悪役貴族は死にたくないので四天王になるのをやめました〜リピート・ヴァイス〜   作:黒川陽継

28 / 250
28# 豪商

 ステリア領、氷雪山脈。

 

 夜の山脈、吹き荒ぶ雪、見渡す限りの白と黒の極寒世界。

 

 俺ことローファス・レイ・ライトレスは、そんな中にただ一人で放り出されていた。

 

「あの飛竜め、ふざけるなよ…!」

 

 俺をここ、ステリア領まで運んだヴァルムのワイバーンは今は居ない。

 

 俺の魔力ブーストにより限界を超えた速度で飛行してここまで来たワイバーンは、どう言う訳か急に速力を落とし、かと思えば突如として力無く墜落した。

 

 それも、俺を乗せた状態でだ。

 

 そして俺は空中で投げ出され、この雪と風の吹き荒ぶ極寒の世界に一人落下したと言う訳だ。

 

 魔法障壁を展開している為、怪我などは無いが、冷気を遮断出来る訳では無い。

 

 俺は一人、極寒の世界で凍えていた。

 

「くそ、奴は何処だ…!」

 

 魔力探知でワイバーンの居場所を探る。

 

 吹雪の中で視界は非常に悪いが、ワイバーンの魔力反応はしっかりと感じ取れる。

 

 幸いにも、それ程遠く無い位置に居る様だ。

 

「こんな所で放り出す等、冗談では無いぞ」

 

 俺は魔力を通した足で、膂力任せに積もった雪を蹴って駆け出すが、雪に足を取られて思いの外速度が出ない。

 

 普通に走るよりも体力は削られ、その上この極寒により、身体の体温も奪われる。

 

 幾ら膨大な魔力を持つ俺でも身体は人間、こんな環境に長時間身を置けば流石に死ぬ。

 

 暗黒魔法は熱を生み出せない為、暖を取る事も出来ないからな。

 

 魔力探知を頼りに雪の中を進み、やっとの思いで辿り着いたそこには、ワイバーンが雪に埋もれて横たわっていた。

 

 ワイバーンに意識は無く、まるで死んだ様にぴくりとも動かない。

 

「…死んで、はいないか」

 

 魔力反応がある以上、死んではいない。

 

 そもそも、暗黒が片翼にある以上、どんな傷を負っても再生する筈だ。

 

 とは言っても、《影喰らい》を生きているものに行使したのはこのワイバーンが初めてであり、どの程度までの傷ならば再生可能なのか、他の影の使い魔の様に魔力がある限り無尽蔵に再生するのか、検証していない以上確かな事は分からない。

 

 そもそもこのワイバーンは、何故急に墜落したのか。

 

 最初こそ敵襲を疑ったが、ワイバーンに外傷は見られず、魔力探知からも攻撃魔法らしい反応は感じられなかった。

 

 周辺にそれらしい魔力反応も無い。

 

 こんな山脈のど真ん中で、何故急に意識を失って落下したのか、そしてこのワイバーンが今どんな状態なのか、全く見当もつかん。

 

 ただ一つ言える事は、このままこの極寒の世界に居れば俺は死ぬと言う事だ。

 

「…ふん、悪く思うな」

 

 俺は雪に埋もれるワイバーンに背を向ける。

 

 このワイバーンは置いて行く。

 

 悪く思うなよヴァルム、俺はこのワイバーンと心中する気は無いのでな。

 

 ワイバーンを背に、暫し歩みを進めるが、そもそも俺は人里の場所を知らず、この視界最悪の吹雪の中では方角すらも分からない。

 

 決して手詰まりと言う訳では無いが、俺はどうしたものかと頭を捻る。

 

 そんな折、ふと背後からそっと外套の裾を引っ張られるのを感じた。

 

「——!?」

 

 俺は咄嗟に飛び退き、手に暗黒球《ダークボール》を生み出して構える。

 

 俺の背後には横たわるワイバーンしか居なかった。

 

 であれば、誰が俺の裾を掴んだと言うのか。

 

 吹雪き、視界の悪い中、目を凝らしてその姿を改める。

 

「…なに?」

 

 俺は思わず目を細める。

 

 そこに居たのは、白いワンピースに身を包んだ、齢10才程の白髪の少女だった。

 

 少女は静かに俺を見据え、口を開く。

 

「怪我は無い? ごめんね。その子、眠っちゃったみたい」

 

 申し訳なさそうに謝罪の言葉を口にする少女。

 

 その視線の先には、横たわるワイバーンの姿がある。

 

 俺は警戒を緩めず、いつでも暗黒球《ダークボール》を放てる様に構えておく。

 

「…何だ貴様は。貴様がそのワイバーンに何かしたのか」

 

 俺の問いに、少女は静かに首を横に振った。

 

「私は何も。ただ、一度眠りに入ると暫くは起きない。その眠気も急に訪れるから、その子も抗えないみたい」

 

「眠りに、入る…?」

 

「そう。気絶するみたいに、急にね。その眠る時間も、日に日に増えてるの」

 

 急に眠る? 眠る時間が日に日に増えている?

 

 何だそれは。

 

 《影喰らい》により、何かしらの影響が出ているのか?

 

 生き物に行使するのは初めて故、それでどの様な弊害が出るかは確かに分からない。

 

 何やら事情を知っていそうな謎の少女の言葉に、俺は目を細める。

 

「何者だ、貴様」

 

「私はユンネル。貴方を呼んだのは私」

 

「は? 貴様が…?」

 

 自らをユンネルと名乗る少女。

 

 こいつが、ヴァルムのワイバーンを使って俺を呼んだだと?

 

「意外だな。そのワイバーンは、ヴァルム以外の命令も聞くのか」

 

「…命令じゃなくて、お願いね」

 

「どうでも良い」

 

 眉を顰めて下らぬ訂正を入れてくるユンネルに、俺は暗黒球《ダークボール》を向ける。

 

「もう一度聞く。貴様は何者だ」

 

 この極寒の世界で、その身に薄手の白いワンピースのみ纏い平気そうにしている少女が、只者な訳が無い。

 

 この少女は魔力探知にも反応を示しているが、人間のものとは明らかに異なる。

 

 その気配は謂わば、精霊に近いものだ。

 

「人間ではないのは分かっている」

 

 俺の言葉に、ユンネルは僅かに目を細める。

 

「…分かるんだね」

 

「そもそもこの吹雪の中、ワンピース一枚で出歩く人間など居る訳が無いだろう」

 

 ユンネルは自身の姿を見ると「ああ」と得心した様に頷く。

 

「人間は寒がりだからね」

 

 最早隠す気も無いのか、そんな事を宣うユンネル。

 

「…目的はなんだ」

 

 俺の問いに答えず、ユンネルは背を向けて歩き出す。

 

「一先ず、人里に行こう。貴方、震えてる」

 

「人里への案内、それを信じろと?」

 

「嘘は吐かない。私は人間じゃないから」

 

 ユンネルは何処か険のある目で俺を見据える。

 

「私はただ、ヴァルムを助けたいだけ。貴方にここで死なれると困る」

 

「…貴様は、ヴァルムのなんだ」

 

「……ともだち」

 

 それだけ言うと、ユンネルは雪の中を進み始めた。

 

 まあ、俺もいつまでもこんな極寒の世界に留まるのは御免だ。

 

 このユンネルと言う人外の少女、ヴァルムの友達と言う話だが、こんな存在は物語には出て来なかった。

 

 つまり情報が無い。

 

 ユンネルの言葉も、所詮は上部だけの薄っぺらいもので、信用する気にはなれん。

 

 しかし、ユンネルが嘘を吐いている様にも見えないし、何より今のヴァルムの状況は聞く必要がある。

 

 例え罠だとしても、俺ならば諸共叩き潰せる。

 

 俺は吹雪の中、ユンネルの後を追った。

 

 *

 

 ステリア領、本都。

 

 一等地に建てられた豪邸、ともすれば領主の館よりも立派なそれは、豪商ギランの屋敷だ。

 

 ギランはステリア領商業組合の取締役であり、広大なステリア領の経済は、この男の手の上で回されている。

 

 普段は辺境の屋敷に居を構えるギランだが、今は本都の屋敷に住居を移していた。

 

 今よりつい三ヶ月前、さる貴族の嫡男より襲撃を受け、警備の杜撰さを憂いての事だ。

 

 ギランも、まさかこのステリア領で、自身に楯突く者が居るとは思わず、防犯と警備が自然と甘くなっていた。

 

 だが、今は違う。

 

 財力にものを言わせて、屋敷の防衛機能は万全。

 

 護衛に、腕利も雇った。

 

 最早ギランの屋敷は、要塞と言っても差し支え無い程の防衛力を持つまでに至っていた。

 

 ギランは、その屋敷の客間にて、上質なソファに腰掛けていた。

 

 客として面会に訪れているのは《緋の風》のリーダー、シギルだ。

 

 ギランは、シギルを見据えて尋ねる。

 

「それで、何用かなシギル殿。遺跡で良い古代遺物《アーティファクト》でも掘り出したか? それとも、例の特効薬の金が集まったかね?」

 

 シギルは首を横に振る。

 

「いや。金はまだだが、その特効薬の話だ」

 

 ギランは、肥えて二重になった顎を撫でながら値踏みする様にシギルを見据える。

 

「…ふむ、値下げ交渉と言う訳でも無さそうだ。特効薬の事で何か聞きたい事でもあるのかね?」

 

「その特効薬、効果は確かなのか?」

 

 ギランは目を細める。

 

「…それは、どう言う意味かね?」

 

「あんたの言う特効薬は、帝国で製造されたんだよな。イズの病は、特殊な魔素が身体に蓄積するものだ。帝国は魔力や魔素に関してはカラキシだと、知り合いに聞いたんでね」

 

「ほう、それは博識なお知り合いですな。成る程、それでこの儂を疑っている、と?」

 

「…気を悪くしたならすまない。ただ、俺達も帝国には行った事があるが、確かに魔力や魔素に関する物が店頭に並んでいるのを見た事が無い。だから少し、気になってな」

 

 シギルの言葉に、ギランの目に険が宿る。

 

「確かに今のは気が悪いな、シギル殿。知っているかな? 商売に置いて、大切なのは信用である事を。どうやらシギル殿は、この儂を信用出来なかったらしい」

 

 ギランがソファから立ち上がり、話は終わりだとばかりに客間から去ろうとする。

 

 シギルは慌てて立ち上がる。

 

「ま、待ってくれ。俺はただ、事実確認をしたかっただけで…」

 

「何処の馬の骨とも知れん輩に唆されたかは知らんが、こうなっては取引は不成立だ。儂の事を信用しない様な輩など、儂も信用出来んのでな」

 

 取り付く島も無いギランを止めるべく、ギランは入り口の前に走り、頭を下げた。

 

「わ、悪かった。特効薬を売ると言ってくれたのはあんただけだった。そんなあんたを信用出来ないなんて、俺がどうかしてた」

 

 下げられた頭を見下ろし、ギランはニヤリと笑う。

 

「謝罪は受け取ろう。しかし、一方的に疑われた事実は消えん。シギル殿、君はたった今失った儂の信用を取り戻す為に、何をすべきだと思う?」

 

 シギルは顔を上げる。

 

「何を…? 俺は、どうすれば良い?」

 

 シギルの問いに、ギランは下卑た笑みを浮かべる。

 

「最近、お気に入りの女に逃げられてな、夜が寂しいのだ。確か、君の所にエルマと言う器量の良い女が居ただろう?」

 

「…は?」

 

 シギルの目に、殺意に似た敵意が宿る。

 

「なんだ、エルマは君の女か? イズも悪くは無いが、病に侵された女を抱いてやる趣味は無い」

 

 シギルは怒りに震えながら、自然と剣の柄に手が伸びる。

 

「…おい。冗談にしても、悪辣が過ぎるぞ」

 

「そうだ、女はもう一人居たな。名は確か…そう、リルカと言ったか。何、少々幼いが、それはそれで楽しみようはある」

 

「その口を閉じろギラン!」

 

 堪え切れなくなったシギルが、遂に剣を引き抜いてその切先をギランに向ける。

 

 ギランはそれをつまらなそうに見る。

 

「なんだそれは。下らん選択だな、シギル殿。では特効薬はいらないと?」

 

「その為に家族を売れと言うのか!?」

 

「ふむ、ほんの三日…いや、一晩でも貸してくれるだけで良いのだがな。だが、最早こうなってしまっては仕方無いか。もう少し利口な男と思っていたが、過大評価だったらしい」

 

 ギランはシギルから数歩下がり、指を鳴らす。

 

 直後、シギルの背後にある扉が勢い良く開き、複数の兵士が客間になだれ込む。

 

 シギルは瞬く間に、ギランの兵に囲まれた。

 

「こ、これはどう言う事だ…」

 

 剣を構え、険しい顔のシギル。

 

 ギランは高らかに笑った。

 

「ふははは、君の様な無法者と会うのに、何も備えが無いと思うかね? まあ良い。どうせ君も、もう潮時だ」

 

「潮、時…? どう言う、事だ…」

 

「君の持つ飛空挺には前から目を付けていたのだよ。折角だから大金を貢がせてから奪おうと思っていたのだが、どうも君は、儂を疑っている様だからな。万が一逃げられては、元も子もないだろう」

 

 醜悪に、そして愉快に、顔を歪ませるギラン。

 

 シギルは、血が沸騰する程に顔を赤くし、怒りにわなわなと身体を震わせる。

 

「なら、特効薬は…?」

 

「ある訳が無いだろう、そんなもの。ありもしない薬の為の金稼ぎ、ご苦労だったな。足りないとは言え、少しは溜め込んでいるのだろう? 女共諸共、儂が頂くとしよう」

 

「ギラァァァン!!」

 

 激昂したシギルは、叫びながらギランに斬り掛かった。

 

 当然、シギルを取り囲む兵士が盾となり迎撃の体制に入る。

 

 しかし、シギルは幾多の高難度の遺跡やダンジョンを踏破してきた猛者であり、魔物との戦闘経験も並のそれでは無い。

 

 雑兵に止められる程、シギルの剣は甘くは無かった。

 

 迎撃するべく剣を構えた兵士は、シギルの豪剣を受け、その威力に吹き飛ばされる。

 

 普段から魔物と互角以上に渡り合っているシギルの剣は、人一人を薙ぐ程度、雑作無い程の高い威力を誇っている。

 

 盾に入った兵士は、一人、また一人と薙飛ばされ、シギルは瞬く間にギランの眼前に躍り出た。

 

「許さんぞギラン! 特効薬があると偽り、金を騙し取ろうとした事! そして何より、俺の家族を侮辱した事!」

 

「ま、待て…!」

 

 ギランは顔色を変えて腰を抜かし、そのまま尻餅をついた。

 

 構わず剣を振るうシギル。

 

 しかしその剣は、ギランに当たる刹那——弾き飛ばされた。

 

 くるくると回りながら弧を描き、剣は床に突き刺さる。

 

「なっ」

 

 何が起きたのか分からず、シギルは周囲を見回す、が——次の瞬間には視界が反転し、床に倒れ伏せる形となった。

 

 シギルは何者かに背中から押さえ付けられ、その上腕も関節を決められてピクリとも動けない。

 

 シギルは視線だけを動かして己を押さえ付ける何者かに目を向ける。

 

 それは、赤黒い古びたコートに身を包んだ、死人を思い起こす程に肌が青白い男だった。

 

 その男の被る、返り血に染まって様に赤黒いつばの広い帽子。

 

 その特徴的な姿に、シギルは一人の殺し屋を思い出す。

 

「その帽子、まさか…血染帽《レッドキャップ》…!?」

 

 青白い肌の男は、まるで血溜まりの様に赤い瞳をシギルに向け、小さく笑う。

 

「おや、僕の事を知っているのかい? だが、その二つ名は好きじゃないんだ。僕は血が嫌いでね、返り血なんて久しく浴びていないよ。この帽子の色も元々さ」

 

 まるで友人を相手にするかの様に穏やかに話す男だが、反して拘束する力は一切弱める気配が無い。

 

 血染帽《レッドキャップ》。

 

 他に《魔法殺し(ウィザードキラー)》、《怪人》、《最凶の殺し屋》等、数々の異名を持つ殺し屋。

 

 裏社会で古くから知られる殺し屋であり、300年前から殺し屋として活動していると噂される存在だ。

 

 世襲制の殺し屋の一族とも、悠久の時を生きる不死身の怪人とも言われるが、その詳細は謎に包まれている。

 

 或いはその全てが法螺で、実は存在しないのでは、と言う噂もある程だ。

 

 だが…。

 

「…実在、したのか」

 

 シギルの目に畏怖が宿る。

 

 ローファスと対峙した時に感じた、押し潰される様な高密度の魔力の重圧とは違い、この男——血染帽《レッドキャップ》からは、目を合わせるだけで首筋をナイフでなぞられる様な、濃密な死の気配を感じる。

 

 シギルは見ただけで分かった、この男は本物だと。

 

「何故、あんたほどの男が、こんな奴の下に…」

 

「僕宛に来た依頼の中で、一番報酬が高かったからね」

 

 なんでも無いかの様に答える血染帽《レッドキャップ》。

 

 そんなやり取りをしている間に、ギランは立ち上がり、床に伏せさせられているシギルの元へ来る。

 

「脅かしおって。少々助けるのが遅いのでは無いか、《怪人》」

 

 血染帽《レッドキャップ》に文句を言うギラン。

 

 それに血染帽《レッドキャップ》は肩を竦める。

 

「この男は強い方だよ、ギラン。君も余り不要な挑発はしない事だね。次は間に合わないかも知れないよ。僕は殺すのは得意でも、護るのは苦手なんだ」

 

 血染帽《レッドキャップ》に赤い瞳で見られ、僅かに息を詰まらせるギラン。

 

「ふ、ふん。高い金を払っているのだ、その分は働いてもらうぞ。最凶の殺し屋なのだろう」

 

「そう名乗った覚えは無いけど。まあ、報酬分は働くさ」

 

 ギランは血染帽《レッドキャップ》との会話を終えると、押さえ付けられているシギルの頭を踏み付けた。

 

「がっ!?」

 

「やってくれたなシギル。お前の所為で腰を痛めたぞ。この対価は、お前の命と飛空挺、そして女共で支払ってもらうとしよう」

 

「そんな事、させる訳…ぐっ!?」

 

 シギルは身体を無理に動かそうとするが、血染帽《レッドキャップ》がそれを許さず、拘束を強める。

 

 ギランは暫し顎を撫で、下卑た笑みを浮かべながら顔をシギルに近づけた。

 

「なあシギルよ、儂の靴を舐めよ」

 

「は?」

 

「儂も昔、若かりし頃に、正しく今のお前の様な立場にあった事がある。その時に、儂を地に這い蹲らせていた奴が言ったのだ、靴を舐めて服従を示せと」

 

 ギランは手を広げ、話を続ける。

 

「儂はそやつの靴を舐めた。そして、そやつの言うがままに、最愛の妻と娘を引き渡した。妻と娘は、散々弄ばれた挙句に売り飛ばされた。儂はそのまま、そやつに付き従った。実に二十年、我慢して我慢して我慢して、忠誠を示し続け、遂には…そやつの絶大な信頼を得るに至った。そして——」

 

 ギランは満面の笑みで首を切る動作をする。

 

「儂はそやつを謀殺した。そしてそやつの財、商会、その全てを儂は飲み込んだ。そやつの妻や娘は、儂がされたのと同じ様に、弄んで捨ててやった。敵対する者は、殺すか、弱みを握った。皆、家族を人質に取れば忠犬の如く儂に従う様になった。そんな事を続けて、今では《豪商》と呼ばれるまでに至った」

 

 ギランは一頻り話し終えると、再びシギルに向き直る。

 

「シギルよ、お前を見ていると、無性に昔の事を思い出すのだ。正義感に溢れ、家族愛に満ちていた頃をな。故に、チャンスをやろう」

 

 ギランは靴をシギルの眼前に差し出した。

 

「舐めろ。舐めて儂に忠誠を誓え。そして女共を、お前の家族とやらを儂に差し出せ——儂は舐めたぞ、お前に出来ん訳が無い」

 

 ギランは、シギルの口元に靴を執拗に押し付ける。

 

「さあ、家族を捨てろ。全てを捨てろ。そして儂の手足となれ。その先に、その先にこそ——」

 

 シギルは口を開けると、そのままギランの足首に噛み付いた。

 

「——ひぎゃああああ!?」

 

 叫ぶギラン。

 

 ギランは、噛み付くシギルを引き離そうと足をジタバタと動かすが、シギルは意地でも離さない。

 

 見かねた血染帽《レッドキャップ》は、溜息混じりにシギルの口に指を捩じ込むと、力任せにこじ開けてギランを解放した。

 

 足から血を流しながら、転げ回るギラン。

 

 シギルは口に付いた血をぺっと吐き出し、叫ぶ。

 

「テメエは家族を捨てたクソ野郎だ! 断言するが、それはテメエの人生において絶対にやっちゃならねえ選択だった! 例え死んでも、テメエは家族を守るべきだったんじゃねえのか!? あぁ!?」

 

「ッ黙れ! 知った風な口を聞くな賊風情が!」

 

 激昂したギランは立ち上がり、シギルの顔に蹴りを入れる。

 

 何度も、何度も、何度も。

 

 シギルの意識が飛んだ所で、血染帽《レッドキャップ》が止める。

 

「…もう意識無いよ。それとも、このまま殺すのかい?」

 

「ぬ」

 

 ギランは足を止め、興奮を落ち着かせる様に深呼吸する。

 

 そして、客間に控える兵士達に命ずる。

 

「ふん、こいつを地下牢に繋いでおけ」

 

「生かしておくのかい?」

 

 血染帽《レッドキャップ》の疑問に、ギランは鼻を鳴らす。

 

「この儂が、ここまでコケにされたのだ。ただでは殺さん。仲間の男共は殺して、奴の目の前にその首を並べ、その横で女共を犯してやる。その上で、再び言ってやるのだ——靴を舐めろ、とな」

 

 客間にギランの、下卑た笑い声が響いた。

 

 血染帽《レッドキャップ》は、赤黒い帽子を深々と被り直して呟く。

 

「ほんと、良い趣味してるよ。ギラン」

 

 

 その日の翌日、ステリア領本都で朝刊がばら撒かれた。

 

 その見開きには——空賊《緋の風》のリーダーシギル、《豪商》ギランが捕える、とでかでかと書かれていた。

  1. 目次
  2. 小説情報
  3. 縦書き
  4. しおりを挟む
  5. お気に入り登録
  6. 評価
  7. 感想
  8. ここすき
  9. 誤字
  10. よみあげ
  11. 閲覧設定

▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。