月輪より滴り   作:おいかぜ

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《57》先に立たず

 

 コンテストの日は瞬きする間にやってきた。

 元々観に行くつもりはあまりなかったが、なし崩し的に心の余裕ができてしまったのと、羽沢さんからチケットを譲り受けたことから重い腰を上げるに至った。

 Afterglowもフェスを目指すらしい。美竹さんは湊さんに少なからずライバル意識があるようだったし、湊さんにとってもいい刺激になるんじゃないだろうか、と部外者としては簡単に考える。宇田川姉妹も同様に。

 

 私が抜けたRoseliaの再出発を見届けて感傷に浸ろう、という思惑が全くないとは言わない。燻る未練を振り払うきっかけにはなるはずだった。私を抜きに、私がいた頃以上の成果を出すRoseliaを見れば、自分の身勝手な願望を黙らせることができる。

 

 意外なのは、道連れが母になったことだろうか。

 

 日菜とは絶賛冷戦中である。

 両親に勝手に暴露したことを、私は許していない。両親が一切気にも止めなかったのなら寧ろ許したのかもしれないが、二人は私が思った通りに悩み、私への接し方に苦慮することになった。

 

 恐らく、最初は精神障害を疑ったのだろう。例えば統合失調症による幻覚や幻聴に思い込みが重なって、『前世の記憶』なる概念を生み出す可能性は否定できない。私自身も最初はそこから疑ったし、人間の認知なんて思い込みで如何様にも揺らぐことを知った──が、改めて日菜に告白したときに、その疑いを完全に払拭してしまった。

 

 両親も同様に私を信じてくれることにしたらしく、それから最初は前世の話をした。どこで生まれて、どんな風に育って、どんな人と出会って、何をしてきたのか。それから、私が紗夜として生まれてから、どんな風に世界を見てきたのか。母に、父に、日菜に、どんな感情を向けてきたのか。言いづらいことも全部話して、2人の私に対する理解が及ぶように努めたつもりだ。

 

 それから、2人と過ごす時間が増えた。私が今まで避けていた分と、2人から誘われるようになった分だ。

 週末に半日だけショッピングに行ったり、ドライブに行ったりする。特に日菜が多忙だから、その分私に構うというのもあるのだろう。

 

 日菜は今日もPastel*Palettesのロケらしい。

 羽沢さんからもらった招待枠は2人分で、その話をしたら母が行きたいと言ったのでこうなった。

 

 日菜との仲違いと言うか、日菜への失望は、思いの外深刻だった。

 思えば、この世界でたった一人、胸の内を吐露した相手から裏切られたのだから、この感情には正当性がある。

 可愛さ余って憎さ百倍とは実によく人間の心理を言い表した言葉で、私を思ってのことだ、という尤もらしい言葉と理性を総動員しなければ、心の底から日菜が嫌いになりそうだった。

 

 このたった1回の背信よりも、日菜が今まで私に与えてくれたものの方が余程大きい、と思う。理屈の上では。

 同時に、私が唯一踏んで欲しくなかった地雷を踏み抜かれたことへの憤りを無かったことにもできない。

 

 日菜を嫌うべきではない、というただそれ以外に、私の感情を縛ってくれる理屈は残っていなかった。

 

 日菜自身の遠慮もあって、今はほとんど日菜と関わりを持っていない。

 私がセッションの誘いを断ればそれ以上言い募ったりもしないし、そもそも私は自室にいることが多いから顔を合わせもしない。

 

 時間が解決するものだろうか。

 距離を置いているのは、日菜を嫌わないためだ。いつもの調子で接されると、感情が良くない方向に振れてしまいそうになる。

 

 日菜は何を考えているのだろう。

 

 

 結局、自分がやったことがどんな結果をもたらしたのか、日菜はほとんど正確に理解しているだろう。

 私と母、父との関係の変化だとか、私の心境だとか、その程度のことを日菜が理解していないとは思えない。そしてこれは私の所感に過ぎないが、日菜は人間関係に搦手を好んで使うタイプでは無い。もし私の置かれている状況が日菜の意に沿わないものなのであれば、次の手を打つなり、謝罪するなり、何らかのアクションを起こすだろうと思う。

 

 

 もちろん、いくつかの推論を展開することは可能だ。私に嫌われるのが目的だった可能性。私と両親の仲を修復するのが第一目標だったから、満足している可能性。既になんらかの企みの最中である可能性。挙げればキリがないし、どんな方向にも想像を膨らませることはできる。

 

「友達と来なくて良かったの?」

 

 入場待ちの僅かな間に、母がいまさらそんなことを言った。

 誘える友達がいないわけではないが、一対一で出掛けたいと思うような相手はいない。強いて言うなら──いや、母が来たいと言い出さなければ一人で来ていただろうと思う。

 そういう旨の返事を返すと呆れ顔。こういう反応を返されることも増えた。等身大のみっともない自分が、今になってようやく母にも見えるようになったということだろうか。虚飾であっても優等生で有能だった前の私と、どちらが母にとって価値があるのだろう。母は今の私と言うのだろうが。

 

「思ったよりも綺麗な会場でやるのね。普通のライブみたい」

「ライブハウスとはまた別だもの。あっちは小汚いところは小汚いし、クラブみたいになっているところもあるわ」

「へー。あの、前に行ったところは綺麗だったね。えっと、サークルだったかしら」

「彼処は若い女性が入りやすい箱にしたいらしいから、結構気を使ってるみたい」

 

 関係者席というわけでもなかったが、そこそこ前の方の良い席を与えられているようだった。数万人を動員するような規模のものでは無いから、入場待ちの時間も比較的短い。そこそこにコンテストの始まりの挨拶がなされて、1組目のバンドが出てくる。去年もいたバンドだろう、見覚えがあった。

 

「紗夜は、都外の大学に行きたいからバンドをやめたのよね」

「うん」

「それは、私たちから離れるためだったんでしょう?」

「それもまあ、そうだけど」

「じゃあ、またバンドを再開しないの? もう私たちから離れることにこだわる必要はないんじゃない? もちろん、大学でやりたいことがあるって言うんだったら応援するけど……」

 

 どう答えるか迷った。

 今のところ、もとより想定していた進路を変えるつもりは無い。

 

「前のバンド──Roseliaは次の目標に向けて動いているだろうし、今更戻るのもね。そうでなくても、志望校を変えるつもりはないかな。前にやり残した研究の続きもやりたいし、なんなら院に進学するのもありだと思ってる」

「それなら、好きにしなさい。わたしは応援しているから」

 

 文系院生というのもどうかと思うが、音楽のマーケティングに関する研究はかなり面白かった。一度社会人を経験した身としては、どうせ大学に行くならとことん学び尽くすべきだと思う。

 私が前世と同じ大学に拘泥するのは、その学部ではある程度学生の好きなように研究させてもらえることがわかっているからだ。前世で付いてくれていた教授はいないが、同じ分野を研究している人は所属しているし、良い環境であることは保証されている。大学によっては教授の研究の補佐程度しか許されないところや、そうでなくても研究テーマが大きく絞られるところも多いから、偏差値が高い大学の方が良い大学だと一口に言うこともできない。学歴や平均的な設備、教育の質という面では東大なんかには敵うべくもないだろうが。

 

 日菜は、どうするつもりなのだろう。今も私と同じ大学に来て二人暮しを敢行するつもりでいるのか。……無いか。

 

 フラストレーションが溜まる。今まで面倒な人間関係は切り捨ててきたから、こういうときに踏み込むことができない。いっそ、日菜を問い詰めるべきか。

 消極的で受動的。誰かが助けてくれると思っているのが私だ。

 

 人間関係なんて、お互いが繋ぎ止めようと思わなければ容易く解けてしまう細い繋がりに過ぎない。

 私が日菜に預けた信頼も、依存も、生きる理由も、全て塵のように打ち捨てられてしまった。かといってもう手を伸ばしてこなくなった日菜と、どうやって糸を紡ぎ直せば良いのだろう。

 

 手立てが分からないまま、危機感ばかりが煽られている。

 私が日菜に切り捨てられたのなら、それでもいい。けれど、日菜がまだ私を必要としているのなら、私はこの縁を繋ぎ止めていなければならない。

 

 

 ぼうっと考え事をしていたら、あっという間に一組目の演奏を聴き逃してしまった。

 

「話の続きだけど、紗夜は前のバンドに戻りたいと思わないの? わたしから見ても、夏フェスのときの紗夜は楽しそうだったから……」

「戻りたい、とは思うよ。でも私には、音楽だけで生きていけるほどの才能も、実力も、覚悟も無い」

 

 バンドのために行きたい大学を諦める、というのもそれはそれでおかしいと思う。

 

「挑戦する分にはいいと思うけどね。やり直しなんていくらでもできるんだし」

「前世で失敗して死んだのが私だよ。仲間たちについていけなくなって、焦って、もがいて、壊れて、心が折れて、よく分からない内に死んだ」

 

 だから趣味でいい、と言うとそういうものかと返される。

 

「今日ここに来たのは、私の未練を無くすため。自分のいないバンドが成功していたら、きっと、なんとなく冷めるでしょう? ……私の性格が悪いからかもしれないけど」

「性格が悪いとは思わないわ。むしろちょっと、安心する。紗夜はずっといい子だったからね、それくらい人間味があった方がいいよ」

 

 肯定されるのがむず痒い。

 母はあまり私に気を遣うようなこともせずに、むしろ無遠慮に接するようになった。

 ぽつぽつと前世の出来事を話題に出すようにもなったが、その時の態度もさながら、学校から帰ってきた子供に今日の出来事を聞くような態度で、過剰な共感もなければあくまで会話の種といったような様子。

 

 前世の記憶というよすがが、急速に薄れて遠ざかってしまうように感じていた。そして、それを悲しんだり拒んだりしていない自分にも気が付いた。

 今でも、何よりも大切なものではある。ただ、前世をひっくるめた「紗夜」が許されていく中で、前世を思い出の中に仕舞う事ができるようになった。抱き締めて眠ることもせずに、宝箱に仕舞っておけるようになった。

 

 依存からの脱却なのだと思う。

 前世を抜きにした自分の存在を、少しだけ許せるようになった。

 

「あ、Afterglow」

「言ってた知り合いのバンド?」

「そう。キーボードの子が日菜の後輩で、よく苦労を掛けているみたい」

「喫茶店の子だったかしら」

「うん、その子ね」

 

 完全に観客の側に立ってAfterglowの演奏を聴くのは恐らく初めての事だった。自分だったらどうするか、Roseliaと比較してどうか。そんなことを考えずに、美竹さんの歌唱を受け止める。

 コンテストの音響がしっかりしているのもあるが、やはり生演奏の迫力はイヤホンには出せないものだと思う。胸に響くドラム、足元から伝わってくるようなベース。霞みがちなボーカルも、美竹さんの声質故か全く楽器隊に負けていない。

 

 特別な思惑が働かない限りは、Afterglowは選考を通過するだろう。去年の私たちよりも余程評価されそうだ。

 

『Scarlet Sky』。美竹さんの落ち着いたボーカルと映えるギターリフが会場を包む。分かりやすく『Afterglowらしい』曲だと思う。ギターが2枚ある分、リズムギターに終始せずに分かりやすく主張してくる。

 

 4曲目。最後に放り込んできたのは、恐らく新曲だろう。繋ぐ空模様、とだけ言って、キーボードイントロに入る。Afterglowのキーボードの使い方は結構好みだ。もちろん曲には依るが、サビでオブリガートを入れて、分かりやすくボーカルを盛り上げる仕事をしていることが多い。イントロを除いて、あまり前に出てくることがないのはその役割を青葉さんや美竹さんが張れるからなのだろう。縁の下の力持ちというか、羽沢さんらしいと思う。

 

 美竹さんのハイトーンボイスが映える。美竹さんも、こういった曲調の方がボーカルが際立って良いような気がする。湊さんに関しても同じ感想を抱くあたり、完全に私の好みなような気もするが。これも最初に組んだボーカルが悪い。

 

「……高校生ってすごいのね」

 

 年寄りくさい感想だな、と感じてから、昔自分も同じような感想を抱いたことを思い出して黙る。

 

 羽沢さんと交流が生まれてからの1年を通してみても、Afterglowの演奏技術は目に見えて──或いは耳に聴こえて──向上していた。

 メジャーデビューを目指しているわけでも、これといって大きな目標があるわけでもないと言っていたが、そんな中で努力を続けられることは凄いことだと思う。

 

 幼馴染同士でバンドを組んでいると、必然的にバンドを通しての繋がりではなくて個人間での直接的な人間関係になる。つまり、同じバンドの誰々、ではなく、友達の誰々と同じバンドにいる、というような認識になる。

 演奏のクオリティを上げようと思ったら、仲間の演奏の粗を指摘していかないといけないわけで、そうなるとどうしても雰囲気は悪くなる。バンドを通しての人間関係なら割り切れるかもしれないが、友人に苦言を呈するのは難しいことだ。

 お互いに信頼関係が築けていなければ遠からず仲は悪くなるだろうし、具体的な目標が無ければ辛いこともあるだろう。

 

 極端な話、仲が良い者同士でバンドを組んでいるのなら、上手くならなくても楽しいのだ。技術が一定の水準を超えてしまえば、ある程度意のままに楽器を操れるようになるし、セッションそれ自体が楽しいものだ。ライブだって十分に集客できているように見えるし、苦もなくバンドを維持できる段階に来ているはず。

 

 もちろん、現状維持のままでは飽きが来る。──が、飽きないために努力するなんてことは無いわけで。

 水が低きに流れるように、易い方に流れるのは簡単な事だ。

 

 それこそAfterglowは、意識的にせよ無意識的にせよ、各々が繋がりを維持するために努めているのだろう。私が逃げ続けてきたことだ。

 私の前世のようにはならないし、重ねて見るのも烏滸がましい。

 

 そこから何組かの演奏を聴いて、バンド名をメモしておく。どうせあとからプログラムを見返せば名前は分かるが、こうしてメモしておかないと聴き返そうと思わない気がする。

 

「紗夜のバンドもあんな感じだったの?」

「前世の方?」

「どっちでも」

「Roseliaは、そうかも。音楽に関してはもう少し厳しいかもしれないけれど。前世の方は、あんなに品行方正じゃなかったかな。典型的な悪いイメージのバンドマンより少しマシって感じ。堕落してたし、不真面目だった」

「紗夜が?」

「まあ、うん。私も」

「えー、ちょっと見たいかも」

「やめてよ」

 

 日菜みたいなことを言う、と思ってしまってから、日菜が母に似たのかと思い直した。

 

 男癖の悪い顔と声だけの女と、典型的なバンドマンだったドラムと、コミュ障なベースと、ひねくれて拗らせた私。よくもまあ仲良しバンドなんかやれていたなと思うし、モラルにも欠けていただろう。

 

 2時間ほど聴いた中で、特に印象に残ったのは2組だった。Afterglowと、もう一つ。アコースティックギター2本にアコースティックベース、ドラムスという異色の組み合わせで駆け抜けていった4人組。バンド名を『SDG'z』と名乗りつつクジラの歌だとかヤンバルクイナの歌を歌っていたあたり、確かにロックン・ロールだなとは思う。会場も異様なノリと困惑に支配されていた。

 技術はあったが、審査員ウケは悪そうだ。個人的には、ああいう真面目にふざけた感じは好きなのだが。

 

 中弛みしてきたところで、次にステージに上がったシルエットを見て意識が引き締められた。Roseliaの番だ。

 

「紗夜がいたバンドよね」

「うん」

 

 ギターは無し。多分、今日出演するバンドの中ではRoseliaだけだろう。

 1曲目。知らない曲だ。エレキピアノを押し出した曲。今までのギターとオルガンの迫力で盛り上げるような曲調とは少し違って、スネア、タム、ピアノ、そしてベースでユニークなリズム表現で魅せるような曲。ジャズの文脈から引っ張ってきているのだろうか。あまり詳しくないから断言はできないが、湊さんの引き出しの多さには驚かされる。作曲についてはほぼ独学と聞いたのだが。

 

 2曲目。これも新曲らしい。今度はオルガンを使って、本来のゴシックロック調に戻ってきている。面白いのは、時折今井さんのベースがメロディを奏でていること。代わりに白金さんのオルガンがベースラインを叩くのだが──ああ、そうか。MiDDay-Moonで日菜がやったことを応用しているのか。付け焼き刃の私たちよりも余程楽曲に当てはめて昇華されている。ベースのコード弾きとピッキングハーモニクスを使って無理やりメロディーラインを厚くするのは苦肉の策なのだろうが、あまり違和感は無い。回りくどいことをする、とは思うけれど。

 

 ──そして、『Neo-Aspect』

 

 心臓が跳ねたのは、錯覚だろうか。

 

「紗夜?」

 

 イントロのギターがいない。8ビートを刻むはずのギターは、ゴスペル調のオルガンに取って代わられている。

 

 自分で振り払ったくせに、どうしてこんなに傷付けるのだろう。

 気持ちが悪い。

 

 心臓の鼓動が早くなる。

 焦燥、何か大切なものを取りこぼしたような喪失感。

 

 湊さんの歌声が、ぞっとするほど流麗に響いた。

 息継ぎをし損ねたような、胸のつっかえ。震える唇から息を吐いて、深く息を吸う。

 

 私が最初に作った編曲だ、と気がついた。ギターの部分をベースとキーボードに分けられているが、元になったのは間違いない。

 

 区切りをつけるために来たのだろう、と言い聞かせる。未練を無くすために来たはずだ。私の居場所なんて残っていないと、そう思い知るために。

 

 実際、前の2曲も、『Neo-Aspect』だって、曲として完成している。ギターを無くして、メタル的な曲調を排することになったのかもしれないが、湊さんの歌唱とキーボードの表現の幅で補えている。ロックオルガンなら、擬似的にギターサウンドを表現することだって可能だ。リズムギターも、ベースをピック弾きにして音を変えることであまり表現を損なうことなく補えている。もちろん、全く同一とはいかないが、そう在る必要もない。足すだけが表現じゃない。結果としてRoseliaは音楽性を変化させながらも、その質を下げることなく保ち続けている。

 

 だから、目論見通りであるはずなのだ。

 私は今、私という不純物を排したRoseliaの飛翔を目の当たりにしている。

 

 なのにどうして、こんなにも悔しい。

 

 前世で、私が居なくなったあとのバンドの演奏を見たことがなかった。その前に死んだからだ。きっとライブを見に行くこともできなかっただろうが。

 

 故に自分がどんな反応をするかは未知数だった。臆病で卑屈でクズな私のことだから、酸っぱいブドウよろしく言い訳を考えるのだろうと思っていた。言い訳をこねくり回して、冷めた振りをして、そうして自分を正当化する。

 

 あのバンドに、あのステージに私が立っていないことが、悔しい。

 

 否、前世ではこうならなかったのではないかと思う。あのときは、辞めるに足る理由があった。今回は、逃げただけだ。両親を言い訳にして、前世を言い訳にして。残れるなら残りたい、とは言わないようにしてきたが、それでも。

 

『Neo-Aspect』の歌詞の話を、白金さんがしていたのを思い出す。あのとき、彼女は「私」に向けたものだと言った。

 こんな状況になっても、きっとそうではないと思う。あれは湊さんからRoselia全員に向けられたもので、決して私個人に宛てられたものでは無い。

 

 けれど、今だけは。湊さんの視線の先に、私がいるような気がした。

 

 あっという間に約4分間を駆け抜けた。

 

 喪失感。

 たったの一曲で、私の世界は変わってしまった。

 

「未練は断ち切れた?」

 

 気遣うように、それでいて慰めるように母が言った。

 

 嗚呼、畜生。日菜が余計なことをしなければ、きっと私自身の感情からさえも逃げきれていたのに。

 今は、戻れる。大学を諦めて、東京へ残ろうと考えれば実現できる。私に優先順位の付けられない選択肢がある。

 

 ──馬鹿みたいだ。

 

 これが日菜の目論見通りなのだとすれば、人心掌握の才能があるなと現実逃避地味た思考。私が分かりやすいだけか。

 

「吹っ切れたよ」

 

 どうせついていけやしない、と呟いてみる。

 こんなに才能に溢れた彼女たちには、結局のところ無才の凡人である私はいずれついて行けなくなる。足でまといになる。

 

 東京の大学に進学して、Roseliaを続けたところでどうなる? デビュー出来ないまま新卒採用の流れに乗って就職をして、デビューの目もないまま潰れたのが前世だ。レーベルに所属したところで食っていけるかも分からない。大学在学中にメジャーデビューする? それができる可能性はどれほどあるのだろうか。大学3年で見切りをつける? それなら今回の焼き回しになるだけだ。少なくとも湊さんと今井さんは音楽の世界で生きていくと公言しているのだから、生半可な覚悟で彼女達について行こうとするべきではない。在学中にデビューできなかったとして、非正規雇用で食いつないでいく? それは不可能じゃない、と思う。だが、両親に顔向けできるのか、私が耐えられるのかはまた別の話だ。

 

 そもそも、こんな現実的な思考をしている時点で論外だ。

 今私は、諦める言い訳を考えているだけ。なんとか自分を正当化しようと、楽な方へ逃れようとしている。

 

 吹っ切れた。そう、吹っ切れた。

 自己嫌悪に塗れてこのまま、前に進めないでいればいい。どうせ繰り返す。繰り返すのなら、誰にも迷惑をかけずに一人で腐れば良い。

 

 Roseliaの後のバンドの演奏は、一切耳に入ってこなかった。

 休憩時間を挟んで、メモを見ながら今日の演奏の感想を話し合っている間も、何処か上の空だった。

 

 ここへ来たのは正解だったのだろうと思う。羽沢さんに、誰の根回しでチケットを譲ってくれたのか確認しなければならなくなったが。

 私にとってプラスになったのか、マイナスになったのかは分からない。母に前世のことを話すきっかけにはなったし、自分の愚かさをまた見つめ直すことにもなった。Roseliaへの感情にひとつの区切りをつけるという点でも、ひとつ進んだと言える。

 

 協議が終わって、審査員による結果発表が始まる。

 最初に、注意事項が繰り返される。

 コンテストに落ちたからといって音楽性を否定しているわけではないということ。講評が聞きたいバンドは後で残ってもらえば順番に対応すること。選考を通過したバンドには別で案内があること。

 

「それでは、結果発表を行います。3位通過──」

「2位通過、Afterglow」

「1位通過、Roselia」

 

 分かりきった結果だ、と思いながらもほっとしている自分がいた。

 SNSアプリを開いて、湊さんにメッセージを送る。「おめでとうございます」。これくらいは許されるだろう。

 

 歓声を上げる観客と、落胆する観客と、足早に会場を出ていく人達。

 残らなくていいの、と問う母に構わないと言うと、このままデートに行こうかと返される。日菜もそうだが、こういう優しさが嬉しくて痛い。

 

「服を買いに行きましょう」

「どうしてみんな私に服を買わせたがるの」

「あら、日菜だけじゃなくて友達も?」

「まあ、うん」

「スタイルいいものねー。身長はわたしに似なくて良かった」

 

 人の波に流されながら、入口へと向かう。警備員が立っているゲートに差し掛かったところで、紗夜、と呼ばれた気がした。

 振り返っても、知り合いの姿は特に見えない。

 

 自意識の肥大化もここまで来ると大概だな、と鼻で笑った。

 僅かに視界に過ぎった銀髪を、願望が見せた幻だと切り捨てる。

 

 昨年挫折したこの会場に、今年も後悔を置いてゆく。

 どうか彼女達の道が続きますよう。

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