男はそう思ってきた、ずっとだ。
ホスト、自営、自分の人生は順調な筈だった。
ところが、信じていた社員の裏切り、そこから色々と起きる出来事。
最期に言われてしまった。
あなたはお父さんにと、笑うのは姉なのか、母なのか、男にはわからなかった。
男は母親に愛されている、ずっとそう思っていた。
「あなたは本当に、お父さんそっくりね」
そう言われると悪い気はしなかった、多分、容姿のせいもあったのだろうと思う。
子供の頃からかわいらしいと言われていたが、大きくなると女性からの視線を感じるようになった。
街中でモデル、芸能人にならないかと声をかけられてスカウトされることもだ。
だが、そんな声に耳を傾けることはしなかった。
バイトでホストになったのはちょっとした好奇心からだったが、予想もしない大金が一晩で手に入ると最初は驚いたが、それが当たり前だと思うようになってしまう。
そんな息子に母親は仕方ないわ、あなたモテるんだものと笑って諫める事はしない。
ただ、姉だけは違った、そんな金、あっという間になくなるでしょ、と金遣いの荒さを咎めるのだが、それは皮肉だと思っていた。
姉は自分と違って容姿も人並みだ、バイトも飲食店というきつい仕事で給料も決して高くはない。
自分は姉とは違うと男は優越か寸に浸っていたのは母の言葉も感夜景していたのかもしれない。
姉だから、弟の事よく見てあげてね。
だが男は思った、自分は姉になど世話にはならないと思っていた。
彼女だって一人ではない複数人する、それも最初から女性達は了承済みだ。
あなたは男の女王蜂みたいねと言われてしまうと、複数の女性と付き合っても良いのだと思ってしまうし、それをあえて隠す事もしなかった。
二十歳を過ぎてから会社に就職というよりは自分で事業を立ち上げようと思ったが、何をしたら良いのかわからなかった。
だが、仲のいい人間の助言に耳を傾けて投資や会社を立ち上げると思いのほかうまくいったのは驚きだった。
といっても最初から上手くいったわけではない。
ホストの仕事を辞めなかったのは金もだが、モテてちやほやされたいという気持ちがあったからだ。
ところが、事件が起きた、母が亡くなったのだ、それも交通事故だ、暴走した車と対向車に挟まれて死体はかなりひどい状態だったという。 姉が確認したらしい。
あなたは見ない方がいいと言われて男は躊躇したが、姉の怒った顔を見ると言葉が出なかった。
それからだ、男の転落が始まった。
社員が会社の金を持ち逃げしたのだ、しかも国外逃亡なので見つかっても日本へ連れ戻すのは時間もかかる。
持ち逃げした金は使われているか、隠しているかもしれない。
取り戻すのは時間と金がかかると言われて男は悩んだ。
諦めるか、また他の事業を始めればと思ったが、不安があった。
また同じ事が起きたらどうすると。
こんな時、母がいたらと思わずにはいられなかった。
男の母親は働いてはいなかった、事故に遭って下半身が動かず車椅子生活だったのだ。
それだけではない、内臓疾患もあるのか数ヶ月に一度は大学病院で検査を受けていた。
だが、自宅で色々なことをしていたようで、金に不自由はしていなかった。
子供の頃からの小遣いの金額も多かった、だが、それは大人になってからもで、何かあると金を出してくれたのは母親の方からだった。
だから多少なりとも罪悪感を感じる事もなかったのだ。
持ち逃げした社員の事はすっぱりと諦めた方が良いのかもしれないと思った。
警察や裁判所も、ただ、無料で動いてくれるわけではない。
こうなったらホストで稼いでやると思った、何、自分なら数日で大金を稼ぐことができると思っていた。
だから以前、働いていたホストクラブへ戻るつもりだったのだ。
ところが、あんなに人気のあった店はなくなっていた。
周りの店に話しを聞くと、自分が辞めて一月もしないうちに廃業となったのだちという。
何故と疑問に思っているとホストと客の間で事件が起きたらしい。
ただの痴話喧嘩なら、日常茶飯事、よくあることと珍しくもないのだが、警察も介入したと聞いて男は驚いた。
もし、そんな大きな事件なら新聞、テレビ、ネットなどで多き幕取り上げられたはずだ。
自分の耳に入ってもおかしくはないだろう。
「それがね、なんだか、警察でも特別な」
話をしていた男の言葉が途切れた。
「あの店で働いていたのかい」
伺うような視線にはっとした。
自分を見る相手の目は不審者に向けられたようなものに見えたからだ、まずい、これ以上はと思いながら、男はその場から離れた。
自分が働いていたのは、あの店だけではない。
数日後、他の店に行った。
ところが、従業員から働いている人間は皆、知らない顔で驚いた。
店内もリニューアル改装したらしい。
働かせて欲しいというと、即答だった、無理だと言う言葉に男は驚いた。
「うちは若いホストが多いし、あなたでは居心地が悪いんじゃないですか、それに噂は聞いてますよ」
「噂」
「ええ、随分と非道いことしたらしいですね、客のトラブルだけでなく、店の」
「おい、それは出鱈目だ」
店を出た後、そんな話が、まるで真実のように噂に見なっているなど驚きだった。
自分が客とトラブルを起こして、金を、それが本当なら自分は今ここにいない。
「そうなんですか、警察が目をつけてるとか、かなりヤバい事をしているからなんて」
笑いながら、そうなんですか、噂ですかと訂正するような相手の言葉を聞きながら男は思った。
その笑顔は信じていないと、噂が本当だと。
自分はここでは、いや、ホストとしてやっていくのは無理かもしれないと男は思った。
今の自分に頼れる人間は、いるのかと思ったとき、浮かんだのは亡くなった母親、そして姉の顔だ。
身内で頼れるのは姉だけだ。
三年前に結婚してから殆ど、いや、一度も会っていない。
メールが何度か来たが、自分は元気だという返事をしただけだ。
「姉さん、相談したいことがあるんだ、会えないか」
自分の近状を知らせることはしなかった、プライドのせいかもしれない。
金を貸してほしいと頼んだら姉は快く貸してくれるだろうか、もっと仲良くしておくべきだったと思った。
難しいかもしれないと思ったが、今更だ。
メールを送ると一時間もしないうちに返事が来た。
今すぐは無理だけど、一週間後にそちらに行くという返事に、男は不満を感じた。
数年ぶりに会う姉の姿は別人といってもよかった。
スタイル、美貌も女優並だ、昔の姿とは似ても似つかない。
本当に自分の姉なのかと思ってしまつた。
元気そうねと言われて、自分がここに来た目的を思い出し、頷いた男は、ここに来た目的を思い出した。
金を貸してくれというつもりだった、だが、今その言葉を口にすることが躊躇われた。
いや、それだけではない、恥ずかしいと思ってしまったのかもしれない。
昔は自分のほうが母親に愛されていた、それだけではない、周りからもできる息子だと思われていた。
母にとっても自慢できる息子だった筈だった。
なのに、今、目の前にいる姉の姿を見て男は思った。
これでは、まるで。
「姉さん」
呼びかけた瞬間、笑いを浮かべる相手の顔に疑問を抱いたのは無理もない。
「お金がなくて困っているんでしょう」
言葉に詰まってしまった。
「貸して欲しいんでしょう、幾らかしら」
その声が似ていると思ったのは気のせいだろうか。
誰にと聞かれたら一人しかいない、だが。
似ていると思ったのは気のせいだろうか。
突然、床に何かが散らばった、いや、ばらまかれたといったほうがいいだろう。
床に視線を落とすと紙幣だとわかった。
「欲しいんでしょう」
拾えばいいじゃないという声に男は何故という表情になった。
「母に愛されているって、本気で、思っていたの」
意味がわからなかった、姉さんと呼びかけると違うと言われてしまった、自分は本当の姉ではないと言われ驚いた。
「母と私は家族、でもあなたは違う、血縁関係なんてない」
他人と言われて男は混乱した。
「あなたの父親は女達に甘やかされて、勝手なことばかりしていたのよ、いわゆる」
姉だと思っていた女の口から出る信じられない言葉に男は驚いた、自分は愛されていたはずだ、少なくとも今、目の前にいる女より。
母は優しかった、困っているときはいつだって助けてくれた、それが嘘だったというのか、信じられない。
「仕事も金もなくて、頼れる人もいない」
もしかして、ホストクラブで聞いた噂は、まさかと思った。
どんな気分かしら、女の顔には感情が感じられない。
自分を笑っているわけでも、見下しているようにも見えない、何故か、それが怖かった。
「ねえっ」
自分の顔を両手で挟み、まるで顔を引き剥がすような仕草に男は目が釘付けになった。
そこから現れたのは自分が知っている顔だったからだ。
愛してくれていると思っていた母の顔に男は感情が溢れた。
ろくでもない男の血をひいた男が、最後の頼みだと言って自分の息子を育ててくれと行ってきたときは驚いた。
あんな別れ方をしておいてと思いながらも引き受けたのは、わずかでも愛情があったからだろうか。
いや、そうではないと思いたかった。
目の前で暴露された真実を信じられないという顔で聞いている男の顔は見ているだけで不思議な気持ちだった。
目の前のことしか見ていなかったのだ、姉という女、母親という女の正体さえ見抜けなかったのだ。
女相手で金を稼ぐ、いや、普通の仕事も無理だろう、道を全部塞いだのだ。
これから、この男はどんな人生を送ることになるだろう。
母さん、男の呼びかけに初めて女は笑った。
「本当に、お父さん、そっくりね」