電撃の死闘   作:堂廻り 眞くら

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静かなる殺戮者

 

 

「鯛の鯛、って知っていますか?」

「タイの……タイ? タイって、あの魚の?」

「はい」

 

 真っ赤に沈む夕日の差し込む、病院内の図書室中で、僕と高田さんの二人は備え付けの長椅子に座って話し込んでいた。僕の直ぐ左隣に高田さんは座っていた。

 

「鯛の……中に、小さな鯛がいるんだそうですよ」

「それは……ちょっと……信じられないなぁ。鯛なんて高級魚食べたことないし」

「そうですね。実を言うと、本当に小さな鯛がいるわけじゃないんです。小さな鯛の正体は、骨なんです」

 

 そう言って、高田さんは指先で、そっと僕の肩をなぞった。僕の頭はそれだけで真っ白に沸騰してしまいそうになる。

 

「硬骨魚の、肩甲骨と烏口骨……肩の骨が、魚の形に似てるんです」

「ああ、それで「鯛の鯛」……」

 

 僕は何とか、それだけ口にするので精一杯だった。

 

「どの硬骨魚にもそれがあるそうです。それぞれ形は少しずつ違うのですけれど、どれもが魚の形をしているんです。自分の中に、小さな自分が二対いるんです」

「なんだか、それって面白いね。進化の過程にそうなった理由があるのか、それとも偶然の産物なのか」

「ヒトにも似たものがあるんですよ。喉仏」

 

 僕の神経は一気に喉のあたりに集中した。でも、高田さんは予想に反して自分の喉を手で押さえた。真っ白な手が真っ白な喉に溶け込むと錯覚させられるほどに、高田さんの肌の色は肌理が細かくて、綺麗だった。眼球に血液が集中するのを感じる。僕がいちいちマヌケなのか、それとも世の男ども全員がこういう者なのか、僕には到底判別がつかなかった。

 

「仏さまが座っているように見えるから、のどぼとけ。つまり、ヒトに見えるんですよ。西洋だとアダムの林檎って言われていますけれど」

「アダム……」

 

 蛇に唆されて、知恵の実、林檎を飲み込んで喉を詰まらせた、原罪に蝕まれし生き物。それがヒト。そして、喉を詰まらせたその時に、喉に出来たのが喉ぼとけなのだとか。

 

「私たちの中に、小さな私たちがいるんですよ。まあ、骨なんですけれど」

 

 小さな自分……。そう言えば、エヴァにとっての「小さな自分」って、もしかして「僕」なのだろうか。

 

 ハッとして、僕は、頭の中のエヴァに関する取り留めのない情報を、朝つゆを払うみたいに頭を振って払い落とした。代わりにこんなことを言った。

 

 

「ボクたちの身体の中に、小さい僕たちがいるって考えると、それってなんだかちょっと怖いかもしれないね」

「そう……ですか? 私は、私は寧ろこの話を知った時、なんだか温かい気持ちになりました」と、高田さんは言った。僕は首を傾げた。

 

「どうして?」

「だって……だってずっと独りだと思っていたのに、独りじゃないんだって知れたから」

 

 そう言って、高田さんはお腹を手で押さえて、不意に泣き出しそうな、うるんだ目をした。彼女の唇が、なんだか異常に艶めかしかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 夜。

 

 コンフォート17。

 

 僕たち以外の住人は、ほとんどいない。普段はあまり意識しないけど、こうして夜になると、こんなにも大きなマンションにほとんど人がいないということ、不気味な静寂が、不意に恐ろしいと感じる。

 耳を澄ませると、遠くからミサトさんのいびき声が聞こえてくる。もうすっかり寝入ってしまっているらしい。向かいの部屋はアスカの部屋だけど、物音はしない。その代わり、僕の部屋から壁一枚隔てたトイレの方で、何やら妙な音がする。ガタガタと、時折便座がずれるかのような音だ。アスカ、一体何をしているんだろう。もう随分長いことトイレに引きこもっているけれど。 

 

 ……。

 

 どうしてだろう。

 目が冴えて眠れない。

 

『ゴメンじゃないでしょゴメンじゃ! 謝れば済むと思ってる、その事なかれ主義の性格を何とかしなさいよ!』

 

 アスカ。

 どうしてあんなに怒るんだろう。悪いと思っているから謝ってるのに。

 ……本当にそうかな。

 僕は、本当にアスカに悪いと思って謝っているのだろうか。「先生」の元で十数年暮らして、肩身の狭さから僕は条件反射的に謝っての繰り返しで、今の今までそうやって面倒な他者との対話を有耶無耶にやり過ごしてきた。

 だからかな。

 本当に悪いと思って、謝っているわけじゃない。

 アスカの物言いが理不尽だってこと、本当はアスカ自身がよくわかっているんじゃないのか? それなのに、僕は何も反論せずに謝ってばかりいる。その煮え切らない態度が、癪に障るのかな。自身のない男が、嫌いなのかな。

 

『シンジはえろう変わったな』

 

 トウジ。

 僕は変わった。

 きっとそうだ。

 だけどそれは、無理やりエヴァに乗せられて、わけのわからないままに流されて、結果として上手くいっているからってだけだ。

 見せかけの成功。骸の栄光。

 本当に何か変わろうと思って、行動した結果じゃない。

 

『たまたま七光りでエヴァに乗れたからでしょ?』

 

 そうだ。

 エヴァに乗らない自分を、もう想像できない。

 アスカはきっと大丈夫だ。エヴァが無くても、あの才色兼備ならどこでもやっていける。大学ももう卒業しているくらいだし。

 綾波は……どうだろう。ちょっと想像がつかない。エヴァが消えたら、泡になって一緒に消えてしまう。そんな気がする。そんなイメージがある。或いはそれも、僕の勝手なイメージの押し付けなのかもしれない。綾波は見た目からは想像できないくらいしたたかな所もあるし、よく英語の本を読んでるくらいだから語学も堪能だろうし、意外や意外、エヴァに乗らなくても、上手くやっていけるのかもしれない。

 

 ……僕は。

 僕には何もない。

 他人より、ほんの少しだけ器用だと思う所もある。だけど、他人に誇れるほどのものでもないし、それ以上に欠点が多い。どう高く見積もっても、僕からエヴァを取ったら、後には蝉の抜け殻しか残らないような、凡百未満に成り下がる。

 それがたまらなく嫌だ。

 僕は、エヴァが無くても生きていけるような、そんな本当の強さを手に入れたい。のかもしれない。

 僕は強くなりたいのかもしれない。

 いや、強くなりたい。

 自分に自信を持ちたい。自信をもって、素直に謝れるようになりたい。自分のしたことにちゃんと責任を負えるような、そんな自分になりたい。

 僕は僕のなりたい自分になりたい。

 

 ……どうして急に、こんなことを思う様になったんだろう。

 

『どうして、泣いているんですか?』

 

 あの娘。

 高田……さん、だっけ。不思議な娘だったな。

 病院を出た時から、あの娘の声が頭にこびりついて離れない。どうしてだろう。

 

 あの娘の笑顔が、泡のように脳裏に浮かんでは消えていく。もう朧気だけど、何度も思い返したくなる。そんな笑顔。一体どうしちゃったっていうんだろう。

 

 そういえば、高田さんは僕がエヴァのパイロットだって、知らないんだ。

 クラスのみんなも、ネルフの皆も、ミサトさんも加持さんもリツコさんも日向さんも青葉さんも伊吹さんもトウジもケンスケも委員長もアスカも綾波も、僕をエヴァのパイロットであるという色眼鏡を通して僕を見ている。

 この街で、あの娘だけが僕の知り合いの中で、何者でもない、エヴァのパイロットじゃない、特別じゃない、等身大の僕を見ている。

 

 高田さんともっと話がしたい。

 

 そして、彼女と仲良くなりたい。そして、彼女に誇れるような立派な自分になりたい。

 

 そうすれば僕は、本当の意味で自分に自信の持てる、なりたい自分に変われるのかもしれないから。

 

 

 

 

 

 

 

 

「シンジは今日も付き合えへんのか」

「うん、ごめんトウジ」

「まーしゃないわ。エヴァのパイロットは何かと忙しいやろからな」

「う、うん、まあ……」

 

 トウジがそう言って手を振ると、シンジは「じゃあ、また明日」とすぐに駆け出して行ってしまった。

 

「最近の碇は付き合いが悪いな」

 

 去って行くシンジの背中を目で追いながら、ケンスケはため息を吐いた。その時だった。

 

「ちょっと、ケンスケ、鈴原」

「ん?」

 

 声に呼ばれて二人が振り返ると、アスカが教室の出入り口から顔を覗かせて、手で手招きして呼んでいるのが目に見えた。その後方には渋い顔をした委員長もいる。二人はアスカの傍に移動した。

 

「なんや」

「シンジのことで話があるのよ」

「というと、シンジが()()()()()のにアスカは何か心当たりでもあるってわけ?」

 

 ケンスケの言葉に、アスカが首肯する。

 

「シンジが何処に行ってるか、アンタ等は知ってるの?」

「いやぁ」

「全く」

 

 トウジとケンスケは一度互いに顔を突き合わせると、再びアスカの方に向き直った。すると、アスカの眉尻が鋭角に持ち上がった。

 

「ビョーインよ病院! 病気してるわけでも怪我してるわけでもないのに二、三日おきに通ってんのよ。用もないのに、絶対におかしいわ」

「それは……何ちゅーか……」

「まさか、碇のやつ」

 

 ケンスケが眼鏡をカタカタといじりだす。

 

「逢引きか?」

「アイビキ……?」

 

 一瞬だけキョトンとしたアスカだったが、数秒が経過してから、

 

「……逢引きですってぇ~!!?」

「まあ、アスカは心中フクザツだろうね」

 

 若干憂いを帯びた目で、ケンスケはアスカのスットンキョーな顔を見やった。

 

「栄えあるエヴァのパイロットの一人が女遊びなんかに現を抜かすなんて、断固として看過できーん!!」

「女遊びって……」

 

 メラメラと金髪を燃え上がらせるアスカに、委員長は始終微妙な表情を浮かべていた。

 

 「かっかきてんのは、それだけが原因やないんやないか……?」アスカとケンスケの間にずいっと首を差し込むトウジ。「それにしても、いつのまにかシンジにそないな相手がおったとは」

 

 トウジが悔し涙を流し、顔を腕に埋めて男泣きを始めた。

 

「ほんまにシンジは、出会いが多くて羨ましいやっちゃなぁ!」

「鈴原……」

 

 おいおい泣いているトウジを、委員長が複雑な顔を見守っている。ケンスケはやれやれと頭を振った。それから怒髪が天を突く勢いで、かつ瞳を燃やして憤慨しているアスカに目をやる。

 

「こうしちゃいられないわ。すぐにシンジの跡を追うのよ!」

「なんでそんなことするんだ?」

「決まってるじゃない! 色ボケのシンジに近づく女なんて……きっと他国のスパイか何かに違いないわ!」

「美人局ってこと?」

「つつもたせぇ!? そんな()()()なもんじゃない! もっと質の悪い連中! 色仕掛けでシンジからエヴァの情報を抜き取ろうとしてるのよ。きっとソ連か中国当たりの……」

「ハニートラップっちゅうやつか!」

 

 ギリギリと歯を鳴らすアスカと対照的に、何故か嬉しそうにはしゃぎ始めるトウジ。所詮は男子中学生である。美人局やらハニートラップやらと聞いて嬉しくなってしまう脳みそなのだ。

 

「そりゃ大変だ。すぐに病院に行ってシンジの意中の相手を調べなきゃな」

 

 全く緊張感のない顔でケンスケが話に乗り、続いてトウジも拳を突き上げケンスケに同調した。

 

「せや! ワイとしても、シンジの友人として、シンジの彼女の顔を一度は拝んとかな!!」

「フン!!」

 

 何やら気に食わなかったらしいアスカが不機嫌そうに鼻を鳴らした。

 そうやっていつものメンバーが教室の片隅でわいわいと騒いでいる間に、いつものように教室を静々と出ていく綾波の後姿があったのだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ネルフ本部。

 

 今現在、ネルフの全職員に緊急招集がかけられていた。けたたましい館内放送に、職員たちがあわただしく蠢いている。さながら、ハチの巣をつつかれた働きバチのように。

 

「数分前に一般市民から多数の通報がありました。自衛隊も動いています。謎の未確認飛行物体は未だ進行中です。目標の予想進路にここ第三新東京市が含まれているものと思われます」

「間違いないのよね?」

 

 ミサトがネルフ本部中央作戦司令部情報局第二課所属オペレーターの青葉シゲルに問いただすと、青葉は「はい」と応える。

 

「レーダーに反応はありませんが、間違いなく実在します。約十五分前に相模湾に出現、以降は小田原を北西に進行しています」

「どうしてレーダーで捕捉できなかったの?」

「目標は透過率ほぼ百パーセントの体表を形成しています」

 

 続いてネルフ技術開発部技術局第一課所属の伊吹マヤ二尉。

 

「透過率百パーセント? ガラスのようなものってこと?」

「ガラスよりも更にすごいわね」

 

 伊吹マヤの横でコーヒーを飲んでいる、白衣を着た金髪の女性、赤木リツコ博士が口を開く。彼女は伊吹マヤと同じくネルフ技術開発部技術局第一課所属する科学者であり、同時にネルフ本部の意思決定を支える三対の独立したシステムを持った第七世代有機スーパーコンピューター「MAGI」の管理運営担当責任者でもある。

 

「ガラスは高い透過率を持っているけれど、目に見えないわけではないでしょう? ガラスはすべての光を透過しているわけではないわ。角度によっては全反射が発生する。せいぜいが透過率90%程度。でも、この目標の体表組織は、ガラスよりも遥かに高い比率で光を透過しているのよ」

「とはいえ全く目視できないというわけでもありません。それに飛行の衝撃によって巻き上げられた粉塵等で、目標のおおよその位置と形状はわかります」

「おまけに赤外線画像だと形状はばっちり把握できますよ」

 

 伊吹マヤの言葉に、ネルフ本部作戦司令部作戦局第一課所属のオペレーター日向マコトも続く。

 ミサトが正面の大モニターに映し出された赤外線画像をチェックする。目標は巨大で歪な十字架のような形状で、生物というよりはまるで彫刻のような無機物さがある。

 

「この無機物っぽいの、やーな感じね。……にしても」

 

 ミサトは眉を顰めながら、以前に苦汁を嘗めされられた第五使徒の姿を思い出していた。

 

「これじゃ透明の意味ないわね」

「レーザー照射等の熱光学兵器には有効ね」

 

 と、リツコ。

 

「それで? 目標のパターン検出は?」

「それが、透明だからか光学によるパターン検出は行えませんでした」

 

 マヤが応える。

 

「威力射撃の効果は」

「すでに自衛隊が総理の下命を受けて誘導弾を使用しています。しかし全く効果は認められません。ATフィールドらしき効果が表れているのは観測できましたが、ATフィールドそのものを光学で捉えることはできませんでした」

 

 青葉がオペレーターとしての仕事を淡々とこなす。

 

「生体サンプルの回収も難しいです。ですから、現状では目標を使徒と識別できず、MAGIによる識別コードは依然『正体不明』のままです」

 

 「どうします、葛城さん」と日向はミサトに問いかける。ミサトは顔大きくしかめた。どう見たって使徒なのに理論上使徒と確定できないとは……。それは建前上非常に困るのだ。非常に。なぜなら。

 

「ネルフは使徒殲滅以外での武力行使は認められていない。つまり現状私たちは法的に身動きが取れないわよ?」

「とはいえこのまま放っておくわけにもいかないわね。碇指令は?」

「此度の件はあなたに一任するそうよ」

「そう……」

 

 リツコがニヤリと笑い、ミサトはガシガシと頭を掻く。

 

「日本政府とのリエゾンを呼んで、すぐに国を動かすのよ。法整備もちゃっちゃと済ませて、なんとしてでも小田原で奴を食い止めるわ」

 

 それから、ミサトはネルフ職員に通達を行う。

 

「総員第一種戦闘配置! そして、以降は目標を『メタトロン』と呼称します!」

「『メタトロン』? ていうか、いーんですか? そんなこと勝手にして」

「いーのよ。ネルフは超法規的組織なんだから。心はいつでもアウトローよ!」

「はぁそうですか」

 

 呆れた調子でミサトに振り向いた職員が、やれやれと再びモニターに顔を戻した。

 

「責任取るのは責任者のあなたなのだし私はどうでもいいけど、肝心なメタトロンをどう迎え撃つの?」

「どうもこうもないわ。現状では情報が乏しすぎ。エバーをぶつけるだけしか対応ないわよ」

「メタトロンが進行を停止! 新小田原変電所にて突如進行を停止しました!」

「えっ?」

 

 ミサトを含む職員のほとんどが、唐突の報告を受け、本部正面に映し出されたモニターの奥に映し出されたメタトロンに目を向ける。

 

「何故、変電所に?」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 新小田原変電所。

 

 

 メタトロンの周囲に、電気の渦が生じ始める。

 電気を纏った十字の透明怪物メタトロン。変電所から電気を吸い上げるように、徐々に帯電を強めてゆく。

 暫くして電気の渦が落ち着いた頃、変電所は所々が燻り、完全にその機能を停止していたのだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 その様子をモニター越しに観察していたネルフ本部は、にわかにざわめいた。

 

「まさか、電気を食べたの!!?」

「信じられない権能ね」

 

 「信じられない」のニュアンスを感じさせない声色でそう呟いた後、リツコが大きく息を吐いた。長丁場になりそうな予感がしていた。

 

「新小田原変電所、機能停止。復旧の見込みなし」

 

 青葉の落ち着いた声が本部に響き渡る。

 

「メタトロン、再び進行を開始」

「拙いわね。このままじゃ被害が尋常じゃなく拡大するわ」

「すでに莫大な損失が出ています。それと朗報です、日本政府から『すぐに目標をせん滅せよ』との通達ですよ、ミサトさん」

 

 日向がにこやかな表情でミサトにそう伝えると、ミサトはやれやれと首を振った。

 

「どいつもこいつも面倒な連中ね。まあでも、話が手っ取り早くて助かるわ。パイロットたちは?」

「三名とも、第三新東京市中央総合病院内にいます」

「三人とも?」

 

 ミサトは少しだけ首を捻ったものの、気を取り直して「すぐに招集して。到着次第出撃よ」と言った。

 

 

 

 

 

 

 

 

「シンジさん、今日も来てくれたんですね」

「う、うん」

 

 第三新東京市中央総合病院。

 僕はいつものように、高田さんと待合室で座って話をしていた。

 取り留めのない会話だった。今日学校であったこととか、病院の外から見た景色のこととか(高田さんは今は学校に通えていないみたいだから、学校の話は新鮮で面白いのかもしれない)。共通の話題も特にない。趣味も多分あってない。それなのに話は途切れなかった。

 この奇妙な関係を、僕と高田さんはもうかれこれ一週間以上続けていた。

 

「シンジさんが来てくれて、本当にうれしいです。病院ではいつも一人で、少し寂しかったですから」

「そうなの? でも、家族とかがお見舞いに来てくれるんじゃ……」

 

 高田さんは少しだけ目を伏せた。その拍子に、長い前髪がはらりと零れ落ちる。

 

「お母さんはセカンドインパクトの時に……。お父さんも忙しくてなかなか来てくれませんから」

「あっ……」

 

 セカンドインパクト。

 

 2000年に南極大陸マーカム山に衝突した極小の隕石が南極大陸を蒸発させ、それに伴う海面上昇、洪水、津波、噴火、地殻変動など急激な環境の変化を促し、その結果南半球で約二十億もの死者が出た。しかし、それらはセカンドインパクトの引き起こした悲劇のごく一部でしかない。

 隕石衝突から二日後、インド・パキスタン間で難民による武力衝突が勃発。それを皮切りに紛争が世界中に広がった。原因は言わずもがな、セカンドインパクトによる深刻な食糧不足と膨大な数の難民である。

 五日後には東京に新型爆弾が投下、結果五十万人が死亡。当時の混乱の最中で何故爆弾が落とされたのか、誰が、どこの国が落としたのか全く不明。

 結果として東京は復興不可能の壊滅状態となり、首都は長野県松本に臨時遷都されることとなった。第二新東京市の誕生である。

 その五年後である2005年に、「第三新東京市」が神奈川県箱根に建設開始されたのだった。

 この一連の騒動を俗にいうセカンドインパクトであり(何故「セカンド」なのかというと、かつて月の誕生に際する過程で地球に隕石が衝突してきたときに発生したと推測される「ジャイアントインパクト」に次ぐ、二回目の地球全土の規模の危機をもたらした衝突であることに由来する)、この騒動による死者は当時の世界人口のおよそ半数にのぼるとされている。

 セカンドインパクトが人類史に与えた影響は甚大であり、南極大陸は消滅、海面上昇により沿岸部は多くが沈没、日本でもセカンドインパクトの影響で曲がった地軸により四季がなくなり、常夏の気候となってしまった。

 セカンドインパクトにより、多くの人が死んだ。

 高田さんみたいに、家族を失った人もたくさんいる。

 

「そっ……か……」

 

 僕はなんといっていいか分からず、曖昧な返事しかできなかった。

 

「ああ、でもお母さんのことはあまり覚えていないんです。物心のつく前のことですから」

 

 微妙な空気を払拭するためか、僕への気遣いからか、心持高くなった高田さんの声色。

 

「僕も母さんのことはほとんど記憶にないよ。セカンドインパクトのせいでってわけじゃないらしいけど」

「そうなんですか」

「父さんから、そう聞かされてる」

 

 正確には「先生」を経由して、だけど。

 

「お父さんとは、仲がいいんですか」

「……ううん。父さんとは全然仲良くないよ。ずっと離れて暮らしてるから、何考えてるかも分からない」

「そうなんですか……私も」

 

 高田さんはそこまで言いかけてから、奇妙なことに、僅かに狼狽した。それで僕は、なんだか、見てはいけないもの――例えば、裸とか――を見てしまったような、そんな奇妙な錯覚に陥る。

 高田さんは、今までに僕に色々なことを話してくれた。会って数日の僕が果たして聞いてしまってもいいのか、判断しかねるようなことも。

 その曰く言い難い無防備さ。

 ふと、白ウサギの白くて柔らかな体躯を脳裏に思い浮かべた。清くて美しい。温室でぬくぬくと人の手で育てられた、恐怖や穢れを知らない、いっそ危うさすら感じられる清純さ。野生に放てばすぐに肉食獣の餌食になるだろうと思わせる……。

 ジワリと口内に湧き上がってきた唾液を、慌てて飲み込んだ。

 取り留めのない考えが流れた僅か一呼吸を置いてから、高田さんは口を開いた。

 

「私も、お父さんとはあまり上手くいってないんです」

「そう、なの?」

 

 それを聞いた僕は、何故だかわからないけど胸を震わすような、奇妙な歓びを感じていた。そして、初めて父さんに感謝した。

 

「昔はすごく仲が良かったのに。辛いこととか、悲しいこと、全部私に話してくれたのに、でも今は……」

「……昔は仲良かったんでしょ? だったら、またきっと昔みたいに仲のいい家族に戻れるよ、きっと」

「だといいんですけど」

 

 それから、高田さんは奇妙なことを言い出した。

 

「お父さん、私のこと怖がってるみたい」

「怖がってる?」

「はい。会うたびに怯えられる。私に会いたがらないんです」

「それは……どうして?」

「わかりません」

 

 それは、僕とは違う。あの父さんが僕を恐れているはずがないから。

 

「あの、シンジさん」

 

 ふと隣に座っていた高田さんが、こちらに身を寄せてくる。

 

「っ!!?」

 

 尋常じゃない距離感。

 高田さんのか細い肢体から、無防備な甘い匂いがした。儚いけど、力強く頭を揺さぶってくる匂い。淫らな気持ちを誘発させる怪しい魔力。

 僕はとっさに身を引こうとしたが、体が硬直して動かない。

 

「ど、どうしたの?」

 

 高田さんの済んだ瞳が、僕の目をじっと見つめた。彼女の動作は、いちいち僕の鼓動を狂わせる。

 斜陽のような、儚げな笑み。

 

「シンジさんには、すごく感謝しているんです。シンジさんとこうしてお話ししてると、なんだがうれしい気持ちになりますから」

「そ、そう……」

「シンジさんには、私の悩みばかり聞いてもらって……」

「そんなこと、ないよ。僕も、学校のこととか色々聞いてもらってるし」

「シンジさんのお役に立てたらって、思うんですけど。なかなか思う様にはいきませんね」

「そんなことないよ!」

「そうですか?」

「うん」

「それなら……よかったです」

 

 ほんの少しだけ、高田さんが身を引いた。それでホッと安堵したけれど、少しだけ残念でもあるような。

 

「少しでもシンジさんの役に立てたなら幸いです。私には……」

「……なに?」

「……いえ、何でもありません」

 

 高田さんがこのような煮え切らないような態度を僕に見せたのは初めてだった。どうしても気になった僕が、高田さんに再度問い詰めようと口を開きかけた時のことだった。

 

「シンジ!!」

 

 聞き慣れた声で名前を呼ばれてぎょっとして振り返ると、そこにアスカと、他の皆――トウジやケンスケ、委員長、綾波も――がいた。

 

「ア、アスカっ!?」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「まさか、本当に逢引きだったとは……」

 

 ケンスケが廊下の突き当りの陰からシンジとその隣に座っている女性を見ながら、茫然とそう呟いた。そのすぐ隣でアスカが呻く。

 

「むー!」

「ああ、可憐な方やぁ。年上のヒトかなぁ……うひょー!!」

 

 その更に隣でトウジが腰をくねらせる。

 

「あないな彼女を持つとは……ほんまに羨ましいわ!!」

「鈴原……」

 

 大口を開けて悲嘆にくれているトウジを、委員長が悲し気に見つめている。

 

「むむぅ! シンジにあんなに身体を寄せて……ハニートラップよ間違いなく。あの娘はスパイね!」

「どうかなぁ」

 

 等と言って騒ぐ、互いに身を寄せ合って待合室のシンジを影から観察している不審者四人。

 そんな四人に声をかける、一人の少女。

 

「どいてくれる?」

 

 四人がギョッとして振り返る。するとそこには、

 

「ファーストじゃない。なんでここにいるのよ?」

 

 いつの間にか幽霊のように後ろにゆらりと立っていた綾波に、アスカがそう問いかけると、彼女は、

 

「健診」

「定期健診ならもう終わったでしょーが」

「私は別。他のヒトとは違うもの」

「あらそーですか!」

 

 アスカはそれ以上は興味を示さず、綾波から視線を外した。

 

「図らずもエヴァパイロットが一堂に会したわけか」

 

 ケンスケが綾波、アスカ、そして遠くのシンジを見てポツリと呟く。

 

「もー我慢ならないわ!! このままじゃエヴァの機密情報も何もかもあの女に抜き取られちゃう! 辛抱たまらん! 突撃よ!!」

「待てよ、いい雰囲気じゃないか。邪魔しちゃ悪いよ」

 

 今すぐにでも飛び出そうとするアスカを、ケンスケが引き留める。

 

「せや! もしかしたら、運が良けりゃチューするとこも見れるかもしれへんでぇ。コーフンするわぁ!」

「むかー!!」

 

 いよいよアスカは怒髪が天を突く勢いで怒りだし、口から気炎を吐く。

 それから、ケンスケの手を振り払ってズカズカとシンジの元へ歩き出した。

 

「あーあ、いっちゃったよ……」

「しゃーないから、ワシらも行こか。……せっかくやし、綾波もどうや」

 

 鈴原が後ろの綾波に声をかける。綾波は返事をしなかったが、歩き出したトウジとケンスケ、委員長の後にそっと続いた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「アスカ、どうしてここに?」

「どーしたこーしたもないわよ!」

 

 アスカは足早に僕の目の前に踊り立つと、鼻先にビシッと人差し指を突き出す。

 

「このノータリン! バカガキ!」

「のーたりん……」

「えっと……シンジさんのお友達の方々ですか?」

 

 ぞろぞろとやってきた少年少女たちに、高田さんは控えめに目を向けながら、僕にそっとささやきかけてきた。

 

「う、うん……まあ」

「どうも、相田ケンスケです」

「イカリクンの大親友、鈴原トウジでーす! よろしゅう!」

「洞木です。碇君とは、同じクラスの友達です」

「……」

 

 それから、各々が好き勝手に挨拶を始めた。

 

「あの……私は、高田球沙です。この病院のお世話になっています……」

「ええっと、みんなはクラスメートで――」

「ちょーっといいでしょうか、高田さん?」

 

 僕が状況が飲み込めないながらも取り合えずみんなの紹介をしようと口を開いたのだが、アスカがそれを遮った。

 

「は、はい……なんでしょうか」

 

 押しの強いアスカの調子に若干戸惑った様子を見せた高田さんは、肩をピクリと動かした。アスカはじっと高田さんを見つめる。それからぼそっと呟いた。

 

「……大きいわね」

「なんのこと?」

「何でもないわよ!」

 

 僕の問いにアスカは怒鳴り、それから大きく咳ばらいをした後、改めて高田さんに向き直る。

 

「随分シンジと仲のよろしいことで」

「はい、シンジさんとはつい最近ここで知り合って……」

「ふーん……」

 

 アスカのジトッとした視線が、僕と高田さんをしばらく何度も往復した。それから高田さんに、顔に浮かべた不敵な笑みを向けた。

 

「最近シンジ君の様子がおかしいと思ったら、あなたのせいだったんですねぇ~」

「おかしい……?」

「ちょっと、アスカ。高田さんのせいってなんだよ。失礼じゃ……」

「シンジは黙ってて!」

 

 一喝して僕を容易く黙らせたアスカは、それから少しだけ高田さんに詰め寄る。

 

「……高田さーん? シンジと仲良くするのはイッコーに構わないんですけど、シンジはパイロットとしての責務があるんですから、くれぐれも邪魔だけはしないよーに」

「パイロッ……ト?」

 

 ヤバい。

 僕は二人の間に身体を滑り込ませる。

 

「アスカ!!」

「どきなさい」

 

 だが、アスカに襟をつかまれて、あっけなく投げ飛ばされる。あの細い体躯のどこにこんな尋常ならざる腕力が秘められているのだろう……。中空にてそんなことを薄らぼんやりと考えた直後、地面に背中を打って悶絶した僕に、トウジとケンスケが慌てた様子で駆けよる。そんなことをしている間にも、アスカはずけずけと口を開いた。

 

「パイロット、って」

「あらぁ? もしかして、高田さんご存じでない? シンちゃんってば、高田さんに黙ってたんだ」

「シンジさん、何かのパイロットをされているんですか?」

「それは――」

 

 ちょっと待って!!

 と、叫びたかったのだが、投げられた衝撃で背中が詰まって声が思う様に出せなかった。

 

「それはもちろん、ヱヴァンゲリヲンのパイロット!」

 

「エ……ヴァ?」高田さんは小さく首を傾げる。「それって、あの大きなロボットの……」

 

「ロボットなんてちゃちなもんじゃない。使徒から人類を救済する福音、使徒に対抗出来る唯一無二のヒト型決戦兵器」

 

 高田さんは目を大きく見開いてから、思わずといった風に僕を方を見た。僕はとっさに顔を逸らしてしまった。

 

「シンジさんが……」

「言っておきますけど、私も栄えあるエヴァのパイロットの一人、当然成績はぶっちぎりのnumber one! 私たちは世界の平和を守るために大忙し。そーんな時期に、こんなんでも数少ないパイロットの一人であるシンジが色ボケボケっとしてると、ただでさえ日ごろからメーワクかけてるのに拍車かけて色んな人を困らせることになるんです」

 

 高田さんは、アスカの言葉に動揺を隠せないでいるようだった。

 

「私、シンジさんがそんな忙しい方だったなんて、知りませんでした」

「まぁ、会うなとは言いませんけど?節度は守ってもらわないと」

「……すみません」

 

 高田さんは立ち上がって、みんなと、それから僕に向かって頭を下げた。そして、本当に申し訳なさそうにこう言った。

 

「ごめんなさい、シンジさん。私、ご迷惑だったみたいで……」

 

 高田さんはそう言って哀しげ微笑んでからに、顔を伏せる。心臓が掻きむしられるような痛みを感じた。

 

「そんな、迷惑だなんて――」

 

 アスカが勝手にああ言っているだけだよ。

 僕が弁明しようと彼女に駆け寄ろうとした、その時だった。

 僕とアスカ、それから綾波の携帯が一斉に鳴り響く。普通の着信音ではない。これは……。

 僕が考えるよりも先に、アスカが口を開く。

 

「非常召集!!」

 

 アスカが走り出す。が、驚いて目を丸くしている高田さんと見つめあっている僕を見て、すぐに引き返して僕の腕をむんずと掴んで、引っ張って行く。

 

「何やってんのよ非常召集でしょ! 使徒が来てんのよ私たちの出番でしょ!?」

「あ、ああ~」

 

 綾波はいつの間にやら姿を消していた。アスカにズルズルと引き摺られて行く僕は、遠くなっていく高田さんの姿を、水面にうかぶ鯉のように口を開閉させながらただ見ていることしかできなかった。

 

 後には、どこか気まずそうな雰囲気を漂わせている面々だけが取り残された。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「シンジ君のシンクロ率が安定してませんね」

 

 伊吹マヤが、モニターを指さしてそう指摘する。意外そうなニュアンスを言外に込めて。

 

「うーむ。何かあったのかしら……シンジくーん?」

 

 葛城ミサトは手前のスイッチはぱちりと閉じて、モニターに映しだされたテストピット初号機仮想シンクロ状態の碇シンジに声をかけた。

 

「体調が思わしくないのかしら?」

『いえ……』

『はいはーい! シンジ君の調子がおかしい理由をこの私アスカラングレーはご存じしてまーす!』

 

 モニタ越しのシンジの暗い表情を覆い隠すように、でかでかと映し出される弐号機コックピットパイロットモニタウィンドウ及びアスカの顔面。

 

『原因は、碇シンジ君の恋煩いでーす』

「「恋煩い!!?」」

 

 アスカのお道化た調子で発せられた言葉に、モニタールームのスタッフ一同が愕然とする。

 

「あらぁ~いいじゃないシンジ君。色を知るオトシゴロになったってことね」

「ミサトと同じ轍を踏まないといいけど」

「なんですって?」

 

 睨みを効かせるミサトの眼光を無視し、コーヒーをグイッと飲み込んだ赤木リツコは、眉を顰ませながらモニター越しにシンジ、アスカの両者をたしなめる。

 

「恋愛は結構だけど、二人とも現場に私情を持ち込まないこと。いいわねシンジ君、今は戦いに集中して」

『はい……』

『ぷぷー、怒られてやんの』

「アスカも茶化さない」 

 

 ピリピリとした不協和音を鳴り響かせる人類の希望を担うパイロット二人に、ミサトは否応なく不安を覚えずにはいられないのだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「第三次冷却終了」

「フライホイール、回転停止。接続を解除」

「ケージ内、すべてドッキング位置に固定」「補助電圧問題なし!」

 

「停止信号プラグ、排出終了」

 

「了解、エントリープラグ挿入」「エントリープラグ挿入ー!」

 

EVE-01

 

「EVA-01脊髄伝導システム解放」

「接続準備に入ります」

「探査針、打ち込み完了」

「精神汚染計測値は基準範囲内」

 

「エヴァ初号機、インテリア固定終了」

「了解。第一次コンタクト開始!」

 

EVA-00.77

「各機、エントリープラグ注水!」

「L.C.L注水完了、循環システムの稼働を確認。異常なし」「主電源の接続完了しました」

「了解」

 

「第二次コンタクト開始。インターフェイスを接続」

 

EVA-02

「A10神経接続、異常なし」「L.C.L転化状態は正常」「思考形態は日本語をベーシックに。初期コンタクト問題なし」

「コミュニケーション回線開きます。ルート1122までオールクリア。シナプス計測、シンクロ率83.4%を維持」

「ハーモニクス、すべて正常値」

 

「了解……」

 

 

 報告は全て聞き終えた。

 ミサトは目を閉じ、一呼吸おいてから声を大にして、叫ぶ。

 

 

 

 

「発進準備!」

 

 

 

 EM03_Edit#070705

 

『発信準備!』

 

 各機の身体を覆っていたプールの冷却水が抜かれ、ドックの水位がみるみる下がってゆく。そして弐号機、零号機改、そして初号機の、拘束された巨大な肢体、その極一部分が露となった。

 

「第一ロックボルト外せ」

 

 オペレーターの指示を確認したL1ー5現場担当責任者が首肯する。

 

「第一ロックボルト外せー!」

 

 そしてガクンと。

 肩を固定してたロックボルトが外れる。

 

『解除確認』

 

 両肩を固定していたロックボルトが完全に外れ、続いてアンビリカルブリッジが動き始めた。そして、エヴァンゲリオン其の巨体が徐々に解放されていく。

 

『アンビリカルブリッジ、移動開始!』

「第二ロックボルト外せ!」

 

 続いて第二ロックボルトが解放され、エヴァンゲリオンの肩部ウェポンラックが露になった。第二ロックボルトによって固定されていた拘束具がそれぞれ、別々の方向に移動する。

 

「第一拘束具、除去。同じく、第二拘束具を除去」

「エヴァ初号機、一番から十五番までの安全装置の解除確認」

 

 各部拘束具L1からL15までの拘束解除を確認するオペレーター。

 

「解除確認。現在、初号機、零号機改、弐号機の状況はフリー」

「内部電源、充電完了。外部電源接続、異常なし!」

「了解。EVA各機、射出口へ」

 

 各エヴァ発進準備作業員担当責任者の報告を受けた伊吹マヤは、エヴァを射出口に送る。

 

「各リニアレールの軌道変更問題なし」

『電磁誘導システムは正常』

 

 巨大な脚が電磁気によって持ち上げられてゆく。

 

「現在、零号機改はK-22を移動中」

「射出シーケンスは、予定通り進行中」

『エヴァ初号機、射出ハブターミナルに到着』

 

 伊吹マヤ。

 

「進路クリア、オールグリーン」

 

 零号機担当責任兼任の阿賀野。

 

「零号機改発進準備完了しました」

 

 同弐号機担当の大井。

 

「弐号機、完了」

 

 同初号機担当の最上。

 

「同じく初号機、発進準備完了です」

「オーケー……。いいわね三人とも」

 

 報告を受けたミサトが、パイロットに最終確認を行う。

 

『『『はい』』』

「いい返事よ。それじゃぁ」

 

 

 

 

「発進!!」

 

 ミサトの号令と共に、各機エヴァンゲリオンは豪速で地上に射出されていった。

 

 

 

 

 

 

 

 

『いい?三人とも』 

 

 弐号機。

 先鋒。

 大型破砕兵器デュアルソー装備。

 

『目標のデータは送った通り。敵の行動は予測できないわ。こちらの威嚇射撃にも反応しない』

 

 零号機。

 中堅。

 スナイパーライフル装備。

 

『慎重に接近して反応をうかがい、可能であれば市街地外に誘導を行う。先行する一機を残りが援護、よろしいかしら?』

 

 初号機。

 大将(後方待機)。

 マルス133装備。

 

 コックピット内に木霊するミサトの通信音声に、三人のパイロットが首肯する。 

 

『ホントにトーメーなのね』

 

 アスカの感心のこもった声が通信越しに聞こえてくる。事前に敵の情報は聞いていたけど、実物を見てみたい気がする。透明って、どんな感じなんだろう。ガラスみたいにキラキラしてるのかな。

 

『シンジまだー? 援護が遅ーい』

「アスカが速すぎるんだって……」

「臨機オーヘン! 合わせなさいよ」

 

 アスカに言われるまま、初号機を忙し気に前に進ませようとすると、不意に背中が引っ張られるような感覚に襲われる。後方を確認するとアンビリカルケーブルが伸びきってビルに引っかかっていた。

 アンビリカルケーブルとは、エヴァの背中から電力を常に供給するためのエヴァの生命線。電力によって活動しているエヴァにとって、アンビリカルケーブルはその名の如く赤子のへその緒のような、重要な役割を担っている。アンビリカルケーブルによる電力供給がなければ、エヴァは内部電源による約五分の活動制限を強いられてしまう(フルポテンシャルでの稼働だと約一分)。過酷な使徒との戦闘においてそれは致命的なハンディキャップとなってしまう。よって現状エヴァによる作戦行動は常にケーブルによる外部からの電力供給が必須なのだ。

 背中に取り付けてあって邪魔にならないのは良いのだが、如何せん市街地での作戦行動ではケーブルの長さが足りない。ビルを迂回するたびにケーブルが突っかかる。

 

「気持ち短いんですよね、コレ。せめてウチの掃除機のコードくらい長くて絡まりにくいと、もっと動きやすいんですけど」

『短いってことはないわよ? エヴァのスケールが大きすぎるよの』

 

 通信越しにぼやくと、技術部の矜持からかリツコさんがすかさず恨めし気に突っ込みを入れてくる。

 

『絡まりやすいのは、まあ、そうかもしれないけど……』

『そこは要改善、ですね』

 

 苦笑気味なマヤさんの声も、遠くから聞こえてくる。

 

『すぐ横の建物の中に追加のケーブルが収納されてるわ』

「わかりました」

 

 手元のスイッチを作動させると、初号機の背中に取り付けられていたアンビリカルケーブルの端子が自動的にパージされる。パージされた端子は衝撃による破損を防ぐため、地面に落下する瞬間に中空で逆噴射をかけ、落下の衝撃を緩和した。それでも、エヴァに合わせた巨大なスケールの金属端子は、落下地点に駐車してあった車のボンネットをたやすく押しつぶした。

 初号機はそれからすぐに、ミサトさんに言われた通りにビルから新たなケーブルを出して背中に差し変える。

 

「換装終了」

『早くしないと拙いわ。敵ともう接触しちゃうわよ』

 

 アスカの強気な声が聞こえてくる。

 ふとモニターで弐号機と零号機の位置を確認すると、すでに二人とも所定の位置についていた。僕がだけが愚図でのろまだった。作戦行動に集中できないのだ。理由は……明白だけども。

 

『MAGIの予測よりも目標の移動速度が速いわね……。シンジ君、急いで』

「は、はい」

『レイとアスカは先行して、敵の反応を伺って』

『『了解』』

 

 

 

 

 

 

 

 

「トーメイだか何だか知らないけど」

 

 ニヤリと、アスカは不敵に笑う。目標との距離はもう間もなく。

 

「位置がわかるんだったら、何も問題ないじゃない。フンっ! 間抜けもいいところだわ」

 

 手元のデュアルソーの感触を二度三度確かめてから、弐号機の巨体を音もなく移動させる。試作機である零号機や初号機よりも実戦を想定されて造られた弐号機は、駆動の際の防音性や精密動作性に優れているため、他機よりもステルス能力が高い(弐号機のカラーリングが派手な紅白であることからわかる通り、弐号機がステルスを主とした造りになっている、というわけではない)。また、操縦者の操縦能力の高さも相まって、弐号機の隠密はここに極まっていた。

 

『アスカ? わかってると思うけど、今は様子を見て、敵の出方を伺うのよ?』

 

 「わかってる! 要は……」じっと弐号機をビルの側面に添わせながら、目標、メタトロンの接近を待っていたアスカは、メタトロンがビルの隙間から姿を現した瞬間、満を持してビルの陰から飛び出した。「何かされる前に倒しゃあいいんでしょ!!」

 

『アスカっ!』

 

 ミサトの声など、もう聞こえていなかった。

 デュアルソーが唸る。

 

「どぅりゃあ!!」

 

 弐動機がメタトロンの目前に躍り出た。弐桁階数のビル程の巨体からは想像もできない俊敏さで。

 デュアルソーとメタトロンが接触する寸前、両者の間に強烈な閃光が迸った。

 辺り一面に、虹色に瞬く十字の光が飛び散った。弐号機の聖なる加護を受けたデュアルソーのソーチェーンが、メタトロンの不可視の領域、何人たりとも侵すことのできない心の光、ATフィールドを物理的に引き裂いているのだ。

 時にして僅か1、2秒の攻防。

 メタトロンのATフィールドは、ティッシュペーパーの如き脆さであっさりと弐号機のデュアルソーに突き破られた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 管制室の主モニターから一連の作戦行動を見守っていたミサトは、アスカの勝手な行動を咎める思いもあったが、同時にホッと一安心していた。デュアルソーのスペック的に、敵のATフィールドをさへ破れば確実に敵をせん滅できると信じていたからだ。それに、とっさに咎めはしたものの、アスカの行動も合理的ではあるのだということも分かっていた。敵の正体が分からないのなら、何かされる前にせん滅する、というのも間違いではない。

 しかし、そんなミサトの甘い目論見は、メタトロンによって悉く粉砕されることとなった。

 

 弐号機の映像回線をリアルタイムで開いていた主モニターが、突如暗転した。

 

「主モニター暗転。弐号機、沈黙」

 

 ……。

 

「……原因はなに?」

 

 淡々とした声での青葉の報告に、眉間をひきつらせながらも、腹の内を無理やり抑え込んだかのような震える声でミサトは一人ポツリと尋ねる。しかし、誰も口を開こうとはしなかった。

 耳に痛い沈黙が数秒職員らの上空を疾走した。

 

「……あっ、弐号機との予備回線が回復しました。これは……」

 

 青葉が手元のモニターに生じされた報告に驚嘆した。

 

「信じられません、アンビリカルケーブルが接続されているにもかかわらず弐号機の外部供給が止まっています! 内部電源もカラです」

「そんな馬鹿な……いや、まさか」

「弐号機の送電線が機能していません。変電機は完全に機能停止しています」

「この現象は……」

 

 青葉の焦燥の入り混じった報告を聞いて何かに感付いたミサト。しかし、ミサトがそれを言葉に変換する前に、先んじてリツコが口を開く

 

「――まさか、エヴァから直接電気を食べるとはね」

「そんなことが可能なの!?」

「現に起きているのだから、もう受け入れるしかないわよ」

 

 どこか投げやりな口調でそう言い切ったリツコに、ミサトは頭を抱えた。作戦部長としての立場から「受け入れるしかない」のを受け入れることができないのだ。なぜなら、エヴァンゲリヲンは電力で稼働しているのだから。その電力を無効、吸収してしまうのがメタトロンなのだとしたら……。

 

「どうやって倒せってのよ……」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「弐号機の信号が消えた……?」

 

 つい先ほどまで簡易マップ上の一角で点滅していた弐号機のマーカーがロストしていた。それからすぐさま、ミサトさんの焦った声がプラグ内を轟いた。

 

『シンジくん、すぐにそこから退却して、目標から距離を取るのよ』

「ミサトさん、アスカは……弐号機はどうしたんですか! 通信もつながらない」

『アスカは目標の攻撃を受けて今は状況不明。シンジ君はすぐに退避。レイ、距離を取って遠距離から狙撃』

『了解』

「ちょ、ちょっと待ってください!」

 

 通信の向こう側から聞こえてくる、蚊帳の外の会話劇に、とっさに異を唱えた。

 

「僕は何もしなくていいんですか! アスカを助けに行かなくていいんですか!」

『シンジくんは待機よ。レイ!』

 

 少しだけ冷えたミサトさんの突き放したかのような命令のその直後、遠方から地響きのような爆発音を聞こえた。

 それから間もなく、かすかな金属音も。すかさず、スピーカー越しにネルフ本部の混乱甚だしさが木霊して伝わってきた。

 

『零号機の信号ロストしました!』

『パイロットの回収急いで!』

『ダメです! ロケットモーター停止、予備も動きません!』

 

 音もなく消える零号機のマーカーを見て、もう我慢ができなかった。

 僕は何も言わず、思いっきりレバーを押した。

 初号機が大きく前進する。

 

『……シンジ君!? 何をしているの!』

 

 徐々に速度を上げていく。初号機の腕の振りはすでに音速を軽く超え、脚は衝撃波を幾度も発生させる。

 

『零号機、完全に沈黙!』

『メタトロン、以前進行中!』

『シンジ君退却よ!』

 

 空を切り疾走するエヴァ初号機。エヴァの神経を伝って、全身に風の音が木霊する。

 

『初号機、メタトロンと接敵します!!』

『ダメよシンジ君!!』

 

 ミサトさんの通信を無視して、動けなくなった弐号機と零号機の元へ全速力で駆けつける。走りながらもウェポンラックを解放、収納されているプログレッシブナイフを引き抜いた。

 

『プログレッシブナイフ装備!』

 

 地面を足で削るようにして初号機にかかる慣性を殺した後、僕は初号機の顔を上げて、そこで初めて目標、メタトロンと対峙した。

 目を見開いた。

 事前に聞かされてはいたのだが、メタトロンの身体は不可視の物質で構成されているらしく、その体は光を透過していた。しかし、巻き上がっている周囲の粉塵や、体の周りを帯びている電流の放つ光線のおかげで、体の大まかな形状や、メタトロンのおおよその位置ははっきりと視認することができた。歪んだ十字架のようなヘンな形だ。

 

「本当に透明なんだ……あっ」

 

 メタトロンの背後に、倒れ伏す零号機の姿を見つけた。ピクリとも動いていない。

 

「綾波っ!」

 

 思わず初号機を前進させた。

 その時だった。

 

 メタトロンの周囲に渦巻いていた電界が、不意に消失する。

 

『『食電』を止めた。何故?』

『まさか……』

『目標に高エネルギー反応!』

『……ダメ!! シンジ君避けて!!』

 

「えっ?」

 

 イキモノというよりは、どちらかというと無機物を彷彿とさせる奇妙に歪な十字の、ガラスのように透明な身体を持った謎の生命体、メタトロンの先端から突如、推定150万kWの電流が放出された。

 太い柱のような電撃が、初号機の胸に直撃した。

 

「あ――…」

 

 視界一杯に、真っ白な光が満ちた。

 

 

『シンジ君!!!』

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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