「はぁ〜」
「なに、まだ引き摺ってるの?」
「うん……おねーちゃんの前でやらかしちゃったし、みんなに助けられちゃったし……」
「誰でもミスはします。次から気をつければいいんですよ」
「紗夜さんはミスしないじゃないですか」
「細かいミスはいくつもしてます」
「でもー、スティックを落とすなんて初歩的な……」
ライブから数日後のミーティングで、宇田川さんが大きなため息をついた。グリップテープを巻いたスティックをクルクルと回して、憂い顔。
私はドラマーでは無いからわかったようなことしか言えないが、スティックを落とすのは俗に言う「あるある」らしい。今回宇田川さんは結構気負っていたから、一瞬気が抜けたタイミングと上手いこと噛み合ってしまったのだろう。
スティックを握りしめて力のままに叩くのがドラムというわけではないし、力を抜こうとしていきすぎたのかもしれない。格好をつけてスティック回しを失敗した、というわけでもないのだから、過剰に思い悩むことでも無いだろう。
「ここでやらかしておいて良かったわね。もうミスしないでしょう?」
「それは……はい」
「『LOUDER』は良かったわ。1度ミスしてから吹っ切れたのかしら」
「はい! 一曲に一回までならスティック投げてもいいって言われて」
「紗夜に?」
「紗夜さんに」
「歳下に甘いねー、やっぱり」
「あこちゃんに、甘い気はします……」
歳下に甘い、というのとは少し違う気がする。私からすれば全員年下なのだから、年齢の問題では無い。正確には、関係性だろうか。肉体年齢が同じだと、相手も対等な意識で接してくるから私も相応に求め返してしまいがちなだけ。そういう意味で年齢がひとつの要因になっていることは否定しないけれど。
「最初にアドリブを入れたのは湊さんでしょう」
「紗夜が演奏を止めると思ったのよ。演出として誤魔化すならアカペラから入り直すのがやりやすいかと思って」
「事前に打ち合わせしていなければさすがに無理です。それに、私だけ止めたって仕方がない」
「……後から思ったわ。だからすぐ合わせ直したでしょう」
少し意外だったのは、私のアドリブに白金さんと今井さんがあわせてきたこと。私の場合は少しフレーズを変えて、あとはボリュームペダルを調整しながら踏み込むだけだったし、白金さんもまあせいぜいそのレベルだろう。ただ、今井さんの場合はそうはいかない。普段からボリュームペダルを使っていないから、その場のテクニックで何とかしたわけだ。ちゃんと聴き取れはしなかったけど、クレッシェンドに加えて、途中で1オクターブ上げていたような気がする。フレーズも弄っていただろうし……ちゃんと見ていれば良かった。
本番が苦手です、というような顔をしているくせに、やっていることは大概だ。
私はアドリブが利かないのを自覚しているから、ごく単純な弄り方、というか簡単で分かりやすく効果が出るような択を選びがちだが、今井さんはそのうちしれっと複雑なフレーズを混ぜ込んだりしていそうで恐ろしい。その点、少し日菜の弾き方に似ている。
類友というやつだろうか。
「ライブの反省はもういいわ。当日に散々やったでしょう。これ以上は逆効果になる」
「そだね、先のこと考えようよ」
「12月はライブ無しですか」
「クリスマス付近に入る可能性はあるわ」
クリスマスに用事が入るかもしれないと言われても、特に誰も困ったような顔をしないあたり、なんだかな、と思わなくもない。真面目というか、ストイックというか……筋金入りだ。老人臭い思考だろうか。
「ではこの、12月初週の空白期間は?」
「テスト期間よ」
「勉強しないとやばいかなーって」
「………………あぁ、なるほど」
「日菜と同じ反応してるよ、それ」
テスト勉強か。完全に忘れていた。
成績が悪いと補習が入ったりするし、内申点も進学に響いたりするから良い成績を取るに越したことはない。高校で留年ってことはまあないだろうけども。
「紗夜は大丈夫そうでいいよねー。……頭いいんでしょ?」
「氷川さんは、全国2位、ですよ……」
「えー! すっごーい!」
「次はもう無理ですよ。浪人生も入って来ますし、勉強ももうあまりしていないので」
逆に前回まで良くしがみつけたものだ。夏休みもあまり勉強していなかったし、これだけバンド活動にかまけていたのに。
「紗夜先生……! 何卒……!」
「教科書から違うじゃないですか。そもそも、同じクラスに全国1位がいますよ」
「ヒナは教えてくれないもん。教師が纏めた要点を覚えれば誰でも点数取れるって」
「私もそう思います」
「うぅ……」
実際、教えることは可能だろう。教科書は違えどカリキュラムは同じはずだし、単元ごとの要点だってそうだ。ただ、教師の作問傾向なんかも知らないしそこまで調べて教師役をやりたくはない。分からない問題の解き方を示す、くらいならいいのだが、それが通用するのは数学くらい。ギリギリ国語や化学、物理もか。
「宇田川さんは、高校に入ったらちゃんと勉強するようにしましょうね」
「はーい」
「別にアタシだって赤点貰う程じゃないよ! たまに危ないけど……」
「まあ、私の方が危ないわね」
「湊さん……?」
嘘でしょ。
「友希那もアタシも、数学がヤバいかも」
「……最悪、分からない問題を送ってくれれば解答解説くらいは作ってあげます」
なんだか勝手に湊さんを勉強ができる人だと思い込んでいたから、少しショックを受けた。勉強ができるからどうとかできないからどうとかではなくて、イメージの問題だ。
「白金さんは成績良かったですよね」
「氷川さんに言われると、その、肯定しにくいですけど……テストは大丈夫、です」
そういえばいままで、勉強の話をしたことは無かった。正直なところ、私にとってはもうどうでもいいものというか、学力さえ緩やかに維持できればいい、くらいのものだったから特に関心も湧かない。
今すぐ受験したって志望校には受かるだろう。その程度のところしか目指していないから、余計に。
どうせ学力なんてステータスは、学生同士にしか通用しない。あと1年と少しもすれば完全に過去の遺産に成り果てる程度のものだ。大学に受かりさえすればいい。前世の私でも受かったのだから、今更躓く理由もないし。
「……ま、まあ、勉強は大丈夫だよ。今までも特に問題なかったし」
「そうですね。わざわざ休みを作っているくらいですから、計画的にまとまった勉強もできるでしょうし」
それはどうかなぁ、みたいな表情をした今井さんは見なかったことにして、スケジュール表に目を落とした。
12月前半はテストがあって空白が多い。年末年始も同じく。となるとそれなりに暇な月になりそうだ。冬休みもあるわけだし。
……「暇」だなんて、今まで微塵も感じていなかったくせに。
日菜に打ち明ける前の精神性にはもう、戻れないのだと気がついている。1度こぼれてしまった弱さは、瞬く間に私の心に染み出してしまった。
日菜を庇護すべき子供として見ることも、他人と同じときを過ごすことを苦痛に思える精神性も、音楽に楽しさを見出さずに没頭することも、もう私にはできない。
そういう意味では少し、この世界に根差してしまったのだろう。
「特に問題がなければ、練習を始めましょう」
「……提案があるのですが、次のライブからハモリパートを私ではなく今井さんか湊さん自身の音源にしませんか」
「音源に戻すのは却下ね。即応性が無くなるのは困るわ。リサに関しては……紗夜、あなたが『ただ歌いたくない』という理由で言っているのでなければ考えるわ」
「今井さんの方が上手いですし、余裕がありそうでしたから。それに、今のうちから私の領分は減らしておくべきではありませんか?」
「いやいや、余裕とかないって!」
スタンドプレーによるチームワーク、というのがRoseliaの理想の形だとするのなら、今の状態は私が周りに頼らなさ過ぎているし、周りが私をアテにし過ぎている。
それで問題があるかと言えばそうでもない気がするけれど、私は自分が抜けたときに生じる穴をなるべく小さくしておきたい。
かといって任された分は働くのが当然だし、そこに手を抜くつもりもないから、私が何の気もなしに提案できるのは私の役割を少しでも減らすことだけだ。
「私が最初に任せたときも嫌がっていたわよね」
「ええ。BLACK SHOUTの歌唱を聴くに、今井さんで良いじゃないですか。なんなら白金さんでも」
なんだかんだ全員歌が上手い。場馴れの問題で白金さんを除いて、ドラムの宇田川さんも除いたところで、第一候補は今井さんになるはずだ。
「少なくとも私は、あなたが適任だと思ったから任せているのよ。あなたが抜けたあとのことを、あなたが気にする必要は無いわ。それよりも今に全力を傾けて欲しい」
「……そうですね、すみません」
至極真っ当な叱られ方をする。湊さんの言葉は尤もだった。
それと同時に、少し安堵していた。少なくとも湊さんはこれ以上、直接的に引き止めに来る気は無いらしい。
片想いね、なんて笑ったあの日の言葉を守ってくれるらしかった。
「私は全力であなたに向けて歌うつもりでいるのに、相手にされないのは虚しいじゃない」
上手い返事が思いつかないまま、練習が始まるまで湊さんの言葉を抱きしめていた。出会う人からそれぞれ似たような事を言われる。どうして私なんか求めるんだか。
♦
「あこは紗夜さんの歌、好きですよ?」
「……ありがとうございます」
練習では絶好調だった宇田川さんが帰り際、クールダウンしながらそんなことを言った。今日も気にしていたライブでのミスも、なんだかんだ振り切れているようで何よりだ。
「友希那さんとリサ姉は親友って感じがしますけど、友希那さんと紗夜さんは相棒って感じがして──ええっと、だから、ハモリパートは紗夜さんが似合うなって思うんです。リサ姉とも話していたんですけど、友希那さんがいちばん技術的に信頼しているのは紗夜さんだから」
「そうでしょうか。【陽だまりロードナイト】といい、あの二人は余程重い感情を向けあっているような気がしますが」
「あこがそう感じてるってだけの話だから、そこはいいんです。実際、友希那さんとリサ姉はすっごく信頼しあってますし」
宇田川さんと2人きりになる機会は少ない。白金さんを含めて3人になることは多いのだが、その場合はゲームの話をしていることが多いので私は大抵聞き流している。
「紗夜さんには、Roseliaを辞めてでもやりたいことがあるんですよね?」
「そうですね」
「やっぱり皆に引き留められてるんですか?」
「宇田川さんもそうするつもりなら、一応は全員からということになります」
「あこはあんまり、引き留めるつもりはないんです。紗夜さんがちゃんとRoseliaのことが好きなのも、初めからなんとなく距離を置かれているのもわかってましたから」
最初は紗夜さんじゃなきゃ嫌だってごねたんですけど、と続く。
「あこが友希那さんとぶつかって逃げ出したとき、紗夜さんはいつでもやめられたのに残ってくれたじゃないですか」
「湊さんに付き合うとは言っていましたからね」
「そうだとしても、Roseliaに向き合ってくれてました。だから紗夜さんにやりたいことがあって、約束通りRoseliaを抜けるっていうのに無理に引き留めようとするのは……ちょっと、不誠実な気がして」
そうですか、とも、すみません、とも言い難い。悲しそうに引き留められるよりはずっと、そうやって送ってくれた方が気が楽だ。
「言い訳のようになりますが」
「はい」
「本当に、私が抜けたところで貴方たちは揺るがないと思っているんです。この世界には本当に、本当にギターが上手い人間なんてごまんといて、彼女らと出会うチャンスなんて幾らでも転がっています。或いはギターを入れずとも、代わりに白金さんのピアノを活かした構成にしたっていい。湊さんならどうとでもできるでしょう」
「感情のことを抜きにすれば、あこもそう思います」
そんな、感情を互いに積み重ねるような時間も体験も無かっただろう、と思ってしまう私がひとでなしなんだろうか。
時間が経過する早さとか、ひとつの出来事から得られる経験の密度とか、そういったものが私と周囲の時間感覚をズラしてゆく。
「宇田川さん。貴方には周りが見える。独りよがりにならず、周囲の人間のことを考えられる稀有で優しい人です」
「嬉しいです。あこの目標はおねーちゃんだから、少しでもそこに近付けてるってことですよね」
「ええ。……ですからもし、湊さん達が感情面に著しく振れてしまうようなら、それをうち壊すのは多分宇田川さんになるんだと思います。……歳下に背負わせるのは不甲斐ないですが」
「それは、紗夜さんが抜けたあとの話ですか?」
「……そうなりますね」
酷いことを言っている自覚はあった。
まだ中学生の身に、何を言っているのか。
「……いえ、すみません。抜ける側が偉そうに言うことではなかったです」
忘れてください、とだけ言って立ち上がる。立つ鳥跡を濁さずとはいかない。まだ半年以上残っている今のうちからこんな話をしているのでは、先が思いやられる。私のRoselia在籍予定期間の半分さえまだ過ぎていないのに。
「忘れません! 今日のことも、『失敗してもいい』って言ってくれたことも!」
その瞳を見つめ返せない、弱い私。