月輪より滴り   作:おいかぜ

35 / 100
《35》灰

 

 羽沢さんにアルバムを買う約束を取り付けたのは良かったが、何時間も長居する気はない。手帳にいくつか思い浮かんだ単語を並べてみたものの、そこで手が止まる。

 歌詞の軸が決まらないとどうにもならないか。

 

 どこまでさらけ出していいのか──正確には、どこまで自分がそれを許容できるのか。

 自分の中身を全く露出させたくないというわけじゃない。たとえば私が人間関係において結構排他的で、他人と距離を置いていることは今井さんや白金さんには筒抜けだろう。こんなあからさまな部分まで隠したいとは思わない。

 

 氷川紗夜の歌。相変わらず取っ掛りも掴めなかった。

 

 2杯目のコーヒーを飲み終えて、そろそろお暇しようかと席を立つ。

 相も変わらず勉強している学生を見ると熱心だとは思うが、カフェで勉強するのは集中できるのだろうか。私が神経質に過ぎるのか、店の迷惑にならないかと気を張ってしまって効果を実感できない。観客効果に頼りたいのなら図書館がいちばん良いと思う。

 

「ご馳走様でした」

「ありがとうございました! ライブではよろしくお願いします」

「こちらこそ」

 

 店を出て、商店街をふらふらと歩く。

 夕食の買い出しを、とも思うのだが基本的にその役割は母にとられてしまった。家事をしたりもするが、頻度が減った。早起きした日に朝食を作ったり、洗い物をしたり、その程度。

 

 まだ時間もあるし、楽器店でも覗こうかと思い立つ。高校生の放課後とはこんなに暇だっただろうか。

 電車で江戸川楽器店へ。そういえばケーブルの接触が悪いんだった。それも買い換えなければ。

 帰宅ラッシュという程でもないけれど、密度の高い電車内に息が詰まる。こればかりは電車通学でなくて良かったと思うしかない。私はこんなに人嫌いだっただろうか。……もっと人見知りの()()がいたから意識していなかったのかもしれない。

 

 楽器店で最も目を引くのはやはり楽器が並べられているスペースだろう。弘法筆を選ばずとは言うが、私程度のレベルなら楽器が良ければその分良い音は出る。……弘法大師だって良い筆や紙を使った方が良い作品を書けると思うが。

 以前使っていたものと同モデルを買い直す気にはならないし、そもそもそんなお金もないから眺めるだけだ。今使っているものだってスペックとしては十分なものだから、困っている訳でもない。今井さんとの格差に関して言われれば勘弁してくれと返すしかないのだけれど。

 

「紗夜」

「……湊さん。こんにちは」

 

 物思いに耽っているところに話しかけられて、現実に引き戻される。

 湊さんと出会うのは意外だった。家の場所からしてあまり活動圏が被っていなさそうだし、少なくとも私は頻繁に出かけるタイプではないからそもそもの試行回数も少ない。出会うとしたら確かに此処なのだろうが……

 

「何か買いに来たの?」

「ええ。スピーカーケーブルの調子が悪そうなので買い換えておこうと思って」

「そう。……ギターを買い換えるのかと」

「そんなに金持ちじゃありません」

「それは……そうね」

 

 楽器売場を離れてアンプやエフェクターなんかが並べられている区画に移る。特に売れ切れているとか型番が分からないということもなく、目当てのものを選んで手に取った。

 

「湊さんはなにか用事があってここに?」

「ギターの弦を買いに来たの」

「そういえば、弾けるんでしたね。……ギターボーカルはしないんですか?」

「そこまで上手くないわ。それに、ボーカルの方が疎かになるもの」

 

 ソロのときは弾き語りなんかもしたけれど、と初めて聞く裏話。弾き語りができるなら、ギターボーカルも練習すればできそうなものだが。

 

「作曲のときに弾ければ便利だから覚えただけよ。人に聞かせられるものじゃない」

「……それは残念です」

 

 パフォーマンスの幅を広げるという意味ではアリだと思うのだが、湊さんがボーカルに集中したいというのであれば否やは無い。バッキングギターが欲しければ前録りの音源を流したっていいわけだし、バッキングそのものはピアノでやってもいいから。キーボードがいるととにかく幅が広がる。

 

「ときに、作詞は順調かしら。急かしているわけではないのだけど」

「さっぱりです。自分以外のことならともかく、自分のことになるとまるでペンが進みません」

「……私とはまるで逆ね」

「そちらの方が健全でしょう」

「そうなのかしら」

 

 作詞のことに話題が飛んで、どう言い繕ったものかという思考の後に、まあいいかと全く進んでいないことを告白した。自分が見えていないから書けないのか、自分が見えているから書きたくないのか。

 

「以前も言ったけど、期限はあなたが辞めると決めた日まで。白紙で返されても……良くは無いけれど、受け入れるわ。あの曲はあなたに預けておく」

 

 押し付けたのは私なのだし、といつもの鉄面皮で付け足して、レジに弦を持っていく。私もケーブルの会計を済ませて、何となく別れどきを失ったまま湊さんと並んで店内を眺める。

 

「気持ちが悪いことをしている自覚はあるのよ。あなたが私の想いに心動かされないことを知っているのに、あなたの曲を書いているの」

「過大評価に過ぎます。どうして私にだけそう、盲目的なんですか」

「人生を懸けた悲願への挑戦を前に、バンドに足りなかった最後のピースが理想を纏って現れたら心揺らぎもするわ」

「その『理想』とやらは悲願を達成する1ピース足り得なかったでしょう」

「アレはあなたのせいじゃない」

「……知っています」

 

 周囲の学生バンドなんかと比べてしまえば、私はギターが上手いのだろう。そのくらいのことはわかっているし、客観視できている。上を見ればキリがない世界だから自分が『上手い』と思うことなんてないけれど、積み重ねてきた年月に嘘をつくこともしない。

 一度きりを駆け抜けた10年間。喪失と退屈の1年間。伸び悩んだ終末期の()を嘲笑うかのように滑らかにフレットを飛び回る()の指先。あんなにも伸び悩んだのに、上手くなる必要が無くなってから急に上手くなるのも虚しい。

 

 自分が『そこそこやれる』のは知っている。そして、勘違いされていることも。ギターを始めて1年で今の私と同じ技術水準を持っていればそれは確かに、才能だろう。Roseliaのメンバーにギター歴を話したかどうかは覚えていないが、話していなかったとしても過剰に評価されているだろうことは想像に難くない。

 プロでも普通にやっていけるだろう湊さんが、プロで通用するかも怪しい私をこれほど評価する所以はそこにあると思っている。だから、後ろめたい。

 

「……でも、私が最初に出会ったのがあなたでなくて良かったかもしれないわね」

「そうですか? 特に変わらないと思いますが」

「あこの売り込みを門前払いで突っぱねていたかもしれないわ」

「……何も言わないでおきます」

 

 宇田川さんは自分から湊さんに売り込んだのか。流石にアグレッシブだ。そのエネルギーが羨ましい。

 

「……あなたを引き留めようと思うのに、言葉が浮かんでこないわね」

「私たちの演奏で染められなければその時は仕方ない、と言っていませんでしたか?」

「今でもそう思っているわ。それはそれとして言葉を尽くしたっていいとも思うだけ」

 

 特に見るものも無くなったのか、楽器店を出る。駅の方へと連れ立って歩きながら、ほとんど沈みきった夕日の名残を目で追った。

 

「Roseliaで歌うようになって、それぞれが互いの演奏を高め合う感覚を初めて味わったの。バンドの良さ、というのかしら。あなたはあまり、感じていないようだけれど」

「演奏スタイルの問題では? 私は本番に実力が上がるタイプの人間ではないので」

「私もそのタイプだと思うのよ」

「そうですか? なんというか、技術志向の感情派というイメージがあります。これは勝手な想像ですが、ソロ活動期間が長かったからこそ、バンドを組んだときの振れ幅の大きさに驚きを感じるのではないでしょうか」

「そうかしら。……そう言語化されてしまうと、否定する言葉も浮かんでこないわね」

 

 一か月前なら否定したんだろうな、と思った。こんな私が言うのもなんだが、湊さんはガラリと性格が変わった。正確には、憑き物が落ちて本来の性格に戻ったのだろうが。

 

「……いえ、私がそうならあなたもそうよ。あなたが妹と出たライブでは少なくとも、そうだったのだもの。曲が進む度に温度と感情が増していた」

「確かに、冷静に弾いた記憶はあまりないですね。アコギだったのと、歌っていたからというのもありますが」

「次のライブではデュエットでもする?」

「勘弁してください」

 

 湊さんと並んで歌うなんて公開処刑もいいところだ。日菜と歌うのでも自分の下手さに嫌気がさす部分があったのに、湊さんと比べられたらそれどころの話では無い。

 

「そもそもライブパフォーマンスのクオリティを下げるなんて言語道断でしょうに」

「多少の回り道をしたって構わないわ。最短距離を走るだけが成長ではないでしょう」

「それでも私の領分を越えています。合いの手やコーラスならともかく、主旋律を歌うつもりはありません。私はギターで、湊さんはボーカル。そうでしょう?」

 

 それとも、全員パートをごちゃ混ぜにしてライブをやるなら乗ってもいい。全員下手なだけで何の意味もないだろうが。

 

「……流石に冗談よ」

「そういう事にしておいて下さい」

 

 仮にRoseliaで私が歌ったところで、日菜と歌ったときのように感情のままに振り切ることはないだろう。アレは極論、私たちのためだけのライブだった。私たちを目当てに来る人間なんてゼロで、だから私たちに課せられた義務は歌いきること、弾ききることだけだった。

 Roseliaのライブはそうじゃない。ユキナを観に来ている人がいて、Roseliaを観に来ている人がいて、噂の新進気鋭のバンドを観に来ている人がいる。その人たちが払ったチケットの値段分のパフォーマンスをする義務が、私たちにはある。その事実がどうしてもブレーキになって、私に“パフォーマンス”をさせるだろうと確信している。感情のままに歌うのではなくて、そこには計算があって、技術がある。

 

「あなたの演奏を初めて聴いたとき、ある種の神経質さを感じたの。反復練習による慣れの裏側に、妥協を許さない丁寧さが見えた。そしてそれは、私に親近感を覚えさせた」

「……」

「それと同時に、突き抜けた開き直りも。アコギとベースのツーピースバンドで、ベースにコード弾きまでさせていたのは冒険心の一言で片付けられるのかしら。編曲のセンスも良かったし、楽器が持つ器用さを最大限に引き出した演奏だと感じて、思ったのよ。──彼女は誰よりも音楽が好きなんだろう、って」

 

 だから声を掛けたの、と続く。今井さんから日菜経由で私に誘いが来たのだったか。ユニットに過ぎなかったとはいえ、他のバンドのメンバーにいきなり誘いをかけるなんて非常識もいいところではある。

 

「私には、音楽が好きだと胸を張って言える自信が無かった。父の復讐を果たすための道具で、己の存在価値。確かに私は音楽を必要としていたけれど、愛してはいなかった。本当は少し、コンプレックスだったのでしょうね。私はちゃんと音楽に向き合っているのか、なんて」

 

 他人の本音も弱音も、聞くのは嫌いだ。握りたくもない秘密を差し出されて、私の信頼を受け取ってくれるよね? だなんて押し売りもいいところ。

 ──否。間違っているのは私だ。

 彼女たちにそんなつもりは毛頭なくて、相手からの信頼が欲しければまず自分がさらけ出すべきだという至極真っ当な理論に則って動いているだけ。私が偏見と悪意に満ちた目で世界を見すぎている。

 

「あなたを知れば少しは変わるかもしれないと思った。……今になって、理解出来た部分もある。あなた、灰なのね。燃え残りの灰。まだ燻ってはいるけれど、燃料もなしに再び燃え上がることはない」

「私も同じだ、なんて言うつもりですか?」

「まさか。私は燃え尽きてなどいないもの。来年だってまたフェスに挑戦するし、仮にまた落ちたとしても再来年だってある」

「……なら、いいです」

 

 灰。なるほど。まだ熱を持っているようには見えているのか。

 

「あなたに何があってそうなったのか気になりはするけれど、嫌な思い出なんて誰にでもあるものでしょう。いちいち踏み込もうとは思わないわ」

「……湊さんのそういうあけすけで割り切ったところ、好きですよ」

「歌うことしかできないのだから、私の歌で救えないのならお手上げだというだけの話なのだけれど」

 

 街路樹の銀杏が散らした黄葉の絨毯を踏みつけて歩く。

 踏み込んでこないのなら、幾分気が楽だ。どうにも今の私の音楽性は異様に見えるらしく、Roseliaのメンバーには心配されているのか、特に今井さんからは良くそういう視線を向けられる。

 盲点と言えば盲点だった。わざと下手に弾いたりなんかしないから、感受性が高い人達にはなんとなく感じ入らせるものがあるらしい。

 

「紗夜は、東京を出るのよね」

「そのつもりです。……公言した記憶はなかったのですが、日菜が言いふらしているんですか?」

「リサ経由の情報だから、そうなんじゃないかしら。言いふらしているわけではないと思うけれど」

 

 日菜が何かしら動いているのだろうな、ということは容易に察せられる。そもそも日菜が隠そうともしていない。あわよくば私が能動的に日菜の意図に沿うことを期待しているのだろうか。それとも、隠し事をしないことで私に対して誠実であるつもりなのか。

 私がやめろと言えばやめるのだろうし、逆に日菜が私に「こうしてくれ」と直接頼んできたのなら私はその通りにするのだろう。

 だから日菜はあえて回りくどいことをしているのかもしれない。……全部壊してくれたって構わないのに。

 

「会話の中から真意を探るのは苦手だから、単刀直入に言うわ」

 

 つむじ風が通り抜けた。幾数枚の落ち葉が渦を巻いて、歩道を渡ってゆく。

 立ち止まって、湊さんがこちらを振り向いた。

 

「Roseliaに──私に、あなたの人生を預けて欲しい」

「人生、ですか」

 

 プロポーズみたいなことを言う。

 

「私は、プロを目指す気でいる。人生の総てを音楽に捧げるつもりよ」

「それに付き合えと?」

「ええ。あなたが欲しいの。あなたの人生も丸ごと」

 

 どうしてこう、私の後悔をつついてくるのか。やり直しなんて望まないと何度言わせる。

 

「……お断りします」

「……そう」

 

 風が吹けば飛ぶような軽さだった。大言壮語。人生を背負うだなんて、背負う気がない人間しか言わないような言葉を吐く。

 一度やらかしたことも含めて、湊さんはあまり大きなことを言うべきではないと思う。ただ在るだけで他人を動かせる人なのに、安くなる。

 

「残念ね」

「早く次を探してください」

「あまり能動的に探す気は無いわ。あなたの代わりなんて易々と見つかるものでもないでしょうし、……あなた以外を受け入れ難い」

 

 風の冷たさに強ばった指先を解す。握った手のひらが軋むような感覚がした。

 

「片想いは初めてよ」

「……人聞きの悪いことを言わないでください」

 

 彼女達に問題があるわけじゃない。欠陥品なのは私の方だ。

 

 喪うことを恐れている。

 この手が届かない所へ、誰もが私を追い越してしまうことを。

 

 俯瞰していれば見失いはしない。夜空の星々との距離を正確に測れはしないように、満点の星空を抱きしめていられる。

 並んでしまえば、測れてしまえる。遠ざかってゆく背中を、少しずつ違えてゆく道の距離を。

 

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