月輪より滴り   作:おいかぜ

47 / 100
《47》B

 

「あの、今井さん」

「な、何?」

「……緊張し過ぎです」

「だってぇ!」

 

 フェスに出られる5組を決めるコンテストの本番直前、パイプ椅子に座ってガチガチになっている今井さんを見咎めて声を掛けた。

 この時点で30/1000に残っているのは誇るべきことだし、力を出し切れれば上位5組に入れる力量をRoseliaは備えている、と思う。

 

「……私は。今日を最後にはしたくありません」

「酷いよ、最後まで突っぱねた癖にさ」

「それを言われると弱いですが」

 

 自分でも意外なことに、今日はまるで緊張していなかった。今日のコンテストで落ちたら、それで終わり。目標にしていた夏フェスにさえ出られず、私のRoseliaでの活動は終わる。

 それがお似合いだと囁く私がいて、私たちが落ちるなんて有り得ないと根拠の無い自信を抱いている私もいて。

 

 いつになく調子が良いのを自覚していた。

 

「紗夜さん、あこ、今日はめちゃくちゃ調子がいいんです」

「奇遇ですね、私もです」

「でも勢いがつきすぎてスティック投げたらごめんなさい!」

「1本までなら拾ってあげますよ、また」

 

 リハーサルで少し指慣らしをした感じは特に問題ない。『LOUDER』も、『Neo-Aspect』も、完璧に私の中に染み込んでいる。

 グリップテープが巻き付けられたスティックをくるりと回して、宇田川さんがポーズを構えた。確かに気合いは問題ないらしい。2曲とも宇田川さんが得意な曲だし、そもそも宇田川さんは本番に強いタイプだからあまり心配していなかった。

 

「燐子〜、燐子だけがアタシの仲間だよ……」

「そ、そうですか……? 確かに私も緊張、してますけど……」

 

 なんだかんだで今井さんも緊張は解れたらしい。白金さんもいつも通り落ち着いているから問題は無いはず。

 

「そういえば、友希那は?」

 

 つい先程までリハーサルを眺めていた湊さんの姿が見えない。お手洗いには行ったばかりだし、会場の方を見に行ったのだろうか。

 

「見ていませんね。探して──」

「んー、アタシが見てくるよ。多分外の空気吸ってるだけだと思うし」

「そうですか?」

「うん。もし見つかんなかったら連絡するから、待ってて。入れ違っても嫌だし」

 

 今井さんも出ていってしまったので、楽屋の隅に三人固まって腰掛ける。さすがにこの規模のフェスとなれば、選考会に出るようなアマチュアバンドでも知っている名前が多かった。

 

「……氷川さん」

「はい」

「……もし本番で失敗しちゃったら、とか、想像しないんですか……? 『FUTURE WORLD FES』のときもそうでしたけど、私は今日、すごく恐ろしくて……」

「そうですね。……失敗した方が、楽なのかもしれません。フェスで最高の演奏をした方が、別れが辛くなるかもしれない」

 

 お前がいるからRoseliaはこの程度なのだと突きつけてもらった方が、踏ん切りがつく。甘えた思考ではあるが、私はRoseliaが好きだった。自分がRoseliaには相応しくないと、揺るぎない事実を持って断言された方がまだ、気が楽だ。

 

「灰だと言われたんです。湊さんに。燻っている灰だと。そして今、私には火が灯りかけている自覚がある。……貴方達のせいで」

「紗夜さん……」

「ここで折れたら楽になります。そして、一生後悔する。だから失敗する気はありません。フェスの本番で、燃え尽きて、白くくずおれる灰になるまで。今日の私は酷く前のめりだから、転ぶことなんて考えていられないのかも」

 

 気負わせてしまいましたか? と問うと、白金さんは首を振った。

 

「やっぱり、嘘だったんですね。……Roseliaを辞めるのは、大したことじゃない、って」

「突き放しても、貴方達は態度を変えてくれないみたいですから。それはもう止めました。私は貴方達のことが好きですし、ここにいるのは居心地が良いです。……それでも、私が私であるからには、ここにいるよりも優先すべきことがある」

 

 話すべきではないことまで話している。

 コンテストの張り詰めた異質な空気を潤滑油に、口が滑っていた。

 

「……その内容は、話してくれないんですね」

「ええ」

 

 沈黙の後に、白金さんが微笑んだ。

 

「私は、そこまで言い切れるほどの『なにか』を知りません。自分を根底から揺るぎないものにしてしまうような、人生を賭けて殉ずるべき『なにか』に、まだ出会っていません。だから、私も考え方を変えることにしました。氷川さんがRoseliaを大切に思ってくれているのなら、それでいいです。許します」

 

 そんな立派なものじゃない、とも言い返さなかった。揺るぎない信念があるわけじゃない。譲れない何かがあるわけじゃない。ただの贖罪だ。生まれてしまった罪を、償うだけ。

 

「氷川さん。『Neo-Aspect』の歌詞について考えたことはありますか?」

「ええ、勿論。答えを知るのは、湊さんだけですが」

「いつか、聞いてみてください」

 

 そんな恥ずかしいこと、できやしない。

 

「おーい、友希那連れてきたよー!」

「ごめんなさい。少し外の空気を吸っていたわ」

「時間にゆとりはありますから、問題ありませんよ」

 

 湊さんと今井さんが戻ってきて、会話が中断される。少し張り詰めた空気が弛緩して、宇田川さんが深く息を吐いたのが見えた。申し訳ないことをしてしまった。

 彼女の背中を軽く叩いて、立ち上がる。

 

 早くステージに立ちたかった。指先が熱を帯びている。

 私たちの前のバンドがステージに入ったところだった。入れ替わりでステージの袖に入る。

 指板をなぞり、フレットの冷たさに指を冷やす。

 

「湊さん。今日は、ライブの『熱』の話、わかる気がします」

「それなら、いつもよりも前に出て。普段は貴方が支えてくれているけど、今日くらいは一緒に走りましょう」

 

 平熱でライブをこなしてきた。ライブは楽しいし、感情が昂りもするが、しかしそれに振り回されることはない。私の思考は常に冷静で、テンポの意識やフレージング、仲間の音色に意識を割いている。

 

 今日はあまり、そういう気分にならなかった。いつもよりも少しだけ前に。昂る感情を吐き出して、ギターの音色を歪ませる。

 

 前のバンドの演奏が終わって、ステージ袖で入れ違う。落とされた照明の中セッティングを済ませれば、ステージの上からは面白いくらいに客席がよく見えた。

 

『6番、Roseliaです。よろしくお願いします。1曲目、「LOUDER」、続けて、「Neo-Aspect」』

 

 ギターソロイントロから、きっちりとなにかに嵌ったような感覚があった。あるべき立ち位置に立ったような、そんな感覚。LOUDERに、ほんの少しだけ感じ続けてきた違和感が払拭される感覚。

 アルペジオからオブリガードへ。

 そうだ、元は湊さんの曲ではないのだったか。湊さんが思うギターを書いたのでもなく、私を書いたのでもなく、湊さんの父が仲間だったギターを書いているのだから、その感覚に差異があるのは当然のことだ。LOUDERにとって本来あるべきギターを引き当てた感覚。

 

 前に出る。半歩だけ前に。湊さんと同じラインへ。

 

 自己主張がしたいのではない。ギターは顔で弾けと言うが、ここまで主張が強いギターを、今更顔なんかで語る必要があるだろうか。音だけで足りている。この指先が全てだった。

 Roseliaとはこういうものだ。Roseliaのギターとは、こうだ。それをひたすらに押し付ける。観客も全部、連れていく。

 

 観客の一人一人と目が合ったように錯覚した。私たちに向けられる数十、数百、数千対の瞳の全てと視線が交差したようにさえ思えた。

 

 後ろで弾けるドラム。振り返らずとも宇田川さんの表情が窺えた。

 いつもはここで主張を緩める。湊さんに委ねて、圧を増してゆくドラムスに任せて。

 

 今日は、譲らないままだった。2番まで走りきって、──ブレイク。

 ラスサビで跳ね上がる。追い立てるスネアとシンバルに、笑いながらピックを振り下ろす。

 熱に浮かされながら、思考は冴えていた。ハモリで音を外すわけにはいかない。

 

 曲が終わって、5秒間の沈黙。宇田川さんの合図で、ギターとキーボードが同時に入る。

 LOUDERの後でも、チューニングを戻さなくていいから楽だ。ドロップDのままイントロへ。主張は大きく。今度は白金さんの音が良く聞こえる。

 

 あっという間に一番を駆け抜けた。今井さんと目が合う。とうに緊張は抜けて、彼女も笑っていた。

 

 2番へ。刹那、湊さんが振り返った。

『きっと──』

 

 歌声が揺らぐ。錯覚か、と思った。私だけがそう聞こえているのか。

 総毛立つ。感情が泡立った。手が震えてやしないか。

 

『カッコイイ』ギター。宇田川さんの思うそれが詰まった曲の上を、駆け抜ける。オブリガードも、散りばめられたフィルも、一つ一つ意味を与えて拾っていく。

 走れ走れ、走らず走れ。染み込ませたテンポの上を、宇田川さんと足並み揃えて踏み鳴らす。

 

 ギターソロから、キーボードを強調するCメロへ移行して、最後のサビへ。

 

 ブレス。

 刹那の溜めが、一瞬の音の間隙を生んだ。そこに込められた感情の色を読み取れずに、終幕へのラストランが始まる。

 

 あぁ──どうしてこんなに、惜しい。

 この瞬間、時が止まれば良いのに。

 

 

 

 

 

『それでは結果発表を行います。「NIPPON ROCK FES」予選コンテスト、東京ブロックからフェス本会場へと進むのは──』

 

『──No.6 Roseliaと……』

 

 

 ♦

 

 フェスの予選を通過しても、何事もなく日常は進む。夏休み前最後の登校日も、朝から肌を焼く日差しの中、校門の前に立っていた。

 

「おはよう! サヨ!」

「おはようございます、弦巻さん。……その花束は?」

「ごみ拾いの手伝いをしていたら貰ったの!」

 

 大きな向日葵の花束を抱えた少女が目について、頭を抱えたくなった。人も物も、大きな面倒事だ。

 弦巻さんは弦巻グループ──旧財閥系の、日本有数の商業グループの主の一人娘だ。それだけならまだしも、本人もかなり破天荒な性格をしているからかなりのトラブルメーカーだと聞いている。私は数える程しか話したことがないが、確かにその言葉の端々からは地頭の良さと発想の飛躍、そしてブレーキのなさが窺える。

 

「授業を受けるのに支障がありますよね。黒服の人達に預けられませんか?」

 

 校門の外で様子を窺っているSPの人達の方を見ると、首を振られてしまった。ダメらしい。

 弦巻さんも振り返ってそれを見てから、もう一度私の方を見た。

 

「……生徒会室で預かっておきます。放課後必ず取りに来てくださいね」

「ありがとう、サヨ!」

 

 ずっしりと重たい花束を受け取って、どうしたものかと思案する。長期休暇前の最後の1日くらいトラブルなしにいかないものかと思うが、そういう日に限って面倒事が舞い込んでくる。年配の体育教師に笑われながら朝の挨拶を続けていると、ちょうど待ちわびていた顔が通りがかった。

 

「奥沢さん」

「はい!」

「弦巻さんの事なのですが」

 

 弦巻さんと同じバンドのハロー、ハッピーワールド。に所属している奥沢さんに、放課後に必ず取りに来るように念を押して貰うことにした。この花束、見たところ上手く作ってはいるものの、その場の有り合わせの材料で作られただろうことがよく分かるくらいには大雑把なものでもある。水を含ませたティッシュペーパーと輪ゴム、それとラッピングシート。なんなら半日後にでも萎れてしまいそうだ。

 

「……もしかして、その花束だったりします?」

「しますね。……生徒会室で放課後まで預かっておくので、もし弦巻さんが忘れていそうでしたら連れてきて貰えませんか」

「あー、何とかします。こころがすみません……」

 

 どうせなら引き取って欲しかった、と思いつつ、去っていく背中を見送る。向日葵の束ともなればそれなりに重量がある。生徒会室に持っていくにしても、どうしたものだろうか。

 

 今日は無理です、と身なりチェックの紙と校門を閉める係を2年の後輩に託して、花束を抱えたまま生徒会室へ向かう。

 

「失礼します」

「ひ、氷川先輩。それ、どうしたんすか……?」

「ああ、市ヶ谷さん。弦巻さんから預かったのですが、一日だけここに置かせていただいてもよろしいでしょうか。他に行き場がなくてですね……」

「良いですけど……すごい量ですね」

 

 生徒会室では市ヶ谷さんが一人で書類の整理をしていた。

 

「花瓶はありませんか?」

「花瓶……ペットボトルはありますけど」

「……まあ、あるだけいいです。あと、ハサミを貸していただいても?」

「その机の左の引き出しにあります」

「ありがとうございます。カッターも借りますね」

 

 2リットルペットボトルに入れようと思ったが、口が小さくて入り切らなかったので切って広げる羽目になった。切り口を綺麗に揃えて、水を汲む。ラッピングを丁寧に解いて濡れたティッシュを外すと、かなり雑な切り口が覗く。

 

 水の中で切り口を斜めに切りそろえ直して、花束をビニール紐で縛り直し、ペットボトルに突き立てた。これでとりあえず数日は持つんじゃないだろうか。

 

「……水切りなんてよく知ってますね」

「それ、ブーメランになりませんか?」

「あたしは盆栽とか好きなんで」

「私は……なんで知っているんでしょうね。もう忘れてしまいました」

 

 ペットボトルが向日葵の重さで倒れないことを確認して、手を洗う。

 時計を見れば、授業まであと10分。校門に最後まで残っていたら間に合わなかっただろう。

 

「市ヶ谷さんは、時間はいいんですか?」

「あ、やべ。……あの、この部屋の鍵、会長に渡して貰えませんか」

「構いませんよ」

 

 生徒会室を出て、鍵を閉める。

 授業開始の予鈴代わりのチャイムがなり始めていた。

 

「その、か、鍵、お願いします!」

「はい」

 

 階段を3階まで上がる。日菜も昔言っていた気がするが、学年が上がる度に苦しさが増えるのには納得がいかない。

 階段だけは膝に悪いし体力作りにもならないと聞いてから、なんとなく苦手意識がある。

 

 白金さんに鍵を渡そうと思ったら、教室に姿が見えなかった。終業式で仕事があるらしい。担任の諸注意を受けてから全校で集まって終業式を行ない、それで最終日の日程は終わりになる。結局鍵を渡せたのは解散直後だった。

 

「文化祭のステージに参加したい人は今日中に提出書類出しておいてねー」

 

 どうせ丸山さんは忘れているんだろうな、と思っていたら、教室に飛び込んでくるピンクの影が。

 

「みんな! 書類今日までだって知ってた!?」

「知っていたわよ、彩ちゃん以外」

「単独で、メインイベントとして扱ってもいいと言われたんですが……普通のステージの方が良いです、よね……?」

「それは、うん、もちろん! ──って、私が名前書くだけってこと?」

「提出先も目の前にあるものね」

 

 丸山さん以外名前は書いてあるし、提出先は生徒会だから目の前にいる。

 

「ああ、そういえば生徒会室に用事があるんです。白金さん、鍵を貸して貰えますか」

「丸山さんが書いたらそのまま私も行くので、少し待ってください」

「彩ちゃん、リーダーのところに名前を書かないでどうするのよ」

「ううぅ……全員私よりしっかりしてるんだもん」

「私は彩ちゃんがリーダーでいいと思うな」

「花音ちゃん……」

 

 ときめいているアイドルの背後から紙を抜き取って、リーダーのところに丸山彩と書きこむ。

 

「弦巻さんを待たせているかもしれないから、早くして」

「はーい……」

 

 テンションが上がったり、しょんぼりしたりと忙しない子だなと思う。松原さんと白鷺さんでちょうど北風と太陽のようになっているのも面白い。

 私と白金さんが教室を出る時にはもうバンド名の話をしていた。また白鷺さんに刺されるのだろう。

 

 生徒会室に着くと、弦巻さんたちの姿はまだ見えなかった。ペットボトルに突き立てられた向日葵は、まだ元気そうだ。萎れてはいない。

 

「サヨー! 来たわよ!」

「花束にまとめ直すので、少しだけ待ってくださいね」

「ええ!」

 

 向日葵を引き抜いて、切り口に濡らしたティッシュペーパーを巻き付ける。その上からビニールを被せて、ビニール紐で固定する。全体を束ねて、朝剥がしたラッピングを巻き直せば、一応元通り。

 

「ありがとう!」

「どういたしまして。奥沢さんが連れてきてくれたんですか?」

「いえ、自分で覚えてました」

「なるほど」

 

 弦巻さんに花束を渡すと、なるほど、絵になる。彼女にこれを渡したくなる気持ちはわからないでもない。

 

「サヨ、あなたって、前よりもずっと楽しそうよね」

「ええ、まあ」

 

 精神年齢が退行しているような気さえするくらいには。

 弦巻さんは何かを読み取ろうとするように私の目を見ていた。高い感受性を持った人たちの、こういう見透かすような瞳が苦手だ。見られたくないものまで見抜かれてしまうような気がする。

 

 徐に、弦巻さんが向日葵を一本抜き取った。

 

「あなたも一本、持っていて」

「弦巻さんが貰ったものでしょう」

「お裾分けよ!」

「こころ、氷川先輩嫌がってるって……!」

「いいえ、サヨも持っているべきよ」

 

 折れる気配がなかったので、渋々受け取る。

 家の玄関にでも挿しておこうか。

 

 弦巻さんは、私に何を見たのだろう。生徒会室から去っていく背中を見送って、丸椅子に腰掛ける。同情するような白金さんの視線が痛かった。

 

「……似合ってます」

「はぁ」

「向日葵の花言葉は、ええと、『憧れ』『あなただけを見つめる』、それと──『情熱』、らしいです」

 

 

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