Bad Apple   作:Marshal. K

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Bait on the Hook #4

 Jan. 7th, 1943, W 81st Street, Upper West Side, NYC

 

 私はアッパー・ウェストサイドの路肩に借り物の38年式シボレー・マスターを駐めて、ヒルデブランドの帰宅を待っていた。

 退勤後に彼が辿る道のりは常に同じだ。徒歩でクロノ・タワーに向かい、そこで秘密の仕事をして、再び徒歩で事務所のあるビルに戻る。駐車場から自分の車に乗って、アッパー・ウェストサイドの自宅に帰る。

 ここ数日はそんな規則正しいヒルデブランドのお尻を追いかけてたけれど、ある事情から、今夜の私はヒルデブランドの自宅付近で出待ちをしていた。

 

「さてと、そろそろ帰って来る頃ね」

 

 ガソリン節約のためにエンジンを切っていたから、車内はすっかり冷え切ってしまっていた。

 雪こそ降っていないものの、気温は氷点下にいってるはずだ。華氏三十度とか二十五度とか、それくらいだろう。その空気を取り込みたくなくて通風孔(ヴェント)は閉めっぱなしだったから、車内にはこの一時間で灰にした煙草の煙が、うっすらと漂っていた。

 チョークを入れてキーを捻り、始動ボタンを押し込んでエンジンをかける。目的の連中が来るまでは暖機運転だけで、排気ヒーターは切っておいた。

 

「お、来た来た」

 

 コロンバス街との角を曲がって、一台のビュイック・センチュリーが西81丁目に乗り入れてきた。通りをゆっくりと進んで、大きな庭付きの家の私道に曲がって行く。

 外から火を見られないよう、半分ほど残っているキャメルを灰皿につっこんだ。

 

「よし、今日も来てるわね」

 

 ビュイックと距離を置いて、一台のパッカード12型が81丁目にやってきた。ヒルデブランド以上に慎重に道を進み、彼の家の前でさらに速度を緩めて私道の奥にビュイックがあるのを確認すると、そのままアムステルダム街の方へ抜けていく。

 

出発進行(ヒア・ウィー・ゴー)

 

 パッカードが隣を通り過ぎて離れて行くと、私はそう独り言ちてシボレーを発進させた。クラッチを慎重に繋ぎ、アクセルを絞って、音で連中に気付かれないようにゆっくりと路肩から離れる。ヘッドライトは、アムステルダム街との角から点けた。

 

 

 

 11:55 PM, "The Swing Street", Midtown Manhattan, NYC

 

 スウィング・ストリート。あるいは大抵のニューヨーカーにはザ・ストリートというだけで通じるその界隈は、西52丁目の六番街と五番街の間のことを指していた。この辺りはジャズ・クラブがひしめき合っていて、伝説的なその名前の由来になっている。

 ブロードウェイをずっと下り続けたパッカードは、西52丁目との角で東に折れ、ちょうど帰宅しようとしている人々の車とタクシーで混雑したザ・ストリートにやってきた。

 

「この時間にスウィング・ストリートねえ。ジャズ・クラブそのものに用があるわけじゃなさそうね」

 

 シボレーをゆっくりと進めながら、私は呟いた。不自然でない程度に道を譲り、路肩を離れる車やタクシーを入れてあげる。

 そのうちに前方で、パッカードが路肩に寄るのが見えた。三軒隣のクラブの前にいた私は、丁度路肩から離れようとしていたシボレーのタクシーに道を譲って、パッカードの様子を観察した。

 男が二人、車から降りてキーを駐車係(ヴァレー)に預けた。

 

「ふーん......ますます興味深いわね」

 

 どこも店じまいの時刻なのだ。普通なら追い返される。とはいえ、このクラブにはちょっと心当たりがあった。

 私はそのままクラブを通り過ぎ、ザ・ストリートを抜けた。そのまま東52丁目をマディソン・アヴェニューまで進むと、北に折れてアッパー・イーストサイドを目指した。

 

「ロスト・ヘブン、か......」

 

 

 

 Jan. 2nd, 1943, Gura's Apartment, Upper East Side, NYC

 

「さてと、クロニーから仕事を引き受けることになったわけだし、アメが知っといたほうがいい事を教えとこうかな」

 

 クロノ・タワーでオーロ・クロニーから依頼――ぐらに言わせれば依頼と言う名の命令――を受け、クイーンズの褐色砂岩(ブラウンストーン)の家で鼻のテープを剥がれた後。ぐらは六時過ぎに帰ってきて居間のソファに落ち着くなり、そう切り出した。加湿箱(ユミドール)から葉巻を取ってこっちにも一本勧めてくるあたり、長くなりそうだ。

 

「クロニーとは対面を果たしたわけだけど、ニューヨークの裏ボスはあいつだけじゃないんだ」

「あんなのが他にもいるの?」

 

 あんなの呼ばわりがぐらのツボに入ったらしく、ぐらは葉巻用マッチに火を点け損ねた。長い軸が半分に折れて、先端部分がどこかへ飛んでいく。

 

「くふっ、あんなの、ふふふ......そう、あんなのがあと四人もいるんだよ」

「四人!?」

 

 ニューヨークは大きい街だ。アメリカ最大、いや世界最大の都市だ。そんな大都会の裏社会をたった一人の人物が切り盛りしている、とは思っていなかったものの、想像以上に人数が多かった。

 ぐらは新しいマッチを擦りなおして、自分の葉巻を炙りながら言った。

 

「そ。その五人が、地理的な境界線やシノギの分野ごとに、この街の裏社会を区切って仕切ってる」

 

 ぐらは火の着いた自分の葉巻を脇にやると、別のマッチを擦って私の前に差し出してきたので、ありがたくその火を使わせてもらった。あまり吹かさず気長に炙っていると、口の中にハバナ煙草特有の強い甘みが広がりはじめる。

 充分火が着いたと判断して火先を引くと、ぐらはちびたマッチを灰皿に放り込んで講釈を続けた。

 

「オーロ・クロニーはマンハッタンのほとんど全域を支配下に置いてる。麻薬とか売春とかのお決まりのやつから、お酒の密造、盗難美術品の密輸、武器商、組合トロール、現代版奴隷市場までなんでもアリ」

「途方もない話ね」

 

 こんなことになる前に同じ話を聞いても、一笑に付しただろう。そんな大悪事を働いてる人間が、どうやって大手建設会社の社長なんて表の顔を保っていられるのかって。ぐらはその質問を先回りして答えた。

 

「クロニーは役人を買収してるからね。連邦、州、市のどのレベルでも、実権を握ってたり実務を担ってたりする連中の半分は、クロニーから金を貰ってる。この市に限って言えば、九割方はクロニーに逆らえない。金で言うことを聞かない人間は、弱みを突いて強請る」

「それでも言うことを聞かなかったら?」

「始末して、扱いやすい人間が後任に来るように計らう。ここの動きがすっごく早いんだ」

 

 ぐらは感心するような口調で、ぷかっと紫煙を吐いて続けた。

 

「そいつがクロニーのことを告発する暇も与えない。不慮の死を遂げたり失踪したり、やり方は色々だけど、調べる当局がそもそも買収されてるんだから永遠に解決しない」

「そして自分は富も名誉も手に入れる。表でも裏でも」

 

 その通り、と言わんばかりに葉巻を軽く振って、ぐらは続けた。

 

「と言っても、何もかもを手中に収めてるわけじゃない。マンハッタン以外の地域は他のボスが仕切ってて、クロニーは"影響力がある"程度にとどまる。その辺の均衡を崩さないために評議会(カウンシル)があって、利害の対立は戦争じゃなくてそこでの話し合いで決めることになってる」

「へー......で、他の四人って言うのは?」

「今はまだ知らない方がいい......って言いたいところだけど、クロニーの依頼が依頼だからね」

 

 ぐらは溜め息のように煙を吐いた。

 

「クロニーに次いで勢いがあるのがハコス・ベールズ。ブルックリンが主な支配地域だけど、マンハッタンにも飛び地をいくつか持ってる。いや、あれは持ってるって言っていいのかな......」

 

 ぐらはソファにもたれかかると、ふーっと天井に紫煙を吹き上げた。

 

「ベーは何て言うか......趣味が悪い」

「どういうこと?」

「ヘルズ・キッチンとかハーレムとか、あの辺りって地回りのチンピラたちの抗争が絶えないでしょ?」

「そう聞いてるわ」

 

 黒人系やヒスパニック系のギャング――と言えるほどの統制は無いらしいけど――たちが、永遠に内輪揉めを続けている地区だ。方針が違うとか宗教が違うとか、言葉とか出身地とかで細かい派閥があるらしいけれど、外からはよくわからない。

 

「ベーはわざと、自分が利権を持ってる地域の諍いの種をそのままにしてる。そこから生まれる混沌を眺めるのが愉しいんだって」

「......ちょっと理解できないわ」

「理解出来たら、アメはベーの後を継げるよ......さておき、悪趣味女はギャンブル狂でもある。自分でも打つし、胴元もやる。つまるところ、ニューヨークの違法賭博はぜーんぶ、ハコス・ベールズに繋がってる」

「ひょっとして、ヘルズ・キッチンとかをほったらかしにしてるのって......」

 

 ぐらがにやっと笑ったけれど、その笑みにはどこか疲れたような風があった。

 

「大正解」

 

 私は何も言えずに顔を覆った。そのベールズとかいう女ギャングは、闘犬の感覚でチンピラ同士に抗争を起こさせ、それを賭け事にして稼いでいるのだ。彼女と、幸運な博打打ちたちの儲けの下で、一体何人の人間が命を落としてるんだろう?

 

「わかんない。市警もあのあたりの界隈にはめったに手を出さないから、まともな統計なんてないし」

「それでよく苦情が来ないわね。この街でも治安最悪な地域をほったらかしにしといて」

「来るわけないじゃん。殺し合ってるの連中が連中だもん。黒公(ニッグ)とかスペ公(スピック)とかは生まれつき野蛮だから殺し合うんで、止めようがない。彼らが白人に手出ししないなら、後は白人がその地域を避ければいい。ってのが善良な一般的アメリカ人(ソリッド・ジョー・シチズン)の考えだからね」

「......」

 

 言い返そうとして、私は黙り込んだ。そういった感覚が私の中に無いって、どうして言い切れる? 息をするように肌が白くない人間を野蛮人と決めつける国に、肌が白い人間として生まれ育った以上、まるでお国柄のようなその意識が存在しないなんて、どうやって断言するって言うの?

 そしてハコス・ベールズは、そんな白人たちの差別――意識的にせよ無意識的にせよ――を利用して稼いでいる。

 自分も無意識的に加担している可能性に気付いて自己嫌悪に陥りかけたところで、ぐらが咳払いをして注意を戻した。

 

「悪いけど、自己嫌悪の毒で自家中毒を起こすのは後にして。この講義は今夜中に済ませたいから」

「ごめん......」

「三人目は七詩ムメイ」

 

 ぐらは今までと変わらない、淡々とした口調で講釈を続けた。責めるわけでもなければ、私を労わるわけでもない。一番欲しいものではなかったけれど、とにかく気持ちを仕事モードに戻すことができた。

 私立探偵アメリア・ワトソンでいる間は、自分のことでも非情に、冷静に脇に置いておける。自分を責めるのは後でいい。

 

「ムメイはカウンシル随一の知恵袋(アイデア・ガール)だよ。いっつも何かを考えていて、それをメモに取ってる。それが自分のシノギに生かされることもあるけど、大抵は他の連中の商売を助けてる。本人が覚えてられないんだよ」

 

 私の質問を先読みして、ぐらはそう答えた。

 

「極度のシングル・タスクで、思考が切り替わったらその前に考えてたことはコロッと忘れちゃう。だからメモを取ってるわけだけど......声に出して考えてることもあって、その場にいた他のボスにアイデアを盗まれることも多い。そしてその誰かがアイデアをモノにした頃には、ムメイは誰が発案者なのかを覚えてないってわけ」

「それ、聞く限りだといいように利用されてるって印象を受けるんだけど」

 

 ぐらはにんまりと笑って答えた。

 

「もちろん、その程度じゃカウンシルに名を連ねることはできないよ。ムメイはブロンクスと、大陸側のニューヨーク州のほぼ全域を支配下に置いてる。オルバニーは当然クロニーの方が強いけど。でも、国境辺りは完全にムメイのシマ。米加国境を越えて違法な何かをしたいなら、ムメイに話を通さなきゃいけない。この利権がとんでもない利益を生むんだよ」

 

 長くなってきた灰を灰皿に擦り付けながら、ぐらは続けた。

 

「州内のあちこちに、彼女自身が発案した色んな工場を建てて、成果物を他のギャングたちに売り捌いてる。密造酒、覚醒剤、ヘロイン、量産拳銃(サタデーナイト・スペシャル)......イナが言うには、どっかに偽造名画の工房も持ってるらしい」

 

 知恵袋の名は伊達じゃなさそうだ。自分でしっかり扱えてる分だけでも、相当な利益を生んでるのは間違いない。

 

「ムメイはギャング向けのサービス業もやってる。家具屋とか、葬儀屋とか、配管屋とか」

「それのどこがギャング向けなの? 葬儀屋はわかるけど」

「全部ダミーなんだよ」

 

 ぐらは喉の奥をくっくっと鳴らして笑った。

 

「家具屋は家具の中にトミーガンをいれてデリバリーするし、葬儀屋は上げ底の棺桶を使って、カタギの死者と一緒に"死体が見つかったら困るヤツ"を埋葬する。配管屋は屋内に発生した血の風呂を処理して、証拠を綺麗さっぱり下水に流すのがお仕事ってわけ」

「なるほど、だいたい呑み込めて来たわ」

 

 それが彼女たちの秘密を守り続けてるわけだ。

 

「四人目はファウナ・セレス。麗しのクイーンズとロング・アイランドの全域――ブルックリン以外は――を支配下に置いてる。カウンシルで一番の穏健派で、シノギの種類も保守的。本人の信条で麻薬と売春を扱わないんだよ」

「珍しいわね」

 

 ぐらはきゅっと肩をすくめた。

 

「良く言えば昔かたぎ、悪く言えば古臭いってところ。主な収益は建設業界への組合トロール、公共事業ゴロ、土地転がし、銀行強盗、酒、銃、賭博。そんなところ」

「待って。建設業界への組合トロール?」

 

 私は慌てて口を挟んだ。

 

「クロニーはどうなってるの?」

「いいとこに気付くじゃん」

 

 さも愉快そうな笑みを浮かべて、ぐらは答えた。

 

「ファウナはクロニーがバンクロニーを立ち上げるよりもずっと前から、事業者連合と労働組合の双方から建設業界を支配してた。静かに、粛々とね。クロニーがそれに気付いたときには、もう遅かったの」

「なんとまあ」

 

 最大勢力のボスが、一番穏健派のボスに首輪をつけられてる状態なのか。なんだか三すくみみたいで面白い状況だ。

 

「五人目は九十九サナ......だったんだけど、彼女は引退したの。今は五人目の席は空席になってる」

「空席? じゃ、そのサナって人が持ってた利権は?」

「宙ぶらりん」

 

 紫煙を吐き、足を組みかえてぐらは続けた。

 

「サナはリッチモンド郡と、ハドソン川沿いのニュージャージー州を支配してた。NYNJ州境を越えて違法なことをしたいなら、昔はサナに筋を通す必要があった。これもなかなか金になるの。知っての通り州境をまたいだ途端に、この国の警察の連携度合いはがくっと落ちるからね」

 

 自嘲するようなぐらの笑みから見る限り、ニューヨーク市警察とニュージャージー州当局――ハドソン川沿岸の保安官事務所や地元警察署――の関係がギクシャクしたものなのは間違いなさそうだ。

 

「州警察同士の関係はそこまで悪くないんだけど、市警は州警と仲が悪いから。港湾利権はクロニーが握ってたけど、造船業はサナが支配してたね。ブルックリンのベールズ、ニュージャージーのサナ」

「で、その宙ぶらりんの利権はどうなったの?」

「戦争になりかけたんだけど、カウンシルの存在があったからね。話し合いで解決するってことになって、もう何年も経つ。実務としては、カウンシルの相談役が運営管理を代行して、収益は積立金に入ってる」

「その相談役って?」

「これはアメも知ってる人だよ」

 

 にんまりと、今日一番いたずらっぽい笑顔を浮かべて、ぐらは言った。

 

「アイリス。"ロスト・ヘブン"の支配人兼専属シンガー。そしてカウンシルの相談役」

 

 

 

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