自分たちの演奏を聴き返しながら、友希那は溜息を吐いた。
やはり、夢を叶えるには代わりのギターを探さなければならない。
バンドのリーダーとして、そして父の復讐を考える身として、紗夜に拘泥したのは誤りだった。
父の音楽を引き継いで、フェスの場で父の音楽を認めさせる。最早それだけに執着しているわけではないが、依然としてそれは友希那の悲願だった。
今年もまた、夢は叶いそうにない。
ギターを欠いた今のRoseliaの音楽は、父の音楽の系譜であるとは到底言い難いものだ。その理由は精神的なものとかではなくて、単純にギターがいないから。
Roseliaとしては、今の体制でも構わなかった。燐子の表現力はフロントを任せても問題ないレベルであるし、ギターではなくピアノを採用したロックバンドというのも少なくない。だからこれは、友希那の個人的な問題だ。
一方で、やはり紗夜以外のギターを認め難いという感情が邪魔をする。
何故紗夜のギターに惹かれたのか。最早当時の感情も記憶も色あせてしまっているが、シンパシーと羨望があったのは間違いない。
音楽に父の後悔を乗せている友希那と同様に、紗夜もまた誰かを想って音楽をやっているように見えた。その上で、彼女とその妹のライブは驚く程に色彩に溢れていた。やがてその色は薄れてしまったが、紗夜に興味を持つきっかけになったのは事実だ。
後ろ向きな動機と、純粋な音楽への愛情を兼ね備えた彼女が、友希那の歩もうとしている道のりを照らしてくれるような気がした。
実際に、彼女は友希那以上にバンド活動というものを知っていた。レコーディングや物販、フェスに向けた準備など、Roseliaの運営に関する部分では特に頼り切りだったように思う。友希那が無頓着だった分、余計にそう感じるのだろう。
技術面でも1番頼れるのは紗夜だった。
Roseliaメンバーに圧倒的に不足していた経験を、紗夜に頼って乗り切った場面は多くある。前回のフェスの予選だってそうだった。
紗夜は憤っていたが、友希那自身、結成して半年程度のバンドがフェスの予選を通過できてしまうのも虫がいい話だとは思ってしまうから、こればかりは仕方がない。まして、バンド未経験者ばかりでのスタートだ。そんなに低い目標ではない、と確認できただけ良かったと思う。
それだけに、また失敗を重ねた。
紗夜を過剰に引き留めるつもりはなかった。
紗夜の家庭事情にまで踏み込む気は更々無かったからだ。友希那自身、まったく会話の無い家庭で暮らしているのだから、人にどうこう言える立場にない。
そのくせ、早々に紗夜を諦めて別のギタリストを探すこともしなかった。
正確には、数人の候補を見つけてもいたしある程度の交流もあったが、勧誘に踏み切ってはいなかった。
次を探してしまえば、紗夜を引き留められなくなると思ったからだ。
どっちつかずで迷った結果、どちらも失った。
今更、新しいメンバーを探そうとは思わない。必要に駆られれば別だが、友希那の個人的な願望のために今のRoseliaを崩してしまうのは嫌だった。
紗夜が改めて「抜ける」と言った日、友希那がメンバーの補充を考えていると言えば話は別だったかもしれない。心構えをする時間も確保できただろうし、紗夜の脱退についても引き留めない空気を作れたかもしれない。
だが、もう無理だ。フェスを目指す夢も、メジャーデビューを目指す目標も変わってはいない。けれど、友希那にとってのRoseliaはもう、使い潰せるようなものではなくなってしまった。
醜いところも弱いところも見せて、それでももう一度友希那の手を取ってくれた彼女達を思えば、Roseliaを軽んじるようなことは出来ない。
友希那が嫌っていたような馴れ合いそのものでもある。
今は練習でも意見をぶつけ合っているが、いずれはなあなあで済ませるような堕落したバンドになるかもしれない、という危惧はほんの少しだけ存在した。現に友希那は遠慮から、ギタリストを引き入れるという選択肢を除外してしまっている。人格面を無視した、Roseliaの音楽だけを考えるのならば、明らかなマイナスだ。
今日の練習の『Ringing Bloom』を聴き返す。
明らかに紗夜を意識したメロディライン。燐子が選ぶべき表現では無い、とは言ったが、少しインパクトを欠くのも事実。シンセにしろピアノにしろオルガンにしろ、後半の紗夜のようなメタルロックサウンドを表現し切るのは不可能だろう。楽器が違うのだから当たり前だ。
今の編成ならばゴシックさを押し出した方が余程、曲に深みを持たせられる。
友希那も未だ、そういう歌い方をしているのだろう。自分では表現を修正しているつもりでも、元の曲に合わせようとしてしまう。Roseliaが元のクオリティの演奏を取り戻すには、まだ少し掛かりそうだった。
──葛藤。
そうは言いつつも、答えは決まっている悩みでもあった。
結論を出すのに躊躇しているだけ。
父の背中を追いかけることはできない。ソロデビューの話を断ってRoseliaを取ったあの瞬間に、友希那はこれまで否定してきた「仲間と作る音楽」を捨てられなくなってしまった。
あくまで父の仇をとることを目指すのか、Roseliaの仲間と友希那自身の道を歩むのか。紗夜というギターがいた頃ならいざ知らず、今は二つに一つしか選べない。
♦
週明けの月曜日。通学のために家を出た瞬間にリサと鉢合わせる。
日曜日は燐子の学園祭もあって練習を休みにしていたから、会うのは一日ぶりだった。
「おはよ」
「おはよう、リサ。昨日は花女の文化祭に行ってきたのよね」
「うん。ステージも見れたし、楽しかったよ」
「紗夜を見に行ったんでしょう。納得はできた?」
「……それも、大丈夫」
そう、と気も漫ろに返事をした。
やはり意識しないようにしても気になってしまう。Roseliaを抜けたあとの紗夜が、一切の未練もなくステージに立てているのか、それともRoseliaのことを引き摺ってくれているのか。
文化祭を見に行く、とリサが友希那に告げたとき、リサは納得したいのだと言った。Roseliaの事など振り切ってしまった紗夜を見て、送り出した自分たちは間違っていなかったのだと思いたい。
気持ちはわからないでもなかった。ただ、友希那としてはやはり自分本位に考えてしまう。バンドリーダーとしての自分の判断は誤りだったと肝に銘じなければならないし、これから先の活動をどうするのか、練り直さなければならなかった。紗夜のことを考えるべきでは無い。
「友希那は、引き留めるべきだったと思ってる?」
「いえ。半端に引き留めるべきではなかったと思っているわ。Roseliaのリーダーとしては、代わりのギターを探すべきだった」
「紗夜以外認めないって言い出したのは友希那だよ?」
「ええ。だから、私は間違えたのよ」
リサに弱音を聞かせるつもりはなかったが、今更何もかもを隠し通したいような関係でもない。
「そっか。そうだよね。友希那のお父さんの音楽は、今のRoseliaには奏でられない。……どうしようと思ってるの? 紗夜以外のギターを改めて探す?」
「それも、今更受け入れ難いでしょう。どの道フェスには間に合わないのだし、それを乗りきってから考えるわ」
今のままのRoseliaでフェスに出ることは決定事項だった。もう書類は出してしまっているし、どちらにせよ時間が足りない。
四人だけのRoseliaであっても、コンテストを抜けられるだけの実力と知名度を備えている。友希那はそう確信していた。
「うん……アタシも正直気は進まないけど……それでも元々友希那の夢を助けたいと思ったからここにいるんだもん。少なくともアタシには遠慮しないで欲しい」
「疑ったことなんかないわ」
「えー、それは嘘でしょ。……それに、燐子やあこも友希那の味方だってこと忘れないでね」
生返事。フェスの舞台で自分がどんな感情を抱くのか未だ未知数である以上は、これ以上の計画を立てるのは無意味だった。
話を続けるつもりがないことを悟ったのか、リサが別の話題を振る。
「あ、昨日の動画上がってるよ。……彩達は大丈夫なのかな」
「さすがに版権やプライバシーに関する確認は入っているでしょう」
「いやでも、身バレとか……」
「紗夜や燐子がいてその辺を気にしないということもないだろうから、問題ないんじゃないかしら。気になるなら直接聞けばいいじゃない」
「そうだけどさー。まあいいや、彩のブラックシャウトめちゃくちゃ面白かったから聴いてよ」
リサにワイヤレスイヤホンを手渡されて、歩道の端を歩きながらスマートフォンの画面に目を落とす。荒い画質でも一応誰が演奏しているのかが分かるステージ。生徒の声やコールが混ざる中、慣れ親しんだイントロが始まる。と思った瞬間キーボードの色調が一転する。厳かなオルガンから弾むようなピアノに、バンドサウンドを残したままアイドルポップに表情を変える。
彩の歌い方もアイドルとしてのものだが、『BLACK SHOUT』に適合している。作曲者として勿論違和感を覚えはするが、確かに面白さが勝った。友希那の『BLACK SHOUT』を聴いて、受け止めて、噛み砕いて、アレンジして再出力されたのだろうこれは、友希那をしてすんなりと呑み下せる解釈だった。
「誰がアレンジしたのかしら」
「紗夜じゃないの?」
「……分からないわ」
「彩も千聖も音楽的な部分にはあんまり強くないって言ってたし、花音も普段は作曲やってないって言ってた気がするし、紗夜か燐子だと思うけどなー」
そうだとしたら、少しだけ残念だった。Roseliaメンバー以外からの所感を聞ける機会かもしれないと思ったからだ。
千聖のギターは紗夜に似ている、というのがリサの話題に挙がったことがあったが、友希那からすればあまり似ているようには思えなかった。
確かに影響を受けていることは分かる。紗夜が直接教導していた時期もあったというし、スタートラインは確かに紗夜に似たものだったのだろうが、既に紗夜にはない色も備えている。
「……ベースもかなり弾けているわね」
「嫉妬しちゃいそう。理不尽だよねー、あの姉妹」
リサのバイタリティと社交性も大概だ、とは思ったが、友希那は黙っていた。友希那には歌しかないが、友希那の周りには多才な人間が溢れている。
校門を抜けて教室に入ると、いつも通りの月曜日が広がっている。10分ほど余裕があったから、そのままリサと文化祭の話をしていた。
「あ、ヒナ」
「すごい顔色が悪いけど、大丈夫なのかしら」
「ヤバそ〜。アタシちょっと心当たりがあるんだけど……」
少しして教室に入ってきた日菜は、いつも通りの無表情だった。ただし、凄まじく顔色が悪い。隈ができているし、動きに精彩がない。
リサに心当たりがあるということはこちらも紗夜絡みだろうか、と考えながら、日菜の様子を見に行ったリサの背中を見送った。
氷川日菜という人間が、友希那はあまり得意ではない。と言うよりも、大抵の人間にとっては日菜は近寄り難い存在なのではないかと思う。
友希那から見た日菜には、実力主義と言うべきか、特筆すべき能力を持たない他者に対するいっそ冷徹なほどの無関心さがあった。それが持たざる者に対する差別感情なのか、努力をしないことへの侮蔑なのかまでは分からないが、自分が優秀な人間であるとは口が裂けても言えない友希那にとっては、どうにも近寄り難い。その割に、向こうからの印象は悪くないようだからバッサリと関係を切って捨てることもできないのだが。
そんなことを考えているうちに授業の開始時間になって、思考が打ち切られる。
授業を退屈に感じるのは、学問への関心がまるで無いからだろうか。内容に理解が及ばない、ということは滅多にないが、復習やテスト勉強をあまりしないのでテストの点数は芳しくない。本格的に進路を考える時期だが、正攻法で大学受験をすることは難しいだろうと思う。
そもそも、大学に進学すべきかどうかも迷っていた。就職を選ばなかった以上は進学した方がいいに決まっているが、学びを欲していないのに大学へ行くのも無駄な気がする。音大受験を考慮しておくべきだったか、と今更ながらに考えた。
昼休みになって、昼食を買いに購買へ向かう。考え事をしているから、授業時間は短く感じる。こういうところも集中力の欠如なのだろうと思うが、すぐに作曲や作詞の方向に思考が飛ぶのはどうにもならない。
階段を降りて2年生のフロアの踊り場に出たところで、見知った顔と鉢合わせた。
「……湊さん」
「こんにちは、美竹さん」
個人的な親交があるわけではないが、ライブハウスなんかでよく鉢合わせるからAfterglowのメンバーとは多少の交流があった。特に蘭に関しては、目の上のたんこぶ扱いされているというか、意識されているのを自覚していた。
「Roseliaは今年もFUTURE WORLD FESのコンテストに出るんですよね」
「ええ、そのつもりよ」
「あたし達も、出ることにしました」
「そう。お互いベストを尽くしましょう」
「……そんな余裕のある言葉が吐けないようにしてみせます」
「あなた達がどんなバンドでも変わらないわ。参加枠が3つある以上、そこに入れるようにパフォーマンスを発揮するだけだもの」
嫌われているというのとは違うと思う。人間関係が不得手な友希那は自信を持って断言できないが、ライバル感情という方が近しいように思える。
「参加枠が一つだけだったら、あたしに言い返すんですか」
「そうかもしれないわ。普段はあまり競い合うという意識がないけれど、コンテストともなればそうも言っていられないのだし」
購買へ向かうまでの短い道のりを、連れ立って歩く。友希那としては蘭の実力もセンスも認めていたし、穏やかに語り合いたいとも思うが、あまりそういう方向性には持って行けそうにない。
「紗夜先輩にも言っておいてください。無視できないようにしてやりますから」
「……紗夜は、出ないわ」
「は?」
「もう抜けたもの。元から、夏までという話だったのよ」
「じゃあギターはどうするんですか」
「今回はナシね。もちろん、だからといって落選する気は更々ないけれど」
更に言い募ろうとした蘭を余所に、混み合う購買の中に足を踏み入れる。毎回、この人混みにはうんざりするが、割高なコンビニで昼食を買う気にもならないから仕方がない。
「あの人、自分が抜けるの分かってた癖に『次の機会』とか言ってたんですか」
人混みから抜けると、不貞腐れたような蘭の言葉が出迎えてくれた。多分、深い意味はなかったのだろうと直感したが、それを告げると余計に怒りを煽りそうなことくらいは分かる。
昼食はいいのかと尋ねると、飲み物を買いに来ただけだと返される。元来た道を戻って、階段を登ったところで蘭が振り返った。
「不甲斐ない演奏をしないでくださいね」
リサがいれば、素直じゃないと笑うのだろうか。そんなことを考えながら、ひらりと手を振った。