Bad Apple   作:Marshal. K

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House Keeping #2

 11:03 PM, Singer Tower, Financial District, NYC

 

「あっ、くそ......」

 

 ピンが下まで落ちる小さな音がして、私は何度目かわからない悪態を吐いた。

 

 これを読んでいる善良な読者諸氏のために、ロック・ピッキングの基礎についてちょっと触れておこう。

 私が前にしているピンタンブラー錠という錠前は、円筒形のタンブラーと、プラグというタンブラーよりも一回り小さな円筒、そしてその二つを繋いで固定するピンで構成されている。プラグは奥のデッドボルトに繋がっていて、プラグが回転するとデッドボルトが引っ込んだり、出っ張ったりするという構造だ。

 一本一本のピン――この錠前には4本のピンがある――は、実際には上下に分かれていて、上からバネで押し付けられている。このピンたちの上下の境目を、タンブラーとプラグの(シアー)に揃えてあげれば、プラグを自由に回すことができるようになる。これがピッキングの基礎だ。ピンが二列になったり、ウェイファーという板状のものに置き換わったりしても、基本は変わらない。

 

 では私、アメリア・ワトソンは何に苦戦しているのか? それはこの性悪錠前のピンが、セキュリティ・ピンという特殊なピンだからだ。

 セキュリティ・ピンには、ピッキングをする人間が上下の境目と勘違いするように、複数の刻み目が入っている。当然だけどあくまで刻み目であって境目じゃないから、これを揃えたところで錠は外れない。ミスター又はミズ・おばか(ダム)から室内の物を守るには、うってつけってわけ。

 ところで私は金髪だけど――そしてその綺麗さを多少とも誇りに思っているけど――、おばかな金髪女(ダム・ブロンド)*1じゃない。賢いアメリア・ワトソンは、セキュリティ・ピンの対処法も知っている。詳しくは企業秘密とさせてもらうけれど、大事なのは左手の加減だ。

 

「くそ、このままじゃホントにおばかな金髪女(ダム・ブロンド)の仲間入りよ、アメリア・ワトソン」

 

 溜め息を吐き、ドアを蹴飛ばしたい衝動を抑えながら、私は自分に言い聞かせた。左手の加減をすでに三回も失敗していて、ちょっとばかり焦ってもいた。暖房の切れたオフィスでコートを脱いでいるにも関わらず、この五分ほどですっかり汗びっしょりだ。シャツと、その下のシュミーズが体にぺったり張り付いて、少々気持ち悪い。

 ちょっとだけ息をついてから、右手のピックと左手のレンチを持ち直して、仕事を再開する。

 

「よし、ピンは揃った。少しずつ......少しずつ......」

 

 テンション・レンチにかけるトルクを、ほんの少しずつ緩めていく。

 カチリ。ついにシアー・ラインが揃う音がして、プラグがぐらりと動いた。喝采を叫びそうになるのを堪えつつ、レンチでプラグを回転させる。ガチャリと音がして、デッドボルトが錠箱(ケーシング)の中に引っ込んだ。私の勝ち。

 バター・ナイフで仮締(ラッチ)錠をこじ開けて、私はようやくゴールドバーグ弁護士のオフィスに侵入した。

 

 

 

 00:08 AM, Mar. 8th, 1943

 

 丸一時間ほどかけた執務室内の捜索は、今のところ空振りに終わっていた。本棚、書類整理棚(キャビネット)、デスクの上、抽斗の中を注意深く見て回ったものの、収穫はゼロ。加えて侵入の痕跡を残さないため、調べた本や書類は丁寧に元の位置に戻すよう気を使わなくちゃいけなくて、精神的な疲労もかなりのものだった。

 

「くそ、これじゃあの性悪錠前に苦労させられ損じゃない......」

 

 実のところ、このオフィスに"抵当品"があるとは全然期待していなかった。夜間休日に無人になるような場所に、そんな重要なものを置いておきたがるとは思えない。特にゴールドバーグのような生粋の悪党は。

 とはいえ、オフィスの錠前が立派なものだっただけに、「ひょっとしたら......」って期待しちゃったのも事実だ。そうやって侵入者を期待させておいて、実は目当ての物が無いって状況に落とし込んで落胆させるためにあの錠を付けたのだとしたら、その目論見は現在進行形で成功している。

 

「残るはこの金庫だけか」

 

 部屋の片隅に鎮座している、ダイヤル錠の付いた金庫を前に、私はそう呟いた。床置き式で、私の胸くらいの高さがある。

 金庫の前に跪くと、ダイヤルを手に掛けてゆっくりと回した。指先にディスクの切れ目の引っかかりを感じると、折り返して次のディスクを探る。一、二、三、四......四枚だ。

 続いて扉に誇らしげに貼られている金属板からメーカー名を読み取る。頭の中の台帳をめくって、この会社が四桁のダイヤル錠金庫に設定している初期設定番号の組み合わせを思い出し、六通りほどのそれを片っ端から試していく。と、二通り目でがこっとレバーハンドルが動いて、ぶっといボルトが厚い鋼板の扉の中に格納された。

 

「うわっ......じゃあこの金庫の中もハズレっぽいわね」

 

 金庫の組み合わせ番号を初期設定のままにしておく人の多さは、それは驚くべき程だ。しかし自分のオフィスのドアの錠を、あの性悪錠前に置き換えるほどにはセキュリティ意識の高い人間が、大事なものを仕舞っておく金庫の番号を初期設定のままにしておくとは、ちょっと考えられない。この金庫には、そう大したものは入ってなさそうだ。

 

「どれどれ......訴訟資料、訴訟資料......差し押さえの送達と抗告状のコピー......訴訟資料、ホントに大したことないわね」

 

 ゴールドバーグ陣営の出方を読みたい検事補や相手方弁護士には垂涎モノだろう資料が山を成していたけれど、生憎と私にとっては紙屑の山と同義だった。

 扉を閉め、ダイヤルを回してリセットし、私が弄る前にそうだったように"64"が一番上に来るようにしてから、金庫から離れた。

 

「はー、くそ、マジでなんにも無いじゃない。これじゃ本当に侵入し損だわ......」

 

 最後にダメ元でゴミ箱の中身を漁った。重要な書類は秘書室のシュレッダーにかけてしまうだろうし、一番見込みが薄い場所だ。

 

「"スミスに1887年3月の最高裁判決を再確認させる"......"抗告状の〆切、今日まで"......"Oのところに五百持って行かせる"......"今夜九時、コパ"......」

 

 くしゃくしゃのメモ用紙は、やることリスト代わりに使われているものらしい。

 

「これは?......電話代の請求書か。それからこっちは......貸金庫?」

 

 マンハッタン銀行(バンク・オブ・マンハッタン)からの、貸金庫利用料に関する請求書兼領収書だった。支払いは同行に開設されている銀行口座から引き落とされたらしい。

 

「ふーむ......」

 

 私はしばらくの間、その請求書片手に考え込んだ。

 この請求書の重要性はどれくらいだろう? 裁断せず、くしゃくしゃに丸めてゴミ箱に突っ込んでいるあたり、大したことは無いのかもしれない。あるいは、秘書の手に渡して裁断してもらうことすらできないほど重要なものかもしれない。マンハッタン銀行のセキュリティを信頼していて、知られたところで大したことはないと思っているのかもしれない。

 どうとでも取れる。

 

「一旦こっちは保留で......」

 

 とにかく、次のターゲットは彼の自宅だ。

 私はミノックスで貸金庫の請求書を撮影してから、オフィスを後にした。性悪錠前にもう一度言うことを聞かせて施錠しなければならず、今度は三分強に短縮できたものの、探索の間にあらかた乾いた汗がすっかり戻ってきてしまった。

 

 

 

 Mar. 8th, 1943, Amelia's Apartment, Greenwich Village, NYC

 

 翌日、私は昼前まで寝過ごしてしまった。シンガー・ビルディングから出て家に帰りついたのが1時前で、そこからさらに頭脳労働に小一時間程を費やした結果、ベッドに倒れ込んだのは2時前という深夜もいいとこな時間だった。寝るときは全裸派――なに、悪い?――な私も昨日ばかりは疲労困憊のあまり、コート以外の服と、汗をたくさんかいた下着を身に付けたまま寝てしまったことに気付いたのは、目を覚ましてからだった。

 ぬるいと冷たいの中間やや冷たい寄りのシャワーを浴びながら、洗濯カゴでクライスラー・ビルディング並みの高さになりつつある洗濯物の山に、昨晩使ったシーツを追加しなきゃいけないことを考えて私は暗澹たる気分になった。いつになったらあの山を処分して、ベッドの上で皺を付けてしまったシャツとスカートをプレスする時間を取れるんだろう?

 シャワーを終えて歯を磨き、リステリンで口を漱いで何とか人間らしい気分を取り戻してから、箪笥から最後の清潔な――ただし擦り切れてしまいそうな――下着を取り出して身に着けると、まだそこそこ着られる麻のブラウスにキュロット・スカートを合わせて部屋から出た。階段の公衆電話に行くだけだから、このくらいの格好でもいいだろう。

 幸いにも、1階と2階の間の踊り場に据え付けられた公衆電話機の前は無人だった。受話器を取り上げ、背伸びして5セント玉(ニッケル)を放り込み、記憶にある第14分署の番号をダイヤルする。

 

「......はい、こちらニューヨーク市警察局、オハラ巡査部長です」

 

 呼出信号一回で受話器が持ち上げられて、がらがらのアイルランド訛りの声がそう言った。

 

「こんにちは、部長(サージ)

「ああ、アメリアの嬢ちゃんか。"借金取り(ローン・シャーク)"ならいねえぜ」

 

 "借金取り(loan shark)"は、市警の同僚たちからぐらに贈られたあだ名だ。クロニーに代わって取り立てをしていたからとも、単独行動が多い事からついた"ひとりぼっちのサメ(lone shark)"が同音の別語に転じたとも聞いている。

 

「この時間にいたら驚くわ。伝言を頼みたいんだけれど、いいかしら?」

「ああ、いいぞ」

 

 言伝を終えて電話を切ると、今日はもう出社するのはやめにして――どうせ待ってる従業員もお客もいないのだ――洗濯にかかることにした。明日の下着が無いのは、やっぱり大問題だ。

 

 

 

 00:23 PM, Amelia's Apartment

 

 アパートメント・ビルの地下には、共用の電気洗濯機と脱水機と、染み抜きやらアイロン掛けやらの設備が置かれた家事室(ユーティリティ・ルーム)がある。電動機械の使用料は一回25セントで、洗剤とかは自己負担だ。

 階上で公衆電話機のベルが鳴った時、私はじめじめした薄暗いコンクリート打ちっぱなしの地下室で、キイキイ悲鳴をあげながら稼働する洗濯機を前に、部屋から持ってきたドライ・フルーツの缶詰をくちゃくちゃやっているところだった。缶にぽんと蓋をして、拷問並みに座り心地の悪い木製のベンチから腰を上げると、階段を登って一階に向かう。一階に上がりきったところでちょうど、目の前の管理人室のドアが開いて、奥さんが顔を出した。

 

「あら、あんたここで待ってたの?」

「下にいたんですよ。ベルが聞こえたので」

「あっそう」

 

 興味が無いみたいに装った声で、管理人夫人は続けた。

 

「あんたのガール・フレンドから電話だよ」

「ぐらはガール・フレンドじゃありません」

「へええ、そうかい」

 

 ことさら大げさにそう言って、夫人は管理人室へひっこんだ。私は階段を踊り場まで登ると、公衆電話の受話器を取った。

 

「もしもし?」

"おはよう、アメ"

「おはよう、ぐら。というかもうこんにちは、だけど」

"ああ、でもあんたはまだおはようでしょ?"

 

 無駄にするどいヤツめ。

 

「ええ、そうね。ちょっと直接会って頼みたいことがあるんだけど、時間はとれるかしら」

 

 どうせ管理人夫人は、管理人室の電話機でこの会話を聴いているだろう。テナントの部屋の鍵穴に目や耳をくっつけるタイプの人だから。

 ぐらもそれを知っているから、あえて反対はしなかった。

 

"いいよ。えーっとね......一時にオイスター・バーはどう?"

「一時半でいい?」

 

 とりあえず、いまフーバー洗濯機の中にある洗濯物を片付ける時間は欲しかった。洗濯して、脱水して、部屋に干すだけの時間が。

 

"一時半ね、いいよ"

「じゃ、また後で」

 

 

 

 1:30 PM, Grand Central Terminal, Midtown East, NYC

 

 昼過ぎのオイスター・バー・アンド・レストランはがらんとしていた。グランド・セントラル駅の地下にあるこのレストランは、昼のピーク・タイムには大勢の勤め人たちでにぎわうものの、彼らがオフィスに戻るべき時刻を過ぎた後はすっかり閑散としてしまう。

 私は吊り下げ照明の光を反射してキラキラ輝くグアスタビーノ・タイルのアーチ天井の下で、オイスター・チャウダーとポテト・サラダをつつきながら、ぐらがやって来るのを待っていた。

 ざっと見渡した限り他のお客は、昼まで商談が長引いたらしくカキフライ・サンドイッチを慌ててお腹に詰め込もうとしているビジネスマンと、生牡蠣とバドワイザーの壜を前に雑誌を読みつつ仕事をサボっているビジネスマンくらいのものだ。ウェイターたちは厨房に続くスイング・ドアの横で立ち話をしているし、バーテンダーはカウンターの内側で暇そうにしていた。

 

「お待たせ、アメ」

 

 ぐらはオイスター・バーに入るとがら空きの店内を見渡し、すぐに私を見つけて歩み寄ってきた。ウェイターの一人が世間話を切り上げて、炭酸水のボトル片手にやって来ると、慣れた様子でメニューも見ずに注文した。

 

「シュリンプ・サラダとデミタス。コーヒーはすぐ持って来て」

「かしこまりました」

 

 ウェイターはぐらのグラス――イナがいたらしばらく笑いが止まらなくなりそうなジョークだ――に炭酸水を注ぐと、注文を伝えに厨房へと下がった。

 

「オイスター・バーに来といて牡蠣を頼まないの?」

 

 ハーフ・クリームの滑らかなスープに包まれた牡蠣を咀嚼してから、帽子を脱いで炭酸水を口に含んでいたぐらにそう訊く。それに対する答えは実にあっさりしたものだった。

 

「エビの方が好きなの」

 

 なら仕方ない。

 ウェイターがお盆にデミタス・カップを載せて戻ってきて、サラダもすぐに来ますと告げたので、ウェイターがもう来なくなるタイミングまで私は冷たいポテト・サラダを食べ、ぐらはコーヒーをすすっていた。

 

「......んで? アタシに用ってのは?」

「プラザに入りたいんだけど、手引きしてくれる知り合いとかいないかなーって」

「プラザかあ......ゴールドバーグの家に入りたいんだよね?」

「そう」

 

 ヘンリー・ろくでなし弁護士・ゴールドバーグは、セントラル・パーク・サウスに面した高級ホテル"プラザ・ホテル"のスイートを年単位で借りて、そこを住居にしている。

 

「プラザには前にも単独で入ったことがあるんだけど、同じ手はもう使えないだろうし、伝手があるなら助かるなーって思って」

「うーん......」

 

 ぐらは珍しく、しばらく考え込んでから言った。

 

「試してみる。二日ちょうだい」

「わかったわ」

「それと、実はアタシからもアメに頼みたいことがあってさ」

「なあに?」

 

 ぐらはなんだか、ちょっと気が進まないって感じにためらってから切り出した。

 

「クロニーからちょっとした雑用を頼まれてて......それを手伝ってほしいんだけど、いい?」

「いいわよ」

 

 私に異存はなかった。貸金庫の方は、妙案が浮かぶまで置いとかなきゃいけなかったし。

 ぐらは明らかにほっとした顔になって、サラダボウルから小エビを口に放り込んだ。

 

「よかった。正直アタシじゃどうしようもなくてさ......助かるよ」

 

 ぐらじゃどうしようもないことって、一体何なんだろう?

 

 

 

*1
金髪女はバカ、というアメリカ映画のテンプレのこと

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