「日菜、話があるの」
家に帰ってすぐ、日菜の部屋を訪ねた。今日は普通に帰ってきていたらしい。
「……2日ぶりくらいな気がする」
「そうね。日曜日は丸々会わなかったし、今朝も会わなかったから」
部屋着に着替えた日菜は、本を読んでいたらしい。時折私の部屋から勝手に持っていく分の一冊だろうか。遠目からは見覚えのある表紙に見えた。
「突き放すようなことを言ってごめんなさい。……貴方の選択を尊重すべきだったわ」
「ううん、おねーちゃんとの約束を破ったあたしが悪いよ。あたしを想って言ってくれてたのは分かってたし……」
さんざん気持ちの整理をつけたからか、スラリと言葉が出てきた。約束を取り付けたことが間違いだったとは思っていない。けれど翻すべき約束だった。
日菜の世界を広げたいと思っていたくせに、かえって彼女の可能性を狭めるようなことを言った私が精神的に未熟だったと言うだけの話。
「ねぇ、ハグしてもいい?」
「どうして?」
「んー、仲直りのハグ?」
「今とってつけたでしょう、それ」
ほら、と軽く手を広げると飛び込んでくる。学校帰りのままだから汚かったなと思い至ったのも後の祭り。ぎゅうと抱きしめられて、身動きが取れなくなった。
「……楽しい?」
「落ち着く」
そのまま椅子に腰掛けてもくっ付いたまま。軽く背中を撫でて、今まではこういう身体的接触も拒否していたなと思い出した。
今だって色々と宜しくないから歓迎してはいないけれど。
「ストレスでも溜まっているの?」
「それもあるかも。主におねーちゃんに嫌われたかもという心労で」
「……ごめんなさい」
「嘘。おねーちゃんがあたしを嫌うなんて思ってなかったよ。ただやらかしたなぁとは思ったけど」
パスパレのことを言ったつもりが、チクリと刺される。私に対しては出さないから忘れかけていたが、この子は大概な性格をしているんだった。
「Pastel*Palettesはどうかしら」
「んー、全然再起しそうにないかなぁ。というか、まだ楽器も弾けないのに仕事なんかあるわけないし」
「まだ2日目だものね」
「うん。でもドラムの子はめちゃくちゃ上手いよ。スタジオドラマーだったんだって」
「大和麻弥さん、だったかしら」
「うん。あたし達と同い年」
実際の演奏を知らないから何とも言えないけど、高校生でスタジオミュージシャンなんて上澄みも上澄みなんじゃないだろうか。となるとPastel*Palettesの楽器隊はプロ1人に、中級者1人に、初心者2人なわけだ。あまりにもギャップが大きい。
「イヴちゃんは……よくわかんないや。今まであったことがないタイプ? 千聖ちゃんは楽器をコンバートしてもらったからまたゼロからだけど、あんまりやる気なさそう」
「白鷺さんね。去年は同じクラスだったけど……あまり話した記憶が無いわ」
「んー、千聖ちゃんがその気にならないとパスパレは何とかならないと思うんだよね。コネもノウハウも知識もないし、そのくせ評価はマイナススタートだからさ」
口振りの割に、日菜は楽しそうだった。自分の力ではどうにもならないのが新鮮なのか、それとも他に思惑でもあるのか。
「だから彩ちゃんが千聖ちゃんを口説けなかったらおしまいです!」
「貴方でもいいんじゃないかしら」
「無理だよ。だってあたし千聖ちゃんに嫌われてるし」
「何をしたのよ」
「さあ? 相性悪いっぽいんだよね」
これは多分心当たりがあるやつだ。まあ何かしら言ったりしたんだろう。
そうでなくても、相性が悪いという発言には一定の説得力を感じてしまうが。
「おねーちゃんは、彩ちゃんと仲良いの?」
「そうね、比較的」
「意外だなぁ」
「そうかしら」
「うん。ああいう子におねーちゃんが進んで話しかけるイメージが湧かないもん。それとも、彩ちゃんがおねーちゃんに懐いたのかな」
「別に私は、付き合いを選別したりはしてないわよ」
「でも人と話さないじゃん」
「中高生とはしゃげる精神年齢でもないのよ」
付き合いを精神年齢に合わせるとそれはそれで歳下扱いされて居心地が悪いことを学んだので、結局は肉体年齢に合わせておくのが無難だという結論に落ち着いた。元々精神的に大人びたタイプではなかったし、肉体に引きずられているような感覚もあるから、この環境がいちばんマシなんだろう。
けれどそれはそれとして、中高生の話題に乗って一緒に笑い合えるかと言えば別の話で。
「Roseliaでは誰と話すの?」
「……あまり話さないかもしれないわね。学校が同じだから白金さんと話す機会が多いくらいかしら」
日菜に言われて、Roseliaのメンバーともそんなに話していないことに気が付いてしまった。休憩中はともかく、練習中に無駄話をしたりもしないし、練習以外で会うこともないからそうなるのも必然と言えばそうかもしれない。
「ユキナちゃんとか、おねーちゃんのこと好きそうだけど」
「あまり話さないわ。バンドとか演奏の話くらい」
「ふぅん。ライブのときは通じ合ってるように見えたんだけどな」
Roseliaのライブは、あまり通じ合うような感じでもない。技術的な面ではもちろん、合奏である以上互いに足並みをあわせるが、私と日菜のライブのときのような心を通わせるような感覚はそこには生じない。
湊さんを立てるように弾いて、リズム隊に立てられて、あとは余裕がある私が全体を見ながら弾くくらい。次のライブのときにはまた変わって──次のライブがあれば、この関係性も少しずつ変わっていくのだろうが。
「そう言えば、次のライブはいつ?」
「さぁ」
「さあって」
「次があるかも分からないわ。内輪揉めで崩壊中なのだもの」
「……へ?」
今井さんは上手くやれるだろうか。宇田川さんと白金さんの精神状態によっては、案外あっさりと復活するかもしれないし、逆にこのままかもしれない。そも、湊さんがスカウトを受けてしまえばそれでおしまいではある。
正直なところ、湊さんに失望した部分がないと言えば嘘になる。私の中身が大人だから特に心乱れることもなく許せているだけで、思ったよりもRoseliaが軽いものだったことにショックを受けているのは、私も同じだ。所属していればどうしたって愛着も湧くし、それに、いいバンドだと思っていたから余計に。
「ど、どうして? いいライブだったじゃん」
「詳しい内容を話す気はないけど、在り来りな仲違いよ。そう珍しいことでもないわ」
私たちのときはどうだっただろう。大学に入るときと、私が就職してからは大きく揉めたが、それ以外は諍いはあれど概ね平和に続いていたような気がする。ドラムとボーカルが別れた時はヤバかったけれど。
「このまま解散したら、ベースでも触ろうかしら」
「ちょっとは弾けるって言ってたよね。実際に弾いてるとこは見たことないけど」
「バンドメンバーに教わっていた時期があったのよ。今度は日菜に教えてもらおうかしら」
「おねーちゃんの方がすぐ上手くなったりしない?」
「そんなわけないでしょう」
薬指のことがあったから、結局ベースも長続きはしなかった。本職を疎かにする訳にもいかなかったし、大学が忙しくなったのもある。
階段を上がってくる音が廊下から聞こえて、2人同時にそちらへと振り返った。
「日菜、ご飯よ──って、二人とも仲良しね本当」
上がってきたのは母さんだった。いつもはトークアプリでの呼び出しだから珍しい。
日菜に抱きつかれたままの体勢だったから、にこにこ笑顔でそんなことを言われても何も言い返せない。
「着替えてくるから、どいて、日菜」
「えー」
「えーじゃない」
力を抜いた日菜を退けて、自室で部屋着に着替える。先にシャワー浴びるつもりだったのに、日菜と話し込んでしまったから夕飯の時間にずれ込んでしまった。
日菜の背中を見ながら階段を下りる。
後ろめたい食卓が、ほんの少しだけマシになった気がした。