悪役貴族は死にたくないので四天王になるのをやめました〜リピート・ヴァイス〜   作:黒川陽継

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195# 仮面魔法

 聖大闘技場(ジガンテ・コロッセオ)メインドームで行われる《竜王祭》剣闘大会、準決勝。

 

 各方角の闘技場(ブロック)を勝ち上がってきた勝者達四人が遂に出揃った。

 

 MCの《千人長(キリアルケース)》マーズがマイク片手に壇上に立ち、テンション高めに手を掲げる。

 

『さあ! 各闘技場(ブロック)の戦いを制した闘士達が遂に揃いました! 彼等は謂わば強者の中の強者! しかし優勝という栄誉を手にするのはたった一人! 剣闘大会もいよいよ大詰め! では改めて紹介しましょう——四人の“最強”達を!』

 

 マーズは甲冑の上からでも分かる程に鍛え上げられた肉体でマッスルポージングを取りながら、まずは一人目と北門のアベルを指差した。

 

 同時、巨大モニターにアベルの顔が映し出され、歓声が上がる。

 

『北門——全試合対戦相手をほぼ一撃で倒し、異例の速度で勝ち進んで来た超新星(スーパールーキー)! 若い見た目と侮るなかれ! 我が国の剣闘士の中にもこれ程の炎使いは恐らくいないでしょう! 王国代表! この強さで未だ二つ名無し!! 明らかに訳アリ! 何でも彼のガレオンの貴公子からアステリア王女を奪い取ったという逸話を持つ赤き色ボケ少年戦士——アベル・カロットォォォォォ!!!』

 

「どんな紹介だああ!!」

 

 わあ、と沸き立つ歓声と拍手と、たまにちらほらと聞こえる「リア充爆発しろ」「NTRは許さない」などの卑屈な野次。

 

 そして壇上に向けて大声で怒鳴るアベル。

 

 そんなアベルは相手にされぬまま、巨大モニターの画面が切り替わり、今度はスイレンが映し出された。

 

『続いて西門!』

 

「聞けよ! お前ら聖竜国の実況は僕を貶めないと気が済まないのか!? 僕に何か個人的な恨みでもあるのか!?」

 

 アベルは無視され、マーズは進行を続ける。

 

『——帝国軍人が剣闘大会に乱入です! 帝国からの参戦は何気に初めて! 我が国の剣闘士(精鋭)達も侮る事なく勝負を挑み、奮闘の末に皆返り討ちに遭いました! 魔法も技も黒刀一本で叩き伏せる現代の侍! 帝国代表! 《剣帝》の二つ名を持つ帝国最強の軍人——スイレェェェェェン!』

 

「露骨に侮られたし、奮闘という程戦闘が長引いた記憶もないがな」

 

 黒もやしとか野次られたし、とボソボソと文句を言うスイレン。

 

 スイレンも帝国代表として、アベルと同様に予選をスキップしての出場。

 

 聖竜国民から反感を買った状態からのスタートで、あまり良い待遇は受けなかったらしい。

 

 一応扱い的には《三国同盟》上の親善試合的な意味合いも含まれている筈なのに、何でそうも喧嘩腰なんだとスイレンは思う。

 

 やはり聖竜国は力ばかりの蛮国だ、と。

 

 そんな陰のオーラを発するスイレンは放置されたまま、巨大モニターが切り替わり仮面の女戦士が映し出された。

 

『続いて東門! 出身は大陸極西に位置する小国ルルーヴァニタス! 仮面を用いた独自の魔法と、そこから繰り出される多彩かつ独特な戦闘スタイルは実に異色! しかし色物と侮るなかれ! 彼女は地獄のような予選を一から勝ち抜いてきた真の強者! 一国の代表というだけの理由で予選をパスしてきた紛い物とは一味違う! 紅一点! 我が姫巫女様(マイクイーン)と比べると数段劣るがそれでも美しき女戦士! 《十面相の麗人》クリスティ・モーメントォォォォ!』

 

 先の同盟国代表二人の時よりも大きな歓声が上がる。

 

 特に男性客からのものがやけに多いのは、恐らく気の所為ではないだろう。

 

 そして何気に“紛い物”とディスられたアベルとスイレンは表立った反応は見せないが、額に青筋を立てている。

 

「…いや、勝手に二つ名付けないで欲しいんだけど。なんかダサいし」

 

 たった今紹介に預かった仮面の女戦士——クリスティ・モーメントも、迷惑そうに顔を顰めている。

 

 どうやらこの《十面相の麗人》というのは、主催側が勝手に付けた二つ名らしい。

 

 そして祖国を()国呼ばわりされたのも鼻に付く。

 

 あと美しきなどと褒められるのは吝かではないが、姫巫女に数段劣るというと前置きでディスってくるのは何なんだとクリスティは眉を顰めた。

 

 例の如く巨大モニターの画面が切り替わる。

 

 それは漆黒な背景に、山羊の頭骨という禍々しさすら覚える画面。

 

『続きまして南門! 闇の如き黒衣を纏ったこの男! 三ヶ月前に彗星の如く現れ、闘技場(コロッセオ)に新たな神話を打ち立てた傑物! 初戦で最強を圧倒的な力で叩き潰し、我が姫巫女様(マイクイーン)より与えられた試練をも乗り越えた! 二つ名は《宵闇の刈手》! 名をタナトス! 栄光ある聖竜国代表!』

 

 最強の剣闘士、《不死身》のボレアスを圧倒した。

 

 前回、アベルはボレアスと手合わせをした事があるが、だからこそ分かる。

 

 あの常軌を逸した耐久力を誇る男を圧倒できる者なんて、きっとこの大陸に五人もいない。

 

 やはりタナトスはローファスなのではないか、とアベルの疑惑は膨らむ。

 

 そして王国貴賓席では、あんな人前にいたかしらと困惑するアステリアの横で、何かに気付いたように目を見開いて驚くフォルと、顔を引き攣らせるリルカ。

 

「いや《宵闇の刈手》ってロー君の魔人化(ハイエンド)じゃん。なんで変装して聖竜国代表なんかやってんの」

 

 リルカは神妙な顔で、至極真っ当なツッコミをした。

 

 

 そんな一幕がありつつも、剣闘大会のプログラムは恙なく進められた。

 

 続いての試合は準決勝。

 

 広いメインドームの中央に闘技場(コロッセオ)を二分割するような巨大な壁が築かれ、北と南に別れて試合が行われる。

 

 メインドーム南側で行われる準決勝は、南のタナトス——推定ローファスVS西のスイレン。

 

 そして北側、アベルの準決勝の相手は仮面の女戦士——クリスティーナ・モーメント。

 

 試合は双方同時並行で行われる。

 

 試合開始の銅鑼の音も鳴らされた。

 

 しかしアベルは、南側——正確にはローファスの事が気になり、一向に臨戦態勢に入らない。

 

 棒立ちのアベルを見た対戦相手——クリスティは先制攻撃を仕掛けるでも、不意打ちをするでもなく、ただ黙ってアベルを見ていた。

 

 いつまでも動きがなく、観客席よりブーイングや野次が飛ばされるようになって漸く、クリスティは口を開いた。

 

「…ねえ。いつまでそうしてる気?」

 

「え、ああ…ごめん。準決勝か、戦わないと」

 

「…」

 

 カウンターでも狙って隙を晒しているのかと警戒したが、本当にもう片方の試合が気になるだけらしい。

 

 クリスティは呆れた様子で溜息を吐く。

 

「君、アベル君って言ったっけ。私、そんなに弱そう?」

 

「い、いや、そんな事は…」

 

「あっちが気になるのも分かるよ。あのタナトスって聖竜国の代表、相当ヤバかったもんね。噂には聞いてたけど、一目見て分かった。あれは無理ね。噂以上の化け物だった。優勝は諦めるしかなさそうね」

 

「…」

 

 仮面から覗く口元を緩ませ、笑いながらクリスティは言う。

 

 アベルが複雑そうな顔で黙っていると、でもね、とクリスティは続けた。

 

「別に準優勝(この試合)を諦めた訳じゃないわ。知ってると思うけど、準優勝と同率三位じゃ賞金の桁が一つ違うの」

 

「クリスティさんは、お金が目的で大会に?」

 

「他にある? まあ後は名声かな。あって損はないし。君はまあ一国の代表だし、祖国の名誉と色々と背負ってるのかも知れないけど。実際君は凄いと思うよ。若さってのもあるだろけど、アレを見て優勝を諦めてないんだから。ずっとタナトス(アレ)とどう戦うかを考えてたでしょ。それとも知り合いだったりする?」

 

「…! まさか心が読めるのか!?」

 

「あー…君はカードとか苦手そうだなー」

 

 クスッとクリスティは笑い、懐から複数の仮面を取り出した。

 

 様々な種類の魔物の顔を模した面。

 

 それはクリスティにとっての——臨戦態勢。

 

「私さ、アベル君みたいなのあんまり好きじゃないんだよね。もう試合が始ま(銅鑼が鳴)ってるっていうのに次の試合の事を考えてる。心ここに在らずって感じで。対戦相手が目の前にいるのにね。それさ、眼中にないって言ってるようなものだよ。私、舐められるの嫌いなんだよね」

 

「ち、違う! 僕はそんなつもりじゃ…」

 

「じゃあ無自覚ってやつだ。それは尚質が悪い。直せとまで言う気はないけど、苛つく人もいると思うから気を付けなねー?」

 

 ヘラヘラと笑いながら、クリスティは魔物の面を己の顔に重ねた。

 

 それは、赤き竜の面。

 

仮面魔法(マスカレイド)——《火竜の面(フェイス・サラマンドラ)》」

 

 仮面を被った瞬間、クリスティは全身が火竜のオーラに包まれた。

 

 対峙しているだけで感じる熱気。

 

 まるで本当の竜種と対峙しているかのような威圧感。

 

「火の…竜…」

 

「避けた方が良いよ。灰になりたいならそのまま棒立ちしてても良いけどー」

 

 呆然と目を丸くするアベルに、クリスティは警告した。

 

 その直後、超高温の竜の息吹(ドラゴンブレス)がアベルを呑み込んだ。

 

 

 まさか本当に棒立ちのままブレスに呑み込まれるとは。

 

 クリスティは意外そうに、しかし警戒を怠らずに燃え盛る炎を見据える。

 

 火加減はしなかった。

 

 相手は若く見えてもここまで勝ち進んで来た猛者。

 

 それも対戦相手を全て一撃で倒してきたという。

 

 たまたま弱い相手と当たっただけ——その可能性はゼロではない。

 

 しかしそう断定してしまえる程の情報は今の所ない。

 

 ならばクリスティは、見栄えの良い技で観客を沸かせつつ、粛々と相手を倒すのみ。

 

 炎が晴れた。

 

 そこには——先程と変わらぬ佇まいのアベルが居た。

 

 身体、衣服には焦げ目一つ付いていない。

 

「…驚いた。火竜の息吹(これ)は一応、手持ちの中でも最高火力の技なんだけど」

 

 そう言いながらも余裕の態度を崩さないクリスティ。

 

 アベルの姿がブレ、次の瞬間にはクリスティの目の前に居た。

 

 視認できない程の超高速移動。

 

 アベルは至近距離でクリスティに手を翳す。

 

「熱には耐性があるんだ、体質でね。だから僕には、火炎系の攻撃は効き難い」

 

 掌から爆炎が生じ、凄まじい爆発がクリスティを呑み込んだ。

 

 それは数多の対戦相手を一撃で倒してきた一撃。

 

 確かな手応えをアベルは感じた。

 

 避けられてはいない。

 

 しかし——

 

「へえ…奇遇ね。火の耐性なら私もあるのよ。私っていうか、火竜にね」

 

 クリスティは変わらずそこに立っていた。

 

 火竜のオーラが鎧となり、爆炎の熱と衝撃を完全に防いでいた。

 

「これじゃ勝負がつかないよー、なーんて。残念でした…換装(シフト)——《海洋竜の面(フェイス・シーサーペント)》」

 

 クリスティは即座に面を付け替える——火竜の面から、青き竜の面へと。

 

 オーラが切り替わる。

 

 赤い火竜のオーラから、青く巨大な海蛇のオーラへと。

 

「アベル君はさ、水も効かないの?」

 

 至近距離で大口を開ける巨大海蛇に、アベルは顔を引き攣らせた。

 

「いや…寧ろ水は苦手…」

 

「そ。正直過ぎるのもどうかと思うよ?」

 

 属性相性——火は、水に弱い。

 

 アベルに向けて高圧の水流ブレスが放たれた。

 

「——…?」

 

 クリスティは眉を顰める。

 

 手応えが、無い。

 

 そして周囲からパンパンと小刻みに聞こえる小さな爆発音。

 

「あー…上手く避けたか」

 

 良く耳を澄まさないと聞こえない程小さな爆発音——これがアベルの高速移動の秘密。

 

 アベルは炎使い。

 

 戦闘スタイルを見るに、中でも“爆炎”に特化している。

 

 爆炎とは火の上位属性であり、爆発力と衝撃が強力な力。

 

 アベルは恐らく、駆け出す瞬間に爆炎で小爆発を起こし、その衝撃を推進力に変えて目にも止まらぬ超高速移動を実現している。

 

 ともあれ、少しでも加減を間違えば足先が吹き飛んだり、速度を制御できずに障害物に突っ込む可能性もある。

 

 実現できているという事は、それだけ優れた魔力制御ができているという事。

 

「実力は高い。速いし、火力もある…でもやっぱ、そのバカ正直過ぎる性格がねぇ」

 

 クリスティは呟くと同時、背後から高速で迫るアベルの拳を受け止めた。

 

 正直、つまり動きや次の行動も読み易いという事。

 

「…!」

 

「なに驚いてるの。近接戦ができないって言った覚えないけど」

 

 すかさずクリスティより返される反撃の殴打。

 

 アベルはそれを避けつつ殴り返す。

 

 魔法戦から一転して、凄まじい体術による攻防が繰り広げられる。

 

 格闘術は拮抗——しかしアベルは炎の魔力を、クリスティは《海洋竜の面(フェイス・シーサーペント)》の力で水の魔力を纏っている。

 

 拳を打ち合えば打ち合うだけ、アベルの方がジリジリと削られていく。

 

 その上、クリスティから立ち昇る巨大海蛇のオーラが、再び流水ブレスを放とうとアベルに狙いを定めていた。

 

 隙あらば直ぐにでも撃ってくるだろう。

 

 近接戦に持ち込んだのは良いものの、このまま続けるのは分が悪い。

 

 しかし離れれば水流ブレスの餌食。

 

 ではどうするのが正解か——

 

 アベルは火の魔力の密度を上げ、爆炎を拳に纏わせた。

 

 その爆炎の殴打を受けたクリスティの水の魔力が蒸発するように削れる。

 

 火力によるゴリ押し——しかしそれは、クリスティからすれば想定の範囲内。

 

 寧ろ素直で愚直なアベルならばそう来るだろうと思っていた。

 

換装(シフト)——《幽鬼の面(フェイス・ファントム)》」

 

 クリスティが別の仮面へと付け替えた。

 

 海竜の面から、髑髏を模した不気味な面へと。

 

 纏うのは寒気を覚える死のオーラ。

 

 その時、クリスティはアベルの爆炎の拳をノーガードで受けた。

 

 クリスティの体に届いた瞬間、どういう訳か拳の爆炎は消失し、衝撃も吸収された。

 

 それどころか、クリスティに接する拳からじわじわと魔力が吸収されている。

 

「——魔力吸収(マナドレイン)

 

「…! それはゴーストの!?」

 

 咄嗟に身を引いたアベルに、クリスティは追撃を仕掛ける。

 

「良い魔力補充になったわ。ご馳走様…換装(シフト)——《大鬼の面(フェイス・オーガ)》」

 

「——!?」

 

 クリスティは巨木の如き剛腕の鬼のオーラを鎧のように纏い、纏う魔力が削れて生身になっているアベルを上から殴りつけた。

 

 もろに剛腕の一撃を受けたアベルは地面にめり込み、小さなクレータが形成される。

 

 その衝撃は、メインドーム全体を揺るがせた。

 

『クリーンヒットォォォォ! 巨人の如く変化したクリスティの強烈な一撃が、王国代表アベル・キャロットの鼻をへし折ったァァァ!!』

 

 会場に響く実況の声。

 

 ああ、実況していたのかとクリスティは思う。

 

 アベルとの戦闘に集中していたからか、外部の音が耳に入っていなかった。

 

 観客席からは勝利を讃える声援と拍手が鳴り響く。

 

 クリスティが気を抜いた所で、クレーターの中よりボソリと声が聞こえた。

 

「だから、カロットだって…」

 

「——!」

 

 舞い上がる青き炎。

 

 それは万物を燃やすと謂われる最強の炎。

 

 その担い手は、人類史において数える程しか確認されていない——正に伝説級。

 

「嘘、まさか“蒼炎”…?」

 

 目を剥いて驚くクリスティ。

 

 そしてふと、蒼炎の中のアベルと目が合った。

 

「…っ! 換装(シフト)——《火竜の面(フェイス・サラマンドラ)》っ!」

 

 クリスティは悪寒を覚え、気が付けば衝動的に仮面を付け替えていた。

 

 直後、蒼炎と火竜のオーラが激突する。

 

 クリスティの最大出力の火竜の竜の息吹(ドラゴンブレス)と、アベルの蒼炎——赤と青、超高温同士のせめぎ合い。

 

 拮抗したのは一瞬のみ。

 

 竜の息吹(ドラゴンブレス)は瞬く間に蒼炎により燃やし尽くされ、強力な火炎耐性を誇る竜鱗の盾も亀裂が入り、粉々に砕け散る。

 

 間も無くクリスティの視界は青白く染まった。

 

 

『——さかの逆転劇ィ! 伝説の炎、“蒼炎”が炸裂ぅ! 勝者はまさかのアベル! アベル・カロットだぁぁぁ!! 皆様、《蒼炎》のアベルに惜しみない拍手を!』

 

「勝手に二つ名を付けるなああ!!」

 

 そんな賑やかなやり取りの中で、クリスティは目を覚ました。

 

 どうやら気を失っていたらしい。

 

 試合はどうなったのか——と、そんな事は分かりきっている。

 

 ふと、アベルが覗き込んできた。

 

「あ…起きてたか。動ける? 一応、直前で火加減はしたんだけど…」

 

 申し訳なさそうに手を伸ばしてくるアベル。

 

 クリスティは不服そうに息を吐きつつも、その手を取った。

 

「…動ける、なんとかね。手を貸してくれてありがとう。加減されたのは屈辱だけど」

 

 アベルはハッとしたように口を塞ぐ。

 

「また言い方…悪かった。殺したくなかっただけだ」

 

「へえ? 優しいのね」

 

 肩を竦めるクリスティに、アベルは再び手を差し出した。

 

 今度は手を貸すのではなく、握手を求めるように。

 

「…えっと、なんの握手?」

 

「良い試合だったから。クリスティさんは凄く強かった。本心だ」

 

「ふーん? でも、皮肉にしか聞こえないなー。君、最初から本気を出してれば私なんて一撃で終わってたんじゃない? 他の選手と同じように」

 

「まあ、そうだね」

 

「否定しないんだ」

 

「事実だから。でも、本気を出す気はなかった」

 

 アベルは南側を見る。

 

 タナトスとスイレンの試合は、とうの昔に終わっていた。

 

 堺の壁の向こうには、静けさの中でタナトスが一人佇んでいる。

 

「彼以外に、本気を出す事なんてないと思ってた。クリスティさんに本気を引き出されたんだ。本当に強いよ、クリスティさんは」

 

「…そ。ま、ありがと」

 

 差し出された手をハイタッチするように叩き、クリスティは背を向ける。

 

 敗者は去るのみとでもいうように、振り返りもせずにそのまま東門へと向かう。

 

 それを見送るアベルに、クリスティはひらひらと手を振った。

 

「…健闘を祈るわ。私に勝ったんだから、優勝するのよ」

 

「ん。頑張るよ」

 

「それと…貴賓席で王女様がこっちを凄い睨んでるから。それも含めて頑張って?」

 

「え…」

 

 ギョッとした顔で貴賓席を見上げるアベル。

 

 降り注ぐのはアステリアのジトッとした嫉妬の視線。

 

 クリスティはくすくすと笑いながらメインドームを後にした。

 

 

 間も無くして、メインドームを南北に別けていた堺の壁が下りた。

 

 《蒼炎》のアベルvs《宵闇の刈手》タナトス——《竜王祭》闘技大会決勝戦の幕がここに開かれる。





*作者より*
※スイレンが観客から受けたという野次、「黒もやし」について解説。
 “黒もやし”とは、その言葉の通り黒いもやしという意味である。“黒”はスイレンの軍服、或いは武器の黒刀の色からきた表現であり、“もやし”とは細身の見た目からもやしのように貧弱だという意味である。
 スイレンは帝国(テセウス)強化人間(サイボーグ)の為、肉体の細部に人工筋肉が採用されており、ナノマシンの作用も相まって見た目以上の膂力を発揮する。そして肝心な見た目は細身であり、それでも脱げばすごい着痩せするタイプに属している。
 力=パワー、パワー=筋肉な脳筋思考の多い聖竜国ではガチムチ系が多く、細身の男は鍛えていない軟弱者で男らしくないという風潮がある。アベルやスイレンが侮られたのは、こうした文化的背景によるものが大きい。
 余談だが、本戦に出場した歴戦の剣闘士達はスイレンの剣技の前に全てを完封された上で敗北を喫している。アベルは一撃で終わらせていたが、スイレンは相手の全て(竜人化など含む)を吐き出させた上で無傷で完勝しており、非常に盛り上がる試合であった。これはスイレンが親善試合という事を考慮した上で戦っていたからであり、それもあってか西闘技場(ウエストブロック)は大いに盛り上がっていたという。逆に北闘技場(ノースブロック)ではアベルが一撃で倒していた事もあって盛り上がりに欠けていた。
 因みに“黒もやし”は、コミカライズ版でフォルがローファスに言った悪口のオマージュである。漫画のフォル君マジで生意気可愛いので必見。
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