月輪より滴り   作:おいかぜ

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《31》白紙の地図

 

「過労死するかと思った」

「急に根を詰め過ぎよ。……急ぐ必要があったのは分かっているけれど」

 

 音源を4つ作って、マネージャーがくれたデータとおねーちゃんが集めてくれた参考情報をまとめて資料を作って、彩ちゃんのボーカルトレーニングの段取りを組んで、おねーちゃんの監督のもとにプレゼンの概要を組むところまではやった。ついでに路上でベースも弾いた。こう書くと結構働いた気がする。

 ついでに、どうしても雑音が入ってたから音源は撮り直してミキシングし直した。こういうところに不慣れさが出る。

 

 おねーちゃんはロックアレンジのしゅわりんどりーみんと原曲の調整が結構面白かったみたいで、珍しくDTMをしばらく弄っていた。夏以来なんじゃないだろうか。

 

 肝心のプレゼンは千聖ちゃんに任せることになるので、そこは気が楽だ。実績があって上に顔が利くのは千聖ちゃんだし、パスパレのリーダーは彩ちゃんだから、矢面に立って交渉するのはこの2人になる。もちろんあたしも補助はするけど、出しゃばらない方が上手くいくだろうからなるべくは引っ込んでいたい。

 

「これで上手くいかなければ、最初から芽がなかったと思うしかないわね」

「んー。千聖ちゃんも根回ししてくれてるし、やれることはやってるはずなんだよね。実績のなさだけが問題だけど」

 

 あとは楽曲のアテだけかな。問題はそれが全くないということなんだけれど。パスパレに曲を作れそうな人はいないし、理想を言えばネームバリューがそれなりにあって手垢がついていない人がいい。ただそれだとあまりにも条件が狭すぎるから、妥協することになるのは目に見えていた。今楽曲提供をしてくれている人と話し合う機会を設ける気でもいるけれど、作品の傾向がアイドルソングに片寄っているからどこまであたし達に歩み寄ってくれるのか未知数だ。しゅわりんどりーみんは結構いい所をついている気もするので、微妙なところ。

 

「あたし個人で動画投稿するのって、アリだと思う? ベースの演奏動画を上げてパスパレへの導線にできないかなって思ってるんだけど」

「匿名で? それともパスパレのあなた名義で?」

「それも迷ってるんだよね」

「匿名ならバンド層を引き込みやすいわね。ただ、名前を出していた方がパスパレへの導線としては機能しやすい。……迷うなら匿名でいいと思うけれど。あとから方針転換もできるのだし」

 

 分かってはいたけど、動画投稿ぐらいでは反対もされない。いきなり芸能事務所に所属、なんてことをやらかしたからか、元々大事とさえ捉えていないのか。おねーちゃんのことだからどっちもな気がする。

 

「まず、伸びるのかも分からないわ」

「それは、うん」

 

 一朝一夕に成果が出るものでもないし、今やっていることの結果が出たら手を出してみようかな。機器は少し買い足せば揃うし、ついでに映像編集やミキシングに慣れておくのも悪くはない。

 

「そういえば、おねーちゃんって作曲できるの?」

「作詞も作曲も技術的にはできるけれど、向いていないわね。性にあわないのだと思う」

 

 あたしの見立てでは結構向いていそうに思えるのだが、そう答えるのは感情か感傷的な理由からだろうか。あたしが覚えている「彼ら」の曲の中におねーちゃんが手掛けたものがあるのかも、いつかは訊いてみたい。

 多分、しばらく先の話になってしまうのだろうけれど。

 

「作曲家、ねぇ。自分たちで作るのも、少しもったいないものね。事務所という後ろ盾があって、楽曲提供を受けられる立場なのだし……正直なところ、今のままでも問題は無いような気がするけれど」

「しゅわりんどりーみん、好きだよね」

「よく考えられた曲だと思うわ。あなたが目指している路線に、初めから合致している曲なのだもの」

 

 作業を終わらせて話していたら眠くなってきた。午後からは事務所に行って千聖ちゃんとの打ち合わせがあるのに。

 

「……練習まで少し寝ようかしら」

「付き合わせちゃってごめんね」

「貴方の力になれるなら、別にそれは構わないのよ。久しぶりに過去の遺産が役に立ったことだし、楽しかったのも事実」

 

 おねーちゃんは在り来りな新人サラリーマンだったと言うけれど、在り来りな新人って企画の上奏とか客層分析とかSNSでのマーケティング分析とかも手掛けるんだろうか。

 あたしには社会経験がないからなんとも言えないけれど、それなりに個人の資質が求められるところにいたんじゃないかと思う。

 

「おねーちゃんもこういうの、楽しいと思うの?」

「……そうね。どうしてかしら」

「本気でやっても届かないかもしれないから? それともあたしを手伝ってくれてるから? それとも──懐かしいから?」

「頭を使って創意工夫をしたのが久しぶりだった、というのはあるかもしれないわね。楽しそうな貴方を見ていたから、というのも」

 

 能力を発揮することに喜びを覚えないというわけではないと思う。おねーちゃんにだって人並みの欲求があって、情動があるはずなのだから。なのにあたしを理由に片付けてしまうのは、なんというか──少し寂しい。

 この高揚を共有したいのだ、と自覚した。

 

 今までは、ひとりきりだったから。勉強も、スポーツも、あらゆる努力がそうだった。ベースが辛うじて、というくらいで、それだっておねーちゃんのはるか後ろを歩いてきただけだった。

 

 コンテンツの開拓、なんて文化の最前線を往くような挑戦の第一歩に、誰かと足並みを揃えているという事実に震える。おねーちゃんも千聖ちゃんも、麻弥ちゃんも彩ちゃんもイヴちゃんも。誰かと協力して新しいことを成そうとしているこの瞬間に、あたしの胸腔を満たす高揚ではち切れそうだった。

 

「……ねぇ、おねーちゃん。本気で生きるのって、そんなに怖い?」

「本気になれない、だなんて格好を付けているつもりはないのよ。今のままの暮らしで満足しているだけ」

「だって、おねーちゃんはもっと凄いのに……」

「高校生が高校生として生きていることに文句を言われても困るわ」

「それはそうなんだけどさー」

 

 つい、口が滑った。でも、もういいんじゃないだろうか。

 今まであたしは、おねーちゃんがRoseliaを続けてくれるように誘導すべきか迷っていた。あたしが懇願すればおねーちゃんはその通りにしてくれるだろうし、そこまではせずとも、なんとなく流れを作ることくらいはできる。

 

 けれど、それでおねーちゃんがRoseliaを続けることになっても近いうちに瓦解するんじゃないか、という危惧があって、今日まであたしは何もしていない。

 Roseliaの皆はおねーちゃんを求めているらしいし、あたしもおねーちゃんにRoseliaを続けて欲しいから、一見win-winの関係のようには見えるけれど、その場合おねーちゃんは「あたしのために」Roseliaにいることになる。それが関係性として歪なことくらいはあたしにだって分かるし、どんな悪影響を齎すかなんて予測しきれやしない。

 

 だからRoseliaには独力でおねーちゃんを口説き落として欲しいんだけど──あんまり効いてる感じはしない。

 

「……寝るわ」

「あ、うん。……おやすみ」

「貴方も無茶はしないようにね。気をつけて出かけるのよ」

「はぁい」

 

 おねーちゃんも連日の作業で寝不足らしい。あたしが思っていたよりもずっとおねーちゃんの視野は広くて、あたしが仮組みした草案と千聖ちゃんのフィードバックの上からさらに、思いもよらない指摘が平気で飛んでくる。

 学力で追い付こうが、まだまだ遠い。経験値も視野の広さも思考の柔軟さも、全くもって追い付いてなんかいなかった。

 

 

 ある程度の睡眠時間は無理やり確保していたから、初日に徹夜したときよりも体調はマシだった。疲労と崩壊した生活リズムが足を引っ張ってはいるけれど。

 早めに昼食をとってから出かけようと思っていたけど、満腹になったら眠くなりそうだから先に事務所に行ってしまうことにした。社食があるからそっちで食べて、千聖ちゃんが来るまで寝ていよう。

 

 ──と思ったのに、駅に着いてからベースを忘れてきたことに気が付いた。最悪。

 

 

 

 ♦

 

 

 あたしとおねーちゃんがまたライブをするとして。ハコの大きさとかライブの規模とか、互いの技術力とか、そういうものが本質的に重要かと言えばそうでもない。あたしにとってはおねーちゃんがその身一つ居てくれれば充分だし、いつも家でやっているようなセッションの延長線上にあるようなレベルのライブだったとしても構わないのだ。

 

 けれど、積み重ねには価値があると思っている。あたしとおねーちゃんが歩いてきた軌跡と、積み上げた努力と想い。それらが自分たちの中で大きいものであればあるほど、互いにかける想いも質量を増すに違いない。

 だから今あたしはパスパレをこの国で有数のメジャーな音楽グループにしようと思っているし、おねーちゃんが所属するRoseliaもそうなって欲しいと思っている。こんな初手から苦戦する体たらくでどこまで登れるのかは果たして分からないけれど、登れるだけ登ろう。

 

 高いところのほうが、綺麗な景色が見られるはずだ。

 

 

「ごめんなさい日菜ちゃん。仕事が押してしまって……」

「その分寝れたからいいよ。体感的な待ち時間は変わってないし」

 

 パスパレに用意された個室で、半分寝ながらぼうっと思索に耽っていた。約束よりも30分遅れでやってきた千聖ちゃんは、ドラマの撮影が入っていたらしい。どうせ大して人気もない子役上がりだから、みたいなことを言っていたけれど、地上波で見かける女優は果たして本当に、大して人気がないと言えるのだろうか。

 

「じゃあこれ、音源4つと、資料。スライドも作ってあるから、使うなら細かい調整は千聖ちゃんに任せるね」

「ええ。──少し待って頂戴。……正直、気圧(けお)されているのだけど」

 

 パッと渡して流し読みしてもらったとしてもそれなりの時間がかかるくらいに内容が濃いとは思う。企画書として提出する分と、プレゼン用に要点だけを繋げて端折ったものとで2パターン作る羽目になったくらいには。

 ただ、話す内容の方向性自体は決まってしまっているからプレゼンそのものはそれほど難しくないはずだ。活動計画書みたいな書き方をしてしまったからエライ事になったけど。

 

「……これだけお膳立てされていれば問題ないわね。スライドだけ調節しましょう」

「実際、どこまで話をつけられてるの?」

「確約が貰えたわけではないけれど、私たち主体で動くこと自体は問題なさそうだったわね。プロデューサーさえいない企画なんてそんなものか、って拍子抜けするくらいには」

「ポシャった企画だもんねー、あたし達」

「そうね。リサイクルしているようなものよ」

 

 千聖ちゃんがメモ帳に何やら書き込んでいるのを眺めつつ、ベースを取り出す。最近はクラシック楽曲を弾くことにハマっていた。ベースじゃどう足掻いても弾けないんじゃないか、みたいな曲も多いけれど、インストが前提だから弾いていて楽しい。ベーシスト共通かは分からないが、メロディーへの憧れは常にある。

 スキルツリーを伸ばすという意味では、ジャズとかそっちの方面に手を出すべきなのだろう。おねーちゃんサックスとかやらないかな。似合いそうなのに。

 

 ハンガリー舞曲を、躓きながらも指先で跳ね回る。クラシックの有名所はだいたいCMなんかで知っているから、馴染み深くて楽しい。

 音楽に触れ始めてから、ひたすら技術面ばかりを磨いてきたけれど、そろそろ知識もつけるべきだとは思い始めている。聴く側としての知識もそうだし、奏者としても絶対に得るものは多い。ましてコンテンツを大きくしようとする立場にいるのだから、無知では許されないだろう。

 

「……こんなものかしら。スライド、触ってもいい?」

「家にバックアップはあるし、そのUSBにある分はデータは好きに使ってよ」

 

 機材知識は麻弥ちゃんに。バンドマンとしての必修科目はおねーちゃんに教わっているような状況だ。作曲・編曲もしてみたいし、そうなるとやっぱり理論の勉強も必要で、とにかくやることが多い。

 学ぶべきこと、学びたいことが増えるのは別にいい。知識は増えれば増えるだけあたしの世界を広げてくれるし、勉強は嫌いじゃないから。

 それよりもあたしの心をかき乱すのは、未だおねーちゃんがはるか遠くにいるという事実。追い付きたい欲求と、追い付けない喜びと。

 

 昔から、おねーちゃんに追い付いたと感じる度に差が開く。運動の後は勉強で、勉強の次は楽器で、そして今はこれだ。……まだ楽器は追いついてないけど。

 

 嗚呼──あたしの手伝い、なんて言って少し関わっただけでこれなら、おねーちゃんが本気で何かを成そうとすれば、その引き出しからはどれだけのものが出てくるのだろう。

 ──知りたい、知りたい、知りたい。

 

 あたしが未知を広げる度に、空白の上にぽつりと立っているあの人が。泥濘のように胸の内に沈みこませている()まで。

 せっかく我慢しているのに、こんなにも掻き乱される。

 

「日菜ちゃん?」

「ん、あ、ごめん。なに?」

「楽曲分析の項目で少し分からないところがあるのだけれど……」

「企画書の方のやつ?」

「そう」

「そこはあたしもおねーちゃんの受け売りみたいなところあるから、後で麻弥ちゃんにも確認してもらおうと思ってたんだよね。楽曲の提供元に話を持っていくときに使えばいいって言われたんだけど、大まかな理解としては──」

 

 千聖ちゃんが自分用に組み直したスライドショーを眺めながら、打ち合わせを再開する。オミットされた部分を見れば、千聖ちゃんはあたし達が取り込める客層の話とマーケティングの話に重点を置きたいらしい。単純に千聖ちゃんが話しやすい部分だから、というのももちろんあるのだろうけど、あまり詳しく音楽的な話をする相手でもないのだろう。もしそうなら麻弥ちゃんにも本格的にお呼びがかかるはずだし。

 もしかしたら音楽プロデューサー的な人にも絡めるかな、と思っていたからそこは少しがっかり。

 

「うちの事業部の部長は営業畑の人で、実力主義だから日菜ちゃんは話しやすいかもしれないわね。話した感じ、パスパレの方針転換には賛成派なんじゃないかしら」

「ほんとに? 実力主義とか能力主義なら実績のないあたし達には相当厳しく当たりそうなものだけど」

「人格に難があるわけではないわよ。新人に実績があるわけないことくらいわかっているはず」

 

 もしにべもなく断られるようなら、ここで終わりでいいんじゃないかしら、とまで言ってのける。これは割り切りではなく諦観だと思う。相応に、理不尽な思いもしてきたのだろうし。

 

「ここで折られたら、彩ちゃんがちょっと可哀想だからなぁ」

「……貴方が彩ちゃんの心配をするのね」

「心配とはちょっと違うような気がする。不憫だなって思うだけだし」

 

 呆れたような表情。千聖ちゃんのあたしに対する扱いが段々とぞんざいになっている気がして、異議を申し立てたい。

 あたしが理解されてきているのかと言えば、多分そうなのだろう。ただそれは、氷川日菜という人間を白鷺千聖が詳らかに紐解いているわけではないのだと思う。氷川日菜はこういう人間だから仕方ない、という形での理解。

 

 そういう点でも、千聖ちゃんの人格で鋳型を作ればおねーちゃんの形に近くなるんだろう。本質的にはまるで違うのに、二人は結構似ている。

 

「千聖ちゃん、あたしへの接し方がおねーちゃんに似てきたね」

「……」

「あは、嫌そうな顔。嘘だよ、そこだけは全然似てない!」

 

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