「『普通』って、なに?」
「どうしたのよ急に」
「おねーちゃんならどう答えるかな、と思って」
夜、2人きりのセッション。あたしが練習してるパスパレの曲におねーちゃんも付き合ってくれて、いつもよりも軽く柔らかいギターの音色で満ちる。
この動画を送れば千聖ちゃんの助けになるのでは、と思ったりしなくもないけれど、あたしだけの秘蔵映像なので世に出ることは無い。
「……その対義語を『特別』とか『特異』とするのなら、自分の中の常識で推し量れる範囲にある、もしくは代替できる物事、かしら」
「ふぅん?」
「範囲が広すぎて上手く言語化するのは難しいわね。貴方の言うそれは、何を対象にした『普通』なのかしら」
真面目に答えてくれると思っていなかったから、少し驚いた。大抵こういう言葉遊びをしかけてもすげなく躱されるのに、今日は考えてくれるらしい。仲直りした翌日だから甘いのかもしれない。
「じゃあ、人間にしよっかな。それだと例外から考える方が早いかもしれないけど」
「そうね。普通でない人間って、たとえば国家元首とか、世界的な富豪や実業家とか、伝説的な記録を残したスポーツ選手とか、革新的な発明をした開発者、研究者とか、あるいは世界的に認められる芸術家とか、その程度でしょう」
絶対的な評価で言えばね、と付け加えて、それから思案するように天井を見上げた。
「……そんなつまらない答えしか出せないわ」
「うーん、じゃあ、『天才』と『凡人』の違い、とか」
「貴方と私よ」
「それ、嫌い」
「……そう言うと思った」
あたしがおねーちゃんのことを天才だなんだと評すれば、否定するんだろう。確かにおねーちゃんの
「天才なんて言葉は、後の人々が偉人に対して言うのでなければ相対値でしかないわ。アインシュタインやジョン・ノイマンが天才だと言ってもそれを否定する人は少ないでしょう。彼らはそれに足る偉業を持ち、裏付けされた逸話を持ち、当時の誰も追いつけなかったという事実が残されている」
「うん」
「それ以外の意味で言うなら、それこそ自己の常識で推し量れるか否かでしょう。たとえば私がギターをこのレベルで弾けるようになるには10年以上もかかっているわけだけれど、これは別に才能がある方でもなんでもないわ。私よりも早く上手くなる人達なんて数え切れないほどいるもの。けれど、楽器未経験からギターに触り始めて半年で私より上手くなるような人がいれば、それは紛れもなく天才でしょう」
10年どころか20年弾いても上手くならない人は幾らでもいると思うけど、とりあえず頷いておく。前からわかっていたことだけれど、おねーちゃんは赤の他人を過大評価しがちだ。相応の環境と時間があれば誰でも自分と同じくらいにはなると思っている。
「そんな相対評価しかできないのよ、才能なんて。だから母集団の全てよりも優れているから才能がある、という捉え方も別に間違ってはいないと思うのだけど。『十で神童、十五で才子、二十歳過ぎれば只の人』なんて言葉も、成長するにつれて母集団が大きくなっていくことを考えれば妥当だと思えるわ。地元の高校で一番頭が良かったとして、東大に入れば無数にいる東大生の一人に過ぎないでしょう。社会的に見れば東大生という上澄みなのに、本人を取り巻く環境と対比して見ればただの凡人のようになってしまう」
「じゃあ、別におねーちゃんが天才だと言っても間違いじゃないでしょ?」
「ダメよ。貴方がいるもの。それに、私の一周目は大した人間じゃなかったわ。だから私の本来の高校生としての能力はその程度。仮に2周目の高校生活をやり直している集団があるのなら比較材料にはなるかもしれないけど」
手強い。実際、おねーちゃんに突き抜けた天才性があるとは思わないけど、あたしの事を天才と評するのならおねーちゃんにも同じものを受け入れてもらわなければ納得がいかない。
「才能という言葉が嫌いなら、そうね。貴方は学習能力が極めて高いのよ。そして頭がいい。後々貴方が何かを成せばこの評価は変わるかもしれないけれど、言い換えるならこの程度。貴方は私と比較してあれこれ言いたがるけど、学習能力の高さについては自分の方が上だと認めざるを得ないでしょう?」
「……あたしは、才能って『上限』だと思うよ。速度は付随するものであって、本質じゃない」
「『上限』なんて、それこそ死ぬまで分からないじゃない。確かにその考えには同意できるけれど、『上限』がどこか分からない以上は別の物差しを作る必要がある」
「それが学習能力?」
「ええ。行き詰まって停滞するのならそこを上限としてもいいけど、貴方はまだ止まっていないでしょう」
うーん、言い負かされたかな、これは。かなり理論武装されている。才能という言葉の定義を改めればまた話は変わってくるのかもしれないけど、そこまで焦ってもいない。
「……頭がいい言い訳に前世を使うの、ズルいよ」
「知らないわ」
おねーちゃんはめっきり、才能という言葉を口にしなくなった。それはあたしに気を使っているからなんだろうし、この先に頓着していないからなのかもしれない。
満足してしまっているような予感があった。ベースを触ってみようか、なんて言い出した辺りで感じ始めたことだけれど、おねーちゃんはもう自分が意欲的に成長する必要を感じていないような気がする。
ギターで食べていく気もないからこれ以上上手くなる必要も無いし、大学に行けるのも分かりきっているから受験勉強や高校の勉強を突き詰める意味もない。おねーちゃん自身が将来は就職して緩やかに生きるだけ、なんて公言しているから、もう停滞したって構わないんだろう。
それは、困る。あたしの目を焼いたのはおねーちゃんなんだから、最期まで責任をとって前にいて貰わなきゃ。
「……今日はおしまいにしましょうか」
「えー、まだ9時だよ?」
「9時50分を9時とは言わないのよ」
「ちぇ」
ギターをスタンドに立てかけたのを見て、渋々あたしもベッドの脇にベースを下ろした。
「今日、白鷺さんと話したわ」
「へ? あぁ、同じ学校なんだっけ」
「ええ。クラスは違うけれどね」
わざわざ話題に出すということは、あたしに都合の悪い話でもしたんだろうか。したんだろうな。
少し予想外だった。わざわざ千聖ちゃんがおねーちゃんに接触するとも思えなかったから。ああでも、おねーちゃんと千聖ちゃんは結構話が合いそうな気はする。
千聖ちゃんは、多分パスパレの中で一番あたしに感性が近い。感性というか、視野か。芸歴が長い千聖ちゃんの方が遠くを見渡せているんだろうと思うけれど、ほかのメンバーよりはあたしの方が俯瞰的に現状を見れているだろうから。
顔合わせをした時点で、千聖ちゃんの思惑はなんとなく察せてしまった。マネージャー曰く、千聖ちゃん一人の逃げ道はとうに塞いでしまったらしい。パスパレを抜けるなら今後は風評から庇わないし便宜も図りにくくなると言われれば、冷静な千聖ちゃんはしばらくの間パスパレからの脱退を諦める。
ついでにあたしが、千聖ちゃんが抜けたがっているかも、と窺わせるくらいのニュアンスで会話に混ぜ込んでしまえば、僅かな後ろめたさを抱えさせたまま彼女をパスパレに縛り付けることができた。メンバーがそれとなく千聖ちゃんを慮るような空気ができてしまえば、それで多少は動きにくくもなる。
千聖ちゃんが取れる次善の策は、パスパレというプロジェクトを早々に解散させてしまうこと。これを防ぐのは、ちょっとあたしには難しい。千聖ちゃんの良心からこんな方法は取りたがらないかもしれないけど、そうでなくても沈みそうな船だから案外分からない。
メンバーにアプローチを掛けて誘導するのを防ぐことくらいはできるけど、そもそも千聖ちゃんにやる気がないだけで潰れてしまいそうなグループだからあたしには打つ手なしだ。
「貴方、何をしたの?」
「べつにー?」
実は半分くらい諦めていたりする。期限が近いわけじゃないけれど、さっさと演奏をある程度の形にして再デビューをする必要がある。マネージャーに発破をかけてみても、どうにも期待されていないプロジェクトで都合の良い仕事を取ってくるのは難しいらしい。テコ入れとして自社コンテンツのどこかしらに捩じ込むくらいのことはできるけど、それにしてもパスパレが今持っている数字を示す必要があるのだとか。
彩ちゃんが千聖ちゃんに認められなければ無理だな、といういつも通りの結論に至る。ボーカルとして、リーダーとして、アイドルとして、同僚として。とりあえず集められたありあわせのメンバーで、彩ちゃんはまだ千聖ちゃんの信頼を勝ち取っていない。
「あたし千聖ちゃんのこと結構好きだし」
「言い訳になってないわよ」
人として面白く感じるかはさておいて、千聖ちゃんの能力に関しては純粋に尊敬できる。大人の社会で生きてきた社交性も、女優としての能力も。
能力面に関しては麻弥ちゃんも同じだ。専門的な機材に対する知識とか、簡単に得られるものばかりじゃないことは素人にだってわかる。実際に触ってみて、有識な他人の知識も得て、少しずつ自分の物にしていったんだろう。ドラムの技量だってそう。
能力がない人を蔑むとかそういうことは無いけど、自分が持ち得ないものを持っている人は尊敬できるし好ましく感じる。これも多分おねーちゃんの影響。
ユキナちゃんだってその枠に入る。つぐちゃんとかリサちーは、ちょっと別の枠にカテゴライズされている感じもするけれど。
「パスパレのことはいいじゃん。なんにも面白い話できないし」
「まあ、根掘り葉掘り聞くものでは無い事は確かね」
「おねーちゃんこそ、Roseliaはどうなってるのさ」
「特に進展もないわよ」
「……あたしは、できれば続けて欲しいなぁ」
おねーちゃんにRoseliaを紹介したときに、浅い思惑をひとつ抱いていた。さっきの、おねーちゃんには停滞して欲しくないという自分勝手な願望にも繋がるけれど、Roseliaにいれば少なくとも、おねーちゃんは本気でギターを続けるだろうと思った。
他人の足を引っ張るのが嫌いな人だから、ユキナちゃんという特大のエネルギーの下でなら常に遜色ないくらいまで仕上げるはずだ。
1番は、あたしのおねーちゃんが本気で輝いているところを見たいという我儘からなのだけれど。
独占欲に蓋をして、Roseliaならまだいいかと思えたのは、あの環境でならおねーちゃんが全力で何かを成せそうだと思ったから。本気になれない退屈な世界で息をしているおねーちゃんが、少しでも満ち足りたら、なんて余計なお世話。
「どうせ辞める日が来る以上は、未練が残らないうちに終わってしまってもいいという考え方もあるけれど」
「……楽しくなかったの?」
「楽しかったわよ。でなければこんな言い方をしないわ」
でも、惜しいものではないということらしい。
「おねーちゃんにとって何がなんでも手放したくないものって、あるの?」
「……そうね。まあ、あるわよ勿論」
家族にも執着してなくて、バンドに帰属意識があるわけでもなくて、ギターの技術を錆つかせることにも躊躇いがない。前世の記憶に依存してるわけでも、今世に拘っているわけでもないおねーちゃんの、拠り所が分からない。
「聞いてもいい?」
「……貴方も、大概よね。誰に似たのかしら」
「え?」
「肝心なところで鈍感なのは貴方も同じ、という話よ。貴方は私の事ばかり言うけれどね」
いつものため息じゃなくて、柔らかな微笑。
「そういうこと言われると勘違いしちゃう」
「私は貴方に対してそれなりの重さの感情を返しているつもりなのだけれど、受け取ってはくれないのかしら」
不意打ちに胸が詰まる。つかの間、思考停止した。
普段あまりそういう感情を見せてくれないから、直球で返されると、その、困る。
「私は、人に弱みを見せるのが嫌いよ。たとえそれが家族であってもね。根本的に人を信頼してもいないし、それこそこの記憶のことなんて、死ぬまで話すつもりもなかった。それを曲げてまで貴方に全てを許したのは、それだけの感情を貴方に向けているから」
貴方もあまり人からの感情を正直に受け止められない質よね、と今度はため息。
「たとえ貴方が誰を殺したとしても、私は貴方の味方をするというのに」
それだけ言い残して、おねーちゃんはさっさと部屋を出ていってしまった。多分歯を磨きに行ったんだろう。早々に寝るつもりらしいから。
熱を冷ますために、息を吐く。
強い言葉だった。おねーちゃんの口から、今までに聞いたことがないくらい。ドキリと跳ねた心臓を宥める。
おねーちゃんが向けてくれる矢印は、私がおねーちゃんに向けている矢印とは色合いが違う。あたしはおねーちゃんにとって妹で、唯一の秘密の共有者だ。
なのにあたしは、おねーちゃんに思慕している。いや、意味合い的には懸想の方が分かりやすいかもしれない。自分を誤魔化そうとしてみても、この感情は揺らいでくれなかった。
男性にも女性にも、恋愛感情を抱いたことがない。セクシャルな雑誌や漫画を読んで性欲が昂ったこともない。ただひとつの例外を除いては。
少なくとも、健全な感情では無いことは確かだった。依存と、独占欲と、性欲。ただ一人の同位体に向けるには相応しくない感情だ。恋とか愛とか美しい言葉で飾り立ててみても、中にあるのはそんな腐った欲望。
『普通』じゃない。どんなに自分を一般化しようと試みても、あたしは大衆の中で外れ値だった。
普通の容姿で、ごく真っ当に高校に通って、ごく真っ当に勉学に励んで、趣味で楽器に触って、『普通』に生きているつもりだ。
別にあたしは、それでも構わない。ありきたりでなくたって、人と同じでなくたって、『普通』でなくたって。ただおねーちゃんが『普通』へと成り下がっていくのなら、あたしもそうありたいだけ。
性同一性障害の姉と、そんな姉に恋する妹。
なんて、また期待をしては蓋をする浅ましい姿。気持ちが悪い。