コンテストの日、友希那はいっそ、清々しい気持ちで朝を迎えた。
悩んでも進まない状況から、ようやく進展が生まれる日だったからだ。
紗夜のこと、及びギターに関する悩みは1度棚上げして、4人でできることを突き詰めてきた。メンバーにはかなりの負担を強いたと自覚している。
燐子はまだ、オルガンを使った表現に元から触れていたからマシだっただろう。グリッサンドを多用する安易で効果的な表現から、ロックオルガンの最初にして最大の難所とも言える音作りまで、苦労はしただろうが順応も早かった。
あこには、ジャズを応用した表現を取り入れてもらった。これは、内容だけで言えばそう難しいものでは無い。アドリブ的な部分を増やせというのではなく、せいぜいが『それっぽさ』とか『意外性』を出すための、浅い部分だけ。4ビートや後ろノリのスウィング、それらをひっくるめたシンバルレガート。ただし、それらを付け焼き刃でなく普段の演奏のレベルに合わせようと思ったら、友希那が思う以上の努力を強いられたはずだ。ドラムは練習が全て。如何にリズムを腕に、足に、耳に、脳に刻み込むか。リズム感はあれど、普段と違うリズムの取り方を一から覚える必要がある。大袈裟に言えば、利き手と逆の手で箸の使い方を練習するようなものだっただろう。
そして、リサ。紗夜が入ってからは専ら指弾きをしていたところをピック弾きに戻して、それからもかなりの無理を言った。ベースでのコード奏法を取り入れてみる、という話から、あこにも言ったジャズ文脈の流用、ハーモニクスを使ったギターリフの擬似再現──これは没になったが──まで、友希那が新しい音楽性を模索している間に最も振り回されたのはリサだろう。
元の水準まで返ってきた、とようやく納得できたのが昨日の事だった。
「……ようやく、リベンジね」
「今度こそいけるよ。アタシ達なら」
「はい! あこ達がサイキョー! ですから」
「巴もいるけど?」
「負けません! ね、りんりん!」
「あはは……でも、簡単には負けてられないね」
心は凪いでいる。懸念もあるし、考えるべきこともある。それでも道が一本道で、そこを進むしかない段階に在れば狼狽えたりはしない。
去年と同じ会場、同じような手続きをして、同じ楽屋に入る。Roseliaの出番はかなり後だったから、早々にリハを終えてからは3時間近くの待ち時間が発生することになった。
観客席で演奏を聴きながら待つことにして、関係者席のフリースペースに4人で掛ける。
途中でAfterglowと鉢合わせたが、軽く挨拶をしたくらいでほとんど話もしなかった。モカが紗夜の不在についてリサと少し話していた程度。
「紗夜、見に来てくれてるのかなー」
「誰かチケットを渡したの?」
「ヒナが手配してるって」
「そう」
「まあ喧嘩中でヤバいらしいけど」
何となく、紗夜は来ないんじゃないかと思っていた。紗夜を欠いた自分たちの演奏を聴かせたくないだけなのかもしれない、と自分で思う。
今のRoseliaの音楽に、紗夜がどんな感想を抱くのか。友希那には全く想像がつかなかった。
『Neo-Aspect』を選曲した理由は、どうだったろう。
『LOUDER』を選ばなかった理由は、分かりきっている。今のRoseliaで表現し切るには難しい曲だったこと。いつまでも父の威光に縋るわけにはいかないという決別。
父の復讐としてフェスの舞台に立つのでなければ、『LOUDER』を弾く気は無い。
「ヒナちんと紗夜さんでも喧嘩するんだね」
「大抵ヒナがやらかしてそうな気がするけど」
「それは〜……うん」
「……あこも日菜と交流があるのね」
「なんか紗夜さんのことを聞きに行ってたら仲良くなって……」
やはり日菜のことはあまり分からない、と思う。友希那の見立て通りならば日菜は相当の他人嫌いだし、姉のことにも神経質だ。紗夜の知り合いだったとしても友好的に接してもらえる感じはしない。
それとも、案外懐いてくる人間には弱かったりするのだろうか。生徒会の後輩──つぐみとも仲が良いようだし、あこも歳上に好かれやすいタイプであると思う。
リサが言うには、Roselia絡みのことも一因として紗夜と仲が拗れているようだから、それだけは申し訳ないと思う。
同時に、日菜でも紗夜を翻意させられない程の事情とはなんだろう、と少し想像する。出来れば、彼女の力になりたかったと思ってしまうから、今も尚引き摺っていることにはなるのだろう。
リハーサルが終わって、観客が入り始める。もうしばらくすれば始まるだろう。
Afterglow以外の他の参加バンドは、ほとんどが知らないバンドだ。地域性の強いイベントならまだしも、全国から何百何千と応募が殺到するこのFUTURE WORLD FES.のコンテストは、当然日本各地のインディーズバンドが集まることになる。友希那は同業者の情報をそれなりに集めている方だと思っているが、それでもメジャーレーベルに所属しているバンドを優先的にチェックすることになるし、インディーズばかりを追いかけているマニア程詳しくはない。
数少ない例外が、1組目に出てきたバンドだった。去年もこのコンテストに出ていたバンド。講評の際にも一緒に残っていたから覚えている。オーソドックスなスリーピースバンドで、曲も爽やかさとか青春を押し出したような邦ロックの流行を捉えている。
良く言えば王道、悪く言えば没個性。
友希那は音楽に「戦略性」のようなものを積極的に用いたいとは思わないが、コンテストで勝ち残るためには工夫が必要である、ということくらいは理解している。
端的に言うならば、圧倒的な技術力乃至表現力を見せつけるか、独自性を持つということである。
王道さ以外に強みを持たないバンドは、既に出演が決まっているメジャーバンドや、他の自分たちより上手い同系統のバンドとかち合って潰される可能性も高い。
これはあくまでコンテストとしては、という話で、バンドをやる上でポピュラーな曲調を扱うことは強みにもなるから、やはり一概には言えないのだが。
1組目のバンドの演奏は、想像の範疇を出ないものだった。と言うと悪く聞こえるかもしれないが、期待値の通りの演奏であったとも言える。一番手としては卒ない仕上がりだろう。
2組目は、Afterglowだった。衣装を新調したのだろうか。いつもの黒のレザーをメインに赤のアクセントを入れたものから、黒をベースにオレンジのモチーフを加えたものに変わっている。
「こういうとき、頑張れ……! って思っちゃいますよね」
燐子がぽつりと言った。
「アハハ、分かる分かる。一応競い合う相手なのにね」
「いがみ合って蹴落とし合うよりは良いんじゃないかしら」
あこの姉もいるのだし、とは敢えて言わなかった。彼女の視線は自身が言うところの“カッコイイ”姉に釘付けになっていて、それを揶揄うのは憚られたからだ。
演奏が始まる。やはりギターサウンドの厚みと、時折挟まれるキーボードバッキングによるサビの盛り上げ方は単純かつ明快な効果を生む。Roseliaよりも軽く伸びやかな印象を作り上げるパーカッションが、サビの入りにトーンを変えることでやはりこれも盛り上がりに一役買ってみせる。Roseliaと比較して明確に差が浮き出るのは、そんな部分だった。
あとはもう、団結力の差でしかないのだろう。Roseliaではなし得ない、原体験の共有。同じ道を歩いて、同じ景色を見ているから、同じゴールへ辿り着く。出力される表現が同じになる。この一体感は容易に真似できないAfterglowの強みだ。
ボーカルひとつとっても、Afterglowはコーラスもハモリもかなり強く入れるから、やはり集団性というのが押し出される。
紗夜が友希那に、一人で歌うべきだと言っていたのを思い出した。友希那の歌でハモリ音源を作ってボーカルを厚くするべきだ、という主張。友希那はどうしても、ライブにおいて即応性が無くなるのが嫌だった。全てが全て生音で乗り切れると断言はしないが、極力そうした方が良い、というのが友希那の持論だ。
紗夜の主張も理解はできた。自分が歌いたくないというのが第一にあったのには違いないが、彼女はしきりにボーカルの優位性を薄めるべきでは無いと言った。積み重ねのある友希那がバンド内で1番歌が上手いのは当たり前のことだが、その純度を落とすべきではないという意味だろう。極端に言えば、上手い歌と下手な歌を混ぜるな、と言いたいわけだ。
客観的に見て、友希那のボーカルはバンドの武器になるくらいの質を備えていると認識している。相応のプライドも自負もある。だから、長所を尖らせるべきだという考えには一考の余地はあった。
(あなたのギターも
バンドは一人ではできない。歌うだけなら友希那一人で十分だというのに、わざわざバンドを組んでいるのはバンドとして成長していくためだ。1箇所を尖らせたところで意味はないし、長所を伸ばすにしても一極端になるべきでは無い。
それに、ギターとボーカルの両方ともを武器にできると思った。
今となっては無意味な思考だ。この4人でバランスを取りながら歩いていくしかない。
5人で歩く地図を作り、組み上げていた旅程を、4人のものに修正しきれてはいない。だから、まだ不足を感じてしまう。
Afterglowの番が終わって、他のバンドの演奏が始まったあとでも、思考に耽っていた。事態が進むことを歓迎していたはずなのに、共に列車に乗り込む道連れを置き去りにしたようなむず痒さがある。取り返しのつかない選択肢を、今度こそ選ぼうとしているような。
──Afterglowが羨ましい?
浮かんだ思考を、今度こそ鼻で笑う。
図星であっても、その方向へ進むべきでは無い。
RoseliaはRoseliaだ。仲良しこよしで繋がった仲ではない。友情を深めようとも、その友情を媒介するのは音楽であるべきだ。
「少し、外の空気を吸ってくるわ」
「アタシも行こっかな」
「いえ、一人にして」
「はーい」
そこまで深刻ではないと見て取ったのか、リサはすんなりと引き下がった。
実際、Afterglowの演奏のあとで心境を入れ替えたいだけだったから、大したことでは無い。入場証を持って、ホールを出る。ロビーには、同じく小休止を挟みに来ただろう人々がちらほら。電話をしている人もいるが、多くは水分補給や御手洗いだろう。
入退場手続きは面倒だったが、テラスなんかがあるわけもないので仕方がない。問題なく再入場できることはわかっていたから、ホールの外に出て外気に触れる。肌寒さと、乾燥した固い空気が身体を撫でる。
イヤホンを耳に挿して、スマホのプレイリストを探る。
最初で最後の、紗夜との『Neo-Aspect』。心の弱さから来る逃避や懐古ではなく、決別のために聴き返す。
あの日の情動を、友希那は今でも鮮明に想起できる。
紗夜のために書いた詞では無いはずだった。結果として
あの日、友希那は明確に紗夜へ向けてこの歌を歌った。そしておそらく、今日も。
歌い方も、表現も、あの日とはまるで異なるものになるだろう。ギターもなく、まるでバラードのような楽器編成で、絶大なインパクトをもたらすロックを奏でなければならない。
私にはそれができる、と友希那は思っている。夏フェスで、入道雲の奥まで突き抜けていくようにさえ思えたあの瞬間を、もう一度。
清らかな想いを綴れるほど、優れた人間性を持っているとは思わない。失望されるほどに自分勝手な人間だったし、結局最後まで紗夜を強く引き留めることもしてこなかった。
綺麗事を語るのはしょうに合っていなかった。
Afterglowのようなバンドであれば、もっと忌避なく引き止められたのだろうか、なんて考えることにも、意味なんてない。
友希那は全部、音楽で魅せてきた。
紗夜のギターに魅入って、自分のライブで紗夜を認めさせて。Roseliaというバンドは、常に音楽で語るバンドだったし、これからもそうあるべきだ。
紗夜を歌うのも、これで一区切りになるだろう。
友希那の心を掻き乱したあの、不器用で、ひねくれていて、生真面目で、努力家で、誠実で不誠実なギタリストへの、たった一つの意趣返し。
自分の歌が、紗夜の心にどういう方向の変化をもたらすのかは分からない。だが、揺るがしてやりたいと、そう企んだ。
友希那が紗夜のギターに惚れたように、彼女の心臓に友希那の歌を突き立ててやる。
そうだ、もとより言葉を尽くすなんて性に合わない。
友希那には他人より秀でている部分なんてそれこそ、音楽しかないのだから。
あまり長居しても心配される。そこそこに思考を打ち切って、今一度深呼吸をする。晩秋の冷たい空気が肺に充満して、ぶるりとひとつ身震いをする。
背筋を伸ばして、イヤホンを外す。柔らかく温かい空気の充満したホールに戻ると、思いのほか時間が経っていた。
「おかえり〜。誰かと話してたの?」
「一人だったわ。……どうして?」
「いや、やけに吹っ切れたような顔をしてたからさ」
「そう。……いえ、気にしないで」
次に出てきたバンドの演奏を聴きながら、ふと、日菜との会話を思い出した。魂に関する歌を歌っているから、それがトリガーになったのだと思われる。
『友希那ちゃん、魂って信じる?』
『魂?』
『そう。アニマ、プシュケー、ソウル、魂。生きた人間にのみ存在する21gの
『……考えたこともないわ』
『だよねぇ。ちなみにあたしは信じてるんだけどさ。もし魂という概念が実在するとして、魂に響く演奏ってあり得ると思う?』
『はぁ。よく分からないけれど、その《魂》が精神を司る概念なのだとして、心と何が違うのかしら』
『心は死んだら無になるじゃん? 魂は輪廻する。──死んでもなお忘れられないほどの演奏って、存在するものかな』
『貴方の答えは?』
『存在したらいいなぁって思うよ』
『……狡いわね』
今でも、日菜の暇つぶしの禅問答のようなものだと思っている。あの問いかけに大した意味はないだろう。ただ、日菜が提示した『魂に刻まれる演奏』には、ほんの少しだけ思いを馳せた。
死後とは言わずとも、他人の人生に爪痕を残すような歌を歌えたのならば。それは密かな偉業になるのではないか、と思う。
あの問答が、友希那になにか大きな影響をもたらしたかと言えば否だ。ただ、今ふと思い出しただけ。
紗夜に何か爪痕を残せたのなら、あるいは『魂に刻み込まれる演奏』となり得やしないか。そんな鼻で笑いとばすような刹那の妄想。
出番が近づいて、楽屋に戻る。衣装に着替えれば、自ずと気合いが入った。集中力も切れていない。緊張は程よく、思考はクリアに、モチベーションも十分。むしろ、滾っているくらいだった。
「行きましょうか、忘れ物を取りに」
「おおー!」
「……気が抜けるわね」
「なんでですか!?」
ステージ袖でしばらく待機してから、前のバンドが掃けるのにあわせて舞台に立つ。
ひとつ、息を吸った。
去年、友希那はここで夢破れた。
渾身の歌唱は、観客の声援は、けれど不適格として弾かれた。
ほんの少しの恨みと、父に関する憎しみと、大きな挑戦への高揚と、自負。
『Roseliaです。よろしくお願いします』
MCで話す事もない。案外、こういう部分も気にされているのかもしれないが、だとしても構わない。高尚で厳格な名門フェスだという振る舞いを崩さないのなら、今度こそ音楽で黙らせてやればいい。
3人のセッティングが完了したのを確かめて、軽くメンバー紹介から一曲目に入る。
一曲目も二曲目も、紗夜が抜けてから組み上げた曲だ。元々ある程度作り置いていたものを、今のRoseliaにチューンナップして仕上げた。ジャズの文脈を引き継いで少しだけポップに寄せたロック。続いて、ゴシック・ロックの路線を押し出した、燐子と友希那でフロントを張る曲。
セットリストを3曲にしたのは、納得のいくクオリティで出せそうなのがこれだけだったからだ。新しいRoseliaの新曲を2つと、紗夜がいた頃のものから組み替えた『Neo-Aspect』。
息を吸う。イントロのタイミングは友希那に委ねられていた。
左手をあげる。一切のブレなく紡ぎ出した声に、完璧に寄り添ってくる伴奏。いつになく力強さを感じさせる燐子のオルガンに、ああ、本当に翔べそうだと思ってしまった。
魂に刻む歌。
紗夜への感謝と、激励と、恨みと、寂寥と、そして思慕。
会場のボルテージを引き上げながら、あの日と同じ情動を連れて歩く。
入道雲の先へ、閉ざされたホールの天井を突き抜けて。
扉を開けておくと言っても、彼女が自らこの場へ戻ってくることは無いだろう。
迎えに行く、なんて言葉を掛けることもできなければ、攫いに行く勇気もない。
ここで永劫、道を違えるのかもしれない。
だから、八つ当たりだ。
この歌で揺げばいい。
少しでもあなたの心を、揺るがしてやる。
歌詞ではなく、歌で。この声で、この演奏で。
──ブレイク。
張り詰められたテンションが、弾ける。
会場の声援も、伴奏も遠く聴こえた。自分が張り上げた声が、どこまでも続いていくようにさえ感じて──残響。
『以上、Roseliaでした。ありがとうございました』
なんと言って舞台を降りたのか、嵩瞬の後には忘れていた。
3人が口々に感想を言うのに生返事を返して、それさえも良く聞こえていなかった。
心臓の高鳴りをおさめるのにしばらくの時間を要して、衣装から着替えたあとも上の空だった。
「お疲れ様、ありがとう」
「あ、戻ってきた。珍しいね、友希那がそんなに高揚してるの」
「少し、思うところがあったものだから。まだ本番では無いのだけどね」
忘れないうちに幾つか改善点と所感を話し合って、メモしておく。そうこうしているうちにすぐにあとのバンドの演奏も終わってしまって、結果発表の時間になった。
ホールの方に誘導されるのと同時に、審査員が壇上に上がる。諸注意のあと、審査委員長が重々しく口を開いた。
「それでは、結果発表を行います。3位通過──」
「2位通過、Afterglow」
「1位通過、Roselia」
勝って当然だとは思わなかったが、さりとて意外性もなかった。ただ結果を受け止めて、次に進めると安堵する。美竹さんにまた吹っかけられるのだろうか、とそこまで考えて、スマートフォンのバイブレーションに気がつく。何気なしに確認してみれば、紗夜からのメッセージ。『おめでとうございます』。
「あ、ちょっと友希那!?」
周りを鑑みる暇もなく、出入口の方へと抜け出していた。人の波に沿って、隙間をすり抜けて前へ。ロビーから低い段差を降りて入口へ向かうところで、浅葱の髪が見えた気がした。
「紗夜!」
らしくない。結局、自分の方が振り回されている。そう思いながら、思わず声に出していた。
直後、人波に飲まれて消えた影にため息を吐く。
貴方と──
打ちかけた返事を消去する。
メッセージを返すことも無く、既読のままトークルームを眺めた。