月輪より滴り   作:おいかぜ

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《12》クーラーとアイスグラス

 

 そうなるだろうと思ってはいたが、夜を明かせば昨日の乱れに乱れた思考はある程度の統制を取り戻し、現実を認識するに至った。

 言ってしまえば、ノリと勢いだったのだ。あの告白は。

 日菜のことが好きになればなるほど、日菜に嫌われることを恐れるようになる。だから少しでも傷が浅いうちに吐き出してしまおうという、逃げの選択だった。

 

 日菜の目論見としては、「日菜が私を嫌うわけが無い」と私が確信するほどの信頼を得るつもりだったのだろうけれど。

 それは無理だ。どんなに人を信じたって、私には相手の感情を完璧にトレースすることなんて出来ないのだから。「日菜はきっと私を嫌わないだろう」とは思えても、そこに一分の懐疑もない完全な盲信などそもそもできる性格では無い。

 

 私なりの誠意のつもりでもあった。私なんかのためにここまでしてくれる日菜に、報いる方法が他に思いつかなかったのもある。

 

 隣で眠る日菜を見やる。夏なのも相まって、他人の体温が気持ち悪い。タイマーで切っていた冷房をつけっぱなしにしておけば良かったと少し後悔した。

 

 ライブはしばらく止めると言っていたから、それには合わせるとして。私はどうしようか。かつての情熱を取り戻したとかそういうわけではないが、それでもライブをしたいという欲求を取り戻しつつある。

 久方振りに浴びたライブハウスの空気と、今更ながらに伸びしろが生まれたギターへの意欲のせいだ。

 

 日菜はライブで介護されるくらいじゃ同じステージに立つ資格がない、というようなことを言ったけれど、それほど隔絶した実力差があるわけではない。もちろん年季の差によるリードはまだ埋まっていないが、それにしても日菜の進歩は目覚ましい。たとえば2ヶ月後に同じ演目で同じステージに立ったとしたらもう見違えているだろう。

 

 だから格差を理由にライブを控える意味もそれほど無いとは思うのだけど、まあ日菜には日菜なりの考えがあるのだろう。2人だけのバンドの発案者は日菜で、私はそれに消極的な同意をした立場であるから、何をするかは日菜に任せる。

 

「おねーちゃん……?」

「おはよう、日菜」

「おはよ……早いね」

 

 昨日のことだけど、と話を繰り返したい欲求を抑え込んだ。寝癖で跳ねる日菜の髪を撫で付けて、欠伸を見送る。

 時計を見れば朝8時。2人はとっくに出勤しただろう。朝食くらい作ってあげれば良かったな、と働かない脳みそで考えた。

 

「もう起きる?」

「……なに、二度寝するの?」

「おねーちゃんが寝るならまだ寝る」

「私は起きるわよ。別に貴方は寝ていてもいいけれど」

「なら起きる〜」

 

 一度意識が覚醒してしまえば二度寝の気分でもなくなる。微睡みの中から起き出せなくて二度寝することはあっても、目が覚めればわざわざ寝直すことは無い。

 差し出された腕を引っ張って引き起こす。相変わらず甘えたがりだなと思いつつも、昨日の醜態を思い出せば私も人のことは言えない。

 

「あ、リサちーから連絡来てた」

 

 Roseliaのベースの人か。リサちーとしか呼ばないから未だに名前がわかっていない。下の名前はリサなのだろうが。

 

 相当面倒くさい内容の連絡だったのか、スマホを眺めたままうんうんとうなり出した日菜を放置してリビングに降りる。

 早起きと言えるほど早い時間でもないが、朝に起きられると自分が健康的な生活を送れているように錯覚する。実際には夏休みの昼夜半逆転で生活リズムごとめちゃくちゃになっているのだが。

 

 冷蔵庫を開けても何も入っていなかった。昨日は買ってきた弁当と惣菜で済ませていたから残り物もない。ここ数日は母も私も立て込んでいたから仕方が無い、ということにしておく。まさか食パンすら無いとは思わなくて困ってしまった。

 コンビニに行く方が早いのは明らかだったが、米を炊くことにした。買い出しは昼でもいいだろう。外に出るのが面倒くさかった。こういうときに出不精なところが表れる。

 

「おねーちゃんに会いたいって人がいるんだけど、取り次いでもいい?」

 

 リビングに入ってくるなり、そんな微妙な言い回しをした日菜の表情は、少し後ろめたそうなものだった。

 

「いいけど、誰かしら」

「リサちーと、銀──じゃなかった、ユキナちゃん」

 

 Roseliaの2人か。日菜じゃなくて私に会いたいと言ってくる時点で、なんとなく意図は透けて見えた。自分を過信しているようで口に出すのは憚られたけれども。

 

「貴方はいいの?」

「うん。おねーちゃんに釣り合えるくらいまで積極的にライブする気もないし、あたしも別口で何か考えてるから。待たせる立場なのに操を立てろなんて言わないよ」

「そう」

 

 その割には嫌そうな顔をしている。まだそういう話だと決まったわけでもないし、今のところそれほど乗り気でもない。

 テレビの電源をつけて、コーヒーを──暑いから止めよう。水出しの麦茶をピッチャーから注いで、喉を湿す。朝はいつも喉が渇いているが、寝ている間は口呼吸しているのだろうか。

 

「今日でいいよね?」

「そうね、明日からは学校だもの」

 

 日菜達は一応明日まで休みだが。

 早炊で炊いた米でおにぎりをこさえて、とりあえずの朝食にする。こういうとき、ふりかけという文明は偉大だ。

 

「昼からずっとライブハウスに詰めてるからいつでもいいって」

「じゃあ先に買い出しね。日菜も来る?」

「うん」

 

 嗚呼、気が乗らない。

 

 

 

 ♦

 

 

 買い出しの度に車が欲しくなる。どうせ味の違いも分からないくせに、良い野菜の見分け方とかそういった知識も増えた。半分主婦をやっているようなものだから、必然ではある。自己満足で済ませているだけまだいいけれど。

 昼を作る気にもなれなくて、ファストフードのテイクアウトで済ませた。なんだかんだ言って、これがいちばん美味しく感じる庶民なのだ。

 

「もう出ようと思うのだけど、日菜はどうするの」

「あたしも行くよ。その場にいるのは最初だけだと思うけど」

 

 ギターケースを背負って家を出る。昔よりもずっと重く感じるのは、やはり男女の筋力差なのだろうか。

 8月の末でも暑さは盛りといった様子。ここ最近は昼に出かけてばかりいるのが良くない。夏の暑さはセミさえも殺すらしいから、ヒトが耐えるには些か厳しい温度だ。10月にまでさしかからないと過ごしやすい気温にはならないだろう。そしてきっと、すぐに肌寒い季節になる。

 

「おねーちゃんはプロを目指してたんでしょう?」

「一応は、ね」

 

 一定水準さえ超えてしまえば、あとは実力よりも運や巡り合わせに偏るものだと思っている。私たちのバンドにはそれなりの実力も人気も備わっていて、きっとバンド活動だけで食べていくことは可能だった。けれど大きく人気を得るきっかけも得られず、不安定な地盤のままぼんやりと歳を重ねることに私は耐えられなかった。

 

 売れないなら趣味でいい。生きていくのに過不足ない程度の収入しか得られないのなら、より安定したサラリーマンにでもなってしまう方がずっといい。今でもそう思っているし、ついていけないと零したことを後悔していない。

 

「今でもなりたいと思ってる?」

「いいえ。もしそうなら私はとっくの昔に、幼き天才ギタリストとして売り出していたわよ。名前を売ることが一番大事なのだから」

 

 小学生辺りでインターネットを通じて何かしらの発信をしていれば注目は得られただろう。こういう社会では注目を得られれば得られるほど良いのだから、話題性のあることはなんだってやるべきだ。

 そんなつもりがないからこそ私はどこにでもいる一般的な女子高生をやっているわけなのだが。

 

「もう意味が分かるでしょう? いまの私にとっての音楽は自己同一性の保証であって、顕示欲求を満たす道具ではないのよ」

 

 どうせろくな人間になれなかっただろうな、とは思う。自分の前世を売れるための道具として消費して、大した才能もないくせに分不相応な評価を受けて。承認欲求に狂ってどうにかなりそうな予感さえする。その辺の自制が利く自分で良かった。

 

「……プロに興味があるの?」

「オーディション受けてみよっかなって」

「……止めはしないけれど」

 

 伸び代はまだあるのだし、早いような気がした。今の実力でも引っかかるところがあるのだろうか。容姿の良さを考えれば、オーディションの方向性によっては受かってもおかしくないような気がするが。

 

「契約の内容は確認させて」

「うん」

「オーディションの概要もよ」

「うん」

「万が一──いや、やめましょう。……なによりも自分を大切にするのよ」

「うん? ……うん」

 

 話しながら歩いていればすぐにカフェテラスが見えてくる。今は芸能界にツテなんて無いのに、調べることが増えたなとゲンナリしていたから余計に、時間が経つのが早かった。

 

「お、双子ちゃん。ライブはありがとうね」

「まりなさん!」

「こちらこそお世話になりました」

「いやー、一発目から意外と盛り上がったねぇ。あの日のメンツに見劣りしてなかったのはほんとにすごいよ」

 

 今日も今日とて月島さんがカウンターの前に腰掛けていた。ライブの前に随分と助けられたことは確かなので素直に礼を言っておく。珍しく日菜が懐いている大人だから気になっているというのもある。私が知らないうちに何かあったのだろうか。

 

「見劣りはしていたと思いますけれど」

「誰だって初回はアウェーだもん。またウチでやって欲しいなぁ」

「しばらくはやらないと思いますけど、次やるときは是非」

「え、暫くやらないの? 勿体なーい」

 

 次を誘ってくれるということは、本当にオーディエンスの反応は良かったのだろう。お世辞であるならばそれほど熱心に次を誘ったりもしないだろうから。

 確かに、思ったよりも手応えはあった。

 ライブハウスに戻ってくると、ライブの余韻も蘇る。ぐだぐだと言い訳はすれど、結局私はライブが好きらしい。

 

「そういえばRoseliaの子たちに呼ばれてきたんだっけ。2番の部屋にいるよ。いつでも通してくれって」

「ありがとうございます」

「あたしはここで待ってようかな」

 

 付いてきたのに顔は見せないのか、と口に出しはしなかった。アレで日菜は感情よりも理性で動くタイプの人間だから、自分なりの考えがあって付いてこないのだろうし。

 

「あたしがいると多分リサちーが気を遣うんだよね」

 

 そういう気遣いができるくせに、興味が無い人間に対しては排他的な思考なのはどうにか矯正しなければいけないような気がしている。

 

 スタジオの扉の前に立つと、演奏が漏れ聞こえてくる。演奏中ではノックも聞こえないだろうとしばらくの待機。それにしたってさすがに歌が上手い。

 

 演奏の間隙にすかさずノックを3回。どうぞ、と扉が開けられて、ベースの人と対面する。

 

「あ、来てくれたんだ! どうぞ、入って」

 

 促されるままにスタジオに入る。休憩しようとしていたのか、奥でペットボトルを手に取ったボーカルの人が見えた。ユキナさん、だったはずだ。

 

「アタシは今井リサ、よろしくね。ヒナとは仲良くさせてもらってます」

「氷川紗夜です。日菜がお世話になっているようで」

 

 羽沢さんの時も思ったが、日菜が自主的に仲良くしているというだけでどうにもその人が特別な人間に見えて仕方がない。日菜があまり人と関わりたがらないのと、あとは私が日菜に抱いている憧憬に拠るものなのだろうが、人を色眼鏡で見るのも良くない。

 

「……湊友希那よ」

 

 少しの間があって、ボーカルの人が私の前に立つ。今井さんはさっさと後ろに引っ込んでしまった。大事な話はリーダーが、ということなのだろうが、いやに統制が取れている。悪く言えば高校生らしくなかった。

 

「氷川紗夜です。1度だけあなた達のライブを拝見させて頂いたことがあります」

「それなら話が早いわね。単刀直入に言うと、あなたに私たちのバンドに入って欲しいの」

 

 やっぱりそういう話か。少し調べて、Roseliaにはギターがいないことは知っていた。お眼鏡にかなうギターを探していることも。ただ、湊さんの基準が厳しいらしいことや、完全実力主義といった触れ込みからして私はその基準を満たしていないんじゃないかとも思っていたから、少し腑に落ちないところもある。

 

 ただどちらにせよ、予想していた内容に違うものでもなかったし、用意してきた返事を覆すものでもなかった。

 

「正式に加入をという話であれば、お断りします」

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