《4》納屋と調色板
「紗夜ちゃんって、もっと怖い人だと思ってた」
カラオケボックスで、丸山さんにそんなことを言われたのをふと思い出した。
「そうかしら。あまり自覚はなかったのだけれど」
もちろん嘘だ。ぶっきらぼうな態度は、少なからず他人を威圧しているのだろうという自覚はある。無愛想で、真面目で、近寄り難い人間像は、半ば意図して作り上げたものなのだから、それが他人からどう見えるのかなんてだいたいわかっている。
元は自分の分不相応な精神年齢だとか、周りとのズレだとかを誤魔化すために作り上げた性格が、最早本来の人格にまで染み付いてしまっていた。
20歳も近くなれば、もう以前の年齢に追いつくまでそうかからない。周りとの精神年齢のズレも、もうほとんどないと言っていいくらいだろう。そもそも周りに引っ張られて、前世よりも精神年齢が下がっている可能性さえあるくらいだ。
「ウチも話すまでけっこー緊張したし、そういう子は多いんじゃないかな」
「そーだよ紗夜ち。アタシも『くだらないことで話しかけないでくれる?』とか言われそうでビビってたんだから」
「はぁ。どんな高飛車女よ」
他の2人にも、丸山さんに同調して好き勝手言われたのだった。
他人を見下していそうに見えているのだろうか。日菜と約束を交わした日の翌日、朝の通学路で考えるのはそんな事だった。
7月にもなれば朝でも暑い。背中に貼りつく汗に濡れたインナーの感触を感じながら、インナーごとセーラー服の端を摘んで引っ張った。
予報によれば夕方には雨が降るらしいけれど、果たして。一過性の天気雨が湿気だけを運んでくる気がしてならないのは私だけだろうか。帰路で土砂降りに遭遇しても困るし、散々降ったあとのあの
「おっはよー! 紗夜ちゃん!」
「……おはようございます、丸山さん。今日は遅刻しなかったのね」
今日は風紀委員の当番ではなかったから、いつもよりも遅く家を出た。『見送られるのも、結構クるね』と言って出ていった日菜を呆れながら見送って、いつもよりも生徒の数が多い通学路を歩く。
後ろから駆け寄ってくる足音が聞こえて、振り返れば丸山さんだった。どうやら今日は余裕を持って家を出られたらしい。遅刻常習犯というわけでもないのだが、運が悪いのかそれとも要領が悪いのか、いつも刻限に追われているイメージがある。
「うぅ……紗夜ちゃんにも言われるようになっちゃった」
「授業中よく欠伸をしているでしょう。夜更かしは健康にも悪いわよ」
「うん、わかってはいるんだけどね。どうしてもやりたいことがあって」
「……それなら仕方ないわね。でも、くれぐれも体調には気を付けるのよ」
以前の私はそれで──ああ、嫌なことを思い出した。床に倒れ伏したときの激痛と冷たさ。
「なんだか、お姉ちゃんみたい」
「……ごめんなさい。余計なお世話だったかしら。妹がいるからつい、そういう思考になってしまって」
それほど親しくない人にかける言葉ではなかったな、と反省する。距離を取りすぎたり、逆に縮めすぎたり。人間関係に不器用になりすぎた。
「ううん、でも、ちょっと意外かも」
「意外?」
「やりたいことがあるなら仕方ないって、紗夜ちゃんは言わなそうだなって思って。勉強とか、いろいろ、真面目に頑張ってるイメージがあったから……」
「どうせ遊んでいるのでしょう、なんてバッサリ切り捨てられるかもって?」
「そ、そこまでは言ってないけど……」
どうにも丸山さんには老婆心が出るというか、人に世話を焼かせるオーラがあると思う。支えたくなる、と言うと言い過ぎかもしれないが。
妹っぽさというか、放っておけないというか、主に目を離すとすっ転んでいそうな雰囲気がある。
……随分と失礼な思考ではあるか。
「勉強なんて、最低限課題とテストだけこなしていれば良いのよ。勿論できればできるほど良いのは確かだけれど、本気でやりたいことがあるならそちらを優先すべきだと思うわ。それこそ多少の寝食を削ったって、熱中できる何かがある方が余程いい」
「そんなに言うってことは、紗夜ちゃんにもなにかそういうものがあるの?」
「無いから勉強なんてしているのよ」
「えー」
日菜の姉であることに足る存在になること、なんて気持ち悪いだろうから黙っておく。具体的な目標がないことも事実ではあるのだし。
「丸山さんがやりたいことは、訊いてもいいのかしら」
「うん。私、アイドル目指してるんだ。といってもまだ、スクールに通ってレッスンを受けてるだけの新人未満なんだけど」
「馴染みのない世界ね。……でも、いいんじゃないかしら。向いていると思うわ」
「ドジで鈍臭いからオーディションにも全然受からないんだけどね。後輩にも置いていかれちゃったし」
アイドルか。下積みの長そうな、そして運の割合が大きそうな世界だと思う。なりたいと思うどころか興味さえなかったから、実際どういう道程でアイドルになっていくのかよく知らないが、狭き門であることは疑いようがない。
「それでも辞めようとは思わないのね」
「うん。才能がないならその分頑張るしかないし、辛いこともあるけど諦めたら絶対に届かないから」
それに、と続けて、
「高校卒業までに芽が出ないようなら見切りをつけるつもりでいるから、それまでは何がなんでもしがみつくつもりなんだ。それ以上はお母さんとお父さんに迷惑をかけ続けるわけにはいかないから、色々と考える必要があるし」
えへへと笑って頬をかくクラスメイトの意外な強かさに少し、驚いた。目指すものという芯があって、そこに至るまでの道筋を夢物語でなく描いていて、努力を突き通そうとしている。
他のクラスメイト達と話したときにも思ったが、本当に高校生とはこういうものだっただろうかと首を傾げたくなる。それくらい、人間として強い。
二度目の私が理想と現実でふらふらとさまよっているのに、本来思春期であるはずの彼女達は己を確固たる存在として確立している。
空っぽの自分がすこし、空虚に見えた。
「微力ではあるけれど、応援しているわ」
「ありがとう。そうだ、紗夜ちゃんもやってみない?」
「遠慮しておくわ。妹は案外、そういうのが好きかもしれないけれど」
アイドルなんて私の対極にある言葉だ。愛想と運と才能と実力と。多分全部足りない。
日菜はそれこそなんにでも一定の興味は示すから、そこに価値を見出せばアイドル活動にハマったりなんかもするかもしれない。
「日菜ちゃん、だっけ?」
「ええ。……よく名前まで覚えていたわね」
「紗夜ちゃんがよく話題に出してくれるから覚えちゃった」
「…………そんなことはないと思うけれど」
「そうかなぁ。昨日だって──」
「聞きたくないわ」
「えぇ……仲が良いんだなって、こっちまで嬉しくなったのに」
「聞きたくない」
そんなに話題に出してはいない、と思う。家庭内の話題になると必然的にあの子が入り込んでくるだけで、少なくとも私があの子のことばかり話しているわけではない……はずだ。
……そうよね?
無意識に日菜の話ばかりしているとしたら、相当恥ずかしい。
「兄弟姉妹の話をするくらい、変じゃないと思うよ……?」
「無意識に妹の話ばかりしていて、あまつさえそれを他人から指摘されるほど恥ずかしいことはないでしょう」
「いいお姉ちゃんなんだなって思う」
「そうじゃないのよ……」
丸山さんは微笑ましそうににこにこしているけれど、私としてはそれどころではない。これから意識して話題を選ぶしかないのだろうか。
「昨日も言ったけど、紗夜ちゃんって結構天然さんだよね」
「常識がないということかしら」
「そ、そうじゃなくて……」
「丸山さんの方がよほど、天然という言葉に当てはまると思うわ。スマホのフィルターをキレイに貼れることを自慢したり……」
天然と言われるのは甚だ不本意だ。少なくとも丸山さんからそれを言われるのは。
天然だ、という形容はプラスの意味でもマイナスの意味でも使われるが、総じて大多数の常識からズレているという意味だ。マイペースであったり人一倍真面目であったり楽観的であったり、明確な定義はよく分からないが、変なこだわりがあったり、少し物事への評価値がズレていたりする。
私が全くの常識人であるというつもりは無い。が、天然と形容されるほどズレてもいないと思う。
「私があまりそういった面を見せないから、たまたま見つけたズレた一面を大袈裟に捉えてしまったんじゃないの? ギャップというものに近いかしら」
「うーん。でも紗夜ちゃんは天然だと思うよ。ギャップもあるとは思うけど、けっこうみんなそう感じてると思うな」
「クラスメイトを味方につけようとしても無駄よ。昨日はみんな貴方に『人のこと言えるの?』みたいな目を向けていたじゃない」
「そう……?」
「そうよ」
学校が見えてきたあたりで、曇り気味だった空から日が差してくる。
隣を歩いていた丸山さんが眩しそうに大きく瞬きをした。
「暑いね。早く休みにならないかなぁ」
「今週を乗り越えれば夏休みじゃない。その前に来週のテストだけれど」
「思い出したくなかったよ〜! 紗夜ちゃんは……問題なさそうだね」
「日頃の積み重ねよ」
「私は一夜漬けかなぁ、今回も」
一夜漬けも、テストを乗り切ることだけ考えるなら決して悪い選択肢ではないと思う。特に高校の期末テストなんて大した範囲でもないから、日頃からの訓練が露骨に有利に働くのは数学とか英語とか、そのくらいだろう。模試ともなれば話は変わってくるが。
「紗夜ちゃんは夏休み何するの?」
「ギターの練習かしらね」
「ギター弾けるの!? すごいね!」
「まだ全然下手よ。弾けるとも言えないくらい」
「それが一番意外かも」
「今どきギターをやる人なんて珍しくもないでしょうに」
ギター、というかロックは不良だとか、そういう風潮はほとんど消え去っていると思う。音楽人は不真面目だとかチャラいとか、その程度の偏見は腐るほど残っているのだけれど。
それこそ丸山さんも音楽系の業界人を目指しているわけだから、そういった偏見はなさそうなものだった。
「そうだけど……。ねぇ、私いいこと思いついちゃったかも」
「嫌な予感がするけど、聞くだけ聞くわ」
「文化祭のライブ、出てみない?」
「嫌よ」
「そんなぁ」