月輪より滴り   作:おいかぜ

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第5章 52ヘルツのクジラ
《33》凪


 

 コンテストの結果には、しばらく経ったいまでも納得がいっていない。私の贔屓目ではなく、あのコンテストに出場したバンドの中で抜きん出て優れていたのは私たちRoseliaともうひとつだけだった。観客の反応だけを見ても三本の指には絶対に入っていただろうRoseliaが落選した、というその事実だけで私の厭世思想が助長される。

 実力を評価されないのなら、コンテストなんかをやる意味は無い。インディーズの聖地だろうがなんだろうが、廃れてしまえ。

 

 私は技術主義の信奉者だ。演奏のテクニックをひけらかすことに意味は無いが、演奏表現の幅を広げるのは根本的な技術であり小手先のテクニックであるとも思っている。

 コンテスト、という前提の下で、演奏が上手いバンドと下手なバンドのどちらを評価すべきか。演奏が上手いバンドに決まっている。結成して日が浅いとか、そういう前情報なんかを考慮に入れる必要さえない。

 

 ──だからあまり、この世界を嫌いにさせないで欲しい。

 

 

 秋も深まりつつある通学路を歩く。駅前のスタジオへの道。乾いた落ち葉が秋風に散らかされるのを尻目に、ズレたギターケースを担ぎ直す。

 

「あの、氷川さん」

「なんでしょう」

「その、本当に、Roselia……やめて、しまうんですか」

 

 遠慮がちに、白金さんが言った。どう返したものか、とつかの間迷う。

 Roseliaというバンドは好きだ。メンバーの人間性も、努力を怠らないところも、技術があるところも。

 ただ、そこに私がいることには価値を感じない。多分私は彼女達を「気の合うセッション相手」くらいにしか思っていなくて、それはとにかくRoseliaにとっては良くないことだ。

 

「自分の受験のこともありますし、元々ヘルプで入っただけのつもりでしたから。Roseliaとしても正式なメンバーを募った方が良いかと」

 

 受験が云々というのも、ただの言い訳として考えた文句ではなかった。受験期の半年を乗り切ったとして、都外の大学に行くのなら、当然東京で活動を続けるだろうRoseliaにはいられない。実家を離れるというのは私の中ではかなり上位の優先事項だから、そこを曲げるつもりは今のところ無かった。

 

 ──静かに生きて、穏やかに死にたい。

 何となく、そんな思いがずっとあって、そのためにどうすればいいか考えていた。ワンルームのアパートに、ベッドと、ギターと、本棚。朝起きて向かう職場があって、泥濘のように微睡めるベッドがあればそれで満ち足りている。

 前にも通った大学を卒業して、馴染みのある業界の企業に就職して、それで、死ぬまで生きられれば。

 

「……良く、ないです」

「そう言われても……何も、今すぐ抜けるという話ではありません。半年以上の猶予がありますし、バンドとして形になって知名度も上がったRoseliaなら、後任を見つけることはそう難しくないはずです」

 

 湊さんが求める基準が高いせいで選別に苦労する、くらいのことはあるかもしれないけれど、半年もあってどうにもならないなんてことは多分ない。たった16,7年程度しかこの街で生きてはいないが、道を歩けばバンドマンが転がっている、くらいの場所だ。上手いギタリストなんてそれなりにいる。

 

「そうではなくて、その……氷川さんが、良いんです。私たちは、私は……氷川さんのギターが、好きで……」

「気持ちは嬉しいです。私もRoseliaで弾くのは好きですから」

 

 なおも重ねられた言葉に、言外の拒絶を返した。

 私は私の都合でRoseliaを辞める。ただそれだけの話。Roseliaに私みたいな人間が居座るのも悪影響だろう、なんて思いはするけれど、それが為に辞めるわけではない。

 

「……ごめんなさい。迷惑、です、よね」

「迷惑とまでは思いません。申し訳ないな、と思うだけです」

 

 風が冷たい。冬ばかりは、制服のスカートが恨めしい。スラックスの防御力が如何に高かったのかを、女になってから思い知った。

 沈黙を保ったままスタジオに到着して、先に到着していた羽女の面々と合流する。

 

「前回と同じセットリストを最初から通しでやりましょう」

「はーい」

 

 スタジオに入ってすぐ、湊さんが音頭をとって練習がスタートする。通しで弾いてから改善点を洗い出して修正することの繰り返し。今回はライブ直前というわけでもないこともあって、曲ごとの細かな修正よりは技術面の指摘が多くなる。

 相も変わらず私にはほとんど飛んでこないのだが。

 

「燐子、ミスが目立つわよ」

「すみません……」

 

 白金さんが言われるのも珍しかったりする。如何にキーボードとピアノの勝手が違うとはいえ、クラシックのあの頭がおかしい譜面に比べれば随分と簡単な曲をやっていることになるからさもありなん。独奏と合奏の違いとか、そもそもの楽器の違いとかを抜きにすれば、譜面的に難しいのは課題曲になるようなクラシック曲だろう。

 

「どうしちゃったのりんりん。なにか悩みとかある?」

「少し……ね。でも、大丈夫。ありがとう、あこちゃん」

「燐子が連続でミスするの珍しいからねー。相談には乗るから、いつでも言いなよ?」

「……その」

 

 白金さんがこちらに視線をやった。瞬間、目が合う。

 

「……大丈夫、です」

「あー、なるほどね。そっか……」

 

 納得したような今井さんの表情。そういう扱いになっているのか、私は。少し落ち着かない。

 メンバー探しはRoseliaの課題だし、湊さんがそこの情報を共有していないはずもないから仕方がないことではある。

 

「15分ほど休憩にしましょう。キリも良いし、燐子は一度切りかえて」

「はい……」

「紗夜〜、練習終わったら少しお話しよっか。先に帰っちゃダメだからね」

「構いませんが」

 

 口々に言い募られたとしても私の意見は変わらない。それで皆の気が済むのなら構わないが、入った時と同じようにビジネスライクに別れればいいのに、とは思う。私だったら深入りしようとは思わないだろうから。

 

 皆、私なんかを求め過ぎだ。君じゃなきゃダメ、という言葉が家族以外で真実であることは無い。友人も恋人も、代役や上位互換が山ほど存在するのだから。

 

 休憩で各々が部屋を出ていく中、1人スタジオに残っていた。いつもの事だから特に気にもされない。

 好きな曲を聴いて休んだり、苦手なフレーズを1人でやり直したり、折角のスタジオだからと好きな曲を弾いてみたりする。今日は特に大きなミスもしなかったから、懐かしい曲でも触れてみるかとイスに腰掛けたままギターを構える。

 

 前世の友達が好きで、カラオケで弾くのを良くねだられた曲だった。究極の魂(ultra soul)だなんて大それたタイトルだと思ったけれど、初めて聴いた時から今この瞬間にまで脳裏に焼き付いているあの歌唱は、文字通り私の魂まで揺るがしたのだろう。友人に言わせれば「アガる」ギターイントロとサビのフレーズ。私たちのバンドの曲はここまでギターの主張が激しくなかったから、歪ませたギターを振り回すのは楽しかった、気がする。

 振り返れば、歌詞すらも今の私に突き刺さる。私たちと彼らの差はこういうところだったのだろうな、と。断絶した世界を想って、ピックを振り下ろした。

 

 

 

 ♦

 

「それで、話とは?」

 

 だいたい何の話をされるのかは予想がついていた。練習終わり、陽も落ちた秋の夜長。立ち話をするには少し酷な風だった。逃げるようにコンビニに入って、温かい飲み物を買った。

 コンビニのホットドリンクって、なんでこんなにぬるいのだろう。火傷しないように、と言われれば納得するしかないのだが。

 

「アタシも、紗夜がいいなぁって話」

「そう言われても困るのですが」

「だよねぇ。どうやって引き留めよう、とかいろいろ考えてたんだけどさ、なんにも思いつかなかった。アタシ達みんなで紗夜と同じ大学に行って、シェアハウスしようかな」

「馬鹿なこと言わないでください」

 

 もしそうなっても宇田川さんが可哀想だ。そこまでされたらさすがに根負けするだろうけれど、ろくなことにならないだろうという確信がある。

 

「それはさすがにジョーダンだけど」

 

 コーヒーにしたのは失敗だった。ぬるいコーヒーが1番不味い。

 

「紗夜は──もう疲れちゃったのかなって感じたんだ」

「……そう見えますか?」

「うん。やる気がないとか、そんなんじゃなくて……なんて言うんだろ、大切なものを作りたくないように見えたから。それって、傷付いた人の──」

「今井さん」

「……ごめん、踏み込み過ぎた」

「いえ。心理学者とか、向いているんじゃないですか?」

 

 思いの外、他人に踏み込まれることに拒絶反応が出た。自分の中でこそ綺麗にしまっている思い出と、理由付けられているこの精神状態に、他人の理解が挟まってしまえばどうなるのか、薄々気が付いているからだ。

 日菜は()を尊重してくれた。踏み込む足を止めて、私が零したものを一つ一つ拾うに留めてくれる。

 

 それは逃避だよと指摘されれば、多分きっと事実だから、思い出に傷が付く。

 自分の殻に閉じこもっていればそれで幸せだと思っている私の、情けない自己防衛だった。

 

 大切なものを作りたくない。それさえも徹底できていないのだから、どれだけ弱いのだと笑い飛ばしてしまいそうになる。中途半端に求めずに、拒絶していればいいのに。

 

『前』を忘れたくないという想いが根幹にあって、彼らよりも大切なものを作りたくないという想いがあって、こんなに苦しんだんだから、この僅かな残滓くらい抱きしめさせて欲しいという願いがあって。

 ──彼らを裏切った私が、新しい場所でのうのうとギターを弾いていることへの後ろめたさがあって。

 

「内面をさらけ出せるような仲の良さだけで繋がるバンドがしたいのなら、尚更私を誘わないでください。私は友人が欲しくて音楽をやっているわけではないので」

 

 Roseliaにサポートで入ることになったときに、一応の整理を付けはした。馴染み深い知らない街で、歌い慣れた初めて歌う歌を演奏して。自分の中で一応の区切りをつけた。

 

 彼らは私なんかに関わらずともそれなりに暮らしているだろうし、能力だけはあったからもしかしたらバラバラにプロ入りしていたりするのかもしれない。このレーベル以外に入る気はない、なんてバカみたいなことを言っていたからついぞ夢は叶わなかったわけで。私が抜けて理想も破れたのなら妥協するという選択もないではないだろう。

 

「じゃあ紗夜は、どうしてギターをやってるの?」

「……趣味です。別に、ベースでもピアノでもチェロでもトランペットでもいい」

「そっか……」

「こんな意地の悪い話し方をする人間よりも、もっとRoseliaに必要なギタリストを探してください」

 

 あのバンドに操を立てるなんて言うつもりもないし、そこを気にしているわけじゃない。結局全ては自分の弱さと自己嫌悪に帰結する。

 

「友希那が4年間探し続けて見つからなかったんだよ? 紗夜以上の人が出てこなかったらどうするのさ」

「それは湊さんが考えるべきことでしょう。……受験と進学のためにバンドを抜けるなんてごく普通だと思うのですが、どうしてあなた達はそんなに突っかかるんですか。突然辞めると言い出したわけでもなく、最初からそういう話でしたし」

「紗夜がいいからだって言ってるじゃん。改めて勧誘し直してるだけだよ、アタシ達と人生かけてバンドやろうって」

「お断りします」

 

 話している間に、今井さんの家の近くまで来ていた。

 

「あまりしつこいと期限を待たずに私は辞めますから。では、おやすみなさい」

「……おやすみ」

 

 立ち止まって、踵を返す。最初からこうやって釘を刺しておけば良かった。

 変に感情が揺らいだ。

 優先順位を確かめ直す。これ以上家に不純物を残さないように、まずは独立する。できれば前と同じ大学に入って、以前の研究の続きをこの世界でやり直してみる。私がやりたいことはこの2つが最優先だった。1番上には日菜が来るわけだけれど。

 

 誰かと音楽をやるのは楽しいけれど、それだって二の次三の次だ。

 最も私が迷惑をかけているのは両親なのだから、まずはそこに返せるものを全て返さなければならない。前世の記憶に支配された娘なんてものを掴まされた彼らには。

 隠し通して、騙し通して、彼らが死んだ後にようやく、私の義務は終わる。こんな精神では孫の顔を見せる、なんてこともしてあげられないだろうし、私にできる唯一の親孝行は二人の「娘」であることだけだ。

 

 思い出せ、思い出せ。

 日菜に救われた気になっているんじゃない。

 

 

 深く、息を吐く。

 

 

 ──よし、凪いだ。

 

 

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