電撃の死闘   作:堂廻り 眞くら

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プロローグ

 

 

 

 ああ、お父さん。ごめんなさい。ごめんなさい。

 

 わたしは初めからお父さんの子どもでなかったと思って、どうか諦めてくださいね。

 

 また、わたしのご病気の治療に中られた皆様方のご親切に対しても、本当にごめんなさい。どうかどうかどうかお許しください。

 

 最後に、あなた。

 

 あなたは、とても歪でしたね。あなたを、あなたをちゃんとした形にしてあげられなくて、ちゃんと生んであげられなくて、ごめんなさい。母の、わたしの身体に抱かれて、人間世界に還る喜びを得ると同時に、カラカラに乾いて死んでいかなければならなかった、あなたの不幸せを憐れみます。お父さんも、きっと同じ気持ちです。

 

 わたしは、わたしの肉体と魂を罰しなければ、どうやら犯した罪の償いができないようです。喉が渇いて、仕方がないけれど、仕方がありませんね。

 

 神からも、人間からも救われ得なかったあなたを、わたしだけは、どうにか愛していたかった。でも、ダメだったみたいです。

 

 もうすぐだそうです。

 

 さようなら。わたしももうすぐそっちにいきますからね。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

『零号機、完全に沈黙しました』

『メタトロン、以前進行中』

『シンジ君退却よ!』

 

 空を切り、

 

 疾走するエヴァ初号機。

 

 エヴァの神経を伝って、パイロットの精神に風の音が木霊する。

 

『初号機、メタトロンと接敵します』

『ダメよシンジ君!!』

 

 上司であるミサトさんの通信を無視して、動けなくなった弐号機と零号機の元へ全速力で駆けつける。走りながらも肩部装甲のウェポンラックを解放、収納されているプログレッシブナイフを引き抜いた。

 

『プログレッシブナイフ、装備!』

 

 地面を足で削るようにして、初号機全体を襲う慣性を相殺した直後、僕は、僕と、初号機の顔を上げて、そこで初めて目標である使徒、「メタトロン」と対峙した。

 思わず目を見開いた。

 事前に聞かされてはいたのだが、メタトロンの身体は不可視の物質で構成されているらしく、その体は光を透過していた。しかし、巻き上がっている周囲の粉塵や、体の周りを帯びている電流の放つ光線のおかげで、体の大まかな形状や、メタトロンのおおよその位置ははっきりと視認することができた。歪んだ十字架のような、はっきり言ってヘンな形だ。まあ、これまでの経験上、ヘンな形じゃない使徒の方が珍しいのだけれど。

 

「本当に透明なんだ……あっ」

 

 メタトロンの背後に、倒れ伏す零号機の姿をハッと見つけた。拙いことにピクリとも動いていない。

 

「綾波っ!」

 

 思わず初号機を無防備に前進させた。

 その時だった。

 

 メタトロンの周囲に渦巻いていた電界が、不意に消失する。

 

『「食電」を止めた。何故?』

 

 リツコさんの冷静沈着な声が、耳の横を掠めた。

 

『まさか……』

『目標に高エネルギー反応!』

 

 それから、マヤさんの焦ったような声が、氷のようなリツコさんの声に、からからと溶け込むようにして混ざり込んだ。そして、それらを全てぶつ切りに切断する、熱焔のようなミサトさんの叫び声が轟いた。

 

『ダメ!! シンジ君避けて!!』

「えっ?」

 

 イキモノというよりは、どちらかというと無機物を彷彿とさせる奇妙に歪な十字の、ガラスのように透明な身体を持った謎の生命体、メタトロンの先端から突如、推定150万kWの電流が放出された。

 太い柱のような電撃が、初号機の胸に直撃した。

 

「あ――…」

 

 視界一杯に、真っ白な光が満ちた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 第三使徒、

 

「サキエル」。

 

 初号機の暴走により自爆。エヴァ初号機、大破。

 

 

 第四使徒、

 

「シャムシエル」。

 

 初号機により撃破。辛勝。

 

 

 第五使徒、

 

「ラミエル」。

 

 初号機が敵の加粒子砲を受け、中破。その後、初号機による超長距離狙撃により、撃破。零号機が敵の砲撃に直撃、大破。

 

 

 第六使徒、

 

「ガギエル」。

 

 弐号機により中破、その直後アイオワ級戦艦イリノイとケンタッキーの両艦の魚雷による〇距離爆撃により、撃破。エヴァ初の水中戦であり、弐号機の初陣でもあった。

 

 

 第七使徒、

 

「イスラフェル」。

 

 ==これらの文章は校正されました==。その後、初号機と弐号機の両機によるユニゾン攻撃により、撃破。

 

 

 第八使徒、

 

「サンダルフォン」。

 

 浅間山火口にて蛹状態で発見、弐号機による捕獲を試みるも作戦途中で羽化を始めたため作戦を中断、その後弐号機により撃破。

 

 

 第九使徒、

 

「マトリエル」。

 

 =校正済=。現存するエヴァ三機の連携により撃破。

 

 

 第十使徒、

 

「サハクィエル」。

 

 エヴァ三機の連携により撃破。エヴァ全機が破損。

 

 

 =検閲済=、

 

「=検閲済=」。

 

 =検閲済=

 

 

 

 使徒。

 天使の名を冠する人類の敵。

 未知の生命体。

 「ATフィールド」と呼ばれる、何人たりとも侵すことのできない神秘の領域に阻まれ、外からの物理攻撃で使徒を撃退することは困難を極める。

 「ATフィールド」を唯一破ることのできる兵器はただ一つ。人類にもたらされた福音であり、使徒と同じ「ATフィールド」を持つ巨神、汎用ヒト型決戦兵器「ヱヴァンゲリヲン」。

 国連直属の非公開組織・特務機関ネルフは、数機のヱヴァンゲリヲンを駆使し、これまで九つの使徒を撃破した。

 

 そしてその功績の陰には、過酷な運命を仕組まれた子供たちがいる。

 

「ここまではすべて予定通りですか? 碇指令」

 

 ネルフ総司令官公務室にて。

 

 特務機関ネルフ特殊監査部所属加地リョウジ一尉。彼は特務機関ネルフ総司令官碇ゲンドウと、執務用の大きな机を挟んで対峙していた。

 総司令ただ一人のために設計されたにしては、あまりにも広すぎる空間が、閑散とした公務室の寂寥感を果てしなく強調している。公務室に差し込む光が、無駄に大きい机と、後は二人の影だけを虚しく引き伸ばした。

 

「極一部の例外を除けばな」

 

 二人の間には、会話を交わすにはあまりにも遠い物理的な距離と、精神的隔たりが感ぜられる。碇ゲンドウは始終口元を手で覆い隠しているため、会話に支障を来す程にその表情を伺い知ることができないのだが、そもそも二人は、互いの輪郭すら掴めない程に距離を取って話をしていた。それは端から見て非常に奇妙なやりとりだった。

 

「人類補完計画、アダム、そしてエヴァ。例外は命取りになりはしませんかね」

 

 ごく短く答えるのみの碇指令に、加地はただ含みを持たせるだけの会話を、畳みかけるように碇指令に投げかける。二人の間には、本来意思疎通に肝心な心の交流が一切もない。ただ牽制し合い、物事の核心に触れない。その核心の輪郭を手繰り寄せるかのように、慎重に、そして朧気に思い浮かべるだけ。

 しかし、それだけが碇ゲンドウという男と対等に話合うための唯一の方法だということを、加地はよく心得ていた。

 

「何事にもイレギュラーはある。すべて修正可能な範囲の出来事だ」

「だといいんですがね」

「もちろん、それは君の行動も含めて、だ」

「……」

「だが、有能な人材を無下にはせんよ」

 

 加地とゲンドウは、一時的な協力体制を取っているものの、本質的に両者は敵対している。加地もゲンドウも、お互いにそのことを承知で互いを利用し合っているのだ。したがって、二人の会話は決して血の通わぬものであって然るべきなのである。

 

「碇指令、どんな強固なダムも、壊れるときは小さな亀裂からだ、と言いますね」

 

 脈絡のない加地の言葉に、しかしゲンドウが眉一つも動かさない。

 

「……それが?」

「もし、指令がその亀裂を見つけたとしたら……」

「……」

 

 加地の問いかけにゲンドウは何も答えず、組んだ手の中でニヤリと小さく笑みを浮かべるのみだった。

 

 

 

 

 誰にも、腹の内を悟られぬように。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 エヴァを動かすことのできる数少ないエヴァパイロット。その一人である14歳の少年、碇シンジ。父である碇ゲンドウに呼び出された日から、半ば強制的に使徒との壮絶な戦いの渦中に巻き込まれることとなってしまった。

 

 そんな彼は今。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 コンフォート17。大きなマンションの一室にて。

 

 エビスの缶ビール。

 

 その中身が、グイッと傾けられた。

 

「くぅぅぅぅ!! やっぱ朝はビールに限るわねぇ!!」

 

 ぶはぁと満足げに息を吐く葛城ミサト三佐特務機関ネルフ戦術作戦部作戦局大一課所属は、愛飲のアルコール飲料を朝っぱらから飲んだくれていた。29歳、独身の女性である。

 

「……」

 

 机を挟んで朝食を口にしていた僕――碇シンジ――は、あきれてため息がこぼれそうになるのを必死に堪えながら、

 

「朝だけじゃないんじゃないですか……?」

「んもう、冷たいわねぇシンちゃんたら♪」

 

 ミサトさん……。

 仕事の時とか、作戦時は凛々しくてすごく頼りなるんだけどな。

 

 けど、見てのとおり私生活はズボラそのもの。家事は全くダメ。酒癖も悪いし(二日酔いは追い酒で治ると本気で思っている)、寝相も見ているこちらが不安に駆られるほど酷い。エヴァのパイロットとして、住み慣れないここ「第三新東京」にやってきて、それから、なんやかんやあってこうしてミサトさんの家で暮らすこととなったその当初は、デキる美女キャリアウーマンと私生活を共にするという、薄暗い背徳感から多少はドギマギさせられていたのだけど、共に過ごしてゆくうちに気心も落ち着けるようになり、それからはかなり早い段階で、脳裏になにとなく思い描いていた幻想は打ち砕かれ、今では「独り暮らしの方が楽だったかも」と心の片隅で密かに後悔している。

 が、そんなうだつの上がらない私生活とは打って変わって、エヴァに乗ってるときはこの上ないくらい頼りになる上司である。

 ミサトさんはしばしば無茶で突拍子のない作戦を立案しては、それを持ち前の実行力で強行する。最初は立場上、ただ唯々諾々と命令に従うだけだった上に、彼女の無謀、無理難題に辟易していた頃もあったけれど、今となっては、「使徒」という常識を超えた敵との戦いにおいて彼女のセオリーに縛られない発想が、むしろまともな作戦よりもずっと有効に働くことが多い、ということが身に染みてよくわかっている。だから、いつの間にか僕はミサトさんを頼りにするようになっていった。信頼するようになった。そして僕は葛城ミサトさんを尊敬しているのだ。ズボラだけどすごくいい人なのだ。ズボラだけど。

 

「いいんですか? ダイエット中じゃありませんでしたっけ」

「いいのよぉ、チートデーなんだからぁ」

「昨日もそんなこと言ってがぶがぶ飲んでましたよね……」

 

 どうして仕事でいかんなく発揮されている要領の良さを私生活に応用できないのだろう。

 腹の底から湧き上がってくるため息を朝食ごと飲み込もうと、皿の上のパンを口にもそもそと運んでいると、奥のバスルームの方から甲高い叫び声が上がった。

 

「バカシンジィー!!!」

 

 バスルームのカーテンがバシュッと開かれ、裸の身体に派手なルージュのバスタオルを胴と頭に巻き付けた状態というあられもない姿で現れたるはもう一人の同居人、惣流・アスカ・ラングレーエヴァ弐号機専属パイロット。ネルフに来る前は齢14にして飛び級で大学を卒業、ユーロ海軍のエースパイロットとして、大尉という階級を与えられるという途轍もない経歴を持っている少女だ。

 日本人とドイツ人のクォーターであり、その容姿は端麗。活発明朗かつ勝気な性格。学校に転入してきた当初は学年問わずでとんでもないモテ方をしたものだ(今でもモテてるけど)。下駄箱がラブレターで詰まる光景など、後にも先にもあの時しか拝めないだろう。

 そんな、なんだか銀幕の向こう側から飛び出してきたみたいな、遠い存在のようなアスカとも同じエヴァパイロットとしてなんやかんやあった末に、すったもんだあって、今はミサトさんの家に共に同居、という形になっている。年の近い異性であるアスカとの同居には戸惑うことも多いけど、今の今まで何とかうまくやっていけていた……と思う。

 のだが。その同居人が今、怒り狂っている。

 

「どうしたの?」

「どうしたの、じゃないわよ!! アツい、アーツーい! お風呂のお湯が熱いのよ! 冷ましといてって云ったでしょ!?」

「……いつもはもっと遅い時間に起きてくるじゃん」

 

 ぬるま湯を好む彼女に気を使って温くしておくと、湯がすっかり冷めた頃になって起きてきて、それでもって「いくらなんでもお湯が温すぎる」とグチグチと文句を言われた先日の出来事を踏まえてわざわざ熱めに沸かして置いたというのに……。

 

「言い訳無用! 私が起きた時間に合わせなきゃダメでしょ」

「ゴメン……」

「ゴメンじゃないでしょゴメンじゃ! 謝れば済むと思ってる、その事なかれ主義の性格、何とかしなさいよ!」

 

 しょうがないじゃないか、壱四年間こうやって生きてきたんだから……。なんて言い訳をしても仕方がない。

 

「……ゴメン」

 

 逡巡の上、結局口からこぼれ出た言葉がこれだった。僕って本当に事なかれ主義な奴。

 

「だーかーら!」

 

 煮え切らない僕の反応にアスカが地団太を踏んだその時だった。

 

 ポロっと、アスカの身にまとっていたバスタオルが不意に外れ、中学生にしては抜群のプロポーションが露になった。

 

「「あっ」」」

「あれま、大胆ねぇ~」

 

 アルコールの入ったミサトさんの、のんびりとした声が聞こえた直後、僕はアスカに思いっきりひっぱたかれて、床に沈んだ。

 

「いやぁぁぁ!! エッチ! 痴漢! ヘンタイ! バカシンジ! 信じらんない! これだから男の子ってキライなのよ」

 

 床に倒れ伏して目から火花を出す僕を置いて、アスカはカーテンの奥に潜り込んでしまった。

 

「いいじゃないのアスカ。若ぁいんだから」

「ミサトと違って、私のは安かないわよっ!!」

 

 カーテンの向こうからそんな叫び声が聞こえてくる。ミサトさんはなおものんびりとビールを飲み干す。

 まあ、多少のアクシデントはあれど、いつも通りと言われればいつも通りの日常だった。

 

「あ、そうだシンちゃん。今日の定期健診のことなんだけど」

 

 まるで何事もなかったかのように話しかけてくるミサトさん。痛いダウンをもらった直後のボクサーの如くよろよろ起き上がろうと這い蹲っている僕に、ミサトさんが保険証を手渡してくる。何とか起き上がってから、震える手でそれを受け取った。

 

「あれ、ネルフ本部の病院で受けるんじゃないんですか?」

 

 赤く腫れあがった頬を擦りながら、僕はミサトさんに咄嗟に浮かんだ疑問を投げかけた。

 ネルフ内に設置されている病院では、エヴァパイロットである僕やアスカ、綾波はほぼ顔パスで検査を受けられる。だから基本的に保険証何て必要ないのだ。

 

「今回のはちょっち特殊なのよねぇ。ネルフの設備じゃ難しいのよ。ウチのは仕様上どうしても応急に特化せざるを得ないし。予算もカツカツだし……」

「わかりました、学校の帰りに行ってきます」

 

 それから、バスルームから水の音が聞こえるのをなんとなく肌で感じながら、再び朝食の続きに勤しむのだった。

 

 

 

 

 それにしても、うーん。

 

 

 ……朝からすごいものを見てしまった。

 

 

 膨張してしまった……。

 

 

 

 

 

 

 

 

「おはよう碇くん」

 

 僕が下駄箱からうち履きを取り出していると、委員長の声がして咄嗟に振り返る。「あれ?」と委員長は目を剥いた。

 

「どうしたの? ほっぺたのそれ」

 

 そういって委員長は、赤く腫れあがった僕の頬を指さした。

 

「どうしたもこうしたもあるかいな」

「また、アスカと夫婦喧嘩したんだよ」

「まあ」

 

 各々勝手なことを言い出す、友だちのトウジとケンスケ。トウジは関西弁が特徴の熱血漢。あと制服の代わりに黒のウインドブレーカーをいつも来ている。ケンスケは軍事オタクのカメラマニア。時々、見目麗しい女子生徒の盗撮写真を学校の生徒に高額で売りさばくという阿漕な商売をしている。アスカは当然のこと、綾波の写真なんかも売り物に交じっていて心中複雑ではあるものの黙認している(僕の写真を女子生徒に売りつけてた時はさすがに怒った)。二人は互いに全く違い趣味、性格をしているにも関わらず、不思議と気があうみたいだった。

 「夫婦げんか」というワードに口元に手を当ててこちらを覗き込んでいる委員長に、僕は慌てて否定する。

 

「そうじゃないよ、これは――」

「そうじゃない? 何が!? 何がそうじゃないってのよ!」

 

 しかし、すぐ近くの下駄箱で靴を履き替えていたアスカがすぐさま詰め寄ってくる。

 

「懇切丁寧に説明してもらおうじゃない」

「あぁ、いやぁ……」

 

 一触即発の空気に、通りがかりの全く関係ない生徒すら息をのんでじっと見守る中、全く空気を読まない娘がいた。

 

「碇君、おはよう」

 

 というか、綾波だった。

 

「あ、お、おはよう綾波」

「……」

 

 綾波の紅い瞳が、こちらをじっと覗き込んでくる。懐かしいような、覚えのないような、奇妙な既視感を何度も感じる不思議な目。

 

「アンタねぇ、ちょっとは空気を読みなさいよっ」

 

 最もなアスカの物言いに(「朝っぱらから学校で痴話げんかってのも、空気を読んでるのかどうかと思うけどね」とケンスケは小声で言った)、綾波は、

 

「……」

 

 一瞬だけ視線をアスカに向けた後、すぐにまた僕に視線を戻して、

 

「教室、先に行くから」

「あ、うん」

 

 さっさと歩き去ってしまった。

 

「もうっ! ファーストって本当なんなの!?」

 

 鼻息を大きく荒げ、口から気炎を吐くアスカ。

 

「朝からヒステリックなやっちゃな」

「にしてもあの綾波が、僕らの間を割って碇に話しかけるとは珍しいな。碇が独りの時はともかくとして」

 

 やれやれと呆れた様子のトウジに、眼鏡をいじりながら綾波の去った方角を見て何かに勘づいた様子のケンスケ。二人の間にある数少ない共通点の一つに、観察眼が優れていることや周囲の人間関係などの変化に敏感な所が挙げられる。

 逆に、僕はそういったことには滅法弱い。アスカを度々怒らせてしまう原因はもしかしたらそこにあるのかもしれない。

 

「ファーストのせいで危うく話が逸れるところだったわ。それで、今朝の一件はどう責任取るつもりなの!?」

「問答無用でひっぱたかれたじゃないか。それでいいっこなしだろ?」

「私はそんなやっすい女じゃないのよ! 絶対に責任取ってもらうんだからね!」

 

 いよいよドロップキックでもしかねないアスカの勢いに、トウジとケンスケが「まあまあ」とすかさず間に割って入る。

 

「続きはまた教室ってことで!」

「せやで。というわけで、ほなワシらはこれで……イカリクン、行こか!!」

 

 ズルズルと僕を引きずり立ち去る二人に、アスカがぷんすかと怒る。

 

「フン! この卑怯者ぉ」

 

 不機嫌そうに腕組みをするアスカに、委員長は苦笑いを禁じ得ないのだった。

 

 

 

 

 

 

 昼下がりの教室。

 

「それにしても、シンジはえろう変わったな」

「変わった?」

 

 綾波から返却された弁当箱をしまっていると、トウジがそんなことを僕に言った。

 

「そうかな」

「正直言って、前はシンジが人のために何かするなんて考えられへんかったからな」

「そうかな……そうかもしれない」

 

 トウジが言っているのは、僕が綾波のために弁当を余分に作っていることについて、だ。昼食を一切食べている様子を見せない綾波に、僕なりに気を使ってこんなことを始めたのだ。元々ミサトさんやアスカの弁当を作っていたわけだし、綾波の分を余分に作るのはさほどの手間ではなかった。

 とはいえ。

 確かに前だったら、ここに来る前だったら、絶対に「普段食べてなさそうだった綾波のために弁当を作ろう」だなんて考えもしなかっただろう。

 

「少しは、僕も変われたのかも」

「なーにが「変われたのかも」よ。なんも変わっちゃいないわよア・ン・タ・は!」

 

 握り込んだ掌をみて感慨深げにそう呟いていると、委員長と弁当を食べていたはずのアスカが、いつの間にか移動してきて横腹をつついてくる。

 

「いや、お前は転校してきたときのシンジのこと知らんやろが」

「そんなもん、見てりゃわかるのよ。変わったって感じるのは、たまたま七光りでエヴァに乗れたからでしょ?」

「……」

「その点私は実力百パーセントでエヴァパイロットに選ばれたパーペキ天才美少女ね!」

「天才美少女なんて、自分で言うことかいな」

「ぬわんですってぇ~!!?」

 

 それから僕となんかよりもよっぽど板についた痴話げんか紛いの言い争いを始めた二人に、しかし僕は気が回らなかった。アスカの言葉、それが胸の奥に深く突き刺さって抜けなかったから。

 

『たまたま七光りでエヴァに乗れたからでしょ?』

 

 アスカの言うことは、正しい。

 何故僕がエヴァに乗れるのか、結局僕は何もわからないまま、父さんの言われるままに乗せられている。結局僕は何もわかっちゃいないんだ。

 第三新東京市に来てから、トウジや、ケンスケ、アスカ、委員長、クラスのみんな、それから綾波。以前の僕じゃ信じられないくらい他人と仲良くなれた。

 成長できたと思った。

 何かが変わったと思った。

 でもそれは、僕がエヴァのパイロットだからだ。僕自身の力で変えたわけじゃない。わけのわからないままに流されていただけ。

 もし、エヴァが無かったら、この先エヴァが必要なくなったら。

 僕は……。

 

「どうした? 碇」

 

 何かを察したらしいケンスケが顔を覗き込んできた。

 

「……ううん、何でもないよ」

 

 

 

 

 

 夕方に沈む、第三新東京。その一角に潜む、第三新東京中央総合病院。

 

 定期健診を終えた僕は、長いリノリウムの床を歩いた。

 

「……」

 

 ふと、窓の景色に目が入った。

 ネルフ本部とは、当然違う景色。確か、初めて使徒と戦った時も、病院で目覚めた後はこうして窓の眺めを見て途方に暮れていたっけ。

 あの時に、僕は綾波に再び出会ったんだった。初めて会った時と同じ、傷だらけの身体で、担架に運ばれていったのを目にした、ほんの一瞬だけだけども。

 綾波。綾波レイは、不思議だ。

 感情をあまり表に出さず、かと思えば急に感情的になったりもする。あまりしゃべらないが、たまに口を開くと思ったら、同い年とは思えない程その言葉の端々に溢れ出す知識と達観を感じさせる。それに、何度か綾波がよく読んでいる本を彼女に見せてもらったことがあるのだけれど、そのほとんどが英語の本で、僕にはさっぱり読めなかった。だから、少なくとも語学などの成績は僕よりもずっと上のはずだ。

 もしかしたら、彼女は誰よりも人の感情というものに詳しいのかもしれない、とすら思わせられる時がある。だけど、綾波のそれはきっと自分の中でのみ完結していて、また綾波の性格からして、それらの含蓄が表に出る機会はこの先ほとんどないのだろう。

 僕はそんな彼女に、不思議と親近感のようなものを感じている。透き通るような白い肌も、蒼い髪も、真紅の瞳も、考え方も価値観もまるで共通点が見いだせないにもかかわらず。どうしてだろう。わからない。

 

「……」

 

 外はもうすでに陽が暮れ始めていた。

 夕日の角度が急に変わり、斜陽が目を刺す。

 彼女がその姿を現したのは、その瞬間だった。

 

 

「どうして、泣いているんですか?」

 

 

「……えっ?」

 

 声がしたほうを咄嗟に振り返ると、見知らぬ他人が立っていた。先ほどまで誰もいなかったはずの所に、まるで始めからそこにいたかのように、迫りくる斜陽の中を静かに佇んでいる。夕日の隙間から舞い降りたかのようだった。

 

「えっ……と」

 

 目をこすってみても、涙の跡は感じられない。僕は泣いてなんかいない。

 

「ごめんなさい。何か悩みがあるようでしたから」

 

 夕日に染まる緋色の少女。

 僕は、まるで心臓を掴まれたかのような気分になった。

 長い髪の毛を、軽く左右に揺らす彼女。細い肩。優美な腰のライン。

 小さな顔。

 真っ白な服。病衣。まるで天使の羽衣のよう。

 

「私でよければ、相談に乗らせてもらえませんか」

 

 相談……相談?

 この人は一体何を言っているんだ。

 

「えっと、君は?」

「ああ、ごめんなさい。高田球沙(たかだみさ)、です。ここに入院しています。……あなたは?」

「ぼ、僕? 僕は、……碇、シンジ……だけど」

「碇さん……」

 

 高田球沙と名乗った少女は、それから、寛大と慈愛に満ちた笑みを浮かべた。触れようと藻掻けば消えてしまいそうな神秘的な儚さと、近づけば大きく弾かれてしまいそうなほどの力強さを同時に感じる、浮世離れした笑顔。この世ならざるもの。

 

 庇護欲を掻き立てられる表情。真紅の瞳。

 

 それから、僕の中で暗く渦巻いていた、

 

 鬱屈とした想いが、不意に満たされていくのを感じた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 その使徒は、海中深く静かに活動の時を待つ。

 

 メタトロン。

 

 ゼーレすら予期せぬ番外使徒。

 

 不可視の肉体。

 

 脅威の食電。

 

 飢える、第三新東京市。

 

 これから、長く、苦しい戦いを強いられることになるのだ。

 

 ネルフにとっても、シンジにとっても。

 

 

 

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