れる。
大丈夫、ここにはぐらがいるはず。彼女がいるなら、私は耐えられる。
「ふーっ......」
門柱の化粧煉瓦に爪を突き立て、深く息を吐くと、私は目を上げて、
ドアはすぐに開いて、親友が少し青白い顔を出した。
「入って、早く」
「こっち」
短くそう言って、あの応接室へと歩いて行く。その先で起きた出来事をなるべく思い出さないようにしながら、後へ着いて行った。
「えっ......」
部屋に入った瞬間、私は絶句した。マカラスが死んでいる。肘掛椅子の上で、血を流して。
一つには想定外だったこともあり、私が真っ先に感じたのは安堵でもざまあ見ろという感覚でもなく、ショックだった。死体を見た時に、普通の人間なら大抵感じるショック。
ぐらがやったんだろうか? いや、ぐらは銃を使えない。ナイフでやったなら、ぐらは返り血にまみれているはずだ。でも彼女のブルックス・ブラザーズ誂えのチェスターフィールド・コートと、フローシャイムの靴には染み一つ無い。ぐらがやったんじゃない。
「先を越されちゃった」
ぐらがぽつりとそう言った。言葉のわりに、あまり悔しそうではない。当然の報いだ、と言う感じの響きが微かに感じ取れた。
「ワトソン、そこの金庫は開けられそう?」
「金庫? いや、厳しいわ」
あの日、私の書類を仕舞い込んでいた金庫は、チャブ社の銘板が掲げられていた。私では到底無理。
「あ、でも、マカラスが死んでるなら、どこかから鍵を見つけ出せないかしら」
「鍵か。ちょっと待って」
チャブ式検知錠を本物の鍵で迂回できるなら、話はだいぶ簡単になる。
ぐらは死んだ男の喫煙服を探って、首から下げられたチェーンにぶら下げられた鍵を見つけ出した。
「これかな。チャブって書いてあるし、二組だし」
小さい方は検知鍵だろう。チェーンごと受け取って、大きい方の鍵を金庫の鍵穴に挿し込み、捻る。がちゃりと音がしてタンブラーが回った。大正解。
「オーケイ。じゃ、後はダイヤル錠ね」
「任せたよ。アタシは他の部屋を見て回ってくるから」
金庫破りをするとき、私は自分の側に誰もいてほしくない。ぐらはそれを知っているから、そう言って私を一人にしてくれた。それでもこの部屋に私を一人にするのは気が進まなかったらしく、ドアのところから「大丈夫?」という問いかけを含んだ視線を投げてきた。頷き返すと、ぐらはドアを閉めて立ち去った。
大丈夫。心細いけれど、大事なのは金庫と二人きりになることだ。マカラスはもう死体で、私に手を出すことはできない。全部頭から締め出せ、アメリア・ワトソン。
コートを脱いでソファの背に放り、タイを緩め、シャツの一番上のボタンを外す。
「さあて、始めましょうか......」
三十分ほどかけて、アタシは邸内を見て回った。居心地のよさそうな居間、豪華な
「主に使用人からネタを買ってたって聞くし、自分とこの使用人もあんまり信用してない感じだな、これ」
それでも使用人を雇ってたのは、金持ちゆえの見栄だろうか。クロニーをはじめマフィアたちでさえ、執事やメイドを雇ってるわけだし。
「
デスクや金庫があったわけだし、たぶんそうだろう。
「アメはそろそろ、あの金庫を開けれたかな......」
アタシは廊下に敷かれた高級な絨毯――毛足が長くて靴が沈み込むみたいだ――を踏んで、玄関脇の応接室へと取って返した。