悪役貴族は死にたくないので四天王になるのをやめました〜リピート・ヴァイス〜 作:黒川陽継
《忌子》は人でありながら、《神》にも届く程の莫大な魔力を持つ。
しかし、決して《神》以上という訳ではない。
単純な魔力量に限ってならば、当然年月を重ねて存在し続ける上位神格の方が《忌子》よりも多くの魔力を有する場合が多い。
事実として、同じ“
それでも、純粋な危険度でいえば《忌子》の方が高い——下手な上位神格よりも、圧倒的に。
何故なのか。
答えは蛇口の大きさ。
詰まる所、発散するエネルギーの出力。
《神》とは莫大なエネルギーを高い精神性により完全に制御し、世界の法則から逸脱した存在を指す。
世界をも破壊しかねない力を適切に運用し、時には世界のルールすらも塗り替える。
しかし《忌子》は、莫大なエネルギーを制御したりはしない。
ただ《神》レベルの莫大なエネルギーを、一斉放出するだけ。
まるでバケツをひっくり返すように。
だからこそ破壊を撒き散らす。
一度暴走すれば、一夜のうちに一国を地図から跡形もなく消滅させる。
人の領域を遥かに超越したエネルギーを生まれながらに内包しながら、人である以上制御の術を持たない。
《忌子》とは謂わば、存在そのものが欠陥。
仮に制御するとするならば、道は二つ——人を辞めるか、永遠にも等しい修行をするか。
永遠にも等しい修行——その答えは、ライトレスの文献に記されていた。
それは初代アレイスター・レイ・ライトレスが石板に残した記述。
《一定の魔力を有する者は、決して《逢魔》を行使してはならない。もし使えば、精神が耐えられず魔力暴走を引き起こすだろう。仮に暴走して全魔力が放出された場合、世界を破壊する恐れがある。制御するには、最低でも百年程度の精神修行が必要》
その術を方法として体系化し、同じく《忌子》であった
百年の精神修行とは、即ち《忌子》の莫大なエネルギーを制御できるレベルまで、精神性を高める為の工程。
つまり力を扱うのに重要なのは
ともあれ、力の制御ではなく、抑え込むだけであれば百年もの修行は必要ない。
幼き日のローファスも暴走後、必死の鍛錬により魔力の押さえ込みに成功している。
ローファスがタチアナに求めたのは、力の完全な掌握ではなく、暴走させない為の最低限の制御であった。
*
外界と隔絶された月夜の荒野で、タチアナは魔力制御に注力していた。
この世界では物質的な時は流れない。
肉体の代謝も進まない為、空腹も眠気もなく、当然老いる事もない。
世界のルールから切り離された精神の世界。
そこでは既に、七ヶ月もの期間が流れていた。
食事も睡眠もなく、ひたすらに魔力制御のみに注力する七ヶ月。
この時点でタチアナの魔力制御は、殆ど完璧に近いレベルにまで仕上がっていた。
幼少期のローファスが暴走を完全に封じ込めるのに掛かった期間は丸一年。
そのローファスの全面サポートがあり、尚且つ寝食が不要で時間の全てを魔力制御の訓練に宛てられたとはいえ、これだけの期間でここまで制御できているのは驚くべき事。
七ヶ月もの期間、二人きりという環境。
その殆どを魔力制御の訓練に宛てているとはいえ、七ヶ月。
二人の間には数え切れない程の会話があった。
永遠にも思える魔力制御と僅かな休息の反復。
精神が擦り減る中でも、タチアナはローファスにしきりに話し掛けていた。
最初は気を引こうとするものばかりだったが、途中から弱音になり、そして側近達の事や、幼い頃の事——話す事がなくなっても、タチアナはどうでも良い下らない話題をずっと話していた。
それはローファスに好かれたいというよりは、会話を途切れさせる事を恐れているかのようだった。
ローファスはタチアナの魔力制御の自立をかなり急いでいた。
それこそタチアナが潰れない程度にかなりの精神的負荷を掛けるレベルで。
タチアナ自身地獄の苦しみを味わっていたのは間違いない。
それでもローファスを責める事なく、文句一つ言わず——いや、文句はたまに言っていたが、それでも訓練を拒否したりはしなかった。
ただ、追い詰められていたのは事実。
それこそ、常に誰かと話していなければ壊れてしまいそうな程に、タチアナは余裕がなかった。
そんな苦行を強いている自覚があったローファスも、タチアナの話を黙って聞き、そしていつしかローファス自身も自分の話をするようになっていた。
「俺には二つ歳の離れた弟が居る。昔からよく泣く奴だった。そんなだから父や母もいつも弟を気に掛けていた——嫌いで仕方なかった。あいつが生まれてから、母を取られたような気がしてな。今思えば、本当にガキだった」
それは誰にも話した事のない、幼き日の思いの独白。
ローファスは無感情に月を眺め、だが、と続けた。
「嫌いだったが、殺してやろうと思った事はない。あんなでも血を分けた弟だからな。しかし、ある日暴走した俺は、そんな弟を瀕死の重症に追いやった。大好きだった母も泣き崩れていた。あの日——俺の世界は壊れたんだ」
《忌子》の力の暴走。
誰よりもその悲惨さを実感しているからこそ、ローファスは同じ《忌子》であるタチアナを見捨てる事ができなかった。
「以来、母と弟とは疎遠だった。だが、最近母が歩み寄って来てくれた。なのに俺は、震えながらも伸ばしてくれたその手を拒んでしまった」
触れる事が怖かった。
母がどれ程の勇気を振り絞って会いに来てくれたか、想像できない筈などないのに。
それでもローファスは、勇気を振り絞る事ができなかった。
「手を差し出してくれた母すら受け入れられん。弟も…傷付けた事実は消えない。俺の存在が恐怖を与えていた自覚もある。だから今更——と、これは言い訳だな」
ローファスは己を嘲る。
「タチアナ、貴様の夫はこんな男だ。家族とも碌に向き合えていない。貴様は俺に対して幻想を見過ぎだ」
「…幻想など抱いておらぬ。妾はお主を、最初から年相応の
タチアナは目を伏せがちに、ローファスに
「力の暴走はお主の所為ではない。それを母君も理解していた。だから歩み寄ってくれたのではないか。きっとお主の弟も…」
「会った事もない癖に、知った風に言うな。同情が欲しい訳ではない」
「そうじゃろうな。じゃが——それでも妾はお主が羨ましい」
「なに…?」
どこに羨む要素がある、と眉を顰めるローファスに、タチアナは薄く笑う。
「お主は心の準備ができておらんだけじゃ。お互い歩み寄れば、きっと元の関係に——仲直りできる。それが家族というものじゃ」
「知った風な口を聞くなと、何度言えば——」
「妾は、もうどう頑張っても無理じゃ。母はもうおらん…喧嘩別れじゃった」
微笑みながら言うタチアナに、ローファスは絶句する。
そう、姫巫女は代々短命。
タチアナが姫巫女の任を引き継いでいるという事は、既に代替わり——先代が死亡しているという事。
タチアナが姫巫女となったのは、七歳の時だった。
「今日…という感覚も最早ないが、《竜王祭》は妾にとって幾つもの特別が重なる日でな。姫巫女としての任を果たす日であり、誕生日であり、そして——母の命日じゃ」
タチアナの母は強い人だった。
タチアナがこの世に生を受けた日——後継であるタチアナを産み落とし、体力が万全でないにも関わらず、姫巫女の任を果たす程の女傑であった。
タチアナはそんな母の下で厳しく育てられた。
母は強く、厳しく、そして優しく、美しい人だった。
そんな母が大好きで、独り占めしたくて——タチアナは七つの誕生日を迎える日、《竜王祭》の日に我儘を言った。
今日だけは二人で過ごしたいと、一緒にバースデーパーティをして欲しいと。
しかし母は頷いてはくれなかった。
《竜王祭》で姫巫女の任を果たさねばならなかったから。
それにタチアナは反発し、喧嘩になった。
人よりも感覚が優れたタチアナは、なんとなく母の調子が良くない事を察していた。
或いは、もうあまり先が長くない事を予見していたのかも知れない。
だから、一緒に居たかった。
聖竜国よりも世界よりも、姫巫女の責務なんかよりも、自分を選んで欲しかった。
それを理解しようとしない母に怒りを覚え、つい怒鳴ってしまった。
それが最後の会話になるなんて、思いもしなかった。
「ローファス…もし、家族と元の関係に戻りたいと少しでも思うなら、多少無理をしてでも会っておけ。明日会える保証など何処にもない」
少しだけ寂しそうに呟き、タチアナはハッとしたように顔を上げる。
「…と、すまぬな。偉そうな事をベラベラと。余計な世話じゃった」
「いや…」
ローファスは目を逸らし、そしてタチアナの背から手を離した。
魔力は安定しており、暴走の兆しはない。
制御に成功している。
「よくやった」
「全くじゃ。この七ヶ月、永遠にも思えたぞ…もう、行くのか?」
「ああ。《邪竜》——《魔王》を倒し、その呪縛から貴様と聖竜国を救ってやる。だがその前に…」
ローファスの言わんとする事を察したように、タチアナは「ああ」と頷く。
「離婚、じゃな。まあ仕方あるまい」
「物分かりが良いな。あれだけゴネていたというのに」
「去るもの追わず、というやつじゃ。夫の意を無視して縛り付けるなど、良き妻のやる事ではない」
世界がひび割れ、崩れていく中、偽りの月に照らされて微笑むタチアナに、ローファスは暗黒で作ったローブを羽織らせる。
「後で俺の名を籍から外すとして、これで俺達は晴れて他人という訳だ」
「他人となって漸く服を着せてくれるのか?」
「今までは夫婦だったからな。だが今は違う。未婚の女が肌を晒すものではない」
ローファスより贈られたローブを握り締め、タチアナは顔を上げる。
「縁談は改めて申し込むとしよう。聖竜国を救った英雄殿に」
「改めて申し込むのに、離婚する事に承諾したのか? なぜそんな回りくどい事を…」
「フェアではないと思うてな。このまま結婚生活を送っては、お主の女達に悪かろう?」
「…そうか」
律儀だな、とローファスはくすりと笑い——その瞬間、荒野の世界は完全に崩れ去った。
そして気付けば、タチアナは大地のエネルギーの暴走により変わり果てた地形のど真ん中で一人立っていた。
タチアナは天を仰ぎ、呟く。
「また縁談を申し込む…だから、必ず生きて戻れ」
その結末は、天すらも答えられなかった。
*
矮小な暗黒は、強大な獄炎に呑み込まれ、炭すら残らずに消えた。
それを《魔王》スペルビアは、少し残念そうに見ていた。
最強を自称する“レイ”の魔術師。
強かった。
しかし自分の方が強かった。
故に、この結末は必然。
だが——まだ終わっていない。
スペルビアにはそんな予感があった。
“——だが貴様の認識は改めさせる。これまでどれ程の英傑とやらがいたから知らんが…世界最強はこの俺——ローファス・レイ・ライトレスだ”
それは影の男が言っていた言葉。
敗者の言葉。
本来なら負け犬の遠吠えと聞き流す所だが、しかし妙にその声が耳について離れない。
ふとスペルビアは違和感を覚え、周囲を見渡す。
暗黒の魔素が、消える事なく渦巻いている。
そして地上には禍々しい漆黒の門が残されたまま。
おかしい。
確かに影の男は殺した。
跡形もなく、炭すら残さずに燃え尽きた。
術者が死んだにも関わらず、なぜ魔法が消えずに残っているのか。
なぜ魔素が未練たらしく残留しているのか。
なぜ——その疑問の答えは、思いの外早く目の前に現れた。
闇よりも暗い暗黒。
そして先程の影の男のものと同質の魔力——しかし比べ物にならない程に深い。
スペルビアは上位神格、だからこそ一目見て理解する。
この暗黒の男は、《神》に至りし超越者であると。
自然と、スペルビアの口角が上がった。
『成る程…先程の影は分身体、或いは別け身の類。貴様が本体か。この威圧…分かるぞ、貴様がこの時代最強の人間だな?』
『…』
既に完全なる魔人化を経ているローファスは、何も答えず。
ただ無言で、拳を握りしめる。
スペルビアは漆黒の翼を広げ、機嫌良さげに言う。
『驚いた。よもや力の完全制御に成功した《忌子》とは。
それで? とスペルビアは首を傾けて問う。
どこまでも楽しそうに。
『一応聞こう。貴様は誰で、何をしに我の前に現れた?』
『…俺はローファス・レイ・ライトレス——貴様にとっての死であり、その傲慢極まりない貴様の認識を改めさせる者だ』
直後、スペルビアのあらゆるものを超越した反応を置き去りにして振り抜かれた暗黒の拳が、腹部に減り込む。
完全魔人化状態のローファスの、周囲への被害を無視した正真正銘全力の一撃。
拳の一突きで大気は爆ぜ、空間が歪み、そしてスペルビアの堅牢な鱗の鎧を打ち砕く。
『——うぐぉああああああああああああ!!?』
スペルビアは無様な悲鳴を上げながら吹き飛び、地上に聳え立つ禍々しき漆黒の門に叩き付けられた。