商店街を抜ける帰路、見覚えのある姿を対角線上にみとめて、反射的に目を逸らした。
「おー、氷川先輩だー。珍し〜」
「青葉さん。買い物ですか?」
こちらから見えているのだから、向こうからもこちらが見えない道理はない。パン屋の紙袋を抱えた青葉さんが、ゆるやかに手を振った。結構な長さのバゲットが紙袋から飛び出している。海外のドラマかアニメ表現でしか見たことがないような光景だった。
「つぐのところに行くんです〜。氷川先輩もどうですかー?」
「……帰るところだったので構いませんが」
「じゃあ〜、あのアルバムの感想についてお話しましょ〜」
この間のライブでの態度からして、好かれてはいないどころか嫌われていてもおかしくないくらいだと思っていたのだが、唐突にお茶に誘われた。
アルバムの感想というのは、日菜と半ば悪ふざけで作った後に日菜が勝手に羽沢さんに見せたレビューのことだろう。この調子ならAfterglowメンバー全員が読んでいるのかもしれない。
これから袋叩きにあったりするのだろうか。
持ちますよ、と言うとギターケースの方を手渡された。ううん、流石だ。かなり面白い子なのかも知れなかった。
「どのくらいギター弾いてるんですか〜?」
「歴で言うと結構長いですね。しばらく触っていない期間があったので、再開してからは1年くらいですが。それとも、練習時間の話ですか?」
「んー、どっちもです」
「練習時間なら……どれくらいでしょうね。基礎トレーニングを含めて最低2時間、最大10時間くらいでしょうか」
「ひぇー」
「……青葉さんもかなり練習しているでしょうに」
私の練習時間はほぼイコールで日菜に付き合わされている時間だから、言うほど多くはないというか、ストイックに部屋に籠って自己鍛錬に費やしているわけではない。
「青葉さんはどのくらいなんですか?」
「3年弱くらいです〜。練習はあまりしてませんけど」
「それで練習していないは嘘でしょう」
「はい、ウソです。キャラ付けの問題、というか〜?」
「損な生き方をしますね」
「見栄を張る対価ですからー」
他人の才能が見抜けるほど良い目や耳を持っているわけでも、上から目線で語れるほどの実力がある訳でもないが、努力も練習もせずに楽器が上手くなるわけもないことくらいは分かる。
最も確実に自分の演奏技術を高めてくれるのは、劇的に成功したライブでも、或いは失敗体験なんかでもなく、なんの面白みもない日々の反復練習だ。
まあ、他人の生き方にケチを付ける気もない。青葉さんの周りの人間だって、彼女の陰の努力には当たり前に気が付いているだろうし。
「あ、ミッシェルだー」
「……前から思っていましたが、なんなんですか、アレ」
「ミッシェルはミッシェルですよー?」
角を曲がれば目的地、というところでピンク色のクマの着ぐるみが視界に飛び込んできた。子供たちに囲まれて、少し困っているようにも見える。
その隣にいるのは、松原さん。バンドの待ち合わせかなにかだったのだろうか。
おーい、と青葉さんが手を振ると、ピンクのクマも手を振り返す。それに倣ってか、周りにいた子供たちも。
私も軽く手を振り返すと、ミッシェルの腕の振り方が大きくなった。ブンブン、と擬音がつきそうなくらい。子供にぶつからないといいけれど。
「ハロハピも色々やってますよねぇ。アレ、元々はビラ配りの手伝いだったらしいんですけど、今では託児所みたいになってますし〜」
「そういう事情なんですね。些か、ミッシェルの負担が大きそうではありますが」
「ギター弾いてあげたら喜びますよー」
「ギターを持って商店街に来ることは少ないので、なかなか機会がなさそうですね。青葉さんはここで弾いたりするんですか?」
「1回だけですけどねー」
ギターケースを差し出そうとしたら、首を振られた。今は気分じゃないらしい。どちらにせよミニアンプを持ち歩いていないと厳しいか。
角を曲がって、羽沢珈琲店の前に出る。
いつも通り──と言ってもここに来るのは3回目か、4回目くらいだが──羽沢さんが出迎えてくれる。
他のホールスタッフもいるはずなのに、空いている時間に来るからか大抵羽沢一家にしか出会っていない。
「おじゃましまーす」
「モカちゃん、いらっしゃい。──って、紗夜さんまで」
「こんにちは」
「モカちゃんがナンパしてきましたー」
「口八丁に連れ出されたことは確かですね」
「二つ返事だったくせに〜?」
羽沢さんは私と青葉さんの顔を交互に見比べて、それからにっこりと笑った。
「実は、相性良さそうだなってひっそり思ってたんです」
「えぇ〜?」
「お好きな席へどうぞ! ご注文はいつもと同じでいいですか?」
「うん〜」
「ええ、よろしくお願いします」
不服そうな顔で2人がけのテーブル席に座った青葉さんにならって、その対面に腰掛ける。ブラインド越しに覗ける外の通路では、さっきの子供たちが親に回収されているのが見えた。
「つぐは人がいいから、すぐああいうことを言うんです〜」
紙袋を横に倒して、パンを取り出しながら青葉さんが言う。
袋からはみ出して存在を主張していたバゲットの他に、メロンパン、クロワッサン、チョココロネ、ウィンナーパン、塩パン、ベーグル、あんぱんと思しき白ごまの振られたパン。袋の大きさからしてそれなりに多く買ったのだろうとは思っていたが、それにしても凄まじい量だ。食パンなんかが嵩張るから大きい袋に入っていた、という事情ですらなかったらしい。
「そうですか? 例えば私の代わりに日菜がここにいたとしたら、同じことは言わなかったと思いますが」
「あー、それは、そうですけど〜」
「それはそれとして、青葉さんと相性がいいのかまでは分かりかねますけれど」
「そもそも氷川先輩って、誰にでも優しいじゃないですかー。だからまぁ、相手が氷川先輩のことを嫌ってなければ誰とでも上手くいくんじゃないですか〜?」
「……別に、誰にでも優しいつもりはありませんよ」
誰にでも優しい人というのは、それこそ羽沢さんみたいな人のことを言うのではないだろうか。
私の場合は、社交性フィルターに近い。誰に対しても定型化された態度で接して、さらさら心を開く気がないからだ。互いに線引きしたやり取りしかしないのなら、険悪なムードになることは無い。それは優しい人ではなく、多分学生の区分においては冷たい人に分類されるのではないか、と思う。
損得抜きに本心から他人と友情を築けるのは、学生時代までだと思っている身からすれば尚更、そのように見える。
「あー、でも、蘭とは相性悪そうだなーって思います」
「美竹さん? 確かに、あまり良い反応はされなかった気がしますね」
「なんというか、噛み合わない気がするので〜」
今を真面目に生きている人には、ときに私のようなのらりくらりと生きている人間が憎たらしく見えるらしい。そこまではいかずとも、美竹さんが私に対してあまりいい印象を覚えなかっただろうことはなんとなく想像ができた。
だからといってこっちが変わってあげられるわけでもないので、なるべく目に入れないようにしてくれと願うしかないのだが。
「お待たせしました、ブレンドコーヒーです。それと、サービスなんですけど……」
「わ、つぐパパ太っ腹ー」
ミルクレープが差し出される。青葉さんがにこにこしながら厨房の方へ手を振ると、サムズアップが返ってきた。
ただの客なのに悪いな、と思いつつも出されたものを突き返すことも出来ない。それはそれで好意を無下にしているようだし、申し訳ない。
羽沢さんが不安そうにこちらを見ているのに気がついて、皿を引き寄せた。
「……ありがたく頂きます」
「ありがとうございます!」
「お礼を言うのはこちらのはずなんですが……」
「そ、それもそうなんですけど……」
「毎回つぐパパがお菓子をくれるから、小さい頃は毎回ここが溜まり場になってたんですよね〜。味をしめちゃって」
「ああ……容易に想像がつきますね」
「結局今もここに通ってるんですけどねー」
甘いものが好きな人種にとっては天国だろう。ましてや自由に使えるお金もない女子小中学生には。
ミルクレープの鋭角をフォークで断ち切るように掬って口に運ぶ。コンビニやスーパーで値下げされているものを魔が差して買うくらいで、最近はあまり甘いものを食べていなかった。
「……美味しいです」
「ほんとですか!? お父さんも喜びます」
流石に美味しい。チープな甘味も好きだけれど、アレはどちらかと言えば疲れた日に食べるジャンクフードのような感じだから、比べられるものでもない。
花が咲いたような笑みを浮かべてから、ほかのテーブルに呼ばれて慌てて去っていった背中を見送る。
「よく考えたら、氷川先輩って言っても分かりにくいですよねぇ。紗夜さんって呼んでもいいですか〜?」
「なんでもいいですよ。別に呼び捨てでも」
「それは良くない人が言うやつですよー?」
「そうですか? まあ、好きにしてください」
「じゃあ紗夜センパイって呼びますねー」
思えば、下の名前で呼ばれる頻度は前世に比べてかなり多い。単純に同年齢で同じ苗字の日菜がいるからというのもあるし、所属するコミュニティが女子のものだからというのもあるだろう。
「で、青葉さん。あのレビューを見たんですよね。レビューというか、感想シートみたいなものでしたが」
「はいー。みんな喜んでました」
「……不快な表現などはありませんでしたか? 元々人に見せるつもりではなかったので、あまり気を遣った書き方をしていないんです」
「んー、大丈夫だと思います、けど。蘭もニヤニヤしてましたしー」
日菜とも宇田川さんとも感想を言い合ったが、この分だと両方伝わっていてもおかしくない。特に否定的な意見を出した覚えもないし、おべんちゃらを言うような仲でも無いから、フラットに受け止めてもらえれば問題は無い、と信じたかった。
「曲についての話が多かったですよね〜」
「ギターとベース以外の話はできないので、必然的にそうなりますね。歌詞についても仲間内で解釈が完結してそうでしたから、言葉の選び方くらいにしか言及しませんでしたし」
「ふーん? じゃあ、ギターはどうでしたかー?」
「どう、と言われても……」
上手いな、とか、そういう感想しか浮かんでこないあたりは反省した方がいいのかもしれない。
もちろん、ギタリストには特徴がある。カッティングが異様に切れる人とか、トーンが綺麗だとか独特だとか、あるいはコード弾きで綺麗な音を出すことに心血を注いでいるとか、とにかくフィルやオブリフレーズにこだわるとか、挙げればキリがないくらいにはギターには様々な評価項目があって、そのギタリストが伸ばしたスキルツリーがそのままギタリストとしての特徴になる。
それに当てはめれば、青葉さんに対してある程度の評価を付けることはできるだろう。
ただ、それよりもまず最初に感じたのは、親近感だった。
「ライブでの印象ですが──よく見ているな、と思いました。そういう点で青葉さんには結構、親近感を抱いています」
「親近感、ですか」
「なんというか、1歩後ろから誰かを見ているのが好きなように感じられましたね。音楽に浸って、一目散に駆け抜けてゆくタイプではないような」
考え込むように、青葉さんはミルクレープにフォークを突き立てた。私も一口ずつ食べ進めて、クリームの甘みとコーヒーの苦味で交互に味蕾を刺激する。
「これは経験則であり偏見ですが、大抵のバンドは動力になる人間とバランサーになる人間に分かれています。Roseliaであれば、動力は湊さんと宇田川さん。バランサーは今井さんと白金さん。バンドの方向性を決めるのは動力になる人間ですが、バンドそのものを維持するのはバランサー側の尽力に依るところが大きいでしょう」
あくまでどちらかと言えば、というだけの話だ。湊さんだって全体のバランスを考えているだろうし、白金さんの言葉がバンドを動かすことだってある。基本的なスタンスの話であって、絶対的に当てはまる思想では無い。
そして、ギタリストはなんとなく動力側に立つ人間が多いと思う。ボーカルやドラムの次に目立つパートだし、ドラマーは仕事人気質の人が多いからお鉢が回って来るのかもしれない。これも、私の周りではそうだったという話でしかないのだが。
「紗夜先輩には、あたしがバランサー側に見えるってことですよね〜」
「そうですね。ライブでの印象を多分に含んでいますが、そう認識しています」
「演奏に滲んでますかね……?」
「私にはそう見えるというだけです。この親近感も、実の所はただの勘違いなのかもしれない」
ううん、と青葉さんが唸った。
「勘違いじゃない、と思います。あたしが目指してる場所が、紗夜先輩に被るんでー。……ほんと、どーやったらそんなに上手くなるんですかー?」
「青葉さんだって上手いじゃないですか」
「ぜーんぜんですよぉ」
「そもそも、上手くなる方法なんて練習を重ねて経験を積むくらいしか知りません」
ですよねぇ、と項垂れるように突っ伏した。腕が当たって倒してしまわないように青葉さんのカップを脇に寄せて、ミルクレープの最後のひと口を食べ切った。
「手っ取り早く経験を積むなら、Roseliaのサポートをやってみませんか」
まあ断られるだろうな、と思いながら口に出してみた。
「嫌です」
顔を上げることさえせずに即答。残念ではあるが、予想通り過ぎて微塵も驚きが浮かんでこない。
「ですよね。ダメ元で言ってみただけです」
「Afterglow以外に所属する気はないですしー、そもそも余裕がないです。バイトもしてるんで〜」
「ああ、今井さんと同じバイト先なんでしたか」
「そーです。というかー、紗夜先輩がいるのにこれ以上ギター必要ですかー?」
「ギターは2枚いたっていいでしょう。Afterglowがそうじゃないですか」
「そーですけどー」
わざわざ後任を探しているんです、とは言わない。音が厚い方が迫力のある演奏ができるのは事実だし、今のままのRoseliaにギターが一人増えたら面白いと思っているのも事実。にしても、惜しいな。私とまるっきり成り代わっても、私以上に役割を全うしてくれそうなギタリストなのに。
「そういえば、私に弱音を吐いていいんですか? 一応私は、美竹さんから挑戦を受ける立場にあるらしいですが」
「技術
「……そういうところ、好きですよ」
「わー、余裕だぁ」
眩しくて、微笑ましくて、羨ましい。だからAfterglowが好きなのだろう。自分たちの絆を盲目的に疑わないでいられる信頼が、思春期特有の全能感を纏った衝動が、曲から、演奏から滲み出ている。
技術だって一定水準を超えてしまえば、観客を沸かせる能力としてはある程度まで誤差になってしまう。一部のギター星人は別として、だが。
今の時点で私と青葉さんにそれほど大きな差があるとは思えないし、なんなら来年には抜かれていたって不思議じゃない。どうせ半年後にはあまり弾かなくなるだろうから。
私と青葉さんの間にあるこの僅かな技術の差が、ライブにおいて観客を沸かせることにどれだけ影響するだろう? 多分、ほとんど変わらないんじゃないだろうか。
「それじゃあ余裕ついでにー、練習メニューとか教えてくれません?」
「他人のそういうものをアテにするタイプなんですか?」
「参考にはしますよ〜?」
なんだかんだで話を続けること1時間以上。
結局、帰る機会を逸して2杯目のコーヒーを頼んでしまった。
「もう、モカちゃんだけ紗夜さんとお喋りしてズルいよ!」
「浮気した罰だよ〜」