月輪より滴り   作:おいかぜ

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《48》──to Solo

 

 最後だ。指先が強ばるのを感じて、右手を強く握りしめた。短く切り揃えられた爪は、手のひらになんの痛痒も与えなかった。

 

「Roseliaさん、控えのブースはあちらです。リハーサルの段階になったらお呼びしますので、案内があるまで待機お願いします」

「はい、よろしくお願いします」

 

 ここまで大きい会場で演奏するのは初めてだ。小規模な野外フェスなら何度か出たことがあるが、国内有数の大規模なフェスとなると現実味がない。いくらコンテスト枠とはいえ、アマチュアバンドが気安く立てるステージでないことは確かだった。

 

「さすがの紗夜でも緊張する?」

「そうですね。……いつも以上に緊張します。そう言う今井さんは、いつもより落ち着いているように見えますが」

「半分開き直ってるって感じかな。泣いても笑っても、本番1回きりだし」

「1回きり……そうね。たった30分。たった5曲。たった、それだけ」

 

 茹だるような日差しを天幕で遮る。夏の太陽に炙られた地面が、足元から熱気を立ち昇らせていた。

 

「ね、紗夜。アタシさ、やっぱり紗夜とバンド続けたいよ。紗夜にも譲れないものがあって、それでもRoseliaのことも考えて、色々悩んでくれてるのも知ってる。紗夜が抱えている事情がなんなのか、アタシは知らないけど……できることなら一緒に抱えてあげたいし、背負いたい」

 

 目を瞑る。真っ直ぐ向けられた想いに、不義理しか返せない自分が悲しくて、惨めだ。

 何度も発言を撤回しようと考えた。東京の大学を受けて、Roseliaを続けよう、なんて。──そうして、母の顔を見る度に思い出す。

 

 どうやったって、異物なのだ。家庭にとっても、世界にとっても。

 或いは、そう思い込みたいだけなのかもしれない。自分が救いようのないほど愚かな人間だということは、身に染みて理解している。

 この世界にも52Hzのクジラはいるのだろうか。彼と私を重ねるのも烏滸がましい話ではあるが。

 

「……すみません」

「──そっか。……こっちこそ、ごめんね。こんなときにいきなり、暗い話にしちゃって」

 

 外の様子を見てくると言って、今井さんが出ていった。その背中を見送って、湊さんが溜息を吐く。

 

「後にしようと言ったのに……」

 

 湊さんに託された曲も、結局白紙のままだ。仮題、ライオンハート。私には備わっていなかったらしい。さらけ出す勇気も、向き合う強さも。

 夜の雨の情景、快晴への憧憬を書きかけのまま、文字の上から一本線を引いた。内心には触れられないままに。

 

「……私があなたを誘ったときのこと、覚えている?」

「覚えていますよ。随分と買いかぶられている、と思ったものです」

「あなたはあまり、興味がなさそうだったものね。それでも私は、買い被りだったとは思っていないわ。FWFの結果は不本意なものだったけれど……私たちに審査員をねじ伏せられるだけの実力が無かっただけの事」

 

 訥々と零すように、湊さんが言葉を紡ぐ。一つ一つ思い返しては、染み込ませるように。

 

「私が一度揺らいで、今思い返せば酷いクオリティのままコンテストに参加して、あっさりと落とされて。けれど、あまり悪い気はしなかったのよ。あなた達とRoseliaを続けていれば、必ず辿り着くという確信があった」

「……ええ、そうですね。夏フェスにも出て、バンドの練度も知名度も遥かに向上して、指針も揺らいでいない。今度は問題ないと思います」

「……あなたなしでも?」

「ええ」

 

 素知らぬ顔で答えた。胸腔の痛みも無視して。

 

「あなたのギターも、変わったわ。最初は、当事者意識さえないような、透明なギターだった。あなたはRoseliaというバンドの半歩外に立っていて、片足だけを踏み込んでいるような状態だった」

「今は違うと?」

「自覚しているでしょう。あなたが演奏の中核を担うようになった。あなただけが合わせるのではなく、Roseliaの全員が互いに委ね合うようになった。あなたのトーンも、Roseliaの色になった」

 

 カッティングフレーズよりも、トーンを伸ばす表現の方が好きよ。と湊さんは付け加えた。

 

 それほど、変わっただろうか。振り返ってみてもよく分からない。Roseliaのライブの中で、主張を大きくしてきたことは自覚している。その方がRoseliaの曲が映えると思ったし、恐らくそれはバンドの共通認識だったからだ。

 しかし音が変わったというのは、心理的なものなのだろうか。どうにも、そういうニュアンスに聴こえる。

 

 絆されている、という自覚はある。

 私は元々受け身な人間で、好意を向けられるのに弱いことを自覚していたから、こうなるのも時間の問題だと思っていた。

 ビジネスライクに、なんて言ったって、そういうバンドをやったことがないのだから土台無理な話だ。だからわざと遠ざけていたというのに。

 

「言葉を尽くしたつもりよ。歌詞も、曲も、無意識に寄ってしまう。諦めるわけではないけれど、あなたが首を縦に振ってくれないのは、最早私たちでどうにかなる問題ではないんだろうという予感もある」

 

 湊さんが、ちらりと宇田川さんの方を見た。それから、白金さんに目を向けて、そして私に戻ってくる。

 

「私は、これ以上言葉を重ねるつもりは無いわ。最後の5曲。──たった5曲。それで終わり。あなたが意志を曲げなくとも、責める気はない。無理を言っているのは私たちだとわかっている。だから、せめて。──全霊で歌って欲しい。しがらみも全て忘れて、Roseliaの紗夜として奏でて欲しい」

「…………もちろん、言われずとも」

 

 リハーサル2巡前です、と声が聞こえた。宇田川さんがスタッフと数言話して、戻ってくる。

 張り詰めた空気が霧散して、そっと息を吐いた。

 間を置かずに今井さんも戻ってきて、目配せを交わした。

 

 言われずとも、最後までやり抜いてみせる。

 どうせ最後には送り出してくれるだろうという狡い打算が的中したことへの後ろめたさを振り払う。

 

「リハ、行きましょう」

「そうね。屋内で歌うのとは随分勝手が違うでしょうし、感覚を掴みたいわ」

 

 ゆっくりと鳩が空を飛んでいた。快晴とは言い難い、薄曇り。むしろこれくらいのほうが過ごしやすくて良いのかもしれない。

 

 いつもより時間をかけたリハーサルを終えて、挨拶回りを済ませる。

 

 今日の衣装はフェスということもあっていつもよりも軽装だ。シャツをベースにして装飾も抑えつつ、Roseliaの雰囲気を崩さないコーディネート。毎度の事ながら白金さんには頭が上がらない。

 

 フェスが開幕する。1組目のバンドがステージに立って、MCもそこそこに曲を奏で始めた。私たちと同じくコンテストから出演権を勝ち取ったバンドだ。

 コンテスト組とか、知名度が低いバンドは前の方に回されやすい。前座、或いはオープニングアクト扱いとも言い換えられるし、盛り上がりやすいタイミングに人気のバンドを持ってくる思惑との兼ね合いでもある。

 

「Roseliaさん、お願いします」

 

 30分間はあっという間だった。入れ替わりでステージに立つと、どこまでも広がる人の波。夏の風が吹き抜ける。

 自分たちが世界の中心にいるようにさえ錯覚する。初めてのライブ──文化祭ライブのときの感覚を、何十倍にも大きくしたような景色が、心臓を震わせた。

 

「初めまして、Roseliaです!」

 

 湊さんの声とともに、宇田川さんがエイトビートを刻む。近頃のメンバー紹介の恒例の流れだった。新たに作った練習曲に、好きなフレーズを乗せていく。

 

「ドラム、あこ」

 

『ONENESS』からの引用フレーズ。それからジャズのテイストを交ぜたリズムパターンに移行して、スネアとバス中心の表現に戻ってくる。

 

「ベース、リサ」

 

 今井さんが紡いだのは、初めて聴くベースラインだった。自作だろうか。湊さんらしさも感じるが、感性が似ているだけなのか判断に困るライン。近いのは、『LOUDER』? 

 

「キーボード、燐子」

 

『Ringing Bloom』からの引用。オルガンの強い主張は、Roseliaの色を分かりやすく伝えてくれる。

 

「ギター、紗夜」

 

 白金さんが結構激しいフレーズだったからどうしようかと考えて、その上に重ねることにした。『熱色スターマイン』のサビから持ってくる。

 

「ボーカルは私、湊友希那です。新人バンドの長ったるいMCなんか聞きたくないだろうから、あとは歌で語ります。──魂で受け止めて。1曲目、『LOUDER』」

 

 一拍、完璧なタイミングで『LOUDER』に入る。それだけで感じられる全能感。一切のズレもなく宇田川さんのドラムと重なる。

 今回のセットリストは『LOUDER』で始まって『Neo-Aspect』で終わろう、というのは比較的最初の方から決めていた。

 

 湊さんにとっては悔しい話らしいが、今のRoseliaの中で一番チカラのある楽曲は『LOUDER』だ。瞬間の盛り上がりにおいても、掴みにおいても、観客に与える印象においてもそう。湊さんの父が残したスコアを湊さんが完成させたこの曲を超えてこそ、胸を張れるようになる、と言っていたのを思い出す。

 そんな、原点でもあり火力枠でもある『LOUDER』を最初にぶつけて、前のバンドの残した空気を完全に拭い去る。会場をRoseliaが支配したのを、肌で感じていた。

 

 以前、コンテストで掴んだ感覚を忘れていない。湊さんを追い詰めるくらいに前へ。この曲のポテンシャルを活かすには、私が怖気付いてはいけない。

 

 ──ブレイク。

 毎度思うが、この一瞬のアカペラに湊さんのボーカルの凄まじさがよく現れていると思う。高音の張りと迫力。単独で与えるインパクトが大きすぎる。

 ただでさえハモリで歌っていても掻き消されそうになるくらいなのに、屋外ではそれがさらに顕著だった。

 

 曲の終わりに歓声が上がる。

 

「二曲目、『Re:birth day』!」

 

 白金さんのキーボードから始まる。視線が交わる。いつもよりも頻繁に振り返っている気がした。遠慮や躊躇からではない。メンバーの呼吸を掴むためだった。

 ほんの少し。ギリギリ違和感を覚える程度に、宇田川さんが走っていた。湊さんも気がついているのだろう、ほんの一瞬、振り返る。

 宇田川さんも自覚したようだった。テンポを戻すか考えたようだったが、少し走ったまま一定のところで安定させた。今井さんも白金さんもそれに合わせられているから問題は無い。むしろ、少し前のめりでちょうどいいくらいかもしれなかった。

 

『Re:birth day』は、一度Roseliaがバラバラになった後に書かれた曲だ。湊さんのための歌詞でもあるし、湊さんからメンバーに向けられた歌詞でもある。

 

隔てなく与えられた優しさが辛いよ

勝手な私 もっと思い知る

気持ちには向き合わずに

弱さを選び 目を閉じる

気付くのが遅すぎた事を

 

 笑みがこぼれた。自嘲だ。湊さんは、後悔を乗り越えて立ち上がった。

 ──では、私は? 

 此処で列車を下りる、私は。

 然るべき奇跡など起こりはしない。

 淀みない言葉など掛けられない。

 

 手放してはいけないものを、私はきっと手放した。

 

Ever, Ever, Ever, Ever, 苦しくても

Ever, Ever, Ever, Ever, 信じてるわ

進み

此処で成し遂げてゆく 未来

 

 此処で脱落することが名残惜しい。

 Ever──、湊さんが歌うメロディーにギターを重ねる。完全なアドリブ。後で怒られるだろうか。

 それはそれで、構わないと思った。

 

「三曲目、私たちの代表曲── 『BLACK SHOUT』!」

 

 キーボードイントロから、強烈に歪ませたギターで切り込む。

 今までのライブで、最も多く弾いた曲だ。初めて聴いたRoseliaの曲もこれだった。思い入れも一入。

 

 歌詞が眩しいと思うのは、もう列車をおりてしまったからだろうか。立ち止まってしまった自分を自覚しているから──叶えたい夢も、踏み出す覚悟もなく、ただ引き摺ってきた後悔と罪悪感の重みに耐えかねて立ち止まった。

 

 感情と思考に反して、指先は淀みなく動いた。いつもよりもメリハリをつける。音の強弱を強調して、曲の勢いを増す。

 この曲を歌う度に、今井さんの声が羨ましいと思う。低音域の深みというか、芯の入った感じの歌声は、湊さんともまた違ったタイプだ。

 

 意図を込めろ、というのは、憧れていたギタリストの言葉だった。音作りに、フィルインに、リフに、トーンに。感情でも意味でもなんでも、とにかく詰め込めと。

 未だに実践できているとは到底言い難いが、この曲に関してはある程度わかっているところも増えてきた。思考を張り巡らせる。

 

 縦の音がブレやすいから、宇田川さんの手元に自然に目が行く。先程の走りは鳴りを潜め、いつも通り楽しそうに叩く宇田川さんが戻ってくる。

 

 これで、3曲。あと、たった2曲。もう半分が過ぎ去ってしまった。

 時間に少しだけ余裕があるのはわかっていたから、湊さんがMCを挟む。チューニングがズレていそうなら挟んでも良かったが、特に問題がなさそうだからそのままにしておく。音を崩したくもなかった。

 

「残り二曲、楽しんでいきましょう。『R』!」

 

 そして、新曲。今井さんの特徴的なベースイントロから、湊さんの強烈なハイトーン・シャウトに繋がる、まさにフェスのために作ったような曲だ。

 またも歌わされるのは不服だが、ベースが前面に主張してくるのが面白くて好きな曲だった。

 

『R』だ。RoseliaのR、RoseのR。

 曲調といい、キャッチーさを意識しているようにも思えるが、その上で、『R』。

 

 折れない翼だなんて私に歌わせるのが、本当に皮肉が効いていると笑ってしまったものだが、決別の曲としては上等だ、と思っている。囚われる私を跳ね除けて、永劫絢爛であればいい。

 今井さんのベースソロから、ギターソロに引き継ぐ。練習のときよりも、ずっと弾みをつけて託されたような感覚だった。

 

「ラスト。私たちより、感謝を込めて。『Neo-Aspect』」

 

 白金さんが息を吸う音が聞こえた気がした。宇田川さんのスティックに合わせて、白金さんと同時に入る。

 ──歯車と時計。いつかの白金さんの言葉が過ぎる。彼女がこの曲に感じるイメージはそれらしい。歯車に関しては、今回の意匠にも取り入れられている。欠ければ回らない。引き留めない、なんて言っておいて、こういうことをするあたり強かだ。

 

 色彩豊かなドラムに、丁寧にギターを重ねていく。湊さんが大枠を考えて、宇田川さんと今井さんで肉付けした“氷川紗夜のギター”。

 指先は淀みなく、体感時間だけが加速する。カッティングは丁寧に。努めていつも通りのトーンを。

 

きっと悔しくって 情けなくって

涙したって 此処にいるよ

扉は開けておくから

 

 歌詞の意味を、と言われたのを気にしていた。自惚れでなければ、多少私のことを意識して書いてくれた部分もあるのだろう。湊さんの優しさと受け取るなら、心が痛い。

 

聴こえないフリをして 振り向かずにいた

感情に潰されないようにと

知らず知らずのうちに

飲まれてく意志 薄れだす

 

 感情ばかりで生きてきた。取り繕って、逃げて、耐えられなくなって吐き出して。寂しくなって、離れがたくなって、泣き叫んでいる。

 一貫性も何も無く、私は弱い人間だった。日菜にさえ、告げてはいけなかったのに。

 視界が歪んだのを、振り払った。指板を滑る左手に、神経を集中する。

 

 華美な装飾はいらない。先程と同じように、一つ一つに意図を込める。私のギターだ。私のためのギター。それだけで十分に、伝えてみせる。

 

きっと辛くたって もどかしくって

躓いたって 傍に居るよ

扉は開けておくから

 

 コンテストのときと同じく、湊さんの歌声が揺らぐ。

 たった3()()に気が狂いそうになるほどの情動を感じて、背筋が震えた。

 

 嗚呼、最後なんだ。まだ、まだ上れる。もっと高みへ。

 

 ギターソロ。気が付けば、湊さんがすぐ側に立っていた。目が合う。言葉を交わさずとも、通じ合った気がした。

 Cメロから、サビに入るまでの刹那の空白。今度こそ、時が止まった。

 

きっと─

 

 会場の全員と目が合ったように錯覚する。湊さんのブレスが、永遠のようにさえ感じられた。もう細かいことなんか考えていられない。完全に熱に浮かされていた。

 今までこんなに頭が沸騰したことなどなかったのに。オブリガードを正しく紡げているのかさえ、思考の外だった。

 

 生涯最高の演奏をしているのかもしれない。目も当てられないようなぐちゃぐちゃな演奏をしているのかもしれない。どうだって良かった。走り抜けられれば。

 

 音粒がシャボン玉のように弾けていく。

 もう、聴こえてなんかいなかった。音を見ているような感覚。自分の心臓の音しか聴こえない。

 

 ラストラン。コンテストの最後で感じたことを思い出した。

 これで最後だ。なんて、なんて惜しい。

 

 ──弾けた。

 

 曲が終わった瞬間、世界に色が戻る。息をすることを思い出したのは、ちょうどその時だった。

 巻き起こる歓声。弾かれたように宇田川さんが立ち上がって、スティックを取り落としたのが見えた。

 

『ありがとうございました。Roseliaでした!』

 

 歩み寄って、拾い上げる。そこでようやく、自分がスティックを落としたことに気がついたのか、宇田川さんがこちらを見た。黒のグリップテープが巻かれたスティック。宇田川さんの努力の結晶。

 

「紗夜さん、ごめんなさい」

 

 スティックを手渡した瞬間、宇田川さんの目から涙が溢れた。

 

「引き留めないって言ったけど、無理です。あこは……紗夜さんとバンド続けたいです。いかないでください。やめないでください。Roseliaにいてください」

 

 ステージを掃けながら、ごめんなさいと零し続ける宇田川さんの肩を抱いて歩く。どんな言葉を掛ければいいんだろう。私には分からない。

 

 熱が冷めていく。

 現実に引き戻されて、夢心地から脱する。

 

 

 ──ああ、終わってしまった。

 そこでようやく、心に沁みた。

 

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