月輪より滴り   作:おいかぜ

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《3》斜光

 

「あたしのことあんまり知らないよね」と言われたのを、しばらく引き摺っていた。

 日菜とバンドを組むことを承認して、2人で楽器を買いに行ったあの日が、私と日菜の関係を変えるターニングポイントになったのは間違いなかった。けれど私がどう変わればいいのか、よく分からないというのが本当のところ。

 

 日菜のことを見ていない。実の所、自覚はあった。と言うよりも、指摘されて振り返ると思い当たる節があった。天才の思考は私には理解し得ないものだと、見ない振りをした。

 

「妹との関係? 紗夜っちもそんなことで悩むんだねぇ」

「私はむしろ、人間関係に不器用な方よ」

「距離を置かれてる感じはあるもんねー。案外、妹ちゃんもそういうとこ気にしてたりして」

 

 兄弟姉妹がいるクラスメイトにそれとなく相談をしてみると、案外親身になって話を聞いてくれた。私は今まであまり深く関わってこなかったというのに。少し申し訳なくなって、後ろめたさを覚える。

 

「噂くらいは聞いてるけどさー、この暑っついなか学校に迎えに来るくらい紗夜っちにべったりなんでしょ? 普通の兄弟姉妹って、そんなに仲良くないよ」

「それは、そうなのだけれど……」

「勿論家族だから何となく仲良しってこともあると思うけど、そこまで好かれるなら紗夜っちが妹ちゃんに向き合ってるってことなんじゃない? 姉妹なんだもん、ちっさな不満なんてお互いにあって当たり前だしー」

 

 ウチも弟のことは可愛がってやってるしいびってもいるよ、と続ける彼女は可笑しそうに笑っていた。

 

「だから別に、無理して直す必要はないと思うんだよね。紗夜っちが直したいなら直せばいいし、嫌なら喧嘩しちゃえば? なんかその感じだと喧嘩もしたことなさそう」

「喧嘩くらい……、いえ、無いわね」

「やっぱ距離感じてるんじゃないかなーというのがウチの予想かな。寂しいんじゃない? 自分が色々与えられてるのに、何も求められないってけっこー苦しいことだよ。ウチとしてはそれくらいしか言えないけどさ」

「いえ、相談にのっていただいてありがとうございます。おかげで少し、分かってきた気がするわ」

 

 私たち姉妹の関係性はやはり歪なんだろうな、という自覚はぼんやりとあって、けれどそれが一体何なのかはよく分からないままでいた。私と日菜の精神年齢と肉体年齢のズレが、多分その異質さを生じさせたのだろう。日菜がそれを感じさせないくらい利発で、私が日菜のことを理解し得ないものだと断じていたからここまで気が付かなかっただけで。

 私が日菜に何かを求めたことはなかった。私からすれば娘と言っていいほどの幼い存在だったし、それに日菜が不満を漏らしたことはなかったから、それがおかしいだなんて思いもよらなかった。

 

 実際に日菜が私に何を求めているのかは定かではないけれど、私が胸の内をさらけ出さないことを気にしているのかな、というくらいは分かる。

 

「解決しそう?」

「いえ、喧嘩しそう」

「まあ、いいじゃん? 紗夜っちが怒ると怖そうだけど」

 

 この性分は自分じゃ多分直らないから、とりあえずぶつけてみるしかないんだろうな、というのが結論。

 卑屈なところが嫌いだと言われたけれど、自分では自分を卑屈だとは思っていない。だから変えられるとしたら、日菜への向き合い方。

 

「ところで今日空いてる? こないだは彩ちも空いてなくて結局行かなかったんだよね、カラオケ」

「ええ、まあ、行くのは構わないのだけれど……」

 

 私と行って楽しいのだろうか。そういう立ち回りを心掛けてきたのは事実だけれど、無愛想な私が好意的に受けられている理由がよく分からない。ただクラスメイトがいい子たちばかりだったというオチだったりするのかもしれないが。

 

「やった、すっぽかしちゃダメだかんね!」

「しないわよ、そんなこと」

「んじゃカナと彩ち呼んでくるから!」

 

 パタパタとかけて行く後ろ姿を見送ってから、流行曲のレパートリーが全くなかったことに気が付いた。

 

 

 

 

 ─

 

「浮気だよ、浮気! あたしを置いて遊びに行くなんて!」

「はぁ」

 

 夕食も外食で済ませて、補導されるスレスレの時間で帰宅するなり日菜はそう言った。

 

「私は貴方の彼氏じゃないのだけれど」

「でもあたしのおねーちゃんだもん!」

 

 ふざけているだけなのはわかっているから、程々にあしらって着替えとシャワーを済ませる。毎日のことではあるが、肩まで伸ばした髪を乾かすのに時間と手間がかかってバッサリと切りたくなる。日菜にはストレートだから伸ばすべきだと熱弁されたが、ストレートならどんな長さでもそれなりに見てくれはよく出来るだろうし。

 いっそのこと日菜よりも短くしたっていいんじゃないだろうか。ショートボブなんてどうだろう。

 

 部屋に戻ると、勝手に日菜が上がり込んでいた。見られて困るようなものはないが、くつろぐなら自分の部屋にいけばいいのにと思う。

 そしてそんな行動を内心では嬉しく思っているあたり、私も大概素直じゃない。

 

「皮剥けちゃった」

 

 ぱ、と開いた日菜の指先には絆創膏が巻かれていて、少し血が滲んでいた。

 

「また……そんな無理をして」

「はやくおねーちゃんと弾きたくって」

「あなたならすぐに私よりも弾けるようになるわよ」

「えー、練習しないとまた置いてかれちゃうじゃん」

 

 置いていかれる、だなんて日菜には似つかわしくない言葉だ。天才は常に置いていく側なのだから、それを言うべきは私のはずで。

 

「おねーちゃんって、あたしのことすっごく過大評価してるよね」

「そんなことはないと思うけれど」

「じゃあ言うけど、あたしは天才なんかじゃないよ」

 

 人生2周目の人間に、それこそ血のにじむような努力なしに勝るなんて、天才以外の何物でもないだろうという反論は、しかし口に出せはしない。

 

「ほら、不服そうな顔。努力もなしにあたしがおねーちゃんに及ぶわけないじゃん」

「1度読んだだけの文章を丸暗記できるような人間が何を言うのよ」

「頭の使い方の問題だもん。何でもかんでも丸暗記できるなら地図記号で挫けたりしないし。頭がいい方なのは否定しないけど、それを言うならおねーちゃんだっておかしいじゃん」

「おかしいって……」

「おねーちゃんの言う“天才”が、必死に勉強してやっと追い付けるくらいなんだよ? それも高校に入ってようやくってレベルだし。じゃあおねーちゃんだってあたしと同じじゃん」

 

 日菜からすればそうだろう。私が2周目であることを誰にも言っていない以上は、私と日菜は同条件で近しい能力を持っていることになるわけなのだし。20年以上も下駄を履いているなんてわかるわけがない。

 

「私は早熟なだけよ。現にもう、頭打ちの段階に来ている」

「あたしだってそうかも知んないよ?」

「私にはそうは思えないけれど」

 

 何より、基礎能力が違う。頭の使い方も、物事の見方も、生き方も全部。

 ただこれは所詮、日菜との認識の差異に過ぎない。私がひた隠しにしている秘密を日菜は知らないのだから、評価がズレるのは仕方がない。

 

「私の自己評価については諦めなさい。どうしたって上がることはないわ。それとあなたがどれだけ努力をしていたとしても、努力“も”できるのだと評価が上がるだけよ」

「なんで、そうなの?」

「さあ。生まれつきじゃないかしら。私の人格の根幹からしてそうなのだから」

「おねーちゃんが隠していることと、関係ある?」

 

 琥珀の瞳が、私を見透かすように覗き込んだ。

 気が付かれているとは思わなかった。たとえ何となく察せられたとしても、確信を持って尋ねられるほどにまではという意味で。

 

「ずっと見てきたんだもん、分かるよ」

 

 右手を取られる。絆創膏のガサガサとした感触と、ヒヤリと体温の低い指が触れる。

 そのまま手首を握られて、手のひらが日菜の胸に触れた。

 

「ね、ドキドキする?」

「妹の胸に触れたところでべつに──」

「嘘。わかるって言ったでしょ? おねーちゃんが思ってるよりもずっと、あたしはおねーちゃんのこと見てるよ」

 

 鼓動が跳ねる。滲む羞恥と、張り裂けそうな心臓を駆け巡る焦燥。

 日菜に触れるのは、未だに慣れない。姉妹の関係に僅かでも性欲が滲むのに耐えられなくって、身体が強ばる。

 

 ──私は、姉だ。氷川日菜の、姉。だからこれは気の所為に違いない。

 

「くだらないことはやめて」

 

 手を振り払う。感じた嫌悪は、自己に向けたもの。姉でありたいと思うのに、不純物が混ざる。

 どこまで勘づいているのだろう。()()だなんて荒唐無稽でファンタジックな話、普通に考えて分かるはずがないだろうけれど──

 

「私はあなたの姉よ。それ以上でもそれ以下でもない」

 

 ああでも、一つ思い出した。

 私は何もかもを隠すために、日菜の姉であろうとしたんだった。

 

 

 私が前世を自覚した時、最初に感じたのは危惧だった。幼子を演じられるかという危惧。年齢不相応に大人びた子供なんて、親からすれば凄まじく不気味だろう。まして日菜という双子の妹がいたから、比較対象には事欠かない。異常な子供なんてすぐにわかってしまうだろうことは自明だった。

 その上、私には本来抱くべき本能的な親への愛情が欠けていた。あくまで産んでくれただけの他人だという意識が、ほんのわずかにあって。触れ合う度に申し訳なさとか遠慮が真っ先に出てしまうようになった。

 

 だから隠れ蓑として姉であることを選んだ。

 いらないおもちゃを買い与えられても、日菜を言い訳に与えればいい姉として目零しされる。日菜が駄々を捏ねた時にわがままを言わなくてもお姉ちゃんだからで誤魔化せる。子供の遊び方も日菜にあわせれば無理に演じる必要はない。

 遠慮がちでいい子な姉。それが私が最初に被った仮面だった。

 

 

 その後は、日菜の姉であることが自分の中の規範になった。

 日菜が俗に言う『天才』だとか『才能のある子供』だということはすぐにわかった。明らかに物事を吸収する速度が違ったし、世界を見る視点が幼子のそれを逸脱していたから。

 そんな存在の前を行き続けることは、2度目の人生というアドバンテージを無為にしたくない私の理想に合致した。努力をしなくてもそこそこの大学に入れて、そこそこの企業に就職できることは分かりきっていたから。日菜がいなければきっと、私は前世と全く似たような道を歩んでいたはずだ。

 

 

 嗚呼、確かに日菜を見ていなかった。姉であることにこそ拘泥して、自分のことに精一杯だった。日菜が努力をしていたことも、私の顔色を窺っていたことにも気が付いていなかったくらいには。

 

「貴方を見ていなかった。それはようやく自覚したわ。だからごめんなさい。いっそ嫌ってくれれば良かっただなんて、貴方の想いに対して失礼だった」

「でも、教えてはくれないんだね」

「多分貴方の想像であっているわよ。でも言う気はない」

「どうして? あたしはそんなことでおねーちゃんを嫌いになったりなんて──」

「私にとっては()()()()()じゃないからよ。貴方の姉でいさせて欲しいの」

 

 変わるのが恐ろしい。さらけ出すのが恐ろしい。自業自得にも日菜のことを真に理解していない私には、氷川紗夜でなくなることが恐ろしい。

 

「秘密を抱えたままじゃ、貴方の姉には相応しくないかしら」

「そんなことないよ! ……知りたいのは、あたしのわがまま。だからこれ以上追及する気もない、けど」

 

 心底悩ましそうに首をひねって、それから日菜は──

 

「おねーちゃんが話してもいいと思えたそのときには、最初に話して欲しいな。そのためにあたし、いっぱい努力するから。今度はおねーちゃんにあたしの事を理解して貰えるように。心底からあたしを好きになって貰えるように」

 

 ──心底嬉しそうに笑った。

 

「うん、これってすごく素敵じゃない? せっかくバンドやるんだし、音楽を通じて理解し合える、とか」

 

 まったく、敵わないなと思わされる。こんなに不出来で捻くれ曲がった私に、まだこんなにも屈託のない笑みを向けてくれる。

 日菜は自分が与えられてばかりだと言うけれど、それを言うならば私の方がよっぽど日菜の存在に依存している。

 

「じゃあ、それを目標にしましょうか」

「うん! また練習してくる!」

「今日はもう寝なさい」

「えー」

 

 部屋を飛び出していこうとした日菜を引き留めて、練習はもうしないように言いくるめる。

 

「ねぇ、おねーちゃん」

「うん」

「あたし達、姉妹だからね」

「ええ。何があっても、きっと」

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