月輪より滴り   作:おいかぜ

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《53》魔法

 

 文化祭のステージが始まる。結局、午前はほとんど風紀委員の見回りに費やしてしまった。合間合間に出店で買い食いをしたり、そもそもイベントの雰囲気を楽しんだりとそれなりに一人でも満喫したとは思う。ようするに、例年通りだ。

 

 朝の日菜との一幕を引き摺っていた。

 苛立ち。焦り。日菜がああ言ったということは、強硬策に出るつもりなのだろう。父と母に全てを伝える気なのか、何か他に大それたことをやるつもりなのか。

 

 私の秘密を誰かに告げ口することだけは、絶対にしないと思っていた。

 そうした時点で、私が一生日菜を信用しなくなることは明らかだし、日菜にそれが分からないとも思えない。

 

 私が日菜だけに抱いている特別な感情も、すべて消え去る。姉妹に対する好意とか、今まで培ってきた情というものも尽く無に帰す可能性だってある。

 

 ──今日のうちに死ねば。

 

 一瞬過ぎった思考を、かぶりを振って否定する。3度目があるかどうか、能動的に試す勇気もない。

 そういう機会が巡ってくれば一も二もなく飛び出すのだろうが、事故死にならない自死は私には選べない。

 

 当事者意識の欠如も甚だしい。

 私の根幹に関わる事象が、私を差し置いて進行し始めている。

 

 日菜。妹の名前を反芻する。

 こういう理由があって、好意を抱いている、という認識は好きじゃない。感情に原因はあれど理由や意味は必要ない、と思いたい。けれど私は他人からの感情に理由を求めてしまうし、私自身の感情にも理由をつけたがる。

 

 日菜を疎む理由が生まれてしまう。

 私の近くにいるつもりなら、閉じた関係のまま、2人きりでいれば良い。

 私から遠ざかるのなら、そのままどこへなりとも消えていく私を見送ってくれるだけでよかった。

 

 昼休憩の終わりがけ。ステージの準備はあらかた終わっていて、生徒が戻ってくるのを待っている手持ち無沙汰なタイミング。午後のトップバッターは、私たちが務めることになっていた。

 壇上で楽器のセッティングを終わらせて、ぼんやりと時間が過ぎるのを待っている。

 

「今更緊張しているの?」

 

 マイクスタンドの高さを弄ってはそわそわとしている丸山さんに声をかけた。何万人もの前で歌ったこともあるくせに、今更こんな、せいぜい1000人規模のステージでガチガチになっているのもおかしな話だ。

 

「パスパレのライブとは違うんだよ〜! 知り合いも多いし……」

「……確かに、失敗すると恥ずかしいわね。そういう意味では、私も緊張するかも」

「白鷺さんは大丈夫でしょう」

「わたしは……?」

「少し心配ね」

 

 水色のボディを撫でる。日菜を連想させる色合いが恨めしい。

 音楽もかかっていない体育館で、生徒たちの話し声が喧騒となってぼんやりと空気を震わせる。

 

 白金さんと目が合った。朝からにこにこと楽しそうにしている。なんだかんだ、文化祭でこういったステージに立つのに憧れがあったのだと言っていたのを思い出す。内気で寡黙だという印象が強いが、宇田川さん達との交流を見る限り白金さんはノリがいいしイベントごとで弾けられるタイプだ。

 

 弦を弾いた。

『Whiplash』。ベースがゆったりとしたテンポでそれなりに魅せられるソロを弾くには、ジャズが最も手軽だと思う。どうしても私はギタリストだからジャズへの造詣が深い訳では無いが、ベースを弾くようになってからは数曲程弾けるようになった。日菜のレベルと比べると聞くに堪えないものではあるけれど。

 

 すぐに何の曲かわかったのか、松原さんが乗ってきた。吹奏楽とマーチングの経験があるのだったか。ジャズを齧っていてもおかしくはない。

 技術はある方だと思うし、実際に今叩いているのを聴いていても付け焼き刃感は薄いように思える。

 楽譜も見ずによく叩けるものだ、と感心していたら、白鷺さんが私の隣に腰掛けた。

 

「『Whiplash』?」

「正解。女優だものね。知っていて当然という気もするけど」

「ちゃんと観たのは最近よ」

 

 元ネタ、というわけではないが、とある映画に使われて大きく知名度を上げた曲だ。その映画も名作と語り継がれているものであるから、そちらを経由して白鷺さんが知っているのも不思議ではない。

 

「ベースとドラムだけだと地味ね。白鷺さんは何か手慰みで弾ける?」

「ジャズは……クラシックなら少しなら。以前日菜ちゃんの練習に付き合っていたことがあったから」

「……ドラムが厳しいわね」

「いえ、私は弾かなくていいわ。どうせ、あと10分もしないうちに始まるもの」

 

 そう言って、今度は松原さんの方へと歩いてゆく。

 一通り弾き終えたあとは、単調なスケールをベースに変化を付け加えながらループさせる。

 そのタイミングで白金さんが鍵盤を叩いた。だいぶ改変されているが、ベースは『Ringing Bloom』だろうか。湊さんが白金さんを書いた曲だ。松原さんが即興で合わせてきたのに内心で舌を巻きながら、私自身も合流する。

 

 白鷺さんが座っていた丸椅子に、今度は丸山さんが腰掛けた。

 

「こんなときだけど、少し変なことを言ってもいいかな」

「……どうぞ」

「あ、もしかして、いつもの事じゃんって思った?」

「否定しないわ」

 

 思えば、丸山さんとこうして音楽が介在する場所で言葉を交わすのは初めての事だった。カラオケは別として。

 二年前、クラスが一緒になってから、彼女とは細々とした友情とも断言し難い感情を結んできた。クラスの中では仲がいい方だが、友人として仲が良いのかは怪しい、というような距離感。それくらいがむしろ、気安くて気楽だった。

 

「紗夜ちゃんとは、絶対このステージをやりたいなって思ってたんだ。去年は半分冗談だったけど、今年こそはって」

 

 紗夜ちゃんがベースになったのは計算外だったけど、と丸山さんは続ける。

 

「私の、アイドルになりたいって夢を、肯定してくれたの覚えてる?」

「ええ」

「あのとき、私に見えてる紗夜ちゃんと、本当の紗夜ちゃんって全然違うんだろうなって思ったの。この1年で沢山話してくれるようにもなったけど、紗夜ちゃんって自分の話はあんまりしたがらないでしょ?」

 

 話すほどの中身がないだけだ、とは言わなかった。

 

「パスパレで1年近くやってきて、音楽を通じて理解し合えることを知って──じゃあ、紗夜ちゃんとも、って思った」

 

 音楽を通じて理解し合える。それが全くの幻想でないことを、私は知っている。

 演奏の癖には、奏者の技量や思想、性格が大きく出る。もちろん、そこから読み取れるのはあくまで大まかな傾向レベルの話で、他人の歩き方からパーソナル情報を読み取れる、というレベルの与太話でもある。

 

 ただ、ライブをするにあたって練習を重ねれば、互いへの理解が深まるのは道理だった。

 要は、合作なのである。ひとつのライブを作り上げるにあたって、私のこの小節のこの音はこういう意図を持つのだ、と他のメンバーに共有していく。

 

 ただ1度のセッションよりも多くの情報を交わし合うし、音だけでなく言葉も尽くすことになる。

 

「私のこと、何か分かった?」

「それが、全然」

「……ダメじゃない」

「ううん、でも、逆に普段の紗夜ちゃんは結構、私に気を許してくれてるんじゃないかなって思ったの。私に色んなことを話してくれてたんだなって」

 

 あまり意味が分からない。

 私への認識を改めたということだろうか。音楽にも人格が表れないから、逆に普段の会話は人より気を許してくれた結果なんじゃないかと思うことにした、という意味か。

 

 このライブに込められた私の意図が薄いのは、私がベースに不慣れだからでもあるし、Roseliaへの後ろめたさを無くしきれていないからでもある。

 

 始めます、と生徒会役員の司会がマイク越しにアナウンスする。演奏がフェードアウトして、ブザーが鳴る。

 

「……そうね。あなたには甘いと、日菜に文句を言われたことがあるわ」

「甘い、かなぁ……?」

「さぁね」

 

 首の後ろを通したストラップの位置を調節して、ベースを手に立ち上がる。

 

『オープニングライブは、3年生即興バンドです!』

 

 バンド名はナシ。1度きりの即興バンド。そして恐らく、私にとっては高校生活最後のライブ。もしかすると、生涯最後の。

 

 ステージの前方へと戻ってMCを始めた背中を眺めながら考える。

 このライブで、私は丸山さんに報いることができているのだろうか。彼女の青春の一ページとして残る程度のものであればいい、とは思っている。

 もちろん、他のメンバーにとっても。

 

 アイドルモードと学生モードが入り交じってちょっといたたまれない感じになっている丸山さんに白鷺さんのツッコミが入って、笑い声が聞こえてくる。

 

「ベースは紗夜ちゃん! 私と千聖ちゃんにとってはなんかちょっと、妙な縁だなって思うよ。メンバーのお姉ちゃんと即興バンド組んでるんだから」

 

 校内でいちばん有名なバンドは恐らく、Pastel*Palettesだろう。地上波への露出も増えているし、メジャーデビューしているバンドは一般層への認知度においてぶっちぎりで強い。次点でPoppin’Partyだろうか。校内のイベントでライブをしたりもしているし、メンバー全員がこの学校の生徒なのも強い。ハロー、ハッピーワールド! も弦巻さんとミッシェルのことを考えれば余り変わらないかもしれないが。

 そういう意味で、Roseliaの知名度はあまり無い。学校に関わりがないし、インディーズバンドの中では有名になってきたとは言っても、所詮は業界の中だけのことだ。ライブハウスに通う女子高生がどれほどいるだろうかという話になる。

 

 手を振るようなこともせず、ぼうっとフロアを眺めていた。

 白金さんの紹介のときにも結構盛り上がったものだから、さすがに生徒会長ともなれば人望もあるのだなと変に感心してしまった。もう人見知りもだいぶ改善してきているんじゃないだろうか。

 

「1曲目はRoseliaから! 『BLACK SHOUT』!」

 

 軽くバンドの紹介をして、暗転。最初に『BLACK SHOUT』を持ってきたのは、ギャップによる盛り上がりを期待してのことだった。

 現役アイドルの丸山さんが歌うメタルロック。白鷺さんが奏でるディストーションの効いたストローク。面白くないはずがない。

 

 湊さんとの声質の違いが、何度聴いても面白い。丸山さんのフラットな歌声は、アイドルソングとポップロックのちょうど中間を歌うように調節されたような声で、そこから更にメタルに寄せるために声に硬さを持たせている。

 それでもゴシック・ロック分野において天性とも言える声を持つ湊さんとはやはり全然違って、必然的に『BLACK SHOUT』がポップロックに寄ったアレンジになる。

 松原さんの弾むようなドラムも相まって、上手く原曲からこのバンドに合ったサウンドに落とし込めている、と思う。

 

 白鷺さんはメタルロックも平然と弾きこなすから、ギターで原曲の色を残しつつメロディーは丸山さんの歌唱と白金さんのピアノのオブリガードでポップに。ドラムもそちらに合わせて、私のベースはスラップを多用して重く響かせるように。楽曲全体の調和が取れているとは言い難いが、バランスは保てるようにしていた。

 

 白金さん曰く、白鷺さんのギターは「氷川さんっぽいギター」らしい。最初の手本になったのが私のギターだからだろうか。初期はRoseliaの曲もかなり弾いていたと言うし、その頃の名残かもしれない。

 薬指を使わない私の悪癖は伝染らず、代わりにカッティングとトーンを重視する傾向は受け継がれたようだった。こんな私のギターでも誰かの糧になったのなら嬉しい限りだ。

 

 実際、1年前とは聴き違えるほどに上手くなった。ライブ中のパフォーマンスとか、魅せ方とか、そういうところを含めればもう私よりも上手いと言ってもいいんじゃないかと思いたくなるくらい。

 

 ──2曲目。『わちゃ・もちゃ・ぺったん行進曲』。

 丸山さんと松原さんのデュエットだ。よくもまあ、ドラムを叩きながら歌えるものだ。宇田川さんに対しても思っていたが。

 

 原曲にないピアノパートを作って、全体を調整する編曲を施している。ダメ出しされる前提で作ったものがそのまま採用されてしまったから、少し不安なところはあるが、そこはどうにでもなれと思うしかない。

 

 跳ねるような粒だった音色を意識して、弦を弾く。

 観客の反応は上々。よく目立つ弦巻さんは──楽しそうだから大丈夫か。

 松原さんを通して奥沢さんから抗議が来たらどうしようかと思っていた。というのはさすがに冗談だが。ここで文句を言ってくるタイプの人種なら私にアレンジを許しもしないしそもそも曲を使うことにいい顔をしないだろうから。

 

 練習よりもずっと、バンドの雰囲気が良い。

 このバンドのメンバーは良くも悪くもライブ慣れしていたから、練習の時点では変に高望みをしなかったというか、噛み合わない部分を修正して、失敗しそうな場所を調整する作業に終始した。つまり、現実的にライブのクオリティをあげるための練習ばかりしてきた。

 

 もちろんそんな練習を楽しんでいたが、流石に文化祭ライブ本番ともなると精神の昂りも違う。ライブのクオリティを損ねない範囲で各々が遊びを入れたり、観客にリアクションを返したり。

 丸山さんのファンサにきっちりとクラスメイトがノっている辺り、仲が良いんだなぁと微笑ましくなってしまう。

 

 そして、折り返しの3曲目、『しゅわりん☆どりーみん』。

 この曲自体はPastel*Palettesの初期からロックに寄せたりアイドルポップに寄せたりと弄り倒しているから、あまり新鮮味は無い。

 

 日菜のパートか、と思うと指に力が入る。

 技術も精神も遥かに及ばないが、弾き倒してきた曲だ。日菜の癖と、それから間近で見てきた今井さんの癖、それから、私の根底に媚びり付いて離れない『彼女』のベース。

 

 ()()はリズムを際立たせるよりも流動的に、メロディアスに弾くのが好きだった。私たちのバンドはスリーピースだったから、ベースの彼女がコードを弾いたり、リード寄りのフレージングをすることさえあったのも大きい。それを褒められたり、あるいは曲やバンドに合わないからと指摘されたりしていた。

 逆に今井さんはリズム重視で、スラップを多用したり、テンポコントロールに拘っていたりする。リズム感は特に優れている印象で、私の今にもブレそうな頼りないテンポキープ技術では参考にできそうにない。

 

 そして、日菜。白金さん曰く、「MMOなら下位ジョブから埋めていくタイプ」「スキルツリーを下から均等に埋めていくタイプ」らしい。言っていることは分からなくもない。

 日菜の努力とか、集中力だとかを目の当たりにする度に、やはり私は下駄を履いているに過ぎないのだと思い知る。音楽を芸術のひとつと定義しても、あるいは演奏をただの技術に過ぎないと貶めても、私には才能も根気も熱意もない。

 

 4曲目と5曲目は、流行りの邦ロックにしようと最初の方に決めていた。知り合いのバンドの曲を弾くという案もあるにはあったが、どうせなら観客のほとんどが知っている曲の方がいいだろうという意見が勝った。Poppin’PartyやAfterglow、もしくはMorfonicaの曲を本人の前で弾くイタズラに魅力を感じないでもなかったが、それはそれ。そもそも私は、Afterglowに対して1度同じことをしているから、今度はいい加減に執拗(しつこ)かったかもしれない。

 

 ──アイコンタクト。

 

 ぐるりと見渡して、全員と目が合う。

 一瞬、自分が本当に高校生であるかのように錯覚した。この瞬間を楽しんでいる自覚が、私を苛ませる。

 

「あと2曲だよ! 楽しんでいこー!」

 

 えー、という不満げな声。

 

「次はポピパが盛り上げてくれるから!」

 

 ハードルあげないでください、と市ヶ谷さんの声が聞こえた気がした。同じことを考えたのか、白金さんも苦笑い。

 

 イントロのベースソロ。4曲目は、丸山さんの希望で入れた曲だ。ベースパートが本当に難しくて、納得のいくレベルに仕上げるまでにかなり時間がかかった。などと考えている間にミス。どうにもずっと、集中しきれていない。

 

 白鷺さんの窺うような視線。大丈夫だ、と返して、前を向く。

 

 1度くらいはみんな歌おうよ、という丸山さんの提案を、今は恨めしく思う。

 1曲目は、全員のコーラスで。2曲目は松原さんが。3曲目は白鷺さんが。そして、この曲は私が。

 

 人前で歌うのは嫌いだが、歌うこと自体は好きだ。

 歌詞やメロディに心を誘導されるような感覚が心地好い。嘘をついているうちに自分でその嘘を信じ込んでしまう自己暗示のような現象を、歌にも見出している。

 

 丸山さんの歌い出しに次いで、息を吸う。

 

 ぐちゃぐちゃに感情が入り交じっていたのを、歌で塗り潰す。ポジティブな自己洗脳、歌がもたらす刹那の魔法。

 

 私はこのライブを、後からどう振り返るのだろう。それが酷く恐ろしかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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