悪役貴族は死にたくないので四天王になるのをやめました〜リピート・ヴァイス〜 作:黒川陽継
ヘラス山——常に溶岩が溢れ、定期的に噴火を繰り返す火山地帯。
その最奥、一際大きな火山の頂上には、六神が一柱、火神の祠が存在する。
それはかつての火神——《蒼の魔人》エリファス・スフィアが永遠の眠りについた場所であり、墓所でもある。
フランに導かれる形でその場を訪れたアベルは、尋常ならざる戦闘経験を積まされていた。
熱に対して強力な耐性を持つアベルの肉体すら、触れれば消し炭にする程超高温の闇色に燃える溶岩。
アベルの修行は、その闇炎の溶岩の上で行われた。
常時魔力を高密度に高め、溶岩に接する足に集中する事でどうにか消し炭にならずに済んでいるが、それでも立っているだけで皮膚は焼け爛れた。
これは肉体を蒼炎に変えようとも意味はない。
炎に変えて物理攻撃を無効化しても、炎は更なる高温の炎により焼き尽くされる。
そんな煉獄のような場所でアベルは、火神の祠の守り手たる《生ける溶岩ヘレス》との戦闘を強いられた。
それは火神から与えられたアベルを強くする為の試練。
溶岩に潜り、同化して襲い来るヘレスはアベルからしても脅威。
アベルは激闘の末、半死半生ながらもどうにか勝利を収めた。
そんなアベルに待っていたのは、《生ける溶岩ヘレス》を依代として一時的な受肉を果たした火神——エリファス・スフィアとの戦闘。
アベルはエリファスに、何もできぬままに敗北した。
以降、アベルのエリファスに挑む日々が始まった。
エリファスに認められなければこのヘラス山から出る事はできない。
どうせ今のアベルの力では、《魔王》や《神》レベルの戦闘にはついていけない。
そのレベルにまで達する事ができないなら、所詮はそこまでの男。
後の事はローファスに任せて、このヘラス山で生涯を過ごせば良い。
エリファスはアベルにそう言った。
そこから冗談じゃないと奮起したアベルがエリファスに挑み続け、そしてヘラス山を出られるまでに経過したのは約五ヶ月。
戦闘経験を積み、以前よりも戦えるようになったと自覚するアベルであったが、最後までエリファスに勝てるヴィジョンが見えなかった。
エリファスは冗談抜きに強かった。
火属性の扱い方、出力、技術——あらゆる面でアベルが考える最強の、更にその先をいっていた。
それは決して《神》としての力ではなく、エリファスという個人、精霊として鍛え上げられた力。
そしてそれが、アベルにとっての明確な目標にもなった。
自分が目指すべきは、思い描く最強はきっとエリファスそのものである。
自分と近しい性質の力、その運用方法の最適化、効率化。
がむしゃらに力を振るうのではなく、研ぎ澄ませて刃のように。
明確な指針を見出してから、アベルの成長速度は早かった。
しかしそれでも、自分の力がローファスに届くイメージが浮かばなかった。
アベルにとってローファスは、強さの象徴として憧れに近い感情を向けつつあった。
修行の最中、己の無力感に苛まれるアベルに、エリファスは言った。
「ローファスを意識し過ぎるな。己の強さを磨け」
そしてエリファスは、こうも続けた。
「それと、これは忠告だが——あまりローファスに気を許し過ぎるな」
「え…なんで…」
「後悔する事になるだろう」
そのエリファスの言葉の意味が分からず、アベルは眉を顰める事しかできなかった。
*
帝国側の使者—— 《人類最高の頭脳》テセウス。
帝国を裏から支配して王国に戦争を仕掛けた首謀者であり、アベル達とは因縁のある相手。
死んだと思われた男による平和の為の演説という洒落にならない一幕がありつつも、《竜王祭》剣闘大会は幕を開けた。
テセウスの動向には注意しなければならないが、今回の脅威は《邪竜》である。
《邪竜》には直接的に関係はないが、アベルは国王アレクセイからの命令により剣闘大会に王国代表として出場し、実力を示した上で優勝しなければならない。
言ってしまえばそれが、アステリアの婿として認める第一歩。
いや、勿論《邪竜》を倒す事が一番の目的である。
しかし国王陛下の、何よりアステリアの父親からの要望であれば答えない訳にもいかない。
優先順位的には《邪竜》に劣るが、それでも手を抜く気はない。
「と、取り敢えずテセウスの件は一旦様子見にしましょう。下手に動いて帝国と事を構える訳にもいかないし。油断はできないけど、今は《邪竜》。アベル、剣闘大会も程々で良いからね? お父様の事は気にしなくて良いから」
それは闘技大会一回戦に出場する直前のアベルにアステリアが言った言葉。
アベルはグッと力強く親指を突き立てる。
「うん、任せて。軽く優勝してくるよ」
「本当に分かってる…?」
妙に肩に力が入った様子で待合室を出て行ったアベルに、アステリアは心配そうに見送った。
ふと、そんなアステリアをリルカがツンツンとつつく。
「アベル、張り切ってるねー。アーちゃんと結婚する為でしょー? ラブラブだねぇ、このこのー」
「ちょ、やめなさいよリルカ」
揶揄うリルカに、照れつつも困り顔のアステリア。
そしてそれを微笑ましそうに見守る仲間達。
なんともほのぼのとしたやりとり。
因みに、リルカはまだ、ローファスがタチアナと婚姻を結んでいる事を知らない。
*
《竜王祭》剣闘大会本戦は、予選と同様にトーナメント方式。
アベルが戦う場は
東西南北、各
メインドームで行われるのは準決勝、そして決勝試合。
つまり全ての出場者は、メインドームを目指してトーナメントを勝ち上がるという事。
メインドームで戦う事が全ての剣闘士の夢であり目標。
いよいよ第一試合。
アベルは
『さあやって参りました! 栄えある《竜王祭》剣闘大会本戦、第一試合ィ! 北門から入場するは、王国からの刺客……アベル・キャロットォォォォォ!』
「カロット! 僕はアベル・カロット! キャロットはニンジンだろ!」
思いっきり名前を間違えて紹介した実況者に、アベルは突っ込む。
確かにアベルが生まれ育ったカロット村は辺境の小さな農村で、名物はニンジン。
村の名前もそこから来ている可能性はゼロではないが、間違えられるのはなんか違う。
因みに、多少発音の違いはあれど、広義上は“カロット”もニンジンの意である。
『え? 何ぃ? なんだアベル・キャロット。誠に失礼ながら、何言ってやがるか全然聞こえませんねー? もっと大きな声で、ほら』
「カロット! カロットだ! キャロットじゃない!」
『あー、駄目だ、聞こえねえわ』
「聞こえてるだろ!」
えー? とわざとらしく壇上で耳を傾けてくる実況者に、アベルは額に青筋を立てる。
そんなやりとりに会場はクスクスと笑った。
『オイオイ失礼だろ観客の皆々様。こんなガキでも本戦出場者なんだからな。まあ? 王国の代表ってんで予選パスした特別枠だけどなあ? こんなヒョロいお子様が苛烈な予選に耐えられるかって話だしなあ?』
実況者がアベルを見下ろすその目にあるのは、疑惑と嘲り。
前回とは違い、アベルにはなんの肩書きもない。
王国を救った英雄でもなければ、帝国と王国の戦争を終わらせた救世主でもない。
それになんだったら、前回は別に剣闘大会の出場者でもなかった。
そんな実況者に、アベルは負けん気の強い目で睨み返す。
「…僕は確かに、王国代表なんて肩書きが勿体無いくらい弱い。精々一回戦で敗退しないように頑張らせてもらうよ」
『…ケッ。イイ子ぶってんじゃねーよ』
ボソリと吐き捨てると、実況は勢い良く手を挙げて南側を指す。
『それでは皆様お待ちかね! 予選を勝ち抜いた真の闘士の登場だァ! 南門から入場するは、
煽り文句と共に入場して来たのは、筋骨隆々の巨漢。
獅子を模した兜を被り、両手に巨大な鉤爪を装着した剣闘士。
獅子の剣闘士は鉤爪を掲げ、闘技場全体に響き渡る程の雄叫びを上げた。
それはまるで、百獣の王の咆哮。
それに揺さぶられるように、アベルの時とは比べものにならない程の歓声が響く。
『そうだ、これこそが剣闘士! これこそが予選を勝ち抜いた歴戦の戦士の威圧! 我らが聖竜国にその人ありと言われた《百獣王》コールスゥゥゥゥ!』
《百獣王》の剣闘士コールス。
それはボレアスが最強の座にいた頃、常に二番手の座に甘んじていた男。
今年こそ最強を下してナンバーワンの座を手に入れると意気込み試合に臨んでいた——が、当の
意気消沈しつつも障害が一つ減ったと前向きに捉え、《竜王祭》剣闘大会の優勝を狙う。
『聞く所によるとアベル少年は剣闘大会初出場! つまり
打ち鳴らされる銅鑼の音。
同時、《百獣王》コールスは目にも止まらぬ速さで駆け出した。
風よりも早く、稲妻よりも鋭く、その鉤爪は棒立ちのアベルに向けて振るわれる。
その刹那、コールスはアベルと目があった。
上位の剣闘士ですら反応もできない速度、その筈なのに、アベルは確かに反応していた。
たらりとコールスの頬を冷や汗が流れた。
そして次の瞬間には凄まじい爆炎が上がり、吹き飛ばされたコールスは宙を何回転もしながら舞い、今し方入場して来た南門に激突した。
どさりと地面に落ちたコールスは、ぴくりとも動かなかった。
『え…アレ?』
困惑する実況。
静寂に包まれる会場。
『今、何が…コールスが倒れてる…? 《百獣王》、ボレアスに次ぐ実力者だったコールスが?』
声を震わせながら、しかし実況者は強烈な既視感を覚える。
似たような事が、つい三ヶ月ほど前にもあった。
最強の剣闘士が、初出場の新人に手も足も出ずにボコボコに伸された。
こんな常識外れな事、もう二度と起きる事はないだろうと思っていた。
しかし今、似たような現象が闘技場では起きている。
『しょ、勝者…王国代表、アベル・カロット選手…』
実況者は、誰が見ても明らかな勝敗を告げた。
今度は、名前を間違えずに。
*
王国代表の剣闘士——アベル・カロットの躍進は凄まじかった。
本戦に出場しているのは聖竜国の内外問わない実力者。
それらをアベルは、圧倒的な実力で捩じ伏せ、遂には
「…まだ僕だけか」
周囲を見回すも、アベル以外に選手はいない。
空に浮かぶ巨大モニターを見ると、東西南と、
それもその筈。
アベルは試合での戦闘の全てをほぼ一撃で終わらせてきた。
各ブロック毎にトーナメント式で試合は組まれており、アベル以外の選手同士の試合も当然ある為、極端に早いわけではない。
とはいえ、それでも他ブロックよりは頭一つ抜けて終わるのが早かったらしい。
アベルの入場に少し遅れて、東、西からも選手が現れた。
東門から現れたのは、仮面を被った女の戦士。
そして西門から現れたのは——アベルのよく知る人物だった。
それは黒軍服を身に纏い、軍帽を目深に被った若い軍人。
アベルは驚き目を見開く。
「——スイレン!?」
「…アベル・カロットか」
帝国代表の出場者——スイレンは気まずそうに目を逸らす。
それはまるで、面倒な奴に絡まれたとでも言わんばかりのリアクション。
それに構わず、アベルは近づく。
「スイレンも出場してたのか」
「…テセウスの命令だ」
「テセウス…そうか。彼、生きてたんだね…」
「何? 聞いていないのか?」
知らなかったのか、とスイレンは眉を顰める。
テセウスが生存している事はアベルの仲間であるローファスが知っている筈。
なんだったら裏で色々と国家に関わる取引やら協力体制やらを築いている雰囲気だった。
「聞くって、誰に?」
「いや…」
怪訝そうに聞き返してくるアベルに、スイレンは顔を背ける。
アベル——この男は理想も高く、決して悪い人間ではないが、些か善性に寄り過ぎている節がある。
アベルの人間性を深く知っている訳ではないが、少々融通が利かない部分があるだろうなというのがスイレンの見立て。
ローファスは無用なトラブルを避ける為、敢えて黙っていたのかも知れないなとスイレンは密かに納得する。
「…俺の勘違いだ。それと、一応これでも任務中だ。私語は控えたい」
「あ、ごめん…でも任務中って…」
「安心しろ。もう王国とやり合う気はない」
「え、なら…まさかとは思うけど、今度は聖竜国に…」
「断じて違う。任務の内容を言う事はできないが、テセウスはもう戦争を望んでいない」
「テセウスが? …信じられないな」
「その気持ちも分からなくはない。だが、お前の説得は俺の任務には含まれていない」
フッと顔を背けるスイレン。
ドライだなーとアベルは思いつつ、それ以上の追求はしない。
以前スイレンとは、本気で戦った。
意見は対立し、互いに理解し合えなかった。
しかしそれでも、あの時はお互いに本気で感情を、本音をぶつけ合った。
だから分かる、というのは少々言い過ぎだが、スイレンが嘘をついているとは思えなかった。
二人がそんなやりとりをしていると、おおと会場が盛り上がった。
残された
毎年の恒例で、
南側の巨大モニターをアベルは見ていなかったが、南門から来るのが誰かは分かっている。
前年度優勝者、最強の剣闘士たる《不死身》のボレアス。
《不死身》の二つ名の通り、どんな攻撃を受けても死なない強靭な肉体を持つ男。
帝国最強の軍人、《剣帝》スイレン。
聖竜国最強の剣闘士、《不死身》のボレアス。
そして名は知らないが、ここまで勝ち上がったからには相当な実力者であろう仮面の女戦士。
優勝するのは思ったよりも骨が折れそうだ、そう思いながらも好戦的に笑うアベル。
そして、南門より最後の出場者が現れた。
それは——ボレアスではなかった。
その男がメインドームに一歩足を踏み入れた、たったそれだけで雰囲気ががらりと変わった。
わいわいと賑わっていた会場は一瞬にして静寂に包まれ、体感温度は何度か下がった気がした。
山羊の頭蓋を被った黒衣の男。
その雰囲気は、異様の一言。
前回、こんな男は居なかった。
一体何がどうなっている、この男は一体誰なんだ。
混乱する中、アベルはふと違和感に気付く。
背丈も違う。
魔力の質も違う。
どう考えても別人、なのに——この夜を纏うかのような暗黒の気配。
それはきっと、存在的に精霊に近しいアベルだからこそ直感的に分かった事。
黒衣の男が纏う暗黒の
「え…まさか——ローファス…?」
半信半疑ながら、どこか確信めいたアベルの呟きは、静寂の中に溶けるように消えた。
そしてなぜか、修行中に火神エリファスに言われた事を思い出す。
“あまりローファスに気を許し過ぎるな”
アベルはその思考を散らすようにぶんぶんと頭を振った。