月輪より滴り   作:おいかぜ

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《10》真昼と月

 

 Afterglow.

 意味は夕焼けだろうか。先陣を切って出てきた羽沢さんのバンドは、予想していたよりもずっと巧みな演奏をした。私はギターとベース以外は完全に素人であると自認していて、キーボードやドラム、ボーカルについて信頼性のある評価などできない。だが、素人目にも彼女達は上手かった。

 

 自分が多少楽器をやっている身で他人の演奏にとやかく言うのは、自分の技術を棚上げして上から目線でものを言うようで好きじゃないが、ギターの子は普通に上手い。ギターボーカルとリードギターの両方とも。

 

 本来ライブハウスというのは凄まじく玉石混交で、しかも学生バンドがメイン層ともなれば相当酷いバンドが連発されることも充分に予想できることだった。それが、一発目から期待値を大幅に超えてくる。

 もちろん手放しに上手いとは言っていない。ギターボーカルの子は歌に力が入ると何度かミスをしたし、リードギターの子も視線を下げていたり一部演奏が荒いところがあった。ベースやキーボードやドラムだって、知識がある人が見ればミスや粗はいくらでも見つかるだろう。ただそれは最早プロの基準であって、そうでない彼女達はインディーズとして十二分に優れたバンドだった。

 

 演奏中のアイコンタクトが客席からでもわかった。リードギターの子の演奏が鋭さを増した場所はお気に入りのフレーズなんだろうとわかったし、ドラムの盛り上がりに合わせて少しぼやけがちだったベースの音が粒立ったものに変化したのもわかった。そして彼女たちがボーカルを何より信頼していることも。

 彼女達は本気でライブを楽しんでいて、それに釣られるように客席も盛り上がりを増していった。この場所では、観客を沸かせられる演奏こそがなにより価値を持つ。

 

「いいなぁ」

 

 隣で日菜が呟く。確かに羨ましい。全力で『今』を楽しむ熱情は、私に欠けているものの1つだから。

 

 -

 

 Afterglowのあとに入れ替わりで演奏したバンドも、2つとも充分に質が高いと言えるものだった。これも上から目線になるが、少なくとも私が()にいくつかのライブハウスに行って構築した上手い下手の基準を上回っている。

 

 そして、

 

「リサちーだ」

 

 最後に出てきたRoseliaというバンドを見るなり、日菜の声に感情が乗る。ライブ前に言っていた友達がいるバンドというのがここらしい。

 

「ベースの人?」

「うん」

「……ギターなしのバンドなのね」

 

 ボーカルがギターを兼任するというわけでもなさそうだから、楽器はベース、ドラム、キーボードになる。キーボードがいればギターがいなくてもどうにかなるだろうけれど、月島さんによれば正統派実力バンドとの事だったから、ギターがいないのには違和感があった。欠員が出ているだけなのかもしれないし、事情があって出られなかっただけなのかもしれないが。

 

「Roseliaよ。よろしく」

 

 簡潔すぎて潔いMCに、日菜の友人が苦笑いを零したのが見えた。

 いつもの事なのか、ファンらしき観客も似たり寄ったりの表情。

 演奏が始まった瞬間に空気が変わる。前の3つのバンドとは随分と違った空気感だな、と思う間もなくその意味を理解した。

 

 ──純粋に上手いのだ。

 

 とは言っても、キーボードの上手い下手は私にはよく分からないし、ドラムに関してもAfterglowと変わらないくらいに聴こえるから、この差を生み出しているのはベースとボーカルなんだろう。

 

 ベースは弾き慣れているなという印象だった。フレットを滑る指が淀みなく、なんというか余裕がある。音には迫力があるし、魅せる弾き方も心掛けているように見えるし、持っているテクニックが幅広いことも窺える。バンドメンバーのことも見えているようだし、客席の日菜にウィンクを飛ばすほどだ。日菜に2ヶ月与えても追いつかないかもしれない。

 

 そして、ボーカル。私が門外漢なのを加味しても、確かにプロ級に聴こえる。

 大抵のボーカルが、カラオケの延長線上にいるとする。多少ボイトレなんかをしているとしても、このラインを踏み越えるのは難しいだろう。天性の声質やセンスもそうだ。

 Roseliaのボーカルは、踏み越えた側にいるように聴こえた。才能もあるし、努力もしたんだろうし、積み重ねもあるんだろう。私には想像もつかないけれど。

 

 月島さんがベタ推しするだけはある。私のことを褒めそやしていたからてっきり評価基準がかなり甘い人なのかと思っていたが、さすがにライブハウスのスタッフに対して失礼だったかもしれない。

 

「……びっくりしちゃった」

 

 ライブの後、客席から退出していく列に混ざって歩きながら、日菜の言葉に内心で頷いた。Roseliaのことを抜きにしたって、レベルの高いライブだった。客の入りがよかった理由も分かるというものだ。

 

「みんな上手いのね。私も驚いたわ」

「リサちー、上手かったよね?」

「私たちと同い歳でアレならかなりの上澄みなんじゃないかしら。それこそ明日メジャーデビューしたってそれほど驚かないわ」

 

 いや、驚きはするか。

 ロッカーから荷物をとって、ライブハウスを出る。夏の夜、風が丁度いい。冷房がきいた室内から出てようやく、身体が少し冷えていたことを自覚した。

 月が照っていた。街灯に反応して、昼と勘違いしたセミが1匹だけ鳴いている。

 

「あー、ベース弾きたい!」

「夕食をとってからね」

「うん」

 

 日菜が楽しそうなのは、具体的な目標ができたからだろうか。それとも同年代に、久しぶりに明確な“上”を見つけたからだろうか。

 私は日菜のことを天才だと思っているけれど、音楽の世界にはそんな天才が十把一絡げに転がっている。特にクラシックの世界なんかは聞くだに恐ろしい。

 バンドというか軽音楽には中学高校から入る人が多いのだろうけど、それでも物心ついた時からギターを握っていたというような人間はたくさん存在する。いくら日菜でも、そんな中を一足飛びに飛び越えていくことは不可能だ。

 色んな曲を弾きこなして、その過程で少しずつテクニックをモノにして、自分の技術を緩やかに広げていかなければならない。

 

 考えてみれば良い兆候だ。私のことしか見ようとしなかった日菜が、世界の広さに気が付くきっかけになるかもしれない。

 

「あたしが今まで聴いた中で一番下手なライブだった。──けど、一番興奮したライブだったかも」

 

 メジャーバンドのワンマンライブと比べたら、それはそうだろうと呆れる。高校総体とプロスポーツを比べるくらい違うのだから。

 

「次は貴方があそこに立つのよ」

「そう言われると自信なくなってきた」

「らしくないわね」

「あたしは別に根拠なく自信を持ってるタイプじゃないよ」

「それは知っているけど」

 

 自分があと2週間でどこまで仕上げられるかくらい、十分にわかっているだろうに。とは思ったが、Roseliaを比較対象にするなら自信をなくすのも分からなくもない。あのバンドにギターがいたら私とて衝撃を受けていたかもしれないのだし。

 

「バンド名も考えなきゃだし。……ホントにあたしが決めちゃっていいの?」

「私には無理だもの。押し付けて申し訳ないけれど、貴方が決めて」

 

 名付けのセンスは私には無い。それにどうにも、後悔を込めてしまいそうで良くない。未練は断ち切ったはずなのに、過去はいつだって追いかけてくる。ギターを再開してしまったから、余計に。

 

「どうせならあたしとおねーちゃんに関わりある言葉にしたいよね。真昼の月とか、どう?」

「いいんじゃないかしら。被っていないか調べる必要はあるけれど」

「うーん、でも今日のバンドはみんな英語だったよね。ミドルデイムーン、ムーン・イン・ザ・ヌーン……ミッドデイ・ムーン?」

「その中ならミッドデイ・ムーンね」

「じゃあこれで!」

 

 あっさり決めたな、とは思ったけど特に文句は無い。ただ──()()()()。つくづく縁がある。これじゃ自分で考えるのとそんなに変わらなかったかもしれない。

 

「……それじゃあ、帰って練習しましょうか」

「はぁい。あ、そういえばお母さんが夜おねーちゃんに話があるって」

「話? ……そうやって前置きされると身構えるのだけど」

「あたしが今の今まで言うの忘れてたくらいの内容だから大丈夫」

「なんの励ましにもならないわよ、それ」

「どうして……?」

 

 あからさまに傷付いた顔をするので少し笑ってしまった。

 別に日菜はそれほど適当な性格というわけでもないし、大事なことを忘れるような子ではないと分かってはいるが、普段の奔放な態度から“いつかやらかしそうな感じ”がするのも確かだ。

 たぶん、私に関することでそれはないのだろうけど。

 

 それくらい重いものを向けられているという自覚はある。

 

 家の間近の住宅街に差し掛かると、どこからともなく夕飯の匂いが漂ってきた。

 いかに学生向けを謳ってはいても、ライブが終われば夕飯時を少し過ぎたくらいの時間にはなる。高校生にとっては別に夜遊びと言えるほどの時間ではないが、この時間帯の道を日菜と二人で歩くのは案外珍しいことだった。それも高校が違うせいなのだが。

 

「ただいま〜!」

 

 人の動きに反応して光るライトに照らされながら鍵を開ける。扉の上下に合計ふたつの鍵穴があるにもかかわらず、普段使われているのは上だけだ。曰く、「めんどくさいから」との事。確かにちゃんと閉めたか分からなくなったりして面倒だけれど、使わないなら使わないで勿体ない気もする。

 

「おかえり。ライブはどうだった?」

「うんとね、るんとしたよ!」

「楽しかったのね。私も貴方たちのライブには行きたいんだけど」

「2000円です!」

 

 早速日菜が母からチケット代をせしめようとしているのを尻目に自室に引っ込んで、ギターを片付ける。

 なんだかんだでライブに行けば触発されて弾きたくなる。私にはもう楽器に対する熱意なんて大して残っていないと思っていたけれど、最近の練習量はもはや最もギターに熱中していた時期とさほど変わりない。その割に上達幅は雀の涙なのが悲しいところだけれど。上手くなっている自覚すらない。

 

「紗夜も、おかえり」

「ただいま」

「ご飯はできてるからね」

「ありがとう。お父さんは?」

「寝ちゃった。昨日夜更かししたからしんどいんですって」

 

 紗夜に構って貰えたからって深酒して、自業自得よねぇ、とのこと。

 うちは両親ともに親バカのケがあるから、人のことは言えないのではないかと思ったが黙っていた。

 

 

 -

 

 

 夕食は鳥の照り焼きだった。時たま母が商店街で買ってくる出来合いのもの。身内贔屓が入っていることを考慮しても母は料理が上手い方だと思うのだが、本人は美味しい出来合いのものを探してきた方が余程いいと思っているらしい。手間を考えると確かにその通りなのかもしれないが、なんとなく勿体ない感じがする。

 自分で作るよりも他人が作った料理の方が美味しく感じるのも分かるのだけど。

 

「そういえば日菜から、話があるって聞いたのだけど」

 

 食後にさっそくベースを弾くと言って自室に引っ込んだ日菜を見送ってから、私から切り出した。未だに両親との距離感を掴めていない自覚はあるが、かと言って遠慮が介在するような関係性でもない。日菜のあの口ぶりからして、真面目な話ではあるけど深刻な話ではないのだろうと高を括っていたのもある。これで離婚話とかだったらどうしよう。

 

「あー……、そうね。仕事を辞めるか変えようと思うのよ」

「どうして? 仕事が楽しいって言っていた気がするけど」

「紗夜に負担を掛けすぎてることを反省したの」

「大した負担じゃないわ。家事の手伝いくらい誰だってやるでしょう」

「だからって仕事にかまけて家のことを任せ切りにしているのは……あなたには受験だって控えているんだし」

 

 仕事の話となると難しい。こちらからは母の仕事の事情なんて一切分からないし、辞めるべきだと思うのならその判断を尊重すべきだとは思う。

 だが私を理由に辞めようとしているのなら、それはあまりにも勿体ない気がする。

 

「今でも全然余裕があるのよ。それこそギターだって触っているし、バイトも少しだけどやっているくらいなんだから。せっかくやり甲斐のある仕事に就いてるのにそれを捨てて収入まで減らすのは勿体ないんじゃない?」

 

 家事の分担だって大したことじゃない。朝食を作ったり、帰りが遅い日に夕食を作ったり、弁当を作ったり。洗濯や洗い物は割と日菜がやったりするし、料理だって毎日じゃないから、本当に家事手伝いくらいの感覚でしかない。

 受験にもそれほど危機感を抱いてはいない。やり直した私はそれこそ、十浪するくらい時間的猶予を貰っていて、その分をあまりサボらずにコツコツと積み立ててきたから、だいぶ余裕がある。それでも日菜に追いつかれたのだから笑うしかないが。

 

「私のために仕事を変えようとしているのなら、思い直して欲しい」

「……そう言うよねぇ、やっぱり」

 

 そんなことで辞めるのなら、もっと早くそうして欲しかった。日菜がまだ幼かった頃に、随分と寂しそうにしていたのをよく覚えているから余計に。今なんてどうでもいいから、あの日の日菜に寄り添ってあげて欲しかったと思うのは、我儘だろうか。

 保育園に子供を預けられるようになって、時間に余裕が出来たから仕事に復帰しようと思うのはよく分かる思考だから、一概に批判することもできやしない。金銭面においても精神面においても、親になったことが無い私には。

 

「もう少し考えるわ。……はぁ、ダメな親ね、私も」

 

 娘ですらない私には、どうにも。返す言葉が思い浮かばなかった。

 この後ろめたさが、どうしても嫌いだった。

 

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