日常生活の中で、奇妙な縁を結んだなと思うことがごくたまにある。Afterglowのみんなとは幼馴染という言葉で表せるような太くて色濃い縁だし、そうでなくとも学校のクラスメイトとか、部活の部員だとか、そういう必然的に結ばれていただろう縁は日常にありふれている。
でもそうじゃなくて、偶然とか気まぐれとか、そういうものが折り重なってできた縁も確かにある。
生徒会の日菜先輩もそうだし、日菜先輩を経由して出会った紗夜さんも多分そうだった。
生徒会の役員に立候補したのは、単純に人のために働くことが好きだったからだ。人の役に立ちたいという思いもあるし、常に動いていたいからでもある。「つぐはモカと正反対だね」、とひまりちゃんに言われたのが記憶に新しい。
やりがいを求めて生徒会書記に立候補して、なんだかよく分からないままに当選した。
日菜先輩の存在は、生徒会に入る前から知っていた。すごく頭がいいけど少し怖い先輩がいるらしい、みたいな噂があって、その先輩というのが日菜先輩の事だったから。
怖い先輩、という認識はなかなか外れなかったけど、日菜先輩は優しい人だった。
生徒会の書記になって、できる限り生徒会の仕事を引き受けるようにしていたら頼まれ事が増えた。その時点で仕事量の調整をすればよかったのに、私は頼まれ事を断ることもできず、抱えた仕事を放り出すこともできないですぐにキャパオーバーすることになった。
私の悪癖で、とにかくなにかしていないと落ち着かないから、タスクを抱え込みがちだ。その上、そんな性格だから頼まれ事を断るという考えがまず浮かんでこない。
自分のキャパシティをきちんと理解していなかったのもあって、すぐにガタが来た。
「なんでそんなに働くの?」
「動いていないと落ち着かないからです」
「ワーカーホリックみたいなやつ? 大変だね」
缶詰になって一人書類整理をしていたところに現れたのが日菜先輩だった。期日までに作業が終わらなさそうで途方に暮れていたところだったから、正確には日菜先輩の言葉になんと返したかは覚えていない。でもだいたいはなにかしていないと気が済まない、というようなことを言ったと思う。
「手伝おっか。それ、明日までのやつだよね。終わらなさそうだけど」
「……お願いしてもいいですか? ちょっと間に合わなさそうで……」
「いいよ、別に。でも、なんで1人でやってたのさ。打ち合わせのとき良く聞いてなかったけど、これって1人だけの仕事じゃなかったよね?」
「私が抱え込み過ぎちゃって」
「押し付けられたんじゃなくて? ……まあどっちでもいいけど」
先入観を持って、色眼鏡で見ていた自分が恥ずかしくなる。
書類の整理と、議事録の作成と、全校に配るプリントの作成と印刷。2日かかっても終わる気がしなかったから、手伝ってくれるだけで驚く程に気が楽になった。
「雑務は会議にも来てない人多かったし、生徒会顧問は会長に丸投げで、会長はキミに丸投げして部活って感じかな。あ、会計のデータは入ってるんだね。こっちはあたしがやるから、休憩がてら印刷やっといてよ。必要枚数の早見表はそっちにあるから」
「プリント任せちゃっていいんですか?」
「テンプレはあるし、多分あたしがやった方が早いからいいよ。印刷と議事録だけやってくれれば」
日菜先輩の手際が恐ろしく良かったこともあって、一日目には大体の作業が終わって、2日目にはプリントの印刷待ちの時間があるだけだった。
それが、日菜先輩との縁の始まり。
「責任感が強いのかなー。だから1人で抱え込む。でも無理そうなら頼った方がいいよ」
「はい……」
「まあ、間に合わなくても良かったかもね。何にも学んでないから、多分また押し付けられる」
配布するプリントを各クラスのロッカーに振り分けている間にも話をして、なんとなくわかったことは、この先輩は他人に酷く冷たいということだった。歯に衣着せない言い方をするし、それが許される在り方を確立しているように見える。
「いえ、調整できるようにします」
「ふーん、頑張ってね。それか、キミも1度痛い目をみた方がいいかも」
じゃああたしは帰るから、とさっさと立ち去る後ろ姿を見送った。気まぐれにせよ、2日も手伝ってくれたあたり良い人だな、と思ってしまう。口調は優しくなかったけれど、それだけで怖い先輩だと言われるようには見えなかった。たまたま私に対してその冷たさが向けられなかっただけなのかもしれない。
「つぐ、終わったの?」
「あ、蘭ちゃん。うん、なんとか」
「……今の、氷川先輩だよね。何かされなかった?」
「え? いや、手伝ってもらってただけだからなんにもないよ!」
「なら、いいけど」
─
結局私は一度過労で倒れて、日菜先輩の言う通りになってしまった。何度か手伝ってもらっていたのに迷惑をかけてしまったのが申し訳なくて、お見舞いに来てくれた日菜先輩に謝ったら嫌な顔をされたのを覚えている。
限界が来るのはわかってたからね、との事。荒療治、とも。
人に頼ることを覚えなさい、とみんなから怒られて、私生活のことも少しずつ見直して、そうして安定した日常が戻ってきた。少しだけあった、休むことに対する強迫観念みたいなものが薄れていって、人に頼る罪悪感とも付き合えるようになった。
Afterglowの皆にも随分と迷惑をかけてしまったけど、日菜先輩にも気を遣われてしまった。生徒会で過剰に仕事を頼まれることも減ったし、少しだけ、日菜先輩に相談に乗ってもらうこともあった。大抵はバッサリ切られるけれど。
それで、お店に来てくださいと言ったのが夏に入る前。気が向いたらね、と明らかに断る方便を使われて少しショックだったけれど、夏休み中に本当に来てくれた。紗夜さんと出会ったのはそのとき。
綺麗な人だな、というのが第一印象だった。日菜先輩は顔立ちで言うと可愛い系統だから、受ける印象はかなり違う。
それと、学校で流れている噂の真偽もわかってしまった。日菜先輩には姉がいて、そのお姉さんの前では見違えたように性格が柔らかくなるのだとか。
性格がどうこうと言うよりは、テンションが違うだけな気がする。でも、多分だいたいあっているんだと思う。
日頃のお礼でサービスをしたいと言ったのは断られてしまったけれど、紗夜さんと知り合えたのは嬉しかった。優しい人だったし、かっこいい人だったから。あこちゃんじゃないけど、そういうのには少し憧れる。
それでも何となく、遠い世界の人達だった。日菜先輩は優等生だし、紗夜さんも同じく住んでいる世界が違うような、そんな雰囲気を纏った人だった。少なくともバンドなんてやりそうにない。
そんなことを思っていたのに、彼我の世界はあっさりと近づいた。
ライブハウスの楽屋で2人と鉢合わせた時の驚きといったら、もう。音楽をやっているとしたらクラシックだと思っていました、なんて今思うと少し失礼なことを紗夜さんに言ったような記憶がある。
それくらいの衝撃だったのだ。ベースを始めたばかりだと言っていた日菜先輩が既に上手かったのにも大概驚いたけれど、そっちはなんとなく今更感もあって、あの人ならそれくらいやるだろうと言った巴ちゃんの言葉が全てだったように思う。ひまりちゃんが首を横に振りまくっていたのは見なかったことにして。
「……何者?」
「氷川先輩のお姉さん」
「うーん、説得力がありますな〜」
「才能ってやっぱり遺伝なのかな」
「アレは努力だろ」
「あたしより100倍上手いー」
「アコギと比べても仕方ないでしょ」
バンドマンだった。静謐で穏やかな空気を振り切って叫ぶ紗夜さんの姿があまりにも──あまりにも衝撃的で、つかの間、言葉を失った。
「つぐが放心してる……」
「まあ、ギャップはあるよね」
「ひまりも好きそうだけど」
「なんかつぐの方にびっくりしちゃって」
「氷川先輩めちゃくちゃ楽しそう」
「あたし達も今度アレやる? ひまりもコード弾いてさ」
「無茶言わないでよ〜!」
「いや、できるのはできるでしょ……」
あまり、こんな感覚に陥ったことがなかった。Afterglowとしてのライブで、蘭ちゃんの歌声に心を預けるような感覚とか、そういう瞬間に覚えはあるけれど、観客としては。
浅い知り合いだからこう思うのだろうか。全くの他人であれば、或いはより深い友人なんかであればここまで心惹かれはしなかったのだろうか。
「浮気だ〜!」
「うぇっ!? ち、違うよぅ!」
モカちゃんに後ろから抱き締められて、擽ったさに身をよじる。Afterglowの、私たちのギタリストは蘭ちゃんとモカちゃんしか居ないのだから、浮気でもなんでもないと思うのだけど……でも、同じ学生バンドの人にこんな憧憬を感じるのは良くないのかもしれない。なんとなく、後ろめたさを覚えてしまった。
「つぐみがそんな反応するの、珍しいからね」
「割と淡白だもんなー。ひまりがよく梯子外されてるし」
「え、そう、かな……?」
「つぐは結構そういうとこあるよ」
「えっと、ごめん」
ひまりちゃんに対してはみんなそうだと思う。私も反応に困ることはあるけど……
「アタシらも結構活動長くなってきたけど、急にこういう人が出てきたりするもんなんだな」
「ボーカル慣れしてる感じもしないし、普段はどっかのバンドでギタリストやってたりして」
「それだったら私たちでも知ってそうじゃない?」
「まりなさんに聞いてみるか」
「個人情報は教えてくれないと思うけど」
「そこまでは聞かないって」
─
「アタシとひまりは知ってたけどな、紗夜さんがRoseliaにいるの」
「うん」
Roseliaに新しく入ったギターが紗夜さんだった、という話をしたときに、返ってきた返事がこれだった。
「いや、そりゃあこから名前くらい聞くって」
「教えてくれても良かったのに……」
「つぐがびっくりするところ見たいって、巴が」
「ひまりの提案だろ? 責任逃れするのはズルいぞ」
「あたしも見たかったなー、つぐがびっくりするところー」
ライブで出会った時のサプライズにしようと思っていた、と言われて脱力する。確かに驚いたけど……
「それと、紗夜さんがアルバムを買いたいって言ってくれたんだけど……」
「へー、ありがたいね」
「誰か言ったの〜?」
「アタシはあこに言ったぞ」
「じゃあそこからかな」
「日菜先輩から聞いたって言ってたけど……」
「それは……もうよくわかんないね」
アルバムを買って貰えるのは嬉しい。私たちの第1目標は売れることでも観客を楽しませることでもないけれど、かと言って自分たちのためだけに演奏しているわけではなくて、バンドである限りは誰かに聴いて欲しいと思って楽器を奏でている。
このアルバムだって最初は、変わらない私たちをアルバムという媒体で残してみよう、という動機から作られたものだ。写真や動画を残すような、そんな感覚で。
結局物販に入れようという話になったのは、私たちの歌を誰かに聴いてもらいたいと思ったから。私たちの世界を共有したい、知らしめたいという感情はもちろんある。
「アルバム、ライブに持っていけばいいの?」
「うん。私が届けてくるよ」
「……あたしも行く」
紗夜さんに聴かれる、というのは少し緊張するかもしれない。Afterglowの演奏は誰に憚るものでもないにせよ、自分の演奏が完璧だとは思っていないから、その拙さを聴かせてしまうのは、少し。
「友希那さんと喧嘩しないでよね」
「アルバム届けに行くだけでしょ。なんにもないって」
「どうかな〜、モカちゃん心配ー」
なんて、話をしたのがライブの前の演習の時。
少し早めにCiRCLEに入って、楽屋に荷物を置いてからラウンジで過ごしていた。
「Roseliaももう来てるらしいよ」
「じゃあ、渡しに行く?」
「うん」
アルバムを入れた紙袋を持って、楽屋に戻る。ライブの話をしているだろうRoseliaの輪に入るのは少し躊躇わされたけど、蘭ちゃんは特に気にした様子もなく突き進んでいく。
「Roseliaの皆さん、今日はよろしくお願いします」
「ええ、こちらこそ。いいライブにしましょう」
「わざわざ挨拶なんてどうしたの?」
「氷川さん、に用事があるんですけど」
「紗夜に? 面識あったんだ、意外〜」
「いや、初めてです。つぐみは何度か話しているみたいですけど」
思ったよりも緩い空気。てっきりもっとピリピリしていると思っていたから、少し拍子抜けした。特に友希那先輩にはそういうイメージがある。手を振ってくれたあこちゃんに軽く振り返していると、紗夜さんが財布を持って出てくる。
「初めまして、美竹さん。氷川紗夜といいます。……すみません、面倒なことを言ってしまって」
「初めまして。美竹蘭です。ライブのついでですから、別に構いません」
「それに、私たちの曲を聴いていただけるのは嬉しいですから」
紙袋を手渡すと、封筒を渡される。こういうところで裸のまま代金を渡してこない辺りが、なんというか、すごい。一応確認してください、と言われて断りを入れてから確認しても特に問題はなかった。気配りができるというか、思慮深いというか、大人らしさ、みたいなものを感じてしまう。逆の立場だったら私には思いつかないだろう。
「身内以外に渡す、第一号なんです、それ」
「……それは、私でいいのかしら。Afterglowの記念すべき瞬間なのでは?」
「いいと思ったから渡してます」
初期から追いかけているファンもいるのでは、と遠慮を滲ませた紗夜さんを、蘭ちゃんがバッサリと切った。告知をする前から欲しいと言ってくれる時点で社交辞令ではなく本当に私たちの音楽を楽しんでくれているというのは分かるし、それは蘭ちゃんを含めたみんなの共通認識だったから、第一号が紗夜さんになることにはなんの異論も出なかった。
そもそも第一号とは言ってもなにか特別なものがあるわけじゃない。みんな揃って受け渡しをするわけでもないし。
「そうですか。……なら、二人とも、サインを頂けませんか」
サイン。悪戯心を滲ませた微笑みで放たれた紗夜さんの言葉に、蘭ちゃんと2人して固まった。
「……その、まだちゃんとサインなんか考えていないんですけど……」
「別に名前だけでも構いませんよ。誰に貰ったかが重要だと思っているので」
「……紗夜さん。もしかしてお店で話したときにはもう、こうしようと思ってましたか?」
「ええ。その方が面白いかと思って、羽沢さんにはサインを強請ろうと考えていたわ。美竹さんは巻き添えと言えば巻き添えね」
サインなんて頼まれたことがほとんどなかったから、なんにも考えていなかった。私たちは物販に力を入れているわけでもなかったから、そういう、グッズを通した交流なんかがあまり無かったというのもある。
Afterglowとしてのサインは作ってあって、それは主に字が綺麗な蘭ちゃんが書いていたけれど、それくらい。
楽しそうにしている紗夜さんは、なんだか日菜先輩にとても似ていた。元々似ているけど、こういうところは本当に姉妹なんだなと思わされる。
「……サイン、全員分付けましょうか」
ジャケットの端に美竹蘭、と書き込んだ蘭ちゃんがそう言った。
「え! みんなのところに持っていくの!?」
「あたしたちだけってのも収まりが悪いでしょ」
「そうだけど……ひまりちゃんが……」
「それはいつもの事だし……」
確かにサインを考えるいい機会かもしれないけど、ひまりちゃんがものすごく悩んで収拾がつかなくなりそうだった。全てを言葉にせずとも蘭ちゃんに伝わったあたり、やっぱりこれは共通認識だ。
「5人揃って貰えるのなら、それが一番嬉しいですが」
「それなら、少し預かります。ライブの後には返しますから」
「……紗夜さんって、そういうところ日菜先輩に似てますよね」
「そうかしら」
蘭ちゃんがもう一度紙袋を受け取って、その場を後にする。紗夜さん、本当に無自覚なんですか?
ラウンジに戻ると、3人は飲み物を抱えて待っていた。
「どうしたの?」
「サインを頼まれたから、全員分書いてきますって言ってきた。名前を書くだけでもいいらしいけど、とりあえず帰るまでに考えて」
「じゃあモカちゃんが先陣を切ってしんぜよ〜。……って、蘭はもう書いてるんだねー?」
「シンプルな方がいいでしょ」
「オシャレでかわいい方がいいよ!」
「……モカのは、なにこれ」
「ぽいでしょ〜?」
「まあ、ぽいけど」
「アタシは後で考えるよ。ライブに集中したいし」
「私は先に書こうかな」
モカちゃんの考えられたサインの横に書くのもなんだか格好がつかない気がして、蘭ちゃんの名前の横に羽沢つぐみと書き込んだ。なるべく丁寧に書こうとして、文字が小さくなる。
「なんか他に付け足したら? つぐだし、鳥とか」
「鳥なんて描けないよ……」
「……羽根とか翼でいいんじゃない? 羽沢だし」
「それなら……」
小さくなってしまった名前を囲むように翼を描いた。ちょっとマシになったかも。
「えー、どうしよ……」
「ひまりも巴と一緒に後で考えなよ。どうせ悩むでしょ」
「そうする……一応なんとなく考えてたのはあるんだけど」
「でも、初めてこうして5人まとめてサインを頼まれるのが紗夜先輩になるとはなー。アタシは話したことないけど、あこから話は聞くから変な感じだ」
「あれでしょ〜? いつもの『カッコイイ』。トモちんの席も危ういね〜」
「そ、そうか……?」
「なんでちょっと不安になるのさ。大丈夫だって。そこは自信持ちなよ」
あこちゃんは分かるのでなんとも言えない。あこちゃんにとっての一番は巴ちゃんから揺らぐことはないってみんなは分かりきっているけど、巴ちゃん自身は不安らしい。
「ライブ始まるから、行くよ」
「は〜い」
フロアで出番の前まで他のバンドのライブを見て、順番が来る直前に楽屋に戻る。
「モカ、何見てるの? 前のRoseliaのライブ?」
「ん〜、ちょっとねー」
「本番前になにやってんの」
紗夜さんが入る前のRoseliaは知っているけど、紗夜さんが入ったあとのライブは見たことがなかった。というか紗夜さんがRoseliaに入ったと知ったあとも意図的に調べないようにしていた。映像が公開されているなら後で観よう、と心に決めて、それから深呼吸をする。
「いつも通り、全力で行くよ。ほら、しっかりして」
「はーい」
「モカ……」
前のバンドとの入れ替わりでステージに出る。フロントでなくとも、フロアにいるRoseliaのメンバーはすぐにわかった。かなり目立つ。
蘭ちゃんがいつものMCと、それに加えてアルバムの宣伝をして、それからメンバー紹介に入る。特に理由がなければモカちゃんからスタートして、最後に私に回ってくるのが常だ。
『リードギター、モカ!』
いつものフレーズを弾くんだろうと思っていたから、一瞬、モカちゃんがなんの曲を弾いているのか分からなかった。
「なにやってんのモカ……!」
「え〜、ファンサ?」
「煽りに取られるって!」
「当たらずとも遠からずと言いますか〜」
「BLACK SHOUT」だ、と理解が追い付いたのは、ひまりちゃんが小声でモカちゃんに詰めた後。特徴的なフレーズだから、何とか思い出せた。巴ちゃんが苦笑いしている。
何事もなく蘭ちゃんが進行して、ひまりちゃんがスラップフレーズを弾いている間、フロアで友希那先輩とリサ先輩が何事か話しているのが見える。紗夜さんは呆れたような、困ったような表情。とりあえず怒っているわけではないのかな、とひと安心。そうあって欲しいという私の願望がそう見えている可能性もあるけれど。
演奏に入って、4曲分のセットリストをこなす。『That Is How I Roll!』『Scarlet Sky』『True Color』『Hey‐day狂騒曲』。
新曲とか新しい試みとかはなかったから、いつも通り、落ち着いて弾ければミスすることもない。紗夜さんの前で弾くことへの緊張は、モカちゃんに吹き飛ばされてしまった。これで嫌われたらちょっとだけ恨む。
『ありがとうございました!』
ステージからはけるときに、怖くて見れなかった。
「あれくらいで怒らないでしょ〜」
「アタシもそう思うけど、モカはそう言えるくらい面識あるのか?」
「いや、全く〜?」
「湊さんが怒るかも。あたしが同じことされたら多分、イラッとするし」
汗を拭いて、ライブ衣装から急いで着替える。
楽器の片付けがない分私と巴ちゃんは早く終わるから、他の3人を手伝ったりもする。
「つぐ、ちょっと怒ってる?」
「怒ってはいないよ……けど」
モカちゃんはなんだかんだ感情の機微に敏感だから、一線を超えるようなことはしないだろうという信頼がある。今回だってじゃれあいの範疇と言えばそうなのかもしれない。
でも──
「らしくないよ、モカ。何を気にしてるの?」
「えー、いつも通りのモカちゃんだよー?」
蘭ちゃんも同じことを感じたらしかった。少なくとも普段のモカちゃんは、初対面の相手にいきなり自分からこういったことを仕掛けたりはしないと思う。軽口を言ったりはするかもしれないけれど、相手の受け取り方によってはどうとも転んでしまいかねないようなリスクがあることはしないはずだ。
あとがつかえてもいけないから、着替えて貴重品だけを持ったら早々に楽屋を出る。丁度、Roseliaの人たちと入れ違いになった。
「おつかれ〜!」
「素晴らしい演奏だったわ」
「ありがとうございます。あたし達もフロアから楽しませてもらいます」
「ま〜す」
とりあえず、大丈夫。リサ先輩も友希那先輩も怒ってはいないようだったし、紗夜さんも楽しそうなモカちゃんに困ったような顔をしただけだった。
「……怒ってはなかったね」
「なんだコイツとは思われてたぞ、多分」
フロアに出ると、私たちの次のバンドのMCの最中だった。メタル系のバンドで、確か結成して1年くらいだったはず。
「あこの演奏、楽しみだなぁ」
「コンテスト見に行けなかったもんね」
「予定が被ってなければ……」
2曲を通しで弾いて、ガチガチのメタルサウンドに似つかわしくない可愛らしい挨拶で撤収していった4人と入れ替わりに、Roseliaの番が来る。一番大きく歓声が上がるあたり、流石だ。
「ファン、多いね」
「友希那先輩は私たちよりも長く活動してるし……Roseliaみんな上手いもんね」
いきなり「BLACK SHOUT」からスタートする。なんとなく気まずい空気が流れたのは私の気のせいじゃないはずだ。
やっぱり、上手い。音が全くブレないし乱れない。一音一音が粒だっていて、多分に歪められているとはいえ、ギターの迫力が凄まじい。
「前とは印象が違うね」
「うん」
MiDDay-Moonの時の演奏とはまるで表情が違った。あのときは少なからず感情に寄った表現をしていたのに、今日はそれを全部友希那先輩に任せているように感じる。楽しそうではあるけれど、落ち着いた表情で淡々と弾く中で、完璧に楽曲に寄り添っている。大胆かつ繊細。これみよがしなパフォーマンスなんて一切ないのに、それでもこんなに伝わってくる。
燐子さんが表のメロディに出てくるときは主張を抑えて、それ以外の時は恐ろしい程に主張してくる。この程度で負けるボーカルじゃないだろうというような、友希那先輩との信頼関係が窺えた。
一曲目からフロアの空気を完全に掌握している。友希那先輩がいる時はいつもの事だけど、やっぱり異様な空気だった。
『清聴ありがとう。1曲目は『BLACK SHOUT』。私たちRoseliaの最初の曲よ。
「やっぱり怒ってるかも」
「あたしだったらいい気はしない」
紗夜さんと目が合った。感情を読み取れない無表情。考え事をしているようにも見えた。
『ギターの紗夜よ。本番どころか練習でも間違えないの』
湊さんの言葉に続いて弾けるギターの音色。トーンは違うけど、ものすごく聞き覚えのあるフレーズだった。
「うへぇ〜」
「カプリチオのギターソロ……多分さっき初めて聴いたはずだよね?」
「少なくともライブでは初めてだと思う、けど」
「やり返しに来たな。まあ、後腐れなくて良かったんじゃないか」
「あたしはリフだったのにー、ソロ使ってくるのはズルいぞ〜」
「湊さんがめっちゃこっち見てくる」
「怒ってるじゃん! やっぱり!」
とりあえず手打ち感があって、少し安心する。話している間に二曲目に入った。『Re:birthday』。コーラスのハモリ部分を歌うのは紗夜さんだった。以前は音源でやっていた気がするのに、変えたんだろうか。ライブの演出としては確かにそっちの方がいいと思う。バックコーラスの合いの手は、リサさんの声がよく聞こえてくる。
「あっ」
誰の声か、分からなかった。巴ちゃんだと思ったけど、もしかしたら私の声だったかもしれない。
あこちゃんがスティックを飛ばしてしまったのが見えた。
それほど珍しい事じゃない。ありふれたミスの1つだし、予備のスティックを用意してあるのが普通だ。
けれどつかの間、ドラムの音が消える。バスドラムだけが鳴っている状況で、手が止まってしまった。サビの手前の盛り上がり所でタム、スネアとシンバルの音が消える。
ミスに動揺してしまったのだろうか。大きなミスは初めてかもしれないし、それは仕方がない事だった。
ボーカルの友希那先輩が、少しのタメを入れた。瞬間、
「あこ……」
先程までは楽しそうに叩いていたのに、今度は余裕が無い表情だった。焦りがミスを生むとわかっていても、動揺で固くなる気持ちは痛いほどにわかる。本番で失敗するなんて、誰もが少なからず経験することだ。
目立つミスもなくそのまま1曲を弾き終えて、紗夜さんがチューニングを挟んだ。空気をリセットできればいいけれど……
多分予定をずらして入れ込んだだろうMCで友希那さんが次に弾く2曲について説明を入れている間に紗夜さんがチューニングを終えて、落ちたスティックを拾い上げる。あこちゃんがスティックを受け取る時になにか話していたように見えた。
「トモちんも1回やったよねー、スティック飛ばし」
「あるあるなんだよな。今でもちょっとトラウマになって気を使ってるよ」
『陽だまりロードナイト』は少し落ち着いた曲調で、その中であこちゃんは何とか自分のペースを取り戻したみたいだった。隣にいる巴ちゃんが露骨に胸を撫で下ろすものだから、みんなが姉バカだとニヤニヤする。みんな少なからずあこちゃんと関わりがあるからハラハラしていたはずなのに、やっぱり巴ちゃんの心配ぶりが一番だった。
そして、『LOUDER』。最後の曲では完全にミスを振り切っていて、紗夜さんや友希那先輩に負けないくらいあこちゃんが暴れ回っていた。ライブの最後の曲に相応しい盛り上がりで、少し悔しいけど、今日一番盛り上がったのはこの曲だ。
「Roselia、すごいなぁ」
「あたしたちも、負けてられない」
「おう! アタシもあこに抜かされないようにしないとな!」
「んー」
「──で、サイン考えたの?」
「あ」
♦
結局、ひまりちゃんがサインを書いたのは本当に帰る直前になってからだった。もしかすると紗夜さんは先に帰ってしまったかもしれないと思って探していると、ラウンジの端に立っている姿を見つける。
「お疲れ様です、紗夜さん」
「お疲れ様です、羽沢さん──と、Afterglowの皆さん」
「お待たせしてすみません」
「いえ、そもそも頼み事をしたのは私の方ですから」
改めて紙袋を渡すと、そのまま丁寧に鞄に仕舞ってくれる。
「あたしたちの演奏ー、どうでしたか〜?」
「ちょ、モカ!?」
次に話しかけたのはモカちゃんだった。なんとなくいつもと様子が違うモカちゃんは、一体何を気にしているんだろう。
「どう、という話をするとなんだか上から目線ぽくなってしまいそうで嫌なのですが……上手い、と思いましたよ。そしてそれ以上に熱量があった。それと最後の曲、『Hey-Day狂騒曲』でしたか? あの曲はそういうもの抜きに作曲センスと演奏技術で面白いと思わされました」
「……ありがとうございますー。……だからやり返すときカプリチオ使ったんですかー?」
「そうですね、選曲は私の好みです。やり返したのは湊さんがうるさかったからですが。もし不快に感じたのであればすみません」
「え、あ、いや、こっちが悪いんで! こちらこそすみません」
紗夜さんは、至って平静だった。ライブの盛り上がりの余韻も感じさせない落ち着いた態度。密かに胸を撫で下ろす。怒っていなくてよかった。
モカも謝れよー! と慌てる巴ちゃんと反抗するモカちゃんの諍いを他所に置いておいて、今度は蘭ちゃんが紗夜さんと話していた。
「今度は負けません」
「……はい。湊さんに伝えておきます」
「氷川先輩にもです」
「私ですか? ……勝ち負けの基準は分かりませんが、また同じライブになったらよろしくお願いしますね」
「うーん、蘭の負け」
ぼそっと呟いたひまりちゃんの言葉は蘭ちゃんにも聞こえていたらしい。足を踏まれていた。
「あまりお邪魔しても悪いので、この辺で失礼します。今日はありがとうございました」
「お疲れ様ですっ! またお店にも来てくださいね!」
「ええ、是非」
手を振ると、控えめに振り返してくれた。ちょっと嬉しい。
「いやー、受け流されたね〜」
「そもそも突っかかるなよ。相手にされてなかったぞ」
「私たちのこと好きだって言ってくれてるのにさー、なんでそんなに好戦的なの、2人して」
「あたしたちのつぐだぞ〜って言わなきゃいけないじゃんー」
「え、私?」
「あは、嘘嘘〜。ちょっと悔しかっただけー」
私が良くなかったかな。モカちゃんが私よりもずっと上手いキーボードの人に憧れてたら、どうだろう。確かに少し、寂しくなるかもしれない。
「ごめんね、モカちゃん」
「んー、整理つけたから、大丈夫。あたしも、ごめんねー?」