月輪より滴り   作:おいかぜ

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第4章 マーブル・パレット
《25》ペイル・カラー


 

 おねーちゃんのガードが緩くなった、と感じる今日この頃。歩いているときに手を繋いでも文句を言わなくなったし、こうしてベッドに座っているおねーちゃんに後ろから抱きついても引き剥がされなくなった。

 

 あたし得な状況というか、据え膳というか……信頼に背くようなことはしたくないけれど、ぐちゃぐちゃに溶け合ってしまいたいような気もする。

 どうしたって、おねーちゃんはあたしを拒絶しないだろう。行為自体は拒否されるかもしれないけど、あたしの在り方とか、この歪んだ性観念とかが否定されることは無い。

 それがわかっているから、なおのこと辛い。

 

 何となく、おねーちゃんは全て分かっていてこうしているんじゃないかと思うことがある。あたしのこの醜い欲望も、純粋な思慕も。

 

 おねーちゃんの全ては、あたしに手渡されてしまっている。

 Roseliaを辞めて欲しいと言えば辞めるだろうし、逆に続けて欲しいと言えばできる限りそうしてくれるだろう。都外に行かないで欲しいと言えば進路も変えてくれるだろうし、一緒に死んで欲しいと言えばそうしてくれるかもしれない。

 

 あたしの前を歩いて欲しいと、そう言うだけで、おねーちゃんの人生はぐるりと変わってしまう。

 

 それが恐ろしい。

 世界で1番好きな人の人生を歪めてしまえるスイッチが、手のひらの上にある。あたしの望むように、おねーちゃんを歪めてしまえる。

 

 このスイッチが、ただの信頼なのだとしたら。あたしはそれに背けない。

 けれど、もし──おねーちゃんが全て分かっていて、あたしに委ねてくれたのだとしたら。なんて、魔が差してしまいそうになる。

 

 正しく、悪魔の誘いだ。

 

 だって、苦しいはずなのだ。常にあたしの前に立ち続けることも。無為な人生の前に己を奮い立てることも。好きでもない実の妹の性欲を受け止めることも。おねーちゃんはあたしにそれだけの価値を見出してくれているのか、それともこれはただの自惚れなのか。

 前世を共有したからこんなにもあたしに情を向けてくれているのか、それともあたし自身に感情の矛先を向けてくれているのか。

 

 何れにせよ、おねーちゃんと秘密を共有するのがあたし一人である限りは分かりようのない事だ。つまり、今後一生分かる日は来ないってことになる。

 Roseliaのメンバーにおねーちゃんが打ち明けることはまず無いだろうな、と思う。そういう流れにするつもりもない。おねーちゃんの唯一を明け渡すほど余裕も優しさもないのだ。うーん、惨め。

 

「それ、千聖ちゃんの動画?」

「そうよ。日に日に上手くなるから面白いわね」

「日に日におねーちゃんに似てきてるよ」

 

 千聖ちゃんがおねーちゃんにギターを習っていることには流石に気付いていた。おねーちゃんも千聖ちゃんも別に隠してはいないのだろうけれど、それにしたって手癖がそのまんま伝染(うつ)るものだからわかりやすい。

 

「初心者だもの。染まりやすいのは仕方がないわ」

「まああたしは弾きやすいからいいんだけどね」

 

 千聖ちゃんとおねーちゃんの仲は顔見知り程度だと聞いていたから、千聖ちゃんがわざわざ教導を願い出たのは意外と言えば意外だった。千聖ちゃん経由でパスパレの再デビューの予定も立ったし、あたしが穿った見方をし過ぎただけで実は案外甘い人なのかもしれない。

 変にパスパレとの縁を深めたくなかったけど、彩ちゃんのこともあるし今更だ。

 

「それで、いつまで張り付いているのよ」

「んー、寝るまで?」

「……そう、じゃあ、今日は弾かないのね?」

「うそうそ、弾くって」

 

 あたしより少し低い体温と緩やかな鼓動が離れてゆく。あたしの脈の方が早いのは、きっと代謝が良いせい。

 千聖ちゃんにメッセージを送り終えたらしいおねーちゃんは、いつも通りギターを手に取った。

 

「そういえばさ、Roseliaは受験前に辞めちゃうんだよね」

「そのつもりね。……別に、腕を錆びつかせるつもりはないわよ。貴方とライブをすることになっても問題ないようにはしておくわ」

「そ、それは嬉しいんだけど……惜しくないの?」

「……特には。どちらにせよ大学に入ってしまえば続けられないのだし、元々抜けるつもりで入ったのだから、抜けるのが惜しいとまでは思わないわ」

 

 ……リサちーへ。これ思ったより厳しいかもです。日菜より。

 

 きっちりと優先順位が付けられていて、その中でRoseliaが下の方にあるような印象。元々、家を出たかったらしいから都外の大学に行くという目標の優先度が高くて、その上にあの町への懐古とかそういうのが上乗せされてる感じなんだろうか。

 

 うーん、仮に東京に残ってくれるとして、おねーちゃんには私立大学を受けるという選択肢は無いんだろうから、選択肢なんかほとんど無いに等しい。そして流石におねーちゃんでも3年の冬を丸々バンドに費やしてそこを受けるのはリスクが高過ぎるだろうから、結局受験シーズンはまともにバンド活動なんかできやしない。

 

 おねーちゃんが大学に入ってから勧誘し直した方が余程楽なのでは、と思わなくもない。その場合おねーちゃんが都外に行くのを引き留めるのはあたしの役目になってしまうわけだけれど。

 

「今井さんにでも言われたの?」

「ちょっと話題に出た程度だけどね。あたしはRoseliaのおねーちゃんも好きだから、惜しいなって」

「それは、本当にRoseliaの私が好きなのかしら。それとも、ギターを弾いている私が?」

「うーん、後者かな」

「……そう」

 

 あ、返事を間違えた。……いやでも、嘘をついたって仕方がないからこれでいいか。今のおねーちゃんには見抜かれそうで怖い。半年前なら吐いていたかもしれない嘘を、今は躊躇するようになった。とは言っても、元々おねーちゃんには正直な方だと思う。

 

 椅子の上にスマホを立て掛けたのを見るに、今日はおねーちゃんも動画を撮るらしい。千聖ちゃんに送る動画かな。いつもはあたしのいない所で撮っていたんだろうけど、どういう風の吹き回しだろう。

 

「Pastel*Palettesの曲は一通り送ったのよね」

「次はRoseliaの曲でも送るの?」

「……そうしようかとも思ったけど、お節介になりそう。だからこれは私の練習用よ」

「送ってあげた方が喜ぶと思うけど」

「いや、多分キャパオーバーね。持ち曲の精度を上げることを優先すべきでしょうし」

 

 再デビューの予定も決まったから、確かに、優先度で言えばそちらの方が高いかもしれない。おねーちゃんは以前、初心者が上手くなりたいなら手当り次第に好きな曲を弾いてみるべき、みたいなことを言っていた気がするけど、千聖ちゃんにその余裕はなさそう。

 

「貴方のデビューも決まったらしいわね。……聞いていないのだけど」

「えっと」

「私に黙っているつもりだったのなら怒るわよ」

「言うつもりだったけど、その、あんまり来て欲しくはないかなーって」

「……へえ?」

「おねーちゃんが嫌とかじゃなくてね? なんか、コケそうだし……」

「私だって貴方の目の前でコンテストに落ちたわよ」

 

 それは違うじゃん、と内心で呟いた。Roseliaは贔屓目を抜きにしてもあのコンテストで1位か2位にはなれていた。落とされたのも審査員の内情的な判断だったらしいし、それが「失敗」だとは思わない。

 

 Pastel*Palettesがコケるとしたらそのレベルじゃなく大ゴケするだろうから、おねーちゃんにはその場所に居合わせて欲しくないと思ってしまう。

 正直なところ、あまり自信が無い。あたし一人で完結するなら、大抵の事はやり遂げられる自信がある。けれどライブはそうもいかない。

 あたしは今のところPastel*Palettesのメンバーを大して信頼していないし、向こうも多分同じだろう。麻弥ちゃんと千聖ちゃんには勝手に期待を置いているけれど、それくらい。イヴちゃんは未知数だし、彩ちゃんも何となく本番には弱そうだなぁ、という感想を抱いているくらいだ。

 

「……貴方が嫌がるのなら行かないわ。少し腑に落ちないけど」

「うーん、それも不公平な気がする……」

「どっちなのよ」

 

 


 

 

「チケットを手売りする? 本気で言ってるの?」

「う、うん。再スタートって意味でも、直接お客さんに接するべきかなって思ったんだ」

 

 いつものレッスンの終わりに、彩ちゃんがそんなことを言い出した。

 どういう返事を返そうか、束の間、迷う。

 

「いいんじゃないでしょうか。バンドでは一般的なことですし、それに、ジブン達にやれることはなんでもやるべきだと思うッス」

「素敵ですね! 私も、お客さん達に会いたいです!」

 

 麻弥ちゃんがすかさず助け舟を出した。これは多分、確信犯だ。それにイヴちゃんも乗っかったから、ここから翻意させるのは無理だなと早々に諦める。

 千聖ちゃんに目を向けても、何も言わない。さて、これでいいと思っているのか、それとももう諦めているのか。

 

 ただでさえド下手くそのあたし達が自主練の時間を削るのも馬鹿らしいし、アイドルが直接客に接することが良くないのも自明だ。警備なんかつかないだろうし、千聖ちゃんが参加できないだろうことについてはどう思っているんだろう。あたし達4人だけが手売りなんかしていたら千聖ちゃんに口さがない意見が向けられることなんて容易に想像がつく。

 

 酷い自己満足だ。スっと心が冷えていくのがわかった。

 ほんと、失敗だったかな。

 

「あたしも付き合うよ」

 

 千聖ちゃんは反対するだろうと思ったのに、微妙に予想が外れてしまった。

 彩ちゃんのこういう考えなしな部分というか、思慮が足らない部分を補う役割を千聖ちゃんに期待しているのだが、あんまり上手くはいかない。

 

 反対しそうなあたしに言葉を被せたあたり、バランサーの麻弥ちゃんには彩ちゃん側をケアした方が良いように見えているのだろうし、とりあえずその流れを無理に壊すことはしないけど、彩ちゃんをワンマンの船頭にしてしまうとパスパレとしては良くない方向に進んでしまいそうな気がする。

 

 やっぱり千聖ちゃん次第だなぁ、と何度目かの結論。彩ちゃんが突っ走った時に引き留められるのは、立場的に千聖ちゃんだけだ。

 

「じゃあ、早速行ってみようよ」

「はい! 楽しみです!」

「あたしは後から行くから先に行っておいて」

「うん! 事務所の劇場前にいるからね」

「はーい」

 

 3人を送り出して、溜息。千聖ちゃんはあたしの意図を組んでか、何も言わずに残ってくれていた。

 

「次の仕事があるから、あまり長くは付き合えないわよ」

「うん」

 

 丸いすに腰掛けて、何から話したものかと少し迷った。間違いなく好かれていないだろうという自覚があるから、逆に気を遣う。

 

「昨日おねーちゃんと少し話したんだけどさ。千聖ちゃんの弾き方、おねーちゃんにだいぶ似てきたよね」

「……そうね。紗夜ちゃんには面倒を掛けたけど、お陰で随分聴けるようになってきたとは思うわ」

「自分の手癖が出にくいように録るのが大変だって言ってたよ」

「そう言われるといつもの演奏が気になるわね」

「後でおねーちゃんのバンドの動画送ってあげるよ」

 

 手癖が出ないように弾くって、無理じゃないだろうかと思ったものだけど、おねーちゃんは中々上手く自分の個性を殺して弾いていた。アイドルバンドの曲らしく魅せる演出とか、主張をし過ぎないようなフレージングとか、ここまで変わるんだと感心させられたくらいだ。

 あたしよりアイドル楽曲向いてるんじゃないだろうか。

 

「でもさ、そんなコソ練までしてるのにどうして彩ちゃんを止めなかったの? 千聖ちゃんは反対するだろうなーって思ってたんだけど」

「……時間の無駄だとは思うわ。考えが甘いともね」

「じゃあ、なおさらどうして? パスパレの解散狙いなら自主練なんていらないじゃん。そこまでやってるからにはそれなりにやる気もあるんでしょ?」

「ライブでまた躓いたのならそれでいいと思っていることは否定しないわ。でもそれが手を抜く理由にはならないでしょう。それに、彩ちゃんの思考も何となく分かるから、止めるのは酷だと思ったのよ」

「彩ちゃんの思考? 現実逃避じゃないの?」

「……あなた、本当に残酷よね。やれることはなんだってやりたいという思考なら理解できるでしょう?」

「それで練習量を減らすのは本末転倒じゃん」

 

 千聖ちゃんの思考があまり分からない。らしくないというか、どっちつかずな印象を受ける。彩ちゃんに絆されたようにはまるで見えないし、かと言ってあらぬ方向へ突っ走る彩ちゃんを諌めるでもない。無関心を貫くのかと思えばパスパレのために動いている節が散見されるのもノイズ。

 

「一度失敗してもう後がないという焦り。アイドルへの理想と憧れ。ボーカルパートという立ち位置。予想としてはこんなところかしら。それを踏まえた上で、別にチケットを手売りするくらいは構わないと思うわ。少なからずイメージの向上も見込めるし、どうせ、普段やっている自主練だって大して密度のあるものでは無いんでしょう? それを少し潰したところでレッスンさえ受けられるなら問題ないんじゃないかしら」

「そうかなー。変に意固地になってるようにも見えるし、軸がブレてるのも良くないと思うんだけど。彩ちゃん、自分で『努力しかできない』って言ったんだよ?」

「そこは平行線ね。──それで、あなたは私にどんな役割を期待していたのかしら」

「彩ちゃんの手網を握る役。千聖ちゃんがいないとパスパレはどうにもなんないだろうし、逆に彩ちゃんには千聖ちゃんを繋ぎ止めて貰いたかったんだけどね」

 

 ぶっちゃける、と言うよりは確認作業といった感じ。わざわざ明言せずとも千聖ちゃんには少なからず伝わっていただろう。

 

「別に、それはあなたがやってもいい役割でしょう」

「そう? あたしが何言っても説得力ない気がするけど」

「信頼も、それに付随する説得力も、自分で作るものよ。日菜ちゃん、あなたは当事者意識がなさすぎる」

「……そうかな」

「他人事だと思っていないかしら。あなたは頭が良いから、他人の感情の機微も理解してある程度操作できるのでしょうけれど──」

 

 言うか言わないか、逡巡が見て取れた。

 

「──人間関係はどこまで行ったって等価交換、相互通行なのよ。感情も熱も見せない人間には何も返ってこない。私達を無意識に見下してはいない? パスパレの活動を軽んじてはいない? 少なくとも私には、あなたが面白半分に引っ掻き回しているようにさえ見える」

 

 よく考える事ね、と言い残して千聖ちゃんは部屋を出ていった。

 静寂の中に、時計の針の音だけが残る。廊下を遠ざかっていく足音に、思考を取り戻した。

 

 毒のように千聖ちゃんの言葉が染み込む。

 

 そうか、あたしは、そう見えるのか。

 

 他人に怒られたのはたぶん、随分久しぶりだった。

 

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