「せ、生徒会長、ですか?」
「は、はい……推薦も頂きましたし、その、人見知りを直すきっかけになるかと……」
3年生の卒業も間近に迫る1月の末。白金さんの言葉に耳を疑った。生徒会長に立候補するから、応援演説をして欲しい、だそうだ。
どういうわけかこの地域の高校の生徒会は特殊で、任期は1年だし選挙は春に行われる。私も詳しくは知らないが、それなりに仕事も多くて面倒臭いらしい。
「……その、応援演説自体は構わないのですが、大丈夫ですか? 正直、過剰な荒療治に思えます」
「……そうかもしれません、けど、頑張りたいんです」
白金さんに務まらない、とまでは言わない。彼女は引っ込み思案だし人見知りだけれど、責任感も勇気も持ち合わせている人だ。でも相応に大変な思いはするだろうし、何もそこまでしなくても、と思ってしまう。
……まあ、最低限のフォローはできるか。風紀委員長になったら生徒会の仕事も手伝うことになるわけだし。
「そういうことなら、お手伝いはしますよ」
「ありがとうございます……!」
生徒会の選挙で勝てるかはまた別の話だし、私も人望がある訳ではないからこういう状況でどこまで力になれるか、怪しいところではあるのだが。
「へ〜、燐子が生徒会長やるんだ」
「やっぱり、変でしょうか……?」
「え? 向いてるんじゃない? 真面目だし」
練習の休憩時間にそんな話をしていたものだから、聞きつけた今井さんが寄ってきた。彼女は大概人望がありそうだ。確か宇田川さんがそんなことを言っていたような気がする。
「紗夜が応援演説するなら、受かるのは決まったようなもんだよね」
「私に人望はありませんよ。……白金さん、今からでも白鷺さんあたりに頼み直した方がいいんじゃないですか?」
「……その、私は妥協で氷川さんに頼んだわけではありません。氷川さんだから頼ったんです」
「……そうでしたね。良くない言い方をしました。ですが実際、人気勝負になると難しいのではないかと……」
それこそ白鷺さんが立候補したら絶対に勝てない。彼女はそういうことをやりたがらないと思うけれど。
「言うほど人望は関係ないと思うけどなー。全校生徒に対する友達の割合って、すごく小さいし。演説の方が大事だよ」
確かにそうだと納得はさせられたけど、そう言われるとまた責任が重くなる。どういう話をしようかと、脳内で草案を練った。
「選挙はいつでしたっけ」
「2月の下旬の……3年生の登校日です。23日ですね」
「わかりました。選挙活動等の日程も決まり次第教えていただけると助かります。確か、選挙前の1週間でしたか?」
「そうです。朝の活動なので、氷川さんはいつも通りかもしれませんが……」
「確かにそうですね」
選挙活動と言っても朝の校門で挨拶活動をするくらいだったはずだ。それと昼の校内放送でのスピーチか。近頃はもう白鷺さんの相談に乗ることも少なくなってきたし、昼休みが潰れても問題は無い。
「
「日菜が?」
「そう。やりたがる人が少なかったからつぐみに頼まれたとかなんとか」
「まあ、日菜なら上手くやるでしょう」
羽沢さんに頼まれたところで本人が嫌だったら断るだろうし、日菜にもなにか思惑があるのだろう。あの子はタスクを詰め込んだ方が成長できるだろうし、本人としても能力を発揮できて楽しいだろうから、案外向いているんじゃないだろうか。
パスパレも目に見えて良い評判を獲得してきているし、その際に能力を十全に活かせる事への喜びに気が付いたようだから、最近の日菜は随分と楽しそうだ。
「あ、姉バカの顔してる」
「してません」
「してたよ〜! 燐子もそう思うよね?」
「えっと、その、はい……」
「正当な評価なので姉バカじゃないです」
「それは屁理屈じゃない?」
駅前の通りを歩く。帰宅ラッシュからは少しズレた遅い時間。それでもスーツ姿の人の姿は多い。
橋を渡って、住宅街の方へと歩みを進める。
それにしても、白金さんが生徒会長に立候補するとは。意外、というレベルじゃない。
なんというか、白金さんは他人に迷惑をかけるのを嫌っていそうだと思っていた。生徒会長なんて実質的には半分お飾りみたいなものだけれど、そのお飾りがいないとスムーズにことが進まない場合だってよくある。自分の苦手な分野で、責任のある立場につくことはかなりリスクのある行いだと思う。だから白金さんが生徒会長になるという選択をするとは思いもよらなかった。生徒会に入る、くらいのことなら何の憂いもなく応援したと思うけれど。
まあ、なんだかんだ上手くやるだろう。私が危惧するようなことは当然白金さん自身も不安に思って悩んだはずだし、それでもなお前に進むと決めた以上は簡単には折れない、はず。
なんてぼんやりと歩いていると、名前を呼ばれた気がした。
「紗夜ちゃん!」
ゴールデンレトリーバーを連れた白鷺さんが、私の少し後ろを歩いていた。2人とも(1人と1匹とも)ブロンドだから兄妹のよう。
「……白鷺さん。こんな遅くに」
「紗夜ちゃんこそ、練習帰りかしら?」
「ええ。……利発そうな子ね」
「レオンというの。紗夜ちゃんは、犬は好き?」
レオンと目が合った。利発そうとは言ったが、お世辞ではなく本当に躾が行き届いているのが分かる。今だって白鷺さんの真横にピタリとついているし、歩いているときも白鷺さんに付き従っているようだった。
「動物は好きなのだけど、日菜が威嚇するから寄ってこないのよね」
「えぇ……」
私一人でいるときはそうでもないのだが、日菜といるときは絶対に動物が寄ってこない。大型犬ともなればその限りでもないのだろうけど、つい数分前まで撫でさせてくれていた柴犬が日菜を見るなり吠え始めて収拾が付かなくなったのも記憶に新しい。
「……撫でてもいいかしら」
「もちろん」
手の甲を近づけると匂いを嗅がれる。ペロリと舐められたので許しを得たと判断して、顎の下に手を伸ばした。高い体温が心地良い。
「……本当に好きなのね」
「そう?」
「いつもよりも楽しそうなんだもの」
荒く聞こえる息遣いと、首から伝わってくる脈動。されるがままのレオンは、本当に賢い子だ。なんだかちょっと、感動してしまった。
「レオン、『ハグ』してあげて」
「わふっ!」
「ちょっ──いきなりっ──!」
突然立ち上がって体重をかけてきたレオンに押し倒される。目線を合わせるためにしゃがんでいたから、少し重心をずらされるだけで耐えきれなくなった。頬を舐められて、押しのけるように彼の首筋から頬をがしがしと撫で付けた。
「ふふ、いい反応ね」
「急にけしかけないで。ギターを置いていたから良かったものの……」
「それくらいは配慮しているわよ。それにしても、あなた達姉妹はなんというか……そういうのが似合うわね」
「何の話?」
「こっちの話よ」
レオンがさっさとどいてくれたから、砂利やら土埃を払って起き上がる。こんなに手馴れているあたり、普段から白鷺さんは誰かにこういうイタズラを仕掛けているんだろうか。
「ごめんなさいね、つい」
「つい、でやられても困るのだけれど」
道行く人に胡乱げな目で見られていた。ギターを背負い直して、心配そうに寄ってきたレオンの頭を撫でる。キミにひっくり返されたんだけどね。
「紗夜ちゃんって、私の前で余り感情を見せないじゃない?」
「そうかしら。誰にでも、基本的には変わらないと思うけれど」
「彩ちゃんや日菜ちゃんには随分と感情を見せているように感じるわよ?」
「妹はまた別でしょう。丸山さんへの対応は多分それほど変わらない……はずよ」
感情を見せる、というのがどういうことかはさておいて、そもそも白鷺さんを交えて日菜や丸山さんと話したことがない気がする。伝聞でそう判断できるほど、私は白鷺さんに特別な対応をしているだろうか。
「事務的な話しかしていないでしょう、私たち」
「ギターのアドバイスをという話だったから、必然的にそうもなるわね」
事務的というのも正しいかどうかは分からないが、感情的になるような話もしていない。私は白鷺さんが悩んでいることや私から見て直した方がいいと思うところをなるべく簡潔に伝えようとするし、白鷺さんもそこに遊びのある返答なんかしないから、そうもなる。
白鷺さんと話していると、言葉を選ぶのに疲れる。余り砕けた話し方をしたくないというか、私のタメ口は高圧的で冷たく聞こえるらしいから、白鷺さんくらいの距離感の相手には使いにくく感じてしまう。日菜くらい近い相手か、クラスメイトくらいに使うのがちょうど良い。
「プライベートでお誘いをかけても、受けてくれるのかしら?」
「まあ、内容には依るけれど」
「例えば……そうね、服を見に行くとか、少し遠くのカフェに行くとか……」
「私で良ければ、そのくらいは。でも、今は白鷺さんが忙しいでしょう」
「それが、そうでも無いのよね。今はパスパレ以外のお仕事をかなり絞っているから、むしろ前よりも余裕があるくらい」
「それ、私にしても良い話?」
「このくらいはね」
しばらく前の宇田川さんといい、さらに以前の丸山さんといい、私はそんなに付き合いが悪そうに見えるのだろうか。出不精なのは事実だし、自分から誰かを誘うこともほとんどないけれど、誘いを断ったこともほとんどないはずだ。
「……じゃあ、今度お誘いするわね」
「ええ。私はだいたい暇しているから、多分合わせられるわ」
Roseliaの練習と被らなければ、というくらいか。それだって毎日やっているわけじゃないから、融通は利く。
「ああそれと、これは全く別件の話なのだけど──作曲の依頼を出したら、貴方は受けてくれる?」
「……それは、受けられない」
しばらく前に日菜にも打診されたことを思い出した。Pastel*Palettesの事務所のコンポーザーは優秀らしいし、外部に依頼する必要もないと思うのだが。それも、特に知名度もないような一個人に。
「そう、残念」
「楽曲提供の話題性を狙うなら、来年以降に湊さんに頼んだ方がいいわ。Roseliaが伸びるとしたら、来年になるだろうから」
「それは参考にさせて貰うけど、そういう意図じゃないのよね……」
また来年かしら、という呟きからは白鷺さんの意図は読み取れなかった。
レオンが暇そうにし出した辺りで、なんとなく解散の空気が流れる。
「引き止めてしまってごめんなさい。もう時間も遅いから、気を付けて」
「白鷺さんこそ」
「私にはレオンがいるもの」
最後に少しだけ頭を撫でさせてもらって、白鷺さん達と別れる。
よく考えたら、不思議な話だ。今をときめく、と言うと年寄り臭い表現になってしまうかもしれないけれど、若手実力派女優として名前を挙げられるような人と交友関係を築いているわけだから。
そんなことを考えながら家に着くと、日菜が先に帰っていた。ここ最近では珍しいことだが、よく考えなくとも白鷺さんが犬の散歩をしていたのだから、ほぼ同じスケジュールで動いているはずの日菜が既に帰宅しているのも当たり前と言えば当たり前だ。
「おかえりおねーちゃん!」
「ただいま」
ドアを開けて直ぐに、日菜が廊下まで出迎えに出てくる。わざわざ出てこなくてもいいのに、と思うのだが、私を出迎えるのが楽しいらしい。父が羨ましいとボヤいていた。
「……もしかして、千聖ちゃんに会った?」
「ええ。どうして?」
「んー、匂いと、あとは毛かな。それ、犬の毛でしょ」
平然と言い当ててくる。私の場合は別に隠していたわけではないからさておいても、将来日菜と付き合う人間は浮気なんかしたらすぐにバレるだろう。日菜より賢い人間でもないと隠し通せないだろう。
まず手を洗う。それからスカートとセーラー服をハンガーにかけて毛を落とした。Roseliaの練習で少し汗をかいたから先にお風呂を貰おうとしたら、夕食のお呼びがかかった。
最近、母は料理に凝るようになった。曰く、紗夜の料理の方が美味しいと言われるのが悔しいらしい。コストや手間暇をある程度かけて作っている私の半分趣味みたいな料理と、日々の家事の一つとしてコストを抑えて、なるべく手間をかけずに作る料理では差が生じるのも当たり前で、家庭としては母の方が正しいのだと言ったものの、母は聞き入れなかった。
まあ、本人の好きなようにしてくれればいいと思う。
日々の食事が美味しいに越したことはないので、特に文句は無い。
「あ、おねーちゃん。後であたしの部屋に来てくれる? 見せたいものがあるんだ」
「ええ。お風呂の後でいい?」
「うん」
ネギと白菜の味噌汁を飲み終えて、鰯の煮付けの最後の一口を味わう。母は日々の食事にも統一感を持たせたいらしく、結構な頻度で料理の国籍が統一される。今日は和食だし、これが中華だったり、洋食だったりする日もある。父は和食が好きなので、それに合わせてか比較的和食が出る頻度が高いような。
日本酒に合うのは和食だ、と常々言っていて、それには私も同意するところだ。この身体では飲めないし飲んだこともないけれど、味は知っている。さて、この身体はアルコールに強いのだろうか。親族関係を見ていると弱そうな気がしてならない。
夕食を終えて早々に風呂に入ることにした。女性として生きる中でいちばん煩わしさを感じるのはここだったりする。男であった時分と比較してみても、髪の長さから、髪や肌の手入れの煩雑さまで何もかも面倒くさい。
特に伸ばした髪は、手入れをサボるとすぐに見てくれが悪くなる。どこかのタイミングで切ろうと密かに考えていた。日菜も母もがっかりしそうだけれど、いい加減に苦になってきた。
「ね、おねーちゃん、これ聴いてみて」
言われた通りに日菜の部屋を訪ねると、イヤホンを手渡された。耳に当てると、流れてくるのは美竹さんの声。Afterglowの新曲だろうか。それにしても日菜が音源を持っていて、私に聞かせるのも変な話だ。
「『Y.O.L.O.!!!!!!』って言うんだって。今あたしたちが練習してる曲なんだ」
「……Afterglowに楽曲提供を頼んだの?」
「そ。アマチュアとはいえAfterglowは結構影響力あるし、あとはバンドらしさに振り切った曲があってもいいっていう千聖ちゃんの判断」
こっちがあたしたちが弾いてる方、と言って切り替わる。確かにまだ拙い、というかそもそもかなり難しそうな曲だ。ツインギターだし。
「……Afterglowの曲ね」
「ほんとにねー! あたしたちで歌いこなすにはだいぶかかりそう」
事前知識があるせいなのかもしれないが、Pastel*PalettesがAfterglowの曲を歌っている、という感覚が否めない。
言ってしまえば、曲に『喰われている』。
「千聖ちゃんも計算外だったみたいでさー。あたしとしてはこれはこれで練習になるしいいんじゃない? と思うし、千聖ちゃんもそういう方向に切り替えたっぽいんだけど、彩ちゃんが落ち込んでるんだよね」
「そればかりは、一朝一夕にどうにかなるものでもないし仕方がないわ」
美竹さんがAfterglowを背負って書いた曲だ。生半可な練習でも、実力でも、解釈でも打ち勝てないだろうし、それは仕方がない。練習を重ねて、曲を、歌詞を、噛み砕いて。そうしてようやく、美竹蘭が書き上げたPastel*Palettesの曲になる。
「面白いよねー。カバー、というのとも違うし、あたしたちのためだけに書かれた曲、というわけでもないし」
「ひとつ聞いてもいい?」
「うん」
「味変をするには、いささか時期が早くないかしら。Pastel*Palettesが再デビューしてから3ヶ月。方針を改めて、一気に伸び始めてから数えても2ヶ月しか経っていないわよ」
「まあ、事前準備ってとこかな。Afterglowに一方的に見劣りしないくらいになるまでこの曲を発表する気もないし、しばらく温めることになると思うよ」
日菜のベースは、この2ヶ月で飛躍的に上手くなった。普段から飛躍的に上手くなっているから、飛躍どころか大気圏を突き破らんばかりの勢いでと形容すべきなのかもしれない。やはり、環境の変化は大きいのだろう。日菜の世界が広がって、物の見方も変わって、明らかに成長している。間違いなく、Pastel*Palettesの影響だった。
「日菜。──貴方は今、楽しい?」
「うん、楽しいよ」
「そう。なら、良かった。……次のライブ、見に行くわね」
「うへぇ、緊張してきた」