文化祭ライブは無事に成功した。5曲演奏しきって、Poppin’Partyに引き継いで。それなりに上手くやれた、と思う。
「──紗夜ちゃん?」
「……ああ、ごめんなさい。ぼうっとしていたわ。何の話?」
ライブが終わったあとは、ずっと今朝の日菜の発言を気にかけていた。ステージが開かれている間は特に見回りもないし、後方のスペースに陣取って演目を眺めていればあっという間に文化祭が終わる。
「この後打ち上げに行こうって話をしてたんだけど……」
「いいわね。この5人で?」
「うん。日曜日だから混むかもしれないけど、予約すれば入れるかなって」
千聖ちゃんセレクトのお店だよ、と丸山さんが言っている間にも白鷺さんは予約を済ませたようだった。本当はファミレスでも良いのだけれど、と言いながらも、しっかり個室付きの店を確保しているあたりに日頃の苦労と気遣いが偲ばれる。
教室の片付けを済ませれば夕暮れ。生徒会の方の後始末が長引いて、白金さん以外の4人も手伝うことになったりして、なんだかんだと外は暗くなりつつある。
結局学校を出たのは7時前。調整せずとも夕食にはちょうど良い時間になった。個室に通されて、3人と2人で向かい合って座る。私が丸山さんと白金さんに挟まれる形になった。
「ポピパの演奏、凄かったわね」
「うん。でも私達も負けてなかったよ!」
「……そうね。思いの外盛り上がった気がするわ。丸山さんのコールも良かったと思う。ああいうのって大事ね」
「おお……いつにない高評価……!」
「Roseliaでも、あまり、そういうのはやりませんから……さすがアイドルだなって思いました……」
サラダを取り分けながら、最初に話題に挙がったのはPoppin’Partyのこと。自分たちのライブについてはもう既にある程度話したから、必然的にそうなる。
「戸山さんもMCで観客を巻き込んでいたわね。丸山さんを意識したのかしら」
「ああ、うん。文化祭なんだし、大胆にやってもいいんじゃないって言ったんだ」
「バンドの曲だけで盛り上げられるのは流石だよね。混成バンドにはない強さと言うか……」
「そこはさすがに敵わないものね」
個人的には、少し悔しく感じたのが意外だった。ベース担当であることに歯痒さを感じたと言うのが正確だろうか。ギターであればもう少し好き勝手やれたのに、と思わなくもない。
本番でのアドリブとか、身内ならではの周囲を巻き込んだノリとか、そういう部分では敵うべくもないが、ベースよりは遊ぶ余地があっただろう。
Poppin’Partyの話題から、各々のバンドの話題へと移る。
私から振る話題は、どうしても松原さんに対してのハロー、ハッピーワールド! に関するものが多くなる。Pastel*Palettesの内情はある程度知っているし、Roseliaのことは訊きにくい。最近少し関わりのあった弦巻さんや奥沢さんのことも含めて、松原さんの方に関心が向く。
「紗夜ちゃんは、大学でもバンドをやるの?」
「……やらないでしょうね。ギターを続けるかも怪しいわ」
「え〜! それは流石に勿体ないと思うんだけど……」
「一人暮らしになるだろうから、賃貸の状況にも拠るわ。楽器不可なんて珍しくもないだろうし」
ギターを続ける気はある。日菜とこのままの関係が続くのなら、ライブの約束もあるから、なるべく音楽に関わっておこうという程度の意欲は持ち合わせていた。
「それに、Roselia以外に入ろうという気にもならない。私にバンド活動が向いているとも思えないわ」
「向いていない、ということはないと思いますけど……」
これは本心。
こんな人間はもうまともにバンドなんて組むべきではないだろうし、やるにしても軽音サークルくらいだろう。
白金さんの前でこういう話はしたくなかったが、気まずくなるほど割り切れていないわけでもない。話題のひとつとして流す。
「Pastel*Palettesは変わらないとして、ハロハピは高校大学混成になるとスケジュールが難しそうよね」
「うん、でも大学生の方が暇だろうから、あんまり心配してないかな。ボランティア活動ができる範囲も広がるし」
大抵はこころちゃんがどうにかしちゃったりするけど、と苦笑。あのバンドの苦労人枠は奥沢さんだと思っていたが、松原さんも被害なしとはいかないらしい。
「パスパレも、突然日菜ちゃんが海外に進学するとか言い出さないかと少し心配だったのよ?」
「日菜に海外への憧れはなさそうだけど」
「飛び出していける能力はあるでしょう」
「海外ロケはしたいけどねー。日菜ちゃんとイヴちゃんに通訳してもらおう」
「……多分彩ちゃんは内容を歪曲して伝えられると思うわ」
「イヴちゃんはそんな事しないもん!」
「日菜ちゃんはするわね」
「それは、うん……」
家に帰るのにこんなにも気が重いのは久々だった。松原さんを最寄り駅まで送って、少し回り道をする形で帰宅する。
「ただいま」
家に入った瞬間の空気で、なんとなく察してしまう。日菜はもう話したんだろう。リビングを経由せずに自室に引っ込んで、制服から着替える。
両親に会う前に思考を整理しておこうと思ったが、日菜への恨み言しか出てこなかった。
何故。
失望と、苛立ちと、怒りと。
日菜を過剰に信頼しているのには自覚的だった。自分を見失ってはいないが、氷川紗夜としての人生を全て委ねてもいいと思えるくらいには依存していたし、両親絡みのことでさえなければ日菜の思い描いたシナリオの通りに操られてみせるのも吝かではなかった。
私を試したつもりなら、些か見当違いだと言わざるを得ない。
前世の件を抜きにしても、私は日菜を愛しているし、最大限に尊重したいと思っている。けれど私は未だ過去に囚われたままでいるから、何がなんでも日菜を許してあげられる訳でもない。
そんな私の内心を読み取れないほど日菜は愚かではないと思うが、では敢えて私に嫌われるリスクを背負って、信頼を損ねてまで何を望むのだろう。
私が理性と感情を切り分けられる人間だと勘違いしているのでなければ良いのだが。
わざと音を殺さずに階段を降りる。リビングに入ると、無機質なニュース番組を眺める父がいた。
「おかえり、紗夜」
「ただいま。母さんは?」
「部屋にいる。寝てるかもね」
「そう」
テレビの電源が切られる。父が立ち上がって、食器棚からマグカップを2つ、取り出した。
「少し、話をしようか。コーヒーは飲む?」
「……飲む」
インスタントコーヒーの香りが立ち込める。手渡されたマグカップの中身をティースプーンでかき混ぜて、テーブルの上に置いた。
「日菜から色々と聞いたよ。前世の記憶なんて荒唐無稽な話ではあったけど、少し納得できる部分もある。……改めて、紗夜から話を聞いてもいいかな」
本当に、日菜は1から10まで詳らかに話してしまったらしかった。一応用意していた言い訳は、もう通用しないだろう。母がいないのが少し気になった。顔を合わせたくなくなるほどにショックを受けていたのだとしたら、申し訳ない。
「日菜がどこまで話したのかは知らないけど、確かに私には物心ついた頃から自我があって、そして前世の記憶としか言いようがない記憶や知識を持っていた。……最初に恐れたのは、それが父さんと母さんに気付かれることだった。自分の子が、得体の知れない何者かに取って代わられていると知ればショックを受けるだろうし、私自身の保身のためでもあった」
「捨てられると思った?」
「どちらにせよ幸せな結果にはならないと思った。私なら、娘の人格を乗っ取った誰かを絶対に許しはしない」
思っていたよりも穏やかな状況で話しているのに、思っていたよりもずっとキツイ。18年背負ってきた罪を懺悔するのだから当然ではある。
「前世での名前は◼️◼️◼️◼️。◼️◼️県◼️◼️市に住んでいて、◼️◼️大学を卒業した社会人4年目だった。学生時代は今と同じようにバンドを組んでいて、仕事が忙しくなってそのバンドを抜けた後にしばらくして倒れたところまでは覚えてる。それで、気がついたらこの家で氷川紗夜として育てられてた」
コーヒーに口を付ける。まだ熱い。マグカップを持ち上げるときに、手が震えているのに気がついた。
「……出て行けと言うのなら出ていきます。関わるなと言うのなら縁を切ります。……償えと言うのなら潔く死にます。如何様にしてくださっても構いません」
父は考え込んでいるようだった。
「君は……あえて《君》と呼ぶけど、君は、自分のことを『前世の記憶を持った氷川紗夜』だと思っている? それとも、『氷川紗夜を塗り潰した◼️◼️◼️◼️』だと思っているのかな」
「分かりません」
「……そうか」
前世のままの人格ではないし、かと言って前世の記憶がある以上は純粋な氷川紗夜であるとも言えない。私はせめてもの抵抗として『記憶を保ったまま輪廻転生した』のではなく『前世の記憶を保持している/想起した』と表現しているが、どちらが正しいのかは分からない。
「俺や母さんにずっと遠慮があったのも、負い目があったからかな。何度か家を出ていこうとしていたのも」
「そうです」
父の感情が見えない。怒っているようにも、悲しんでいるようにも見えなかった。歳の重ね具合は余り変わらないとは言っても、社会経験の差は大きい。結局学生レベルでしかない私には、父の心の機微は読み取れなかった。
「
否定されなかったことを喜べばいいのか、償う機会を失ったことを嘆けば良いのか、私には分からなかった。
廊下から足音が聞こえて、母がリビングに入ってくるのがわかった。振り返ると、涙を流した痕が残っている母の、また今にも泣き出しそうな顔が見えた。
「……ごめんなさい」
「謝らないで」
背中から、椅子の背もたれ越しに抱きしめられる。こんな思いをさせたくなかったから、黙っていたのに。
「気がついてあげられなくて、ごめんなさい」
「私が騙していただけです」
「……やめて、その口調。紗夜、あなたは私の娘よ」
娘だと思っていた誰かが、自分達を騙していた。そういう結論に落ち着いてもいいはずだし、少なくとも両親に過失がないことは明らかだ。
けれど、こういう考え方をする人なのはわかっていた。
「このまま黙って卒業して、家を出ていけばいいと思ってた?」
「……うん」
「紗夜はそういう子だったね。……娘の苦しみを知らずにのうのうと生きているのも不幸だとは思わない?」
「知らなければ不幸じゃない……と思う」
「主観的にはね。結果として娘との信頼関係が築けていないのだから、俺にとっては不幸だ」
母が隣に腰掛ける。手は握られたまま。
「正直なところ、どういう言葉をかければいいのか分からない。どういう思いで紗夜が隠してきたのか、日菜がわざわざそれを明かしたのかも。ただ、なにがあったって俺は紗夜の父親だし、紗夜は俺の娘だ」
──だから、話をしよう。
そう続けられる。
「明日から俺たちの関係が劇的に変わるわけじゃないけど、今までよりもちゃんと紗夜に向き合いたい。だから、聞かせて欲しい。紗夜が何を感じて生きてきたのか。俺たちに、何を求めるのか」
両親の反応は、私の予想の範疇にあった。その中でも極めて悪くもなく、かと言って喜ばしいものでもない。
否定されたのなら、粛々と消え去れば良かった。私はむしろ、去り際に喜びさえ覚えただろうに。
肯定されてしまうのが、一番苦しい。私の身勝手な罪を、痛みとして背負ってしまう人達だから。
「言葉は選ばなくていい。本当の紗夜を教えてくれ」
「私は──」
こんな結末こそ、私が望まないものだった。日菜も、それは理解してくれていると思っていたのに。見誤ったのだろうか。
自分を曲げる度に、誰かを苦しめる。最初から、妥協なんてするべきではなかったのだ。世界中の誰にも、私の胸の内を晒すべきではなかった。こうして両親を苦しめているのも、私が日菜を信頼してしまったからだ。あの子が私の意図に沿ってくれるなんて思い込んでしまったから、こんなことになっている。
こんな蟠りを抱えて、今更私たちの関係が深まることなどあるのだろうか。
責任を感じているのだろう母の、縋るような手のひらをどんな感情で握り返せばいいのだろう。
やり直せるのか。歩み寄らなかった私に、今更そんなことが許されるのか。
なんと答えるべきか、つかの間迷って。
私はまた、浅ましく抵抗した。
「──2人を、本当の親だと思えていない」
私は今、どんな表情で口を開いたのだろう。