Bad Apple   作:Marshal. K

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Cross the Boarder #3

 

 8:50 AM, Dec. 25th, 1943, Gura's Apartment, Upper East Side, NYC

 

「どうぞ、マーム」

「ありがとう、ヴィック」

 

 レノックス・ヒルにあるぐらのアパートメントに着くと、ドアマンのヴィックがタクシーのドアを開けてくれた。運転手に料金を払って車を降りると、手提げ鞄を受け取ろうとしたヴィックに手を振って、代わりに25セント銀貨(クォーター・ダラー)を渡しながら訊く。

 

「ぐらの車を出してもらえるかしら?」

「もちろん、構いません。おい、18番の車を出してくれ!」

 

 ヴィックの掛け声に応じて、玄関脇に控えていた駐車係(ヴァレー)がさっと玄関に入って行った。

 

「少々お待ちください、ミス・ワトソン」

 

 車を待つ間に、キャメルを銜えて火を着ける。寝不足でしょぼしょぼの目に、煙草の煙はひどく沁みた。

 

「すみません、ミス・ワトソン」

 

 顔をしかめて一服したところで、玄関からベルマンのジョーが顔を出して、声をかけてきた。

 

「フロント・デスクにお電話が入ってます。アイリス様という方が、至急お話したいとのことで」

 

 地下駐車場に繋がるスロープを青いクライスラーが登ってくるのが見え、私はちょっとだけ、このまま無視することも考えた。しかし相手が相手だ。評議会(カウンシル)の相談役にして秘匿連邦捜査官様を無視するのは、いい手とは言えないだろう。

 

「今行くわ」

 

 火を着けたばかりのキャメルを側溝に投げ捨てて、私は玄関ホール(ホワイエ)に入った。ジョーに促されて電話ボックスの一つに入り、外されている受話器を手に取る。

 

「あのね、私は今すごく急いでるの。夜に、いや明日に出来ないかしら?」

"そっちの状況はわかってるよ"

 

 電話の向こうのアイリスは、そう淡々と答えて続けた。

 

"これから子羊の群れが向かう先を、よく覚えておいて"

「は、それがどういう......」

 

 訊き返した時にはもう、私は切れた電話に向かってしゃべっていた。悪態をついて受話器をフックに叩き付けると、電話ボックスを出て、駐車係(ヴァレー)に渡すチップを探りながら外へ向かった。

 

 

 

 0:12 AM, Dec. 26th, 1943, NY Route 25, Suffolk County, NY

 

 深夜のブロンクス=ホワイトストーン橋を、GMCのトラック六台からなる車列が走って行く。私は再び二台目のGMCの運転台に座って、大きなハンドルと遠くて重いペダル――そして気を抜いたら引っ付きそうになる目蓋――に苦戦しながら運転していた。

 橋を渡り切ってロング・アイランドに入った車列は、ニューヨーク州道25号を東に折れて市境をまたぎ、ナッソー郡を通過してサフォーク郡に入っていた。

 まもなく車列は小高い丘を登り、その中腹にある倉庫のような建物の前で止まった。他のトラックから次々と男たちが降りるのを見て、私もエンジンを切ってキーはそのままに、運転台からぴょんと飛び降りる。

 

「お疲れ様」

 

 廃倉庫のような建物から、一人の女の子が出てきた。秋の枯葉のような茶髪をポニー・テイルにまとめていて、どことなく気が抜けるふわふわした声音をしている。

 

「後はこっちでやっとくから、今日は解散でいいよ」

 

 その言に従って男たちが三々五々に帰りはじめたので、私もそのまま倉庫の敷地を後にした。

 車列の一番後ろについて来ていた青い41年式クライスラー・ニューヨーカーは、門のところに停まっていた。その助手席に滑り込む。

 

「お疲れ、ワトソン」

 

 運転席でハンドルを握るぐらが、葉巻を銜えたままねぎらいの言葉をかけてくれたけれど、ニューヨーク=シラキューズ間の強行軍から一息つく間もなくシラキューズ=サフォーク間の強行軍に参加する羽目になった身として、返す言葉もなく私はシートに沈み込んだ。煙草を喫いたいけれど、キャメルのパックを取り出すのさえ億劫だ。

 留置場にいる間は煙草を喫わせてもらえなかったと見えて、ぐらはダンヒル輸入品のキューバ葉巻をばかすか灰にしていた。灰皿には灰がてんこ盛りで、ちびた吸殻が半ダース程、灰の山にトゲのように突き刺さっている。車内はハバナ莨の煙で霧がかかったようになっていた。もうこの煙でいいや。

 ぐらが吐いた煙を煙草代わりに吸っていると、急激な眠気に襲われた。「コモドア・ヴァンダービルト」号の中で眠ったのも一時間足らずだったから、三十時間近く寝てないわけだ。

 

「ごめん、ぐら。私、ちょっと眠るね......」

 

 最後まで言い切る前に、私の意識はすとんと闇の中へ落ちて行った。

 

 

 

 

 

 「ごめんって言うのはアタシのセリフだよ」って言おうとしたけれど、その前にアメの方からすうすうと寝息が聞こえてきて、アタシはそのまま言葉を呑み込んだ。

 本当に、今回の件はちょっとした気分転換にピクニックとドライブ気分で行くつもりでアメを誘ったんだ。ところが、蓋を開けてみればこれだ。

 アタシは汚い監房――窓は嵌め殺しで、饐えた大小便と反吐と汗の臭いに満ちていて、壊れた水洗便器の代わりに尿瓶と盥が置かれていて、縁の欠けた水瓶には油虫が浮いていて、毛布には蚤がたかっていた――に十八時間近く拘束され、アメはたった一人でニューヨークとシラキューズの強行軍を行う羽目になった。

 

「くそ、なんでこんなことに......」

 

 イライラと呟き、すっかり短くなった七本目の葉巻を灰皿に突っ込んだ。コートのポケットから葉巻入れ(シガー・ケース)を取り出してぱちっと開いたけれど、いまもみ消したのが最後の一本で、アタシは小さく唸り声を上げて蓋を閉じ、ポケットに戻した。

 

 クロニーがシラキューズの署長に賄賂を払わなかったとは考えにくい。今は亡きけちんぼのマドゥンとかならともかく、そんなことをすればこうなる――カナダの密輸業者はこっちの警察ともしっかりつながっているから――のは瞭然なんだから、密輸酒がそこまで大きなビジネスでないとはいえ、そこをケチる意味はない。

 署長が倍の賄賂を欲しがったのか、という疑いもあったけれど、この可能性も低い。釈放される前に署長とは、汚職警官(ダーティー・コップ)のよしみでちょっと肚を割った話し合いをしたけど、彼が賄賂を受け取ってないのは明らかだった。

 となると必然、クロニーと署長の間に立つ誰かさんがネコババをしたことになる。

 

「そう言えば、クロニーはアタシが裏切ってないか疑ってたんだよね......」

 

 クロニーの側の仲介役は、たぶん正規構成員の誰かだろう。実際に運ぶのはその傘下の準構成員あたりだろうけど、そんな下っ端がクロニーのものとわかってる二千ドルを着服するとは考えづらい。そんなのは手の込んだ自殺も同然で、まともに学校に通ってないチンピラでも理解できることだ。

 だから着服している人間がいるとすれば、それは警察側の誰かか担当構成員かのどっちかになる。

 

「アタシ、結構妬まれてるからなあ......」

 

 クロニーのところの正規構成員(マフィオーソ)のほぼ全員は、アタシの失脚を望んでいると言っていいだろう。極論、その全員が結託してアタシを嵌めようとしている、と言われても全然不思議じゃない。

 普通、犯罪一家(マフィア)はその血の掟(オメルタ)の内側に"青い血(おまわり)"を入れたがらないものだ。ところがクロニーはアタシを実質的に構成員として扱っている――しかも掟の縛りなしに――し、それどこか重宝してさえいる。当然、他の構成員たちは面白くないに決まっている。

 身内での権力レースを始める前に、結託して邪魔なサメを水揚げしてしまおう。あいつは家族(ファミリー)じゃないからな......うん、充分あり得る。

 

「うん......」

 

 アメが何やら唸って寝返りを打った。悪夢に襲われてるのかと思って視線を向けたけれど、その寝顔は安らかだ。とりあえず、今のところは大丈夫そう。

 

「やっぱり、クロニー周りは慎重に慎重を重ねるに越したことは無いな......」

 

 車はクイーンズボロ橋を渡ってマンハッタンへ入ろうとしてた。安息の我が家まで、あと少し。

 

 

 

 1:03 PM, Dec. 28th, 1943, IRyS's Apartment, Upper East Side, NYC

 

「おはよう、アメ」

 

 それから二日後の昼、私はアイリスのアパートメントを訪れていた。例によって執事さんではなくアイリス自身が案内に出てきて、以前来た居間ではなく書斎に私を通した。

 書斎には先客がいた。

 濃紺のビジネス・スーツに身を包んだ痩身の男だ。縁の細いの眼鏡をかけているけれど、そう度が強いものじゃない。手足のどれかが欠けているわけではなく、不自由があるわけでもなさそうだ。しかしその肉体でその年恰好なら、普通は徴兵されていて、軍服を着ているはず。琥珀色の液体が入ったショット・グラス片手に、ソファの一つにくつろいだ様子で座っていて、一見すると弁護士か税理士みたいな印象を受ける。でも、眼鏡の奥の切れ長の目が放つ光は、弁護士や税理士ではありえない。つまり。

 

「紹介するよ、アメ、彼はカール。下の名前は教えられないけど」

 

 カールと呼ばれた男が立ち上がって、軽く礼をした。育ちが良いことを保証するような、優雅な動きだ。しかしいかにも役人臭い、気楽な横柄さがある。

 

「彼は連邦麻薬局(FBN)の捜査官なの。カール、こちらアメリア・ワトソン。とっても信頼できる協力者さんだよ」

 

 私はアイリスの背中に向かって思いっきり歯をむき出した。こっちをぐらの件でがちがちに縛り付けて置いて、"とっても信頼できる"なんて、どの口が言うの。

 

「さっそくだけどアメ、カールはあなたが付き添った"子羊の群れ"がどこの牧場に向かったのか、とっても興味があるんだ。教えてあげてくれないかな」

「ちょっと待って」

 

 私はさっと手を挙げて、アイリスを遮った。

 

「あれは確か、密輸酒の輸送車列だったはずよ。内国歳入局(IRS)ならともかく、なんで連邦麻薬局(FBN)が?」

 

 カールから目で振りを受けて、アイリスが答える。

 

「クロニーはね、ハリファックスに手下たちがいるの。アメ、ハリファックスはわかる?」

「わかるわよ。ノヴァ・スコシアの港町でしょ?」

「せいかーい」

 

 話しながら、アイリスは頼んでもいないのにブランデーを注いで、グラスを私の手に押し付けてきた。それを舐めながら、続きに耳を傾ける。

 

「あそこからは、イギリスやソ連を援助するための船団が出てるわけだけど、クロニーはその貨物からちょっとずつ――本当にちょびっとずつ――医療物資のモルヒネをくすねてたの。41年からずっとね」

 

 自分はお酒ではなく、ダビドフの細身の紙巻煙草に火を着けて、アイリスは続けた。

 

「それがある程度貯まったから、先日こっちに持ち込んだんだよ」

「待ってよ。軍用モルヒネって確か、歯磨き粉のチューブみたいな注射器に入ってるんじゃなかった?」

 

 私の記憶が正しければ、トラックに運び込まれていた荷物は木箱に入った半ガロンの硝子壜だったはずだ。ラベルは無かったけれど、どうみても酒壜だった。

 

「だろうね。でも、その中身まで調べた? 栓を開けて匂いを嗅いだり、舐めたりとかは?」

「してない」

 

 そら見ろ、と言う表情でアイリスは私を見て、ふと話題を変えた。

 

「ところで、行先の牧場で女の子を見なかった?」

「え? ええ、見たわ。茶髪で、私と同じくらいの背格好で、ふわっとした物言いの子......」

 

 にんまりとした表情を崩さず、アイリスは言った。

 

「じゃ、あなたは評議会(カウンシル)の"知恵袋(アイデア・ガール)"に会ったわけ」

「"知恵袋(アイデア・ガール)"......七詩ムメイ?」

 

 評議会を構成するボスたちの一角にして、評議会が経営する様々な悪徳ビジネスの考案者であるという"知恵袋"が、あの子?

 

「待って、それでもわからないわ。仮にあの子がムメイだったとして、なんでクロニーは、密輸したお酒――あなたたちが言うにはモルヒネらしいけど――を彼女のところに運び込む必要があるわけ?」

「精製するのさ」

 

 ここでようやく、カールとかいう麻薬捜査官が言葉を発した。ソファから立ち上がり、どことなく高慢な態度で訊いてきた。

 

「化学の問題だ、ミス・ワトソン。モルヒネは阿片を精製したものだが、それをさらに精製すれば何になる?」

「......ヘロインね」

 

 それくらいは、私でも知っている。

 ヘロイン。薬化学的にはジアセチルモルヒネ。今世紀の初頭に、ドイツの製薬会社が発明した麻薬だ。彼らは精製阿片、すなわちモルヒネの中毒性を危険に思い、モルヒネをさらに精製すれば麻薬物質と中毒物質を分離できるのではないかと考えた。そうして"安全な麻薬"として世に出されたのがヘロインだった。

 しかし実際には、向精神作用を持つ物質と中毒作用を持つ物質はイコールだったから、モルヒネよりもさらに危険な"死に至る麻薬"が生まれてしまったのだけれど。

 とはいえ、ヨーロッパの人々もそれに気づかないほど鈍感ではなかった。十年ほどで違法麻薬に指定されて回収が始まり、アメリカでもさらに十年遅れで医薬品認定が取り消されている。しかしながらその十年から二十年の間にヘロイン中毒の患者は爆発的に増え、規制されたヘロイン工場は地下に潜って摘発を困難にした。違法麻薬市場に大量のヘロインが出回り、ほんの少量で陶酔状態になれるその薬は、大麻や麦角や覚醒剤よりも値段を吊り上げやすく、たちまち"麻薬の王様"の地位に君臨した。

 

「でも、今のアメリカではほとんど流通していない。なぜなら......」

「なぜなら、大規模なヘロイン工場はヨーロッパにあるから」

 

 私が声に出して考えていると、その後をカール捜査官が受けて続けた。

 

「大西洋にドイツ潜水艦(Uボート)群狼(ウルフパック)がうようよしていたから、ヘロインの密輸など夢の又夢だった。物資救援のために国産のケシもモルヒネも流通管理が厳しくなって、国内の中小工場もばたばた潰れた。売人共は小麦粉やらなんやらで混ぜ物をして、わずかな在庫で辛うじて食いつないでいる状態だ」

「でも、クロニーはモルヒネを手に入れた。ええっと......」

 

 半ガロン壜一ダース入りの木箱が、一台あたり十箱積まれていたはずだ。そのトラックが六台。

 

「つまり......積荷は三百六十ガロンのモルヒネだったってわけ?」

「そういうことだ」

「そこからどれくらいの量のヘロインができるの?」

 

 途方もない分量に声が震えるけれど、好奇心が勝った。カールはちょっと眉根を寄せてから、慎重に答えた。

 

「化学というやつはいいかげんだからな......精製方法次第だが、以前七詩が覚醒剤を精製してた時の手際を見るに、八十五ポンドってところだろう。ご参考までに付け加えると、現在のヘロインの末端価格は1ポンド800ドルだ」

 

 戦前の三倍に跳ね上がっている。在庫が少ない上に末端では混ぜ物だらけとなれば、当然か。

 

「とすると、単純に六万八千ドルは儲かるわけね」

「途中で値崩れするだろうから六万ってところだろう。"調達"に一万、設備投資に二、三万はかかっているはずだから、利益も二、三万ドルってところだな」

「思ったより薄利なのね」

「設備投資分があるからな。だが次からは調達の一万ちょっとだけが費用になる。相場は六百を下回りはしないだろう。たぶん、七百あたりで安定するはずだ。それ以降は約五万の利益が見込めることになる。"調達"はあと二回分あるはずだから、最終的には十二、三万ドルぐらいの黒字が見込めるわけだ」

 

 十三万ドル。途方もない金額だ。私の年収だってその100分の1に満たない。

 

「そして、考えてみたまえ。ニューヨークの、いや全米の薬中どもは麻薬に飢えている。覚醒剤やヘロインには小麦粉やらふくらし粉やらが添加され、乾燥大麻(マリファナ)にはそこらへんの雑草が混ぜ込まれている時代だ。そこに混ぜ物無しの高純度ヘロインがどっと供給されたらどうなる?」

「......中毒患者の山ができあがるわけね。いや、死体の山かもしれない」

「そういうことだ」

 

 私は気持ちを落ち着けるために、グラスのブランデーを舐めた。十三万ドルは確かに途方もない数字だけれど、何十万人もの中毒患者たちと何千人もの死者たちの人生の対価としては、あまりにもちっぽけだ。

 

「サフォーク郡の山奥よ。郡境から州道25号を東に......」

 

 アイリスがテーブルの上に置いていた地図を使って、私は過日のトラックのルートを辿りはじめた。

 

 

 


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