悪役貴族は死にたくないので四天王になるのをやめました〜リピート・ヴァイス〜 作:黒川陽継
一陣の風が吹いた。
死の鎌——行き過ぎた切れ味による、距離すら無視した不可視の斬撃。
音の無い斬撃はアルバを吹き抜け、その後ろに広がる地平線、遥か先に見える岩山までもを両断して見せた。
死の斬撃を真正面から受けながら、アルバは立っていた。
その背に燃ゆる黒炎と、漆黒の片翼を広げながら。
黒よりも黒く、淡く降り注ぐ月明かりすら吸い込む深淵の大剣を携え。
半分異形と化したアルバの人外の瞳が、ローファスを捉えた。
その直後、一筋の夜風が吹き抜け、ローファスの頰を撫でる。
ローファスの
自然と口角が吊り上がるローファス。
最強クラスの攻撃力を誇る《命を刈り取る農夫の鎌》を凌がれ、反撃とばかりに深淵の斬撃を返された。
掠めた髪先を弄りながら、ローファスは半分魔人化したアルバを見据える。
「…
『一撃とは言えないでしょう。髪に痛覚はありません』
半分人から外れた声を発しながら、アルバは深淵の大剣を構える。
まるで、まだ戦い足りないと訴えるかの様に。
それに応える様に、ローファスも《命を刈り取る農夫の鎌》を構えた。
「
『おや若様、世間話をお望みですか?』
まるで先程の会話の意趣返しの如きアルバの言葉に、ローファスは目を丸くする。
そして直ぐに好戦的に口角を吊り上げ、《命を刈り取る農夫の鎌》を構える。
「いや? ただ少し、貴様の底が見てみたくなった」
直後、死の鎌と深淵の大剣が交わった。
その衝撃で地が抉れ、魔力波が吹き荒れ、斬撃の余波が周囲を吹き飛ばす。
目にも止まらぬ、幾度もの刃の交わり。
死の鎌が振るわれる度に地平線が割れ、深淵の大剣が振るわれる度に斜線に入った岩山が消し飛ぶ。
力は拮抗——しているとはいえない。
明らかといえるレベルでローファスが押されていた。
ローファスは膨大な魔力により身体強化を行っている。
全身に巡らせた高密度の暗黒の魔力があらゆる攻撃を寄せ付けない鎧となり、腕を振るえば岩をも穿つ膂力を発揮する。
それでも、半分魔人と化し、人外の領域に足を踏み入れているアルバの方が身体能力は圧倒的に上。
そして両者の武器の性能。
《命を刈り取る農夫の鎌》は最強クラスの攻撃性能を誇る古代魔法。
一点特化の行き過ぎた斬撃——その威力を超える魔法はそうありはしない。
しかし高威力ではあっても、近接戦に特化した武器ではない。
肉薄する程の接近戦、特に打ち合いを想定された武器ではない。
対するアルバの深淵の大剣。
分類は属性魔法に該当——魔法の格、注がれる魔力は古代魔法に劣る。
しかし、暗黒の上位属性たる“深淵”。
上位属性は属性の質を極限まで高め、術式無しに引き起こされる超然的な自然現象。
そしてアルバが作り出した深淵の大剣は、近接で打ち合う為に生み出された、威力よりも耐久性を重視したもの。
半分とはいえ魔人化により、魔法の出力は人間に引き出せる限界を超えている。
その上でも、《命を刈り取る農夫の鎌》とまともに打ち合える事自体が驚愕すべきであるが——数合の打ち合いの末、死の鎌の刃に亀裂が入った。
ローファスは武器が壊れないよう“いなし”に切り替え、アルバの猛攻を流しつつ詠唱破棄により魔法を発動させる。
「…武器の性能もそちらが上か——《
ゼロ距離による暗黒の濃霧の発生。
人外の域の膂力を持つ《生成》を相手に近接戦は不利と断じ、ローファスは目眩しにより距離を取る事を選択した。
一つの戦法に固執せず、状況に合わせて適切な戦術に切り替える。
当たり前の事ながら、それはこれまで、感情や自尊心に左右されて中々出来なかった事。
しかし祖父ライナスとの決闘を経て、ローファスにも心境の変化があった。
戦況を分析し、より合理的に、効率的に。
ライトレスにとって、敗北は死と同義。
勝利の布石の為ならば、卑怯とされる手段も迷わず選ぶ。
しかし相手は暗黒騎士筆頭、ライトレス家最強の騎士——小手先の戦術は通用しない。
転移魔法の術式構築をする暇は与えない。
『逃しませんよ…若様』
深淵の大剣一振り。
たったそれだけで、暗黒の濃霧は吹き飛ばされる。
「貴様相手に逃げられるとは——思っていない」
『…!』
依然としてローファスはそこに居た——夥しい数の影の使い魔と共に。
暗黒の濃霧に紛れた転移による逃亡はブラフ。
ローファスの目的は、目眩しと同時に暗黒の領域を広げ、複数の使い魔を一斉に呼び出す事。
己の影という小さな面積からでは一体一体呼び出すのに時間を要するが、暗黒の領域を広げればその限りではない。
アルバを囲む様に展開された数多の使い魔が、一斉に攻撃を仕掛けた。
黒炎、黒風、黒のブレス——ローファスよりふんだんに魔力を注がれ、一線級の攻撃力へと底上げされた使い魔達による総攻撃。
それにアルバは——更なる異形化でもって応じた。
『…
途中で止めていた異形化を進め、その身は完全なる魔人へと変貌を遂げる。
筋肉が盛り上がった事で甲冑は弾け飛び、全身が獣の如き漆黒の体毛で覆われる。
蝙蝠の如き黒き双翼、背に燃ゆる黒炎、そして純白の立髪に、頭に聳える一対の螺旋を描く角。
変質したその頭部は、まるで山羊。
黒翼に、山羊の頭——その姿は正しく悪魔。
影の使い魔の総攻撃を無防備にその身に受け、しかし無傷。
完全なる
「…漸く
言いながら、ローファスは楽しげに笑う。
それにアルバは、獣の如き咆哮で応えた。
魔力の乗った音波が轟き、それだけで力の弱い使い魔は消し飛んだ。
山羊特有の横長の瞳孔がローファスを捉え、深淵の大剣を構えて駆け出した。
大凡人間とは掛け離れた挙動、それは膂力と魔力に任せた獣の如き疾走。
人の目では追えぬ程に速く、次の瞬間にはローファスの眼前に肉薄し、深淵の大剣を振り上げていた。
完全なる魔人化に応じて大剣の形状も変化しており、その刀身はより大きく、より禍々しく変質している。
当然、内包する魔力も、深淵の質も飛躍的に向上している。
人の身では躱す事も出来ない速度。
周囲の生き残った使い魔が、ローファスを守る様に一斉に前に出た。
しかし、そんなものはアルバの視界には映らない。
使い魔の攻撃はアルバに対して有効打になり得ず、障害物としての価値も無い。
深淵の大剣、その余波に触れただけで影の使い魔は跡形も無く消し飛んだ。
時間稼ぎにもならず、退く間も無い。
否——ローファスは逃げる素振りも見せず、振り下ろされる深淵の刃を、ただ静かに受け入れた。
舞う鮮血、止まる大剣。
振り抜かれた深淵の刃は、一部暗黒と化したローファスの手に掴まれ、止められていた。
しかし止めきれず、刃が僅かに食い込んだ肩から血が流れる。
「見事な一撃だ。やるではないか、アルバ」
ローファスの口より出た称賛の言葉に、アルバは思わず顔を上げる。
『若、様…』
「
魔法使いは、その家の歴史が深い程に強い。
それは歴史が深い分世代交代を経て、より多く、より強力な魔法を受け継いでいるから。
千年の歴史を持つライトレス家は、古代魔法を始めとした数多の魔法と、その扱い方、知識を受け継いでいる。
ローファスが多用する
しかし歴史が浅い貴族家には、そうした魔法的アドバンテージが無い。
アルバもヴェルメイ侯爵家の出ではあるものの、貴族としての歴史は浅く、ヴェルメイ特有の黒炎を受け継いでいなかった事から分家に落とされた。
それ故にアルバは、ヴェルメイ家で歴史が浅いながらも培われた魔法すら伝えられず、一般的に広まっている基本魔法しか習得していない。
貴族家に伝わる魔法は基本的に秘匿であり、たとえライトレス家に仕える騎士となろうとも、
しかしアルバは、一般普及した基本魔法のみでここまでの実力を身に付けるに至っている。
無論才能もあったであろうが、それだけでは限界がある。
最高峰の家柄、無尽蔵の魔力、他の追随を許さぬ魔法適正と才能。
それら全てを持ち合わせ、鍛錬を欠かさなかったローファスが今、明確に傷を負っている。
ここまで練り上げるのに、一体どれだけの努力と鍛錬を積み上げたというのか。
ローファスは努力の必要性を理解している。
だからこそ気になった。
一体何故、どうして、ここまでの力を得る程に努力を重ねたのか。
「ここまでの実力、並大抵の努力や研鑽で至れるものではない…何故、そうまでして俺に仕えようとする」
幾度も問われたローファスの疑問。
これまでは人として、口下手に答えてきたアルバ。
しかし魔人化し、通常よりも感情が昂っている今アルバのは、獣として本能のままに答える。
『——私だけ…私だけなのです、貴方を理解出来るのは…!』
「…何?」
『強者とは、孤独なのです…ただ歩いているだけでも、弱者は後をついて来れない。誰も隣に並び立つ事はない。故に強者は、いつも一人…私は知っているのです、その孤独を』
会話のキャッチボールも成立しない。
感情任せに支離滅裂。
しかしローファスは、その言葉に静かに耳を傾ける。
『貴方は絶対なる強者です…! それなのに貴方は、今以上に力を望まれている! その先に何があるのかを、私は知っている! 嗚呼、
アルバにとって、ローファスは強者の孤独から解放してくれた恩人。
どれだけ鍛錬を積もうと、超えられない壁としてそこに居てくれる存在。
強くなる事の楽しさに気付き、努力を苦痛に感じないまま鍛錬を続けて走り続けた。
後ろを振り返って見れば、そこには誰も立っていなかった。
かつて壁としてそこに居てくれたカルロスや、ルーデンスさえも。
強さを極めるという事は、孤独になるという事。
ローファスという絶対強者の存在は、アルバにとっての救いであった。
自分は救われた、しかしローファスはどうなのだろうか。
彼は今の実力では満足せず、更なる力を得ようとしている。
彼の隣に立つ者が必要だ——彼がいつか後ろを振り返った時、独りではないと言える存在が。
この世界の誰もが、そこに立つ事が出来ないだろう。
しかし自分ならば立てる——絶対に立つ。
それこそがアルバに出来る唯一の恩返しだから。
アルバの獣の如き感情の吐露を聞いたローファスは、静かに息を吐く。
「貴様…そんな事を考えていたのか」
呆れる様に、警戒が解けて自然と肩の力が抜ける。
「要するに貴様は、強者故の孤独とやらを感じていたと。全く…井の中の蛙というか、贅沢な奴だ。勘違いをしている様だから訂正しておく。俺は過去を含め、孤独だった事は一度としてない」
『…!?』
「出会いに恵まれたものでな。だから無理に俺の横に立つ必要はない。別に俺は、孤独ではないからな」
だが、とローファスは続ける。
「約束だからな。それでも側近として俺の横に立ちたいと言うならば、認めてやる。アルバ・ロト・ヴェルメイ——学園卒業後、貴様は俺の騎士だ」
『ろ、ローファス様ぁ…!』
感極まった様子のアルバ。
ローファスは微笑み、静かにアルバの胸にとん、と手を添える。
「知っているとは思うが、ライトレス家の当主に敗北は許されない。たとえお遊びの決闘ごっこであろうとだ。一撃を入れられてはい終わり、とはいかん。条件による決着は兎も角として、明確な勝敗は必要だ」
ローファスの手に、暗黒の魔力が収束する。
アルバは動けず、たらりと冷や汗を流した。
「——《
暗黒の濃霧——否、夥しい数の小さな深淵が、アルバを覆い尽くす。
上級魔法《
直接的な攻撃性は皆無。
しかし生み出された深淵の霧は、魔力を削り、内に引き摺り込んで無へと帰す。
異形化したアルバの肉体は魔力を削ぎ落とされ、強制的に人間の姿へ戻された。
アルバは突然の事に驚き、力無く膝を突く。
呆然と見上げるアルバを、ローファスは見下ろす。
「断言する。貴様は、これまで俺が出会った中で最強の人間だ。
アルバは信じられないと目を見開く。
「物、足りない…!? 私が、ですか…?」
「そうだ。最強とは言ったが、所詮は人間レベルでの話。たとえ貴様でも、俺が魔の海域で遭遇した鯨の魔物——《魔鯨》は倒せん」
「《魔鯨》…それ程の…!?」
「いや、正確には善戦はするだろうが、倒し切るのは無理だろう。その前に貴様の魔力が尽きる。俺が貴様に望むのは、最低でも《魔鯨》を一方的に嬲り殺しに出来る程度の力だ。まあ見た事もない奴を例に出されてもイメージしにくいか。そうだな…俺以上の魔力量を持つ最高位の竜王が、魔力の続く限り高速再生を繰り返して死ぬ事がない、とでも言えば想像出来るか?」
「ローファス様以上の魔力…? 高速再生を持つ、竜王…? それは一体、どこの神格ですか…」
口調こそ怯えているかの様だが、アルバの顔は新しい獲物でも見つけた獣の様に口元を歪めており、笑っている様にも見えた。
ローファスは呆れた様子で肩を竦める。
「楽しそうでなによりだ。俺の騎士になるならば、そういったレベルの化け物と戦う事になる。肝に銘じておけ」
「…ローファス様は一体、何と戦われるおつもりなのですか」
アルバの問いに、ローファスは何となく天を見上げた。
己の世界、その夜空に映し出される三日月を。
「俺の意に沿わぬ《神》だ」
神、その返答を聞いたアルバは頬が裂ける程の笑みを浮かべ、平伏する。
「御意に。ご命令とあらば、如何なる神の首であろうと御前に献上して見せましょう」
「ああ…それが成せる程に、強くなれ」
こうして、ライトレス家最強の騎士は、正式にローファスの騎士となった。
*
それはローファスが暗黒の世界を閉じ、修練場に戻ってからの事。
アルバはローファスに早速——パワハラを受けていた。
「あ。言っておくが、正式に俺の側近になるのは学園卒業後、俺がライトレス家の当主となってからだ。それまでは許可無く俺の目の前に現れる事を禁ずる」
「…!? そ、それは何故…」
狼狽えるアルバに、ローファスは億劫そうに視線を上に向ける。
「…その気障ったらしく伸ばした鬱陶しい白髪」
「は…か、髪、ですか…」
「視界を端をゆさゆさと…折角の機会だから言わせてもらうが、初めて顔を合わせてからずっと——目障りで仕方なかった」
「——!!?」
ローファスの衝撃の告白に、アルバは目を見開く。
そしてわなわなと震えながら、己の白髪をガシッと鷲掴んだ。
「す、直ぐに染めます! 黒に!」
ライトレス家は皆等しく、黒を好む傾向にある。
当然ローファスもその例に漏れない。
実際ローファスが暗黒騎士から引き抜いて側近に据えているユスリカは黒髪だった。
しかしローファスの反応は芳しくない。
「紛い物の黒髪程、無様なものはない。染める位なら剃れ」
「剃——え…?」
アルバは暫し長年連れ添った自身の髪を見つめ、ポツリと呟く。
「あの…剃ったら、ローファス様の前に出ても宜しいのでしょうか…」
「いや、それとこれとは別だ。側近でもないのに、貴様の顔なぞ見たいとは思わん」
「…ッ」
絶句したアルバは、絶望の面持ちで膝をつく。
「か、髪を剃る件は、少し考えさせてください…」
「いや別に剃らなくて良い」
後日、決心した面持ちで髪を剃ろうとしているアルバを、ルーデンスが止めたという。