月輪より滴り   作:おいかぜ

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《60》代償

 

「はぁ? プロデューサーをつける?」

 

 予約していた事務所のスタジオでベースの録音をしている最中、呼び出しがかかって向かった会議室で開口一番に知らされたのがそれだった。千聖ちゃんとマネージャーが悩ましげな表情であたしを見ている。

 

「来春に大きなプロジェクトが控えているので、先駆けてプロデューサーを置いておこう、という判断らしいです」

「あたしたちにプロデューサーをつける意義は薄いって話をしてたんじゃなかったの?」

「そのはずだったんですけどね」

「『東京アイドルサミット』という大規模なアイドルドキュメンタリーイベントがあるの。そこに向けたテコ入れのつもりなんじゃないか、という話をしていたのだけど……」

 

 この人が配属される予定なんですが、とマネージャーからタブレット端末を渡される。東中野ナオ、というらしい。経歴を流し読みすれば、Marmaladeというアイドルグループに所属していたとの事。確か彩ちゃんの憧れの先輩もそのグループだったはず。引退ライブで号泣していた彩ちゃんは記憶に新しい。

 

 アイドルドキュメンタリーというからには、そういった縁も利用してエピソードのひとつにでもなればいいという魂胆なのだろうか。そのプロデューサーがあたし達に対して何処までの権限を持つのかにも拠るけれど、今は順調に伸びているパスパレの活動を阻害される可能性もある。余計な真似を、という以上の感想は浮かんでこない。

 

「それ、拒否できないの?」

「難しいですね。パスパレの存在感はウチでもかなり大きなものになってきましたし、それを受けての上層部判断ですから」

「なんのためにアイドル事業部長まで話を持っていったんだか……骨折り損じゃん」

「現場に近い人を選んできたのは部長判断だと思いますし、配慮はしてもらっていると思いますよ」

「もう少し頑張って欲しかったなぁ」

 

 悪い影響だけでは無い、というのも分かる。例えば、元人気アイドルなら関わりのある案件を引っ張ってくることも可能だろう。今でも千聖ちゃんが頑張ってくれてはいるけれど、千聖ちゃんは女優でしかないから音楽関係の案件を引っ張ってくるのにはかなり苦労しているはずだ。

 千聖ちゃんの負担を減らせる、という一点だけでプロデューサーをつける価値はあると思う。

 

 このバンドの命運を、唐突に出てきたよく知らない人間に委ねることに抵抗があるだけだ。

 

「話はそれだけです。もう少し細かい部分は白鷺さんに話していますし、本決まりになればメンバー全員に周知します。……今日2人に話したのは私の独断なんですよ」

 

 言うだけ言って、マネージャーは足早に去っていった。残ったあたしと千聖ちゃんが、顔を見合せて途方に暮れる。

 

「とりあえず、スタジオ戻っていい?」

「ええ。私もギターを持ってきているからお邪魔していいかしら」

「もちろん。ついでに今後の相談でもしよっか」

 

 スタジオのある別館へ戻って、少人数用の狭いスタジオに二人で入る。丸椅子に腰掛けて向かい合うと、いつもおねーちゃんとセッションしているのと同じ構図になる。……なんか精神がしんどくなってきた。いや、そっちはあとだ。たとえパスパレを全て放り捨ててでも許されたいと思っていたとしても。

 

「で、何か知ってるの? その人のこと」

「さっぱりよ。引退後はコラムニストとしても活動しているみたいだけれど、無料で読める範囲では可もなく不可もなくといった感じね。マイナスな部分は見えないけれど、なんとも言えないというのが結論かしら」

「プロデュース業というか、プロジェクトを主導する経験とかは無さそうだもんね。パッと調べた限りだけど。うーん、実績がないのは人間相性的にはプラスに働く気がするけど、トータルで見ると……いやまあ、この事務所の人よりはマシか」

 

 1番面倒臭いのは、自分のアイドル時代の成功体験を当て嵌めて無理やりパスパレを軌道修正しようとしてくること。所謂、無能な働きものパターン。

 次点で、無能な怠け者パターン。今までのようにマネージャーさえ通せば自由に動けるスタイルではなくなって、プロデューサーの裁可を得なければならなくなる以上、無駄に保守的なタイプだとパスパレの活動に蓋をされてしまう。

 

 度が過ぎた場合、排除することは可能だと思う。ただ、強引に動いた場合に歪みが生まれることは避けられないし、まして対象が彩ちゃんの憧れの一人となると、最悪あたしが孤立する可能性も考慮しなければならない。

 すべては彩ちゃんの匙加減になる。イヴちゃんも麻弥ちゃんも、究極的には彩ちゃん側に立つはずだ。千聖ちゃんだって、理性的にはあたしの方針に賛成していたとしても、感情的には彩ちゃんを優先したいだろう。グループが割れるよりは、という判断をする可能性も。

 

 ……こんなことを考えてるからダメなんだろうな、という自覚はある。おねーちゃんのことを散々言ったが、人間関係で言えばあたしの方が余程酷い。

 

「情報無しかー。いずれ轡は握られるとは思ってたけど、早かったね」

「そうね。でも、頃合いではあると思うわ。メディアへの露出も増えたし、活動の規模も大きくなった。その上、私たちは大学生になるでしょう? 活動範囲も広くなるし、そうなればもうすぐ成人よ。……普通に考えればこんなに独立した権限を与えられているのがおかしかったのだし、軌道に乗せられるまで自由に出来て良かったと思うしかないわね」

 

 一応アイドル時代の情報は探っておこう、とだけ心に決めて、ベースを握り直す。過剰に探って先入観と偏見を育てるのも馬鹿らしい。あたしの予想を超えて優秀な人が来る可能性だって高いのだ。大人が皆あたしよりも優秀だなんて幻想はとうに捨てたが、それでも芸能界を生き抜いたアイドルなのだから、秀でた部分の一つや二つは必ず持っている。……そう信じたい。

 

「それで、日菜ちゃんは……レコーディングをしていたの?」

「そう。あたしの個人チャンネル用のやつ。千聖ちゃんも出る?」

「匿名でやっているんでしょう?」

「まあ明言してないだけでバレてるけどねー。途中からはあんまり隠してないし。……というかチャンネル名で検索したらあたしとおねーちゃんのライブ出てくるもん」

 

 動画投稿はそこそこの頻度で続けている。パスパレの方の動画投稿はいちいち企画を考えたり、スケジュールを合わせてセッションをやったり、詳しく権利関係を調べてからじゃないと動けなかったりと手間がかかるけれど、あたしの方は自由だ。練習のついでにスタジオを借りて一気にレコーディングして、撮り溜めた分をぼちぼち編集して投稿するだけ。あとはたまに練習講座をやったりするくらい。

 

 チャンネルの規模も大きくなったし、生配信もしてみるべきか、と思うけど、そんな矢先におねーちゃんとこんな状況になったのでそれどころでは無い。

 

「パスパレファンサ回としてやろうよ。前につぐちゃんともやってるし、問題ないって」

「……構わないけど、何の曲をやるの?」

「千聖ちゃんが好きなのでいいよ」

「そうね──って、歌も入れるの?」

「え? うん、入れたり入れなかったりかな」

 

 千聖ちゃんも案外乗り気だった。あたしのチャンネルの動画一覧を開いて被りがないかを吟味している。

 歌を入れることには少し躊躇したようだったけど、今更だ。なんなら数万人の前で歌っている。

 マイクの準備をして、レコーディングの準備を完了する。映像と演奏は同時に撮るけど、歌は別録りだ。その方がのちのち楽だから。

 

「曲はパスパレのものの方がいいのかしら」

「新鮮味がないんだったら版権曲でもいいよ。ドラムも音源作るから規約上も権利も問題ないし」

「じゃあ──」

 

 

 


 

「ただいま」

 

 帰宅が憂鬱だと感じるのは、今までに経験のない感覚だった。

 おねーちゃんに会うのが恐ろしい。自業自得で、あらかじめ予想がついていた事態であるとはいえ、怖いものは怖い。

 

 両親に告げ口をしたことは、後悔していない。嘘。後悔はしている。

 想定通りに後悔している。両親の対応も、おねーちゃんの変化も、あたしが予想していた最悪の展開になることなく、むしろ期待していたよりも良い方向に動いている。目論見は現在進行形で成功している。

 

 お父さんは、おねーちゃんとの距離感を特に変えることも無く、ゆっくりと向き合うことにしたらしい。お母さんは真逆で、おねーちゃんに執拗いくらいに構うようになった。純粋な好意と慈愛から来る行動をおねーちゃんは受け止めるだろうし、2人の関係は良好に見える。

 

 おねーちゃん自身は、意外な程に落ち着いていた。

 お母さん達が前世のことをなんでもないように受け止めて、あたしから離れて、おねーちゃんは1度フラットに戻りつつあるんじゃないかというのがあたしの予想。前世を特別視する感覚が薄れつつあるように、あたしには見えた。

 

 前世への感情とか、自罰感情とか、自己肯定感の低さとか、そういうおねーちゃんの負の感情は、なんだかんだとおねーちゃんの心を動かす動力にはなっていたんだろうと思う。あたしがゼロの方向に引っ張っていくこともあっただろうし、逆に前世の話が出来る相手がいたことがマイナス方向への動力になりもしただろう。

 

 それと、Roseliaのことは少なからずおねーちゃんにダメージを与えたはずだ。

 FWFのコンテスト。おねーちゃんが抜けたバンドのライブ。前世の話を聞くに、おねーちゃんを揺さぶるこれ以上ないシチュエーションだろうと思っていた。

 自分が抜けたあとのバンドがどうなったのか。おねーちゃんはしばしば気にしていた。抜けた後悔であったり、前世への未練でもあったのだろうと思うけれど、結局Roseliaでも同じことをしている。

 

 まあ、だから、自分を欠いたバンドの演奏を観て、心が動かないはずはない。それがどんな方向に作用するのかまでは確信が持てないけれど、おねーちゃんがRoseliaを抜けるに至った理由を排除した今、未練とか後悔といった方向へ向くのではないかと推測できた。

 

 

 こんなに上手くいくのなら、もっと早くあたしが両親に色々と暴露していればおねーちゃんはRoseliaを抜けることなしに活動を続けられたんじゃないかと思ってしまうが、そこは後の祭りというか、あたしだって万能じゃない。こんなあたしばっかりリスクを負う選択肢を選びたくはなかった。

 

 こうなってしまったのは仕方がないから、あたしが今打っておける最大の布石は、おねーちゃんにRoseliaへの未練と後悔を刻んでおくことだ。

 

 Roseliaは今後、フェスを経由してから、明確にプロとしてメジャーレーベルに入るだろう。

 そしてそれも、おねーちゃんが前世でやり残したことだ。

 

 酷いことをしている。おねーちゃんから預けられた信頼を悪用して、おねーちゃんの苦しみを助長して、おねーちゃんをあたしの望む方向へ誘導しようとしている。

 

 上手くいけば、2年程度でRoseliaが軌道に乗って、おねーちゃんにコンタクトを取れるんじゃないかと思う。

 断る理由を砕かれて、自分の未練と後悔に苛まれ続けて、おねーちゃんはなおも首を横に振るだろうか。

 その辺のフォローがあたしにできるかは怪しいところだから、Roselia自身に頑張ってもらうことになるかもしれないけれど。

 

 手を洗って、自室で着替えて、すぐにリビングへと戻る。時間的に夕食はできているだろう。先に食べておいて欲しいと言ったから、今日の夕食は気まずくないはず。おねーちゃんは部屋で勉強だろう。学力的にはぶっちぎりで余裕なはずなのに真面目だ。

 

「おかえり、日菜」

「ただいま〜」

「ご飯は冷蔵庫ね」

「はぁい」

 

 夕食は──これ、おねーちゃんの趣味っぽい。ささみと紫蘇とごまときゅうりの和え物とか、お母さんだったら出来合いのもの以外買ってこない気がするから、二人で作ったのかな。メインのハンバーグは週末でテンションの上がったお母さんがセレクトして作ったんだろう。

 

「お父さんは?」

「紗夜と部屋で映画観てるよ」

「うぇー、珍しい」

 

 予想、外れ。家族サービスパターンか。

 

「何観てるの?」

「グリーンブックらしいわ」

「コメディとかじゃないんだ」

「映画で笑ってる紗夜が想像できないわね」

「それは、うん」

 

 ソファに座っていたお母さんがあたしの向かいの席に移動してくる。インスタントコーヒーを煎れたと思ったら砂糖をドバドバと突っ込んでいる。いつもはブラックで飲んでいたりするんだけど、珍しい。

 

「わたしがこんなことを言うのもなんだけど、紗夜と仲直りしなくていいの? せっかく日菜が家族のために動いてくれたのに、こうなっているのは心苦しいわ」

「話はしなきゃな〜、と思うけど、謝るのもなんか違うんだよね。あたしはおねーちゃんが嫌がっていることもわかってて、おねーちゃんからの信頼も全部裏切って確信犯的に動いたわけだからさ。反省してますっていうのもおかしくない?」

 

 許して欲しいのは事実だけど、許しを乞うのは傲慢な気がする。そもそも、後悔はしているけど反省はしていない。

 

「わたしもお父さんも、できる限りは協力したいと思っているんだけど……」

「や、それはいいよ。1回話せばなんとかなると思う、し──」

 

 と言っている間に、おねーちゃんがリビングに入ってきた。いつもの無表情。何を考えているのか、あまり見えない。

 

「日菜、帰っていたのね」

「うん」

「食事が終わったら私の部屋に来なさい」

 

 声色からも一切の感情が排除されていて、ちょっと、というか物凄く恐ろしい。今すぐ縁を切ると言われてもおかしくないような凄みがあった。

 お母さんも同じ感想を抱いたのか、少し慄いたように、それでいてあたしを心配したように見つめてくる。

 

 すぐに自室へと戻って行く足音を確かめてから、お母さんがあたしに言った。

 

「……本当に大丈夫?」

「やばいかも」

 

 夕食を食べ終えて、洗い物をしようとしたらお母さんが代わってくれた。心の準備をする時間が短くなった。

 

 仕方がないから覚悟を決めておねーちゃんの部屋へ向かう。

 沙汰を下される犯罪者というのはこんな気持ちなのか、と思いながら、ドアを軽く叩いた。

 

「入っていいわよ」

 

 勉強机の灯りを消して、おねーちゃんが振り返る。広げられたテキストを放置して、ベッドの方を示される。いつも通りに座っていいらしい。

 

「どこまで貴方の望んだ通りに進んだのかしらね」

 

 思案げに呟いて、おねーちゃんはあたしを見た。

 

「考えたのだけど、元はと言えば私が貴方に話してしまったのが悪いのだから、貴方を責める筋合いは無いのよね。貴方を信じた私が愚かだっただけで、私は貴方の行動に悲しみこそすれ怒るのは違うと思うのよ。……その通りにできているかは別としてね」

 

 そう言われるのが1番辛い、というのは多分おねーちゃんも承知しているんだろう。責め立てられる方が余程マシだ。

 おねーちゃん自身の過失だと言われるということは、もうあたしに期待しないし信頼も信用もしないという意思表示。

 

「だから、許すというのも変だし、罰を与えるというのもおかしいでしょう。私は奥底に秘めておくべき想いを漏らした愚か者で、貴方はそんな愚か者の信頼を損ねただけ」

「その論調が不服だって言ったら?」

「構わないけど、どうして欲しいの? 今のところ私は、両親との関係の改善を酌量を与える材料にする気は無いけれど」

 

 怒っている。責めないということは許さないということだ。おねーちゃんには、もうわざわざあたしと関係を修復しようという気がない。

 分かってはいたけど、切り捨てられる側に立つとかなり心に来る。

 

「相手を想えば裏切りに正当性が見い出せると思うのなら、私は今すぐ貴方と縁を切るべきだものね」

 

 それは有り得ない、と反論しようとして、あたしも同じことをしたのだと暗に言われているのに気がつく。そう言われれば、反論はできない。あたしにどんな理由や意図があったとしても、おねーちゃんには関係ない事だ。

 

 最悪の予想よりは幾分マシだ。おねーちゃんの話し方からして、あたし自身が永劫拒絶されたわけではない。信頼を損ねるということがどれだけ大きいのかはさておいて。

 

「貴方は私の妹で、私は貴方の姉。昔言った通り、それだけは変わらないし、変える気もない。秘密の共有が無くなっただけ」

 

 なにか話そうと思うのに、なんにも言葉が出てこなかった。

 冷や汗が伝う。

 

「私からはこんなところね。貴方は、どうしたい?」

「どう……って、あたしは──」

 

 何と答えれば良いんだろう。

 愛されたい? 許されたい? それこそ、馬鹿みたいだ。

 

「あたしは、おねーちゃんが好きだよ。生まれた瞬間から、これからもずっと」

「……そう。なら、放っておいて欲しかったわね」

 

 話は終わり、とでも言うように、おねーちゃんがまた机に向かう。

 

「おねーちゃんは、あたしのことが嫌いになった?」

「いいえ。でも、分からなくなった。……或いは、貴方を理解できない方が、私にとっては良いのかもしれないけれど」

 

 理解。あたしが2年前、おねーちゃんに突きつけた言葉だった。音楽を通した相互理解。

 違えてしまったのだろうか。それとも、想定した通りに進んでいるのだろうか。おねーちゃんの内心がどうにも見えなくて、恐ろしい。

 

 

 

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