悪役貴族は死にたくないので四天王になるのをやめました〜リピート・ヴァイス〜   作:黒川陽継

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9# 魔鯨

 空を舞い泳ぐ巨大な鯨の魔物——魔鯨は翡翠の双眸でこちらを睥睨し、短くひと鳴きし、先程と同様の高密度の魔力波を再び放った。

 

「…クソが」

 

 俺はそれに対し、こちらも魔力波を放ち返す。

 

 俺と魔鯨の魔力波同士が海上でぶつかり合う。

 

 度を越した魔力波のぶつけ合いは、大気を歪ませ、空間を軋ませる。

 

 俺は更に魔力放出量を上げていく。

 

 暫しの睨み合いの末、魔力波の押し合いに勝利したのは俺だった。

 

 魔鯨の魔力波は霧散し、俺の魔力波が魔鯨を襲う。

 

 魔鯨は不快気に目を細めると、その翡翠の瞳はギロリと俺を捉えた。

 

「ふん、漸く俺を見たか。多少魔力が多いだけの鯨が」

 

 同格の魔術師同士の戦いにおいて、魔力波のぶつけ合いなんてものは基本しない。

 

 する意味が無いからだ。

 

 高い魔力を持つ者ほど、魔力に対する耐性が高い。

 

 高位の魔術師からすれば、魔力波をぶつけられた所で不快感はあれど、ダメージは無いに等しいのだ。

 

 魔力波を放つ意味があるとすれば、それは圧倒的な格下を相手にした時。

 

 魔力が低い者程、魔力による影響を大きく受ける。

 

 高密度の魔力波を受ければ、魔力を持たない者はそれだけで動けなくなる程だ。

 

 それこそ、先程船乗り共が気絶した様に。

 

 魔鯨程の魔力であれば、大概の敵は魔力波を放つだけで行動不能に陥らせる事が出来るだろう。

 

 だが、今回はこの俺、ローファス・レイ・ライトレスが居る。

 

「一瞬でもこの俺を下に見た事、後悔させてやる」

 

 俺は本船の上空を埋め尽くす程の無数の暗黒球《ダークボール》を生み出した。

 

 下級魔法の暗黒球《ダークボール》も、俺が使えばその威力は中級魔法上位の威力まで引き上げられる。

 

 これだけの数の暗黒球《ダークボール》ならば、適当な岩山を消し飛ばせる程度の威力はあるだろう。

 

 暗黒球《ダークボール》の弾幕を、あの巨体では避ける事も不可能だ。

 

「消し飛べ」

 

 無尽蔵に生み出された無数の暗黒球《ダークボール》が、魔鯨を襲う。

 

 魔鯨は避けようともせず、大量の暗黒球《ダークボール》が命中し、魔力爆破による轟音が響く。

 

 フォルとカルロスは、それを見てポカンとしていた。

 

「…お前、死ぬ覚悟とか言ってたよな?」

 

 フォルが半目でそんな事を言ってくる。

 

 馬鹿が、これで終わりな訳ないだろうが。

 

 カルロスは無言で爆煙に飲まれた魔鯨を見たまま、構えを崩さない。

 

 爆煙が晴れる。

 

 そこには何事も無かった様に、先程と変わらぬ魔鯨が漂っていた。

 

「なんと…」

 

「…マジかよ」

 

 カルロスとフォルが驚きに目を剥く。

 

 あの弾幕を、まさか無傷で凌ぐとはな。

 

 俺はすかさず、特大の暗黒槍《ダークランス》を生み出し、魔鯨に向けて放つ。

 

 総火力なら暗黒球《ダークボール》の弾幕に劣るが、一点突破力なら暗黒槍《ダークランス》の方が圧倒的に高い。

 

 放たれた暗黒槍《ダークランス》は凄まじい速度で魔鯨に迫る。

 

 そして魔鯨に命中する寸前、半透明の膜が現れ、暗黒槍《ダークランス》を防いだ。

 

 凄まじい魔力爆破が起きるが、魔鯨には届いていない。

 

 あの膜は…

 

「魔力障壁…?」

 

 高位の魔術師なら誰もが纏う、持ち前の魔力で作られた全身を覆う壁。

 

 俺も魔法障壁は常時展開しているし、魔鯨レベルの魔力を持つなら魔法障壁があるのは何も不思議な話では無い。

 

 驚くべきはその強度だ。

 

 俺の魔法障壁でさえ、完全に防げる魔法は中級魔法レベルが限度で、上級魔法を受ければ歪みが生じるか、最悪突破されるだろう。

 

 当然、暗黒球《ダークボール》は単発ならまだしも、弾幕なぞ喰らえば余裕で耐久限界がくるだろうし、暗黒槍《ダークランス》に至っては普通に許容オーバーだ。

 

 それをあの魔鯨は…。

 

「俺の魔法を、魔力障壁だけで防いでたのか…?」

 

 そこらの防護魔法でも完全に防ぐのが困難な俺の暗黒槍《ダークランス》を、魔法障壁だけで防ぐとか…。

 

 俺が呆気に取られていると、魔鯨は海面を揺るがす程の咆哮を放つ。

 

 凄まじい音量に、思わず耳を塞ぐ。

 

 警戒していた魔力波が来る様子は無いが、響き渡る咆哮に魔力が宿っているのを感じる。

 

 ただの咆哮ではないな、一体何を…?

 

 暫しの沈黙の後、船付近の海面が大きく揺らぎ、無数の魔物が飛び出てきた。

 

 剣魚《ソードフィッシュ》を筆頭に、半魚人《マーマン》や針蛙《ニードルフロッグ》、雷電鱓《エレキサーペント》等の多様な魔物が船の甲板に上がって来た。

 

「このタイミングで魔物かよ!?」

 

 フォルが喚きながら半魚人《マーマン》に回し蹴りを食らわせて海に落とした。

 

 このタイミング?

 

 いや、この魔物共は明らかに魔鯨により意図的に送られたものだ。

 

 今の咆哮で魔物を呼んだのだろう。

 

 それにこの魔物の様子は…。

 

 魔物は一様に目が赤く光っており、何より恐ろしく好戦的だ。

 

 この特徴は正しく、《カタストロフィ》で凶暴化した魔物そのもの。

 

 この魔鯨と、魔王が復活した際の《カタストロフィ》、何か関係があるのか?

 

 何れにせよ、海の魔物の大量発生と凶暴化に、魔鯨が関わっているのは確かだな。

 

「坊ちゃん、退却しましょう…!」

 

 俺に近づく魔物を切り飛ばしながらカルロスが進言してくる。

 

「無理だな」

 

「坊ちゃん!」

 

「別に意地を張っている訳ではない。この船であれを振り切るのは無理だと言っている」

 

 今でこそ空を優雅に漂っている魔鯨だが、かなりの距離まで退却していた筈のクリントンの船に瞬く間に追い付く速度を奴は持っている。

 

 この船の全速力なぞ、魔鯨からすれば止まっているようなものだろう。

 

 応戦するしか道はない。

 

 幸いにも、フォルが良い働きをしている。

 

 この数の魔物の対処はカルロスだけでは骨だったろう。

 

 想定していた海魔ストラーフ戦とは違う形になったが、これで俺も魔法に専念できる。

 

 魔鯨め、大量の魔物を呼んで自分は高みの見物する気なんだろうが、こちらも手勢が揃っている。

 

 暗黒槍《ダークランス》で駄目なら、それ以上の魔法を使えば良いだけの話だ。

 

 この程度で勝った気になられては…

 

「…あ?」

 

 今正に新たな魔法で攻撃を仕掛けようと魔鯨を見上げると、奴の周囲に雪の様なものが舞っていた。

 

 きらきらと青白く輝く雪は、寄り集まって槍を形成していく。

 

 複数の巨大な氷の槍が、魔鯨の周囲に形成された。

 

 あれは紛れもなく…

 

「魔法だと…!」

 

 魔物は基本的に魔法を使えない。

 

 使わないのではなく、使えないのだ。

 

 魔法陣の理解や、詠唱等、魔法の行使には高い知能を要する。

 

 魔法を扱えるのは、人間やそれに近い亜人種、魔物でも高位の竜種と言った極々一部だ。

 

「あんな鯨が、高位の竜種と同等だと言うのか…?」

 

 少なくとも、魔法を扱えるだけの高い知能を持つのは間違いない。

 

 しかもあれは、中級の氷結魔法、氷結槍《ブリザードランス》。

 

 俺と同様に、馬鹿げた魔力を注ぎ込んだのか、その大きさは通常の比ではない。

 

 一撃一撃が、上位魔法並の破壊力を持つであろう氷結槍《ブリザードランス》が、10本以上。

 

 尚も数が増していく。

 

 あれが一斉に放たれるとしたら、この船に逃げ場は無い。

 

 一発でも当たれば沈没は免れないだろう。

 

「自分で呼んだ魔物諸共やる気か…」

 

 魔法を扱えるだけの高い知能はあっても、倫理観は皆無か。

 

 実に魔物らしい事だ。

 

「おい、あれヤバくねえか!?」

 

 フォルが魔鯨を見て、顔を引き攣らせる。

 

 俺の暗黒槍《ダークランス》の威力を目の当たりにしているフォルからすれば、あの数の魔法槍はさぞ脅威だろう。

 

「お前は目の前の魔物に集中しろ。あれを気にするのは俺だけで良い」

 

 気にした所で、お前には逃げる事も防ぐ事も出来んよ。

 

 まあ、そう言う俺も防護魔法は苦手な方だ。

 

 あのレベルの氷結槍《ブリザードランス》だと、一発なら兎も角、2発以上を防ぐのは暗黒壁《ダーククリフ》でも厳しそうだな。

 

 ならば、より上位の防護魔法を使うしか無い。

 

 俺は懐からナイフを取り出し、自らの指を軽く切る。

 

 そして流れ出た血を、己の影に垂らした。

 

 これから発動するのは神話の時代より現存する古代魔法だ。

 

「——【生者を拒む禊の門】」

 

 魔法の発動と同時に、魔鯨が無数の氷結槍《ブリザードランス》をこちらに向けて放った。

 

 直後、本船と魔鯨を挟んだ海上に、巨大な禍々しい門が出現する。

 

 どす黒い瘴気を放つそれは、迫る氷結槍《ブリザードランス》の衝突と、連続する激しい魔力爆破を物ともせず、そこに存在し続けた。

 

 まさか最上級の防護魔法を、切り札の一つを切らされるとはな。

 

 古代魔法を行使するなど2年ぶりだぞ。

 

 しかもそれを、連続して行使する羽目になるとはな。

 

 俺は続けて指を深く切り、影により多くの血を流し落とす。

 

「——【命を刈り取る農夫の鎌】」

 

 俺の手に、俺の背丈と変わらない程の漆黒の大鎌が現れる。

 

 中級魔法の暗黒鎌《ダークサイス》よりも小振りだが、内包する力は比較にならない。

 

 暗黒鎌《ダークサイス》の元となった、ライトレス家に伝わる古の魔法だ。

 

 俺が使える攻撃魔法の中でも最大級の攻撃力を誇る。

 

 その一撃は正しく、万物を斬り裂く。

 

「ライトレスの“地獄門”に、“死の鎌”まで…」

 

 カルロスが畏怖の孕んだ目で呟いた。

 

 これらの魔法をカルロスの前で使うのは初めての筈だが、よく知っているな。 

 

 それも魔法に付けられた異名まで。

 

 流石、祖父の代からライトレスに仕えているだけはあるな。

 

「さて、終いにしよう」

 

 俺は魔鯨に向け、漆黒の鎌を振り下ろした。

 

 暗黒鎌《ダークサイス》の様に、黒い斬撃が飛ぶ事もない。

 

 ただただ静寂に、鎌の刃の先にあった物全てが音も無く斬れた。

 

 射線に入った魔物、海、大気すらも。

 

 この鎌の前には距離も、障害物も、魔法すらも全てが無意味。

 

 魔鯨の強固な魔法障壁はバターの如く容易く両断され、その先の魔鯨の巨躯を切り裂いた。

 

 寸前で身体を捻ったのか、胴体を両断するつもりが、片側の胸びれのみが斬れ、海に落ちた。

 

 溢れ、流れ落ちる鮮血。

 

 初めて出る、魔鯨の絶叫とも言える苦痛の叫び。

 

「…勘の良い奴だ」

 

 或いは生き汚い、か?

 

 本来なら、胴体を両断して終わりだったのだが、まさか避けられるとはな。

 

 まあ、避け切れずに片ひれを失っている訳だが。

 

 それに、“ 命を刈り取る農夫の鎌”は一振りで終わりの安い魔法じゃない。

 

 魔力消費が莫大な分、威力も然る事ながら、複数回振るう事が出来るのだ。

 

 俺は再び、漆黒の鎌を振りかぶる。

 

 と、ここで苦悶の叫びを上げていた魔鯨に動きがあった。

 

 片ヒレを切り落とされる瞬間まで余裕の雰囲気を出していたが、今では明確な敵意を孕んだ目で俺を睨んでいる。

 

 そしてただでさえ巨大な口を大きく開け広げると、その口内に白い光が集まっていく。

 

 誰が見ても分かる。

 

 あれはどう見ても、ブレスか何かを放つ為の溜めだ。

 

 身体に流れる血の一滴一滴が警鐘を鳴らしている。

 

 あれはヤバい、と。

 

「——【生者を拒む禊の門】!」

 

 再び現れる瘴気を放つ禍々しい門。

 

 あらゆる攻撃を無に帰す、最高の防護魔法だが、それでも不安は拭えない。

 

 更に俺は、本船を覆う様に暗黒壁《ダーククリフ》を五重に生み出し、ブレスに備えた。

 

 そして、魔鯨の口から白く輝く熱線が放たれる。

 

 “生者を拒む禊の門”は、白熱線の衝突にギシギシと悲鳴を上げる。

 

 俺は更に、魔力を追加で注ぐが、焼石に水だ。

 

 数秒抑えるのが精一杯で、白熱線は門のど真ん中を突き破り、風穴を開けた。

 

 続いて白熱線は、五重の暗黒壁《ダーククリフ》を紙の様に穿ちながら、本船へ迫る。

 

「くっ…」

 

 俺は咄嗟に、迫る白熱線に“命を刈り取る農夫の鎌”を振るった。

 

 白熱線と、死の鎌の斬撃の衝突。

 

 凄まじい衝撃が海上に吹き荒れ、それと共に白熱線の射線がほんの僅かに逸れた。

 

 本船のど真ん中への直撃はギリギリ免れた。

 

 船体は一部が消し飛び、看過出来ないレベルの損害を負うだろうが、これで少なくとも全滅は無い。

 

 だが、逸れた白熱線の射線の先には、魔物を相手取るフォルの姿があった。

 

 ああ、駄目だな。

 

 これは間に合わない。

 

 いかなる魔法も、あの白熱線は止められない。

 

「……ぁ」

 

 ぼんやりと迫る白熱線を眺めるフォル。 

 

 避けようとすらしていない。

 

 当然か。

 

 魔物に集中しろと命じたのは他でも無い俺だ。

 

 魔鯨を気にするのは俺だけで良い、とも…。

 

「…」

 

 …なんだ、それは。

 

 自信満々に魔鯨の相手をすると意気込んでおいて、攻撃一つまともに止めれていない。

 

 挙げ句の果てに、その被害を俺の命令通りに動いている奴に出すだと?

 

 ふざけるのも大概にしろ。

 

 俺はローファス・レイ・ライトレスだぞ。

 

 ライトレス侯爵家次期当主であるこの俺が、そんな愚かな失態を犯せるものか…!

 

 足に魔力を流し、力任せにフォルの元へ跳躍する。

 

「——は!? おま、なんで!?」

 

 俺は驚くフォルを無視して首根っこを掴み、魔力で強化された膂力に任せて船の中央へ投げ飛ばす。

 

 そして迫る白熱線に向け、再び“命を刈り取る農夫の鎌”を振るう。

 

「——」

 

 呪文詠唱し、追加で膨大な魔力を鎌に注ぎ込んで斬撃の威力を底上げする。

 

「——」

 

 更に呪文詠唱を続ける。

 

 俺の背後に暗黒球《ダークボール》や暗黒槍《ダークランス》、暗黒鎌《ダークサイス》をありったけの数を生み出し、全てを白熱線に放った。

 

 くそ、この俺が詠唱なんて無様な真似をさせられるとはな。

 

 だが、詠唱ありきの魔法の威力は、詠唱破棄した時よりも遥かに上だ。

 

 暗黒の魔力と、純白の魔力が海上でぶつかり合う。

 

 一時的に拮抗する力。

 

 しかしそれでも、敗れたのは暗黒魔法だった。

 

 ここまでやって尚、白熱線の方が上だったのだ。

 

 いや、そもそも白熱線は見る限り光か、或いは炎系統の属性だ。

 

 光や炎属性に対し、暗黒魔法は絶望的に相性が悪い。

 

 本来なら、真正面から対抗等すべきでは無いのだ。

 

 だがそれでも、白熱線の軌道を更に逸らす事が出来た。

 

 白熱線の軌道は僅かに上に逸れ、船を僅かに掠る程度だろう。

 

 だが…。

 

「——ローファス坊ちゃん!!」

 

 迫る白熱線の発する轟音の最中、カルロスの悲鳴の様な声が響いた。

 

 そして、俺の視界は白一色に染まる。

 

 …流石に完全に逸らすのは無理だったらしい。

 

 間も無く俺は、白と熱の奔流に飲み込まれた。

 

 

 *

 

 

 ——ちゃん

 

 ——坊ちゃん!

 

 朦朧とする意識の中に木霊する声。

 

 誰のものかなど知れた事。

 

 俺の事を坊ちゃん呼びする輩は、この世界にただ一人。

 

「——ローファス坊ちゃん!」

 

 叫びに近い声に、呼び起こされる意識。

 

 ぼやける視界。

 

 そこには俺を抱き寄せ、悲壮と僅かな安堵がごちゃ混ぜになった様な顔のカルロスと、少し離れた所に顔を真っ青にしたフォルが居た。

 

 そうだった、俺は魔鯨の白熱線を受け切れずに…なんて無様な。

 

「…どれくらい、寝ていた?」

 

「ほんの数秒です」

 

「そうか」

 

 起き上がろうとするが、力が入らず、カルロスに抱き起こされる。

 

 激痛を通り越して、最早感覚の無い箇所すらあるな。

 

 ふと、血の気の引いたフォルの視線が俺の左側に向けられているのに気付く。

 

「…お、お前、左手が…」

 

「あ?」

 

 言われるままに左手を見る。

 

 左手は…肘から先が、無かった。

 

 傷口は焼けた様に黒く、出血は殆ど無い。

 

 いや、身体の損傷は左腕だけではない。

 

 左半身が全体的に黒く焦げており、左足は失ってはいないが、殆ど力が入らない。

 

 今思えば、左目も全く見えていないな。

 

 随分と派手にやられたものだ。

 

「…はぁ」

 

 普通なら、左腕を失えば発狂したりするのだろうか。

 

 俺位の歳ならば、あまりの痛みから我を失い、混乱してもおかしくはないだろう。

 

 だが、俺が幾度、幾千幾万回殺されたと思っている。

 

 俺からすれば、この程度、だ。

 

 ただ左半身を焼かれただけだ。

 

 ただ左腕を失っただけだ。

 

 首を切られた訳でも、心臓を貫かれた訳でもない。

 

 致命傷には程遠い。

 

 痛みはあるが、まあ慣れと言うのは空恐ろしいものだ。

 

 だが、カルロスやフォルのこの反応が、本来ならば正しいものなのだろうな。

 

 俺の左半身を焼いた張本人である魔鯨を見ると、忌々しげにこちらを睨んでいた。

 

 俺を殺しきれなかった事が余程気に入らないのか。

 

 そして、俺が“命を刈り取る農夫の鎌”で切り飛ばしてやった片ヒレだが、どういう訳か元通りになっていた。

 

 切った筈のヒレに出血は無く、傷痕すら残っていない。

 

「…どういう事だ」

 

 常軌を逸した再生力か、まさか治癒魔法ではないだろうな。

 

 治癒魔法は神聖魔法に分類される。

 

 神聖魔法は少し特殊な魔法で、魔力だけではなく信仰心が必要だ。

 

 主に教会勢力が使う神聖魔法だが、魔物が使えるとは到底思えない。

 

 あの成りで、神を信仰する敬虔な信徒なら別だがな。

 

 ならば異常な再生力か?

 

 ライトレス家相伝の古代魔法で漸く貫けるレベルの魔法障壁を持ちながら、負った傷も即座に再生か。

 

 悪い冗談だ。

 

 ——撃てぇぇぇい!

 

 船内から響く号令と、その直後に無数に鳴り響く砲声。

 

 船から放たれた大砲は、見事魔鯨に命中している。

 

 魔法障壁に防がれてはいるようだが、構わずに砲撃は繰り出されている。

 

「ログか…!」

 

 船乗り共に指示を出して砲撃してくれているらしい。

 

 事前に対ストラーフ戦の説明と、砲撃に関する説明はしていたが、何とも良いタイミングでやってくれたものだ。

 

 この船には対ストラーフ戦を想定し、大量の砲弾が積み込まれている。

 

 全て撃ち尽くすまでにはかなりの時間を要するだろう。

 

 ストラーフ戦であれば問題なかっただろうが、相手は魔鯨。

 

 砲撃の全てが魔法障壁に止められ、それでもやはり気に障るのか、魔鯨は鬱陶しそうにこちらを睨む。

 

 そして、先程と同様に大口を開き、口内に光が収束していく。

 

「…また、“あれ”か」

 

 白熱線の溜め動作だ。

 

 と言うか、あの威力で連発できるのか。

 

 あの威力の割に、余程魔力効率が良いのか? 或いは、俺と同様に規格外の魔力の持ち主か。

 

 何れにせよ、相性の悪い暗黒魔法であれを正面から受けるのは得策ではないな。

 

「坊ちゃん、力及ばず、申し訳ありません…」

 

 カルロスが絶望した顔でそんな事を言ってくる。

 

 いやいや、何を諦めている馬鹿者が。

 

「諦めている暇があったら治癒魔法を掛けろ」

 

「し、しかし」

 

「喋るのもきつい。何度も言わせるな…」

 

「ぎょ、御意…!」

 

 カルロスは俺を抱えたまま、治癒魔法を俺に施す。

 

 神官職でも無いカルロスは、治癒魔法の中でも初級レベルのものしか行使出来ないが、無いよりはましだ。

 

 流石に一人で立てもしない状態では戦えないからな。

 

 そして、魔鯨を呆然と見るフォルに、影から伸ばした暗黒腕《ダークハンド》で拳骨を喰らわせてやる。

 

「あたっ!?」

 

 驚いたようにこちらを振り返るフォルの頬を、更に暗黒腕《ダークハンド》で平手打ちする。

 

「ぶへっ!? ——て、テメエ何しやがっ…!?」

 

 声も絶え絶えに涙目で頬を押さえるフォルに、俺は冷ややかな目を向ける。

 

「サボるな。貴様はさっさと魔物を掃討しろ」

 

「はぁ……!? だって、さっきの“あれ”がまた…」

 

 あれとは、白熱線の事を指して言っているのだろう。

 

「二度も言わせるな。あの鯨の相手は俺がする。貴様は魔物だけを気にしていろ」

 

「でもっ——あむ!?」

 

 それでも顔を赤くして詰寄ってくるフォルの両頬を、暗黒腕《ダークハンド》で鷲掴みにした。

 

「……左手があれば手ずから殴っていた所だ。何の為に生かしてやったと思っている。庇われた事に少しでも負い目を感じるなら、船に這い上がってくる魔物くらいは狩り尽くしてみせろ」

 

「——っ分かったよ…!」

 

 フォルは舶刀《カットラス》を手に、船に上がってくる魔物の元へ走った。

 

「貴様もだカルロス」

 

「駄目です、まだ…」

 

 治癒魔法を止めようとしないカルロスを振り払う。

 

 そして俺は、両足で立ってみせた。

 

「良い。最低でも立って歩けるまでは回復したからな」

 

「しかしまだ、左腕が…!」

 

「貴様程度の治癒魔法ではどうにも出来んだろうが。さっさと行け」

 

 四肢を再生させるとなると、最上級の治癒魔法が必要だ。

 

 教会でも最高位の神官でも無いと、そんな魔法は使えない。

 

 当然だが、初級レベルの治癒魔法ではどうにもならない。

 

 歩けるレベルまで回復しただけで十分だ。

 

 うだうだと治癒魔法を続けようとするカルロスを蹴って魔物の元へ向かわせて、俺は魔鯨に向き直る。

 

 魔鯨は相変わらず口内に光を収束させているが、一発目よりも随分と溜めに時間が掛かっているな。

 

 回復する時間を得られたのでこちらとしては好都合だが、やはり次弾を放つには一定のクールタイムがいるのか?

 

「いや、これは…」

 

 違うな。

 

 魔鯨の口には、一発目の時以上の光の収束と魔力を感じる。

 

 成る程、先程は攻撃を逸らされたから、次は逸らす事すら出来ない程の強力な一撃を放とうと言う訳か。

 

 そして光の収束と同時に、ついでの様に魔鯨の周囲に無数の氷結槍《ブリザードランス》が形成されている。

 

 同時に放つ気か? 念入りな事だ。

 

 

 さて、魔鯨が今にも放とうとしている氷結槍《ブリザードランス》と白熱線だが、これらは魔力を消費して生み出されているものだが、その本質は異なる。

 

 氷結槍《ブリザードランス》は魔法であり、詠唱や魔法陣、術式等を用いて生み出す魔力を使った技術だ。

 

 魔法は技術である為、一定の高度な知能を持たないと扱えない力だ。

 

 対して白熱線(これはそう呼称しているだけで正式名称ではないのだが)、これは魔法ではない。

 

 魔力を持つ生物——魔物がその生体機能によって生み出す固有能力だ。

 

 有名なものだと、竜種の《ドラゴンブレス》や、バジリスクの《石化の魔眼》等が挙げられる。

 

 魔鯨の白熱線も、こう言った魔物の持つ固有能力に類するものと推察出来る。

 

 そしてこの固有能力だが、魔物だけが持つものでは無い。

 

 魔力を多く保有する人間も、特有の能力を持つ場合がある。

 

 王国上級貴族の中でも、極一部だけが持つ選ばれた力だ。

 

 魔物の使う固有能力とは区別され、固有魔法と呼ばれるこの力は、当然俺も持っている。

 

 ライトレス家に伝わる固有魔法——《影喰らい》をな。

 

 物語第二章において、四天王として猛威を振るったこの力。

 

 二つ名である《影狼》の名の由来となった力だ。

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